親の因果が子に報う①
『ざまぁみろ!』と大声で言いたくなるのを必死に我慢したのは主任だった。
主任と木鰤は歳が親と子程の年の差がある。関係がない様に思うが、実はこの二人地元が同じでしかもご近所だったのだ。
ただし『ざまぁみろ』と言いたい相手は木鰤ではない。その対象者は木鰤の母親だ。
主任と木鰤の母親は小学校からの仲であるが、正直アレを幼馴染とは言いたくないと主任は心底思う。
木鰤の母親はとても性格が悪かった。
兎に角人の物を欲しがり強引に奪い取る様な女だった。
可愛い消しゴムや鉛筆、人気キャラクターが描かれた下敷きやノート。女の子達に人気の髪留め等のアクセサリーやキーホルダー。そう言ったのを木鰤の母親は奪い取った。
酷い時は髪に結んでいたアクセサリーをそのまま奪い取られ、その時の衝撃で何本も髪の毛を抜き取られた子もいた。
流石に奪い取られた子達の殆どは抗議して取り返したが、気の弱い子はそのまま取られてしまった子もいる。
勿論木鰤の母親の横暴を大人達が見過ごす事はない。血気盛んな保護者は態々木鰤の母親の家に抗議しに行った。
が、その親も蛙の子は蛙と言う言葉通りの人で、主任の両親曰くその時はかなり泥沼だったそうだ。
主任自身何度か被害にあったのでアレとはなるべく関わらない様にした。
が、木鰤の母親は何かと主任に接触しようとした。……マウントする為に。
テストの点数が主任より少し良かっただけで。
「あれ~? なぁちゃんテスト七十八点なんだ~。私八十点なの~。やっぱ、塾に行けないとぉテストも悪くなっちゃうのねぇ~。やっぱぁ親に感謝よねぇ」
と、主任だけではなく親までボロクソに言うのだ。
流石に親まで馬鹿にされる事に対して怒るが、当の本人はどこ吹く風。逆に「だってぇホントの事だしぃ」と平然と言ってのける始末。
友達から「あんな奴ほっとこう。あんなのは反応したら負けだよ」と諭されてそれ以降無視している。彼方から接触しようとすると、友達が壁となって守ってくれた。家が近所なので一人の時を狙ってくるが、その時に誰かしら近所の人から声を掛けて来るので一目散に逃げていった。
あの女の一家は近所中から嫌われているので、主任の方から頼んでそうしてくれたのだ。
その後、大学入学時に離れ離れになりあの時までお互い関わり合う事がなかった。
そう。主任も自分だけならそこまで怒る事はなかっただろう。
ムカつく事が多かったが、友人や家族、近所の人達にも恵まれていたのでそこまで怒りを湧く事がなかった。
彼女が報復を決意したのは大事な一人娘の受験失敗を馬鹿にされた時だ。
主任が産んだ子供は五人で、上から三番目の子供以外全員男だ。
だからこそ可愛い娘には一等目を掛けていたし、同じ女だからこそ仲良くしていた。
娘は将来人の為になる仕事を就きたいと思っていた。
大学も少しランクが高いが魅力的な大学で、大学を見学した時にとても気に入ったので一層勉強を頑張ったのだが、残念ながら落ちてしまった。
その事を誰かに言う事はなかった。誰だって子供が落ちた事を人に言いふらす事なんてしたくはない筈だ。だが、何処からか話が洩れてしまう。
実家に帰った時に近所の人や友達と立ち話をしていた時だった。近所の人達は娘の受験失敗の事を慰めたり『自分の子も落ちたのよ』と同じ体験を話したりした。
そんな時に例の女と会ったのだ。きっと親から帰って来た事を聞いたのだろう。そして態々マウント取る為に主任の前に現れたのに決まっている。しかもマウントを取ったのは受験に落ちた娘の受験だ。
「え~? なぁちゃんの娘ぇ大学受験失敗したんだぁ~? あったまわるっー。やっぱぁ貧乏人の子供はぁあったまわるいからぁ、大学に受からないんだぁ。あーあ。かっわいそー。それに比べてぇ私のぉ息子ちゃんはぁ旦那が高給取りでぇ私の実家もお金が持っているからぁ、子供にお金ぇ掛けられてマジ幸せだよね~」
別に主任の実家は貧乏ではない。
確かに自営業だから借金もあった。だが、普通に仕事をすれば返せる額だったし、怖い借金取りが取り立てに来た事は一度たりともない。
贅沢な事はなかったが、それでも不便な思いはした事がない。
主任は子供の教育だって手を抜いた事はない。
真剣なゼミの会員になったし、子供達には宿題を終わらせてから遊びに行くように徹底した。
塾だって行きたい子はお金を遣り繰りして行かせてあげた。娘の大学受験の時だって塾に行かせる予定だったが、娘が親に遠慮して自分で勉強した。
自分で勉強したって高校では学年で上位に入る程頭の良い子だ。そんな子が寝るのを惜しんで勉強していた事位母親である自分が良く知っている。
そんな子をこの女は馬鹿にしたのだ。
友達や近所の人は女の態度に激怒して追い払った事と馬鹿にされた娘が母親の実家に帰らず自宅にいた事が幸いだった。
この時に主任は何時かこの馬鹿女に報復してやろうと決めたのだ。
だが、時が経つにつれて怒りが段々と収まり、女の事を忘れる事にした。
あの女の為に時間を潰すのは勿体無いと思ったからだ。幸いにも娘は翌年には希望の大学に合格出来たのでさっさと忘れる事にした。
