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アラサーだって、翼  作者: 橘皐月
第三話 浮気男と冬のバラード
13/31

3-2

「冬子ちゃん、元気にしてるかな」

誕生日デートも終盤に近づき、残るはディナーだけだと考えながら私は彼との会話の続きを試みる。

「元気だと思うよ。と言っても、私も最近会ってないんだ」

「そうなのか。この間大学の友達に会いに行ってなかった?」

「この間? ああ、あれは別の友達で、由梨っていう子。しかも半年以上も前よ」

「なるほど。茜が、『全然会えない』って嘆いてた子ね」

「ええ。彼氏がソクバッキーだったのよ。でもその彼とももう別れたみたいで——」

全然知らない人の彼氏が束縛男だとか、その友達が男と別れてから吹っ切れたみたいに仕事を頑張っているとか、友貴人にとってはきっとどうでも良いはずの話でさえ、彼は楽しそうに相槌を打ちながら耳を傾けてくれる。


まったく本当に、峰友貴人という人間は、これだからずっと好きでいられるのだ。


彼に対する愛情が一層深まったことを確認しつつ、私は彼と隣り合わせで歩いた。

「これからどこに行くの?」

どこかに向かって歩いている、というのは明らかだった。

しかもそれがレストランであることも決まっている。

しかし、もし万が一彼が私にサプライズを用意しているのであれば、あまり深く聞かない方が良いのではないか———なんて、くだらないことを思ってみるのだ。

「もうすぐ着くよ」

ニカッと絵に描いたように笑う友貴人が前方を指差し、目的の店を発見した。

「創作料理……?」

「そう。茜、こういうところ好きだっただろ」

『やまと屋』という名のその店は、“地産地消の創作料理”を売りにした、ちょっとリッチな日本料理店だ。

友貴人の言う通り、実は私、昔からイタリアンやフレンチといったきらびやかな洋食より、素朴な味の和食の方が好きなのだ。

「わ、ありがとう! ここ来たかったんだ」

『やまと屋』は和食店の中でもグレードの高いお店で、それこそ特別な日以外に利用する客は少ないだろう。

「良かった。予約してあるから、入ろう」

こういう時の段取りに抜け目がない彼は、私の背中をポンと押して店内へと促す。

「素敵な雰囲気ね」

店には中庭があり、れっきとした日本庭園が控えめなライトで照らされている。

「だろ。ずっと狙ってたからな」

友貴人が胸を張り、『やまと屋』をいかに考えて選んだのかを私に伝えたいようだった。その健気な心が可愛いと思う自分が、一体何歳なんだとおかしくなる。

私と彼は案内された席に座ると、定番の懐石料理を注文した。一番リーズナブルなメニューにも関わらず、その格調高いお値段には頭が上がらない。

忘れずにビールも頼み、

「乾杯〜!」

と二人でカチンとグラスを鳴らした。

いくつになっても美味しい料理に心を躍らせられる。

しかしそれは、たった一人では味わえないことかもしれないと思うと、いつも変わらずに自分の側にいてくれる彼に対して、ジワリと胸が熱くなる。

「お待たせいたしました」

ビールを二口飲むと、着物を着た店員さんが、これまた上品な仕草で懐石料理を運んできてくれた。


「茜、誕生日おめでとう」


彼からの祝いの言葉は、いつも唐突だ。

でもそれが彼なりの心遣いであることは、ずっと前から分かっていた。

付き合って10年。

私たちはお互いのことを知るのに、十分な年月を一緒に過ごしすぎたのだ。


「これ、誕生日プレゼント。がっかりするかもしれないけれど……」


彼が、私の目の前でジュエリーショップの箱をパカっと開けてくれた。


「綺麗……」


そこに現れたのは、ルビーの入ったネックレスだった。


「指輪じゃなくