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死の匂い

 死に最も近い季節は夏だと思う。スイカやアイスキャンディーの瑞々しさが無ければ、コヂカは17回も夏を迎えることなんてなかった。冬の空が澄んでいるのと違い、夏の空は霞んでいる。その理由をコヂカはまだ6歳の時に、父のヤスシに尋ねていた。


「ねえパパ、どうして夏の空はもやもやなの?」


高い空の下で眼鏡をかけたくたびれた背中の父は答えた。


「コヂカ、夏の空にはね、こっちに帰ってきたご先祖様の魂がいっぱい飛んでいるんだよ。」

「たましいってなに?」

「そうだね、魂というのはね……。うーん。生まれるのを待っている心のことさ。それがいっぱい飛んでいるから空がもやもやになっちゃうんだ」

「え? そうなの。じゃあ私の弟もあの中にいる?」

「うん、いるよ。早くパパやコヂカに会いなあって思ってるよ」


 2004年の夏、コヂカには弟がいた。風が抜ける5畳の和室には、真新しいベビーベッドにベッドメリーがあって、まだ見ぬ弟のためにそれが鳴っていた。コヂカはよく畳の上に寝そべって、その音を子守唄代わりに聴きながら眠った。夢の中では、いつも部屋の片隅でささやかに眠る弟の姿があった。その夢は吉夢でも凶夢でもなく、ただ日常の一コマとしてコヂカの毎日を彩った。この時のコヂカは、まだ幸せや不幸がどんな色をして、どんな姿で巷を漂っているのか知りもしなかった。6歳の胸の安らぎはイグサの肌触りと産毛を揺らす風によって与えられていた。

 夢食いの獏がコヂカの夢から日常を奪い去っていくかのように、あの夏に弟が生まれてくることはなかった。それでもコヂカはずっと待っていた。こんなにも空が霞んで魂が舞っているのに、どうして弟はその中にいないのだろう。ある日、頬が濡れたまま帰ってきたヤスシに問いかけた。父は小さくゆっくりと言った。


「弟はね、僕らの住んでいる世界を通り越してお星さまになってしまった。これは本当に悲しいことだ。でも心配しなくても、僕もコヂカもいつか必ずお星さまになる。その時にまた会える」


 いつかとはいつなのだろう。それはあとどれくらい夏を迎えればやってくるのだろう。コヂカは空を見て考えた。霞んでいた青が秋には高くなり、冬が来て澄んでくる。そうしてまた次の季節が訪れる。いつかの夕暮れ、コヂカが橙に染まる5畳の和室に戻ると、ベビーベッドもベッドメリーも片付けられていて、代わりに小さな仏壇と骨壺が置かれていた。それが出会うことなく別れが訪れた初めての瞬間だった。


☆☆☆


 カンナたちが今を生きているのだとしたら、コヂカの心は今ではない、遠い過去か未来に置き忘れられている気がする。死の気配を安らぎと感じるのは今の喜びを正しく享受できないからで、コヂカは早く女子高生らしい心を取り戻さなければならないと思っていた。でもそれはコヂカの本当の気持ちに嘘をつくことにもなる。


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