しかし、彼女が働いている会社に二人の可愛い部下が入社してから主任の復讐の火が灯始めた。
あの女そっくりの性格になった息子を聞いて、当時の事を思い出した主任は一度木鰤母子、特に母親に対して一矢報いたいと思い始めた。
だが、どうやって復讐してやろうかと思い始めた時に、仲良くなり始めた鈴野の元同僚の水野から情報を貰ったのだ。
主任の長男と同い年の水野と接点がない様に思われるが、あの飲み会後偶々街中で再会したのだが、まだ忙しいのか、お肌がボロボロになっているのを見てついついお節介を焼いてしまった。
それから偶に食事を一緒に食べる様になり、その時に木鰤息子について話を聞く事が出来た。
「転勤?」
「事実上の左遷ですね。本社から北海道の支店、それも会社で問題を起こした社員を集めている所で」
「問題を起こした社員を? それって工場勤務になったて事?」
「いいえ。確かにその会社は工場をやっていますけど、木鰤はそこの事務をやっています。一応あんな性格ですけど、一流大学卒業していますからね。
ただ、その会社かなり厳しく指導する人がいましてね。パワハラ・モラハラ等の犯罪は絶対にしないんですけど、甘ちゃんな奴は三日も耐え切れない場所で……事実上の島流しですね。
そこに転勤されたらもう本社に戻る事はゼロですし、他の会社に転職しても木鰤の場合、やらかした事をお偉いさんの間で知られているから大企業はまず無理ですね」
どうやら転勤先は会社の墓場の様な場所みたいだ。そこに転勤される人間は木鰤の様な会社に大損害を与えた社員で、自主退職に追い込む為の様な場所だ。
エリート人生を歩んだ息子にとっては非常に屈辱的だろう。近い内に実家がある田舎に帰る筈。
私にいる悪魔がある計画を囁いた。
大した計画ではない。
あの女の息子が、本社から島送り同然の支店に左遷された事と左遷させられた理由を実家に話しただけだ。
娘の話は実家にいる家族には一言も話していない。
恐らく家の中で外の会話を誰かが聞いたのだろう。あの後から家族はあの女の家族について一度も話題にはしなかった。
実家は自営業と言う仕事柄、ご近所付き合いが多い。そして奥様方は人の不幸な話が大好きな人達が多い。
一度、実家に帰った時に何気なくあの女の家を見に行くと、あんなに自慢していた豪邸が薄汚れていて敷地内には大量のゴミが積み上げられていた。立派なゴミ屋敷である。
余りにも変わり様に驚いたが、理由は同居していた弟嫁から聞かされた。
「離婚!!??」
「そう。お義姉さんの同級生とその旦那さんが。確か……半年前位に」
半年前と言うのは主任が家族にあの女の息子の事を話した頃だ。そりゃあ何かしらのダメージを期待していたが、流石に離婚までは考えていなかった。
「あそこの旦那さん婿養子でしょ? お義姉さんは知らなかったかもしれないですけど、旦那さん婿イビリをされているって噂でしたよ。生活費は旦那さん持ちで家事も全部やっている様だし……」
「嫁はどうしたの? アイツは専業主婦だって散々私達に自慢していたでしょ?」
「……長年付き合いのあるお義姉さんなら分かるでしょ?」
間違いなくあの女の性格からして専業主婦と言う名のニート化になっている筈だ。
一度だけあの女の旦那さんに会った事がある。
針金の様にやせ細った影の薄い旦那さんとしか覚えていない。あんなに痩せていたのは婿イビリのせいではないかと今になって思う様になってきた。
「それであそこの家の一人息子がポカやらかして左遷させられたって聞いて奥さんが怒って……本社に殴り込みしそうになったとか」
「え~!? あの馬鹿本当にそんな事をやらかそうとしたの?!」
「いや、流石に旦那さんに止められたけど、その時に近所の人の目の前で喧嘩……と言う名の一方的な暴力を振るわれて。お義父さん達男の人達が総出で止められるまで旦那さん殴られるままで……」
旦那さんは無表情のまま防御の仕草もせずにただ殴られ蹴られるままだったが、実は隠しカメラを回しており、その画像とご近所の人の証言と一緒に出して離婚請求をした。
どうやらかなり前から旦那さんは離婚を考えていたそうで、息子が就職してから本格的に離婚への準備をして、粗方準備が終わった矢先だったそうだ。
慰謝料は払われなかった様だが、夫婦共有の財産を九対一で貰ったそう。あの女一家は相当ゴネタが長年溜めに溜めていた証拠の数々を見せ『裁判を起こしても構わない』と言われて渋々了承した。
その後のあの家族については……語るに落ちる。
一度だけあの女の姿を見た事がある。
身なりを整えず薄汚れていて髪は何の手入れもしないでボサボサ。前会った時は痩せてそれなりに整った顔が今では達磨の様に真ん丸で、吹出物だらけ。顔もず~んっと周りが避ける程暗かった。
あの女と主任がバチリとその時目と目が合ったが、先に反らしたのはあの女の方でそそくさと逃げて行った。
『はっ! 人の家庭を馬鹿にする暇があったら自分の家庭を何とかしたらいいのよ!』
因みに計画を立てる切っ掛けとなった二人だけの飲み会の時に、母親の迎えに来た長男と水野が急接近して後に家に結婚の挨拶に来る事を主任はまだ知らない。