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『ごめん、今日遊びに行けなくなった』
和樹との交際が始まって一年が過ぎた、ある日のこと。
一年、といえば丁度季節ごとのイベントを1回経験し、仲がより一層深まる頃だろう。そして、恋人らしい不安定な関係から、落ち着きのある家族のような関係に変わるタイミングでもある。
「え?」
待ち合わせしていた公園で、周りに誰もいないにも関わらず、思わず声が溢れる。
7月1日、日曜日の正午。
LINEのトーク画面上に現れたその文字に、私はがっくりと肩を落とした。
今まで彼が、平日に約束を反故にすることはあっても、休日にドタキャンすることなんてなかったからだ。
その上、本当の待ち合わせ時間は11時で、かれこれ1時間も待っている。
最初は少し遅れてるだけかと思ったが、次第に来るのか来ないのかとそわそわし、道中で何かあったのではないかと思うと不安が押し寄せた。
『分かりました。ひとまず、帰ります』
震える指で、スマホのキーボードを一つずつゆっくりプッシュする。
この場で理由を聞けば、なんだか泣けてきそうな気さえして、感情が高ぶらないうちにそうしたかったのだ。
『ごめんね』
スマホの画面越しに、和樹がいつものごとくすまなそうに眉を下げて謝る姿が浮かんできた。
一体なにが「ごめんね」なのか、彼自身把握しているのだろうか。
そんな素朴な疑問が拭えぬまま、私は重たい足取りで帰宅した。
『フラワーショップたかやま』の二階にある自分の家に帰り着く頃には、幾分か頭も冷えて冷静に物事を判断できるようになっていた。
「もしもし、和樹くん?」
彼に何があったのか、単に寝坊したり大事な用事を思い出したりしたから出てこられなかったのかを確認したかった。
一刻も早く、この不安を拭い去って欲しかった。
だから、居間でのんびりとテレビを見ている両親に声をかけることすらせず、部屋に入るやいなや、彼に電話をかけていた。
『もしもし、伊織』
電話の向こうで彼が私を呼ぶ声に、どことなく元気がない。
「和樹くん、今日はどうしたの? 何か急用でもできた?」
『あ、ううん。それが、ちょっと熱があるみたいで。今日は約束守れなくて、ごめん』
熱がある、と聞いて半分ほっとし、半分心配になった自分に少しだけ安堵する。
電話をかけるまでは、もっとよからぬ想像をしていたからだ。それが外れて良かったと。
「そっか。大丈夫? 今日はゆっくり休んで」
看病に行くとか、そこまでせずともせめて体に良いものを作って家まで持っていくとか、気の利いたことの一つでもすれば良かったのかもしれない。
けれど、この時の私には、不安や安堵の気持ちに振り回されて、これ以上何をする気にもなれなくなっていた。
その日からだ。
彼が、ことあるごとにデートの約束を反故するようになったのは。
ある時は会社の付き合いで。
またある時は、体調不良で。
気がつくと丸3ヶ月、まったく会っていない状態になった。
「ねえ、それってやばくない? 伊織たち、本当に付き合ってるの……?」
例によって、姫野さくらと遊ぶことになった日曜日。本当なら今日も、和樹と一緒に休日を過ごすはずだった。
季節は10月で、調子に乗って薄着をしていると肌寒いと感じることが多くなった。晴れの日と曇りの日でかなり気温が違うのもまた、憎々しい。さくらと二人で電車に乗り、紅葉が綺麗だというメタセコイヤの並木路のある公園まで遊びに来たというのに、肝心のメタセコイヤはまだ色づいていない。
「当たり前よ———って言いたいところなんだけど……正直私も自信なくなってきちゃった……」
遠距離恋愛でもないのに、恋人同士が3ヶ月も会わないこと———それが、正しいのか正しくないのかなんて、人にはそれぞれ事情がある分、はっきりとは口にできない。
けれど、少なくとも私は満足していない。せっかく好き合って付き合ったのに、この状況は嫌だ。
それなのに、私は何も自分から行動ができない。
いつも、いつだって。
傷つくことになるかもしれないその先に、自分から行けない。足を踏み入れる前に、怖くて立ちすくんでしまう。
「まあ、そうよね……。ただやっぱり、もう一度彼と頑張って会ってみたら? 意地を張ってるのは伊織だけで、彼の方は本当はどうってことないのかもしれない。それでももし、最悪な方に向かっているのだとしたら、早めに知れてラッキーと思わなくちゃ」
彼女の言う、「最悪な方」が何を意味しているのか、言わなくても分かる。
考えたくもないが、和樹が他の女の子と浮気している———という話だ。
「分かった。ちょっと強引にでも会いに行ってくる」
そうだ。私は島村和樹の恋人なのだ。会いたいなら、たまにはわがまま言って駄々こねて、会いたいとごねたらいい。
それでも応じないなら、多少無理にでも様子を見にいく権利はあるのだ。
「とにかく、頑張って。応援してる」
さくらが、私の背中をぽんっと押してくれた。
先ほどまで肌寒くて震えそうだった背中が、たったそれだけでじんわりと温かくなるのを感じた。