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ヲネの温度

「カナタ……」

「いま誰かと俺のこと話してた?」


 誰もいない部屋で立ち尽くす姉の姿をみて、カナタは不思議そうな顔で言った。ベッドの上にいるヲネの姿は、やはり彼には見えていないようだ。


「ううん、誰とも話してないよ」

「ぜったい嘘だ。だって廊下で俺の名前が聞こえたもん。誰と話してたの? もしかして彼氏?」

「違うってば、そもそも彼氏なんていないし……」

「じゃあ誰?」


 困ったような顔をするコヂカをヲネはニヤニヤしながら見つめた。


「えっーと、神様」

「なにそれ、バカにしてんの」

「このシーグラスと丸石の神様に、カナタがずっと幸せでいられるようにお祈りしてたの」


 コヂカは机の上にシーグラスを戻し、丸石の横に並べて言った。そんなコヂカにカナタは若干引いたように


「えぇー……」


と顔をしかめると、


「てか、それ昔、裏山で拾った石じゃん。まだ持ってたんだ」


とあの日を懐かしむように言った。コヂカはこれが偽りの記憶だなんて未だに信じられなかった。


「うん、なんか気に入っているから手放せなくて」

「やっぱり姉弟なんだね。俺も部屋に拾ってきた石がたくさんあるもん」

「そうなんだ。見してよ」

「いいけど……」


 カナタが嬉しそうに歯を見せると、玄関で音がした。仕事に出ていた父と、父を迎えにいっていた母が帰ってきたようだ。慌ただしくスーパーで買ってきた食材をリビングに置いて、二階にいる2人を呼んだ。


『コヂカ、カナタ。ご飯にしましょう。遅くなっちゃって、ごめんね』


 コヂカとカナタはすぐさま母の声に返事をし、一階に向おうとする。カナタは得意気に、


「石はまた今度みせてあげる」


と言って、コヂカより先に一階へ降りていった。ヲネは2人なったところで、自分を置いてリビングに降りようとするコヂカを呼び止めた。


「『トレード』の魔法。本当にキャンセルするのね?」

「うん。でも今日一日だけ、待ってもらえないかな。最後に一回だけ、カナタも含めた家族4人で過ごしたいの」


 しかしコヂカの切なる願いを、ヲネは叶えられそうもないと首を振った。


「悪いけどそれはできないわ。もう時間がないの」

「時間がないって?」

「魔法をキャンセルするためには、すべて魂を元通りに集めないといけない。カナタの魂はこっちにあるけど、シオンの魂が手元にない。生贄になった彼女の魂は体と分離されて、今はちまたを漂っている。いわば野良の魂になっているの。そうした野良魂は一週間もすると輪廻から外れて、完全に自我を失った亡骸になる。それをヲネたちエコウは、『雫』としていただいてるの。まだシオンの魂には自我が残っているみたいだけど、今晩あたり『雫』に変わってしまってもおかしくないわ。一度、自我を失った魂はもう二度ともとには戻らない。あとはどこかのエコウに食べられてしまうだけ。そうなれば、ヲネたちの魔法を使ってもシオンを取り戻すことはできない。タイムリミットが来る前にシオンの魂を見つけ出さないと、残念だけど手遅れになる」

「それっていつなの?」

「おそらく持って、明日の朝まで。でも野良魂はいっぱいいるから、この街にいたとしても、見つけられるかどうかはわからない。それから……」


 ここまで淡々と話していたヲネが少し口を閉ざして、何か思うように目を瞑った。そうしてまた話を続けた。


「それから、魂の捜索にはね、物凄く大量の魔力が必要になるの。ヲネ自身と、そのえんじ色のシーグラスの魔力をすべて使い果たしてしまうくらいには」

「えっ、そうなったらクリヲネちゃんは……」

「大丈夫、心配しないで。ヲネはエコウとしてまた別の世界に生まれ変わるだけだから。でも悲しいけれど、コヂカちゃんとはもう二度と会えなくなる。シーグラスが消えてしまえば、コヂカちゃんはヲネのことも、3つの魔法のことも忘れる」


 ヲネは切迫した表情でコヂカに真実を語ると、ベッドの上から立ち上がって問いかけた。


「それでもキャンセルする? シオンの魂を見つけ出せる確率はとてつもなく低い。シオンを救えても救えなかったとしても、コヂカちゃんはもう二度と魔法を使うことができなくなる。それにシオンを救い出せても、大切なカナタの魂は輪廻の果てへと消えていく。コヂカちゃんの求めていたものが何一つない、いままでの生活に戻るのよ。もう透明になったり、都合よく何かを消すこともできない。それで、本当にいいのね?」


 真剣な眼差しのヲネ。残酷な選択には違いなかったが、コヂカの答えはすでに決まっていた。


「うん、それでも構わない。シオンの魂を探しにいこう」


 そしてそう言い切ったあとで、コヂカはヲネに優しく触れた。


「クリヲネちゃんに会えなくなるのは、ちょっと寂しいけどね」

「コヂカちゃん……」


 ヲネの身体はとても冷たく、まるで冷蔵庫の野菜室に眠っている青果のようだった。


「今までいろいろありがとう。私がクリヲネちゃんのことを忘れてしまっても、クリヲネちゃんは私のことを忘れないでね」


 コヂカの言葉にヲネは顔を赤くした。


「魔法をキャンセルしたいって言いだしたのは、あなたがはじめてなんだから忘れるわけないでしょ」

「そっか。私ね、クリヲネちゃんからたくさんのことを教えてもらった。恩返しってクリヲネちゃんは言ったけど、クリヲネちゃんは私がしたこと以上に私を助けてくれた。クリヲネちゃんのおかげで、心にぽっかり空いていた穴を綺麗に埋めることができた。もしも記憶が残ったとしたら、私はあなたのことを一生忘れない」


 人間の温もりをはじめて感じたであろうヲネは、俯きながら小さく呟く。


「ヲネはいつの間にか、コヂカちゃんの心を満たしていたのね……」

「え? なに?」

「ううん、なんでもない。ヲネもコヂカちゃんに拾われてよかったよ。コヂカちゃんのことを絶対に忘れないわ」


 顔をあげたヲネの髪からなんとなく潮の匂いがした。


「ねえ、クリヲネちゃん。どうしてクリヲネちゃんの体はこんなにも冷たいの?」

「ヲネたちは『生き物』ではないのよ。魂を整理する『装置』のようなものだから、血も心も存在しない」


 ヲネは虚ろな目そう言った。その瞬間、コヂカは咄嗟に彼女を抱きしめていた。どこまでも冷たいその身体が、今はとても愛おしい。


「違うよ、そんなことない。クリヲネちゃんはここにいる。こうやって抱きしめて、髪の匂いも肌の温度も感じられる。私を魔法で助けたり、時には叱ってくれる。クリヲネちゃんは装置なんかじゃない。クリヲネちゃんは、私のはじめての、大切なエコウの友達なんだから」


 コヂカの胸の中で、ヲネは濡れた頬を優しく寄せた。


「ありがとう、コヂカちゃん。さあ、夜が明ける前にシオンの魂を探しに行きましょ」



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