暗躍した者①
「ざまぁみろ」と誰にも聞こえない程の小さな声で呟いたのは部長だった。
部長の従兄弟は児木りふこの元夫であった優一だ。
彼は部長と同い年で一番仲の良い親戚だ。だから優一が家族以外の親戚で真っ先にりふこの事を紹介したのは部長だった。
一目会った時から部長はりふこの事を嫌った。
猫被っていたが部長を眺める目が粘着質で嫌らしく、『愛する夫が一番仲の良い従兄弟』として見る目ではなかった。例えば玉の輿を狙うかなり年齢がギリギリの独身女性がする狩人の眼だ。
部長は直ぐに優一にりふことの結婚を考え直した方が良いのではないかと助言した。
しかし人が良い優一はりふこの事を心底信じ切っており、部長の心配を『只の杞憂だ』と笑いながら流した。
優一の家族も(特に女性陣が)結婚を取り止めた方が良いのではないかと言う意見が出たが、本人が聞く耳を持たないのでしょうがなく二人の仲を認めた。
優一自身の頑固さもあったが、りふこの家族が非常にまともで『この家族なら大丈夫だろう』と誰もが思ったから二人の仲を祝福した。
しかしそれが間違いだった。
優一達の新居はりふこの強い希望により都内に近い一軒家だった。
駅に近い人気のある物件だった為少々無理してローンを組んだ。りふこ側の両親が援助の申し立てだが、優一の収入で返せる額だったので断った。
りふこ好みに設計された家のローンを少しでも返せる様に朝早くから夜遅くまで優一は働いた。新婚なのにそこまで働かなくても良いのではと部長達は心配したが、結婚して一年後に待望の長男優太が産まれてからは仕事にセーブを掛ける様になった。
丁度優太と部長の長男が同い年で、同じ幼稚園に通っていた。部長は偶に仕事が早く片付けられた時は息子を幼稚園に迎えに来る事があった。その時に若い幼稚園の先生から尋ねられたのだ。
「あの……優太君のお母さんはお仕事を何かやっているのですか?」
「えっ? いえ、確か独身時代は働いていた様ですか今は専業主婦ですよ?」
「そうですか……。いえ、その、何時も優太君を迎えに来る時は一番最後で、優太君が一人で待たされる事があるんです。酷い時は十二時近くまで待たされる事があってあんまりにも遅すぎるから職員内でちょっと問題になっているんです」
「十二時近くまで!?」
幾ら何でも遅すぎる時間帯だ。共働きではなく専業主婦なのにそこまで遅くまで迎えに来ない理由がない。
この若い先生は何時も一人でいる優太の事を気にしていて、仕事をしているのなら幼稚園ではなく深夜まで預かってくれる所に転園した方が良いのではないかと考えているのだ。
父である優一は丁度仕事が忙しいシーズンで送り迎えに来ない、りふこの方はあまり取り合ってくれないので従兄弟である部長に相談したのだ。
部長は直ぐに従兄弟家族達に連絡した。知らなかった様で従兄弟家族は大変驚き、直ぐに優一に確認の連絡を取って急いで優一の自宅に向かうと約束した。
部長はその言葉に安心して優一宅に向かわなかった。その事に後々酷く後悔した。
次の日部長は仕事の真っ最中だった。
すると滅多に仕事中電話を掛ける事がない彼の妻がスマホに掛けてきたのだ。訝しみながら電話を取ると妻はとても慌てていた。
「大変よ貴方! 優一さんの御宅が火事で、優太君が病院に運ばれたって!! りふこさん達と連絡が取れなくて私達の家に病院から連絡が来て……如何したら良いの?!」
半休を貰って直ぐに優太が運び込まれた病院に向かった。
手術室の入り口には顔を真っ青にした部長の妻と従兄弟の家族、何故か幼稚園の若い先生までもいた。先生は頬に煤が付いていた。それなのに此処にいるべき優太の両親の姿だけはなかった。
先生から聞くと今日、優太が無断欠席していた。先生が幾ら自宅に連絡しても母親や父親の携帯に電話を掛けても取る事はなかった。
前々から優太の事を気に掛けていた先生は優太の自宅へ訪問しに向かった。
家に向かうと優太の家が爛々と炎が家の半分を燃やしている姿を。
そして二階の窓に黒い煙のせいで咳き込みながら助けを待っている優太の姿が。
先生は急いで近くにあった木をよじ登って屋根に乗り優太を救出した。奇跡的に怪我はなかったが煙を吸っていて直ぐに病院に運ばれたと言う訳だ。
火事も消防が早く来てくれたお陰で半焼だけ済んで、他の家に延焼する事もなかったのが幸いだった。
そんな話を済んだ時に優一が走って来た。
相当慌てて来たのか全身に汗が流れ過呼吸の様に息を荒く吸っていた。何故か無精ひげを生やし目元には隈、何処か草臥れている様だった。
部長はまず優一を殴り飛ばした。
子供が死に掛けたのに今の今まで何をやっていたんだ! と怒鳴り付けた。
優一は弁解する事もなく土下座をした。
優一によると会社の大きなプロジェクトの責任者に優一が選ばれた。その為に此処一週間家に帰らずに会社に籠り切っていた。
しかし時間があれば家に電話を掛け二人の様子に気に掛けていた。前日も特に変わった様子がなく、ただ優太が風邪気味な事はりふこから聞かされていたそうだ。
電話に出なかったのは丁度プロジェクトの最終段階で、全てを終わらせて携帯の電源を入れた時は夥しい数の不在着信があり、驚いて電話を掛け直して分かったそうだ。
事情を聴いて少しだけ納得した部長だったが、謎が一つ残る。
母親であり専業主婦であるりふこは何処に行ったのか?
優一の家族はりふこの両親がスマホのGPSで探している最中だそうだ。母親は大きな会社の副社長なのだが、それに鼻を掛けず従兄弟である部長にも心遣いをしてくれる人だ。だからこそ娘の馬鹿が際立ってしまうが。
そんな時に警察が数人、部長達の元へやって来た。
曰く、りふこが愛人の家で危険ドラッグを服用しながら乱交していたと。
りふこの両親がGPSを頼りにとあるマンションに辿り着いた。すると男性に詰め寄っている複数人の人達が入口に集っていた。
話を聞くと詰め寄られていたのはこのマンションの管理人で、詰め寄っていたのはこのマンションの住人達だ。
彼等によるととある住人が朝から夜遅くまでガンガンと音楽を大音量で流していた。その部屋の隣だけではなく上下の住人達もこの音楽のせいで、夜までやるので一睡も出来なかったり子供が夜泣きをする様になったりテレビが聞こえなくなったりと迷惑を掛けていた。
特に受験生を持つ親は夜まで音楽をガンガン流すので、子供がノイローゼ気味で、もし受験に失敗して子供が自殺したらどう責任を取るんだ! と泣きながら管理人に詰め寄っていた。
管理人の方も事態を把握しているが、その問題の住人が如何やら犯罪歴がある住人で正直穏便に済ましたいらしいが、如何やら度々問題を起こすので管理人も『退去』二文字が頭に浮かんでいる様だ。
りふこの両親は娘を顔写真をマンションの人達に見せた。
すると如何やらりふこはその問題の住人の部屋に日頃から入り浸っていて、今も複数人の友人達と部屋にいるらしい。
りふこの両親は事情を話すと、マンションの住人達はすぐさま例の部屋に突入する様に管理人に言い寄り、流石の管理人も我が子が死に掛けているのに病院に行こうとしない母親に怒り直ぐに両親を案内した。
耳を抑えたくなる程の大音量の音楽のせいで幾らインターホンを連打しても、大声で言っても扉を開こうとしなかった。
仕方がなく管理人はマスターキーを使い、部屋に入った。扉を開けた瞬間から妙な匂いがムッとして何か犯罪行為をしているのではないかと、りふこの両親は顔を真っ青にしてリビングに乱入した。
彼等が見た物は複数人の男女が大音量の音楽の中、裸で乱交していた姿。しかも丁度、両親の目の前で娘とこの部屋の主がヤッている最中だった。
警察を呼んだのは管理人が吐瀉物を吐いて倒れたから。
調べるとあの妙な匂いは危険ドラッグで、お香として使っていたので部屋に危険ドラッグが充満していた。管理人はそのせいで倒れたのだ。
何人かは逃げようとしたが、部屋の前で音楽に悩まされた住人達が壁となっていて逃げる事も出来なかった。
幸い管理人は命に別状はなかったが、如何やら問題の住人は別の薬物関係で、りふこ以外の乱交参加者は其々何かしらの罪で逮捕された。
りふこは本人は何も知らなかったと証言している事と、ギリギリ違法になっていない(後日違法薬物として指定された)ハーブだったので書類送検だけで済んだ。
しかも現場検証した消防署によると、朝、鍋に火をつけていた最中に例の住人から誘いの電話が来てうっかり火をつけた事を忘れて、そのまま家を出た事が原因だった。
家の中で風邪をひいて寝込んでいた優太を一人残して。
その後次々とりふこの悪行が出て来た。
優太は軽くネグレクト状態で、遅くまで幼稚園のお向かえに行かなかったのは愛人と遅くまで遊んでいたからだ。専業主婦なのに家事も見える所だけおざなりに整えて、優太の食事もレトルト、もしくはジャンクフードか出前で自分で料理する事はない。と言うか料理した事が一度もなく、優一が早く家に帰った時はバレない様にレトルト品を手作りした様に見せていたのだ。
優一が家に帰らない日はお風呂とご飯を食べさせたら後は優太を一人家の中に閉じ込めて、自分は愛人の元へ夜遊びしていた。
幼い優太は構って欲しくってりふこにしがみ付くが、その度にりふこは冷たく突き放し時に平手で叩き付けて引き離す事があった。
その事と火事の恐怖で可哀想な優太は母親の顔を見た途端泣き出し、父親にしがみ付いた。完全にトラウマとなっており、りふこの事を母親だと認識しなくなるまで追い詰められていたのだ。たった五歳の子供がだ。
愛人も分かるだけで十人は超えていて、しかもりふこの従兄弟も浮上したが証拠が無い為無罪放免となった。彼等の中にはりふこが既婚者だと知らなかった者もいた。
彼等の証言でりふこにとって優一は俗に言う『ATM』扱いで、息子である優太に全く愛情がなくそれ所か『アレのせいで私は苦労した。あんなの産むんじゃなかった』と言い捨てたのだ。
流石にこれ以上りふこと生活を共にする事は、お人好しの優一には到底無理だ。
りふこはかなり抵抗したが、両親が怒鳴りつけて渋々離婚に承諾した。親権は勿論優一で、優一は半焼した家を含めた莫大な額の慰謝料を貰った。
高額な慰謝料の支払いに拒否をしたりふこだが、殴り飛ばして黙らせた。
終始りふこの家族が土下座して謝り続けた事が唯一の救いだ。と言うかりふこ以外の兄弟はまともなのに何故あの女だけはあんな風になったのかは理解できなかった。
ただりふこの家族曰く、りふこの周り、特にりふこの同級生達が大企業の身内、しかも母親が副社長であるりふこの事をかなりチヤホヤしていた。無論そいつ等の狙いはりふこのお零れで、煽てれば煽てる程調子に乗ったりふこが取り巻き達に高額な物を買ってあげたり食事を奢ったりした。
コレに気付いた親がその同級生達と引き離す為に、りふこの進学先をランクの上の学校にさせた。が、幾ら説教してもりふこの性格が治る事がなく、現在の様になったそう。
優一は今までの騒動が原因でかなり疲れ果てており、会社の心遣いで有休を取らせて貰い暫く優太を連れて実家に帰る事になった。
『結局お前の言う通りにアイツとの結婚を止めとけば良かったなぁ……一つ良い事があるとしたら優太を産んでくれたことだけか』
力無く笑った優一の顔を見て、部長は必ずあの女に一矢報いたいと決意した。
部長は共通の友人知人達に事のあらましを全て話した。
コレを聞いた全員が怒り心頭で、りふこの連絡を着信拒否したり直接絶縁宣言をしたりして離れて行った。
又、彼はこうも言った。
「アイツ結婚してから金も男関係も派手だったからな。もしアレと付き合ったら男を取られるだけならまだマシで、借金の連帯保証人にされるんじゃあないか? 親も今回の件には怒ってて援助も何もしないんじゃあないか?」
数人にだけ話しただけだったがこれが他の友人達に広まり、それが尾びれ背びれが付き今では『人の男を取る為なら子供すら簡単に殺す冷酷女。しかも金にがめつい』と言うところまで行った。
悪い事だと部長自身分かっているが、りふこ自身の行いのせいで噂が悪化している面がある。大体噂を悪い方向に広めたのは、何かしらりふこに理不尽な目にあった友人達だったので恐らく今までの鬱憤が爆発したんだろう。
お陰でまともな人間は噂だけではなく、りふこの最低な性格も相まって去って行った。彼女に近づくのは彼女の同類だけ。
彼女の行いを止める人達がいなくなった結果はご覧のあり様。
『全く。少しの毒を注いだ程度であそこまで酷くなるとわな。だが、二人の心の傷を考えればざまぁみろだ』
フンっと鼻で笑い、直ぐにりふこの事を記憶の隅に追いやった。
因みに優一は何と例の若い幼稚園の先生と結婚。優太も先生の事を実の母親の様に慕い、仲良く暮らしている。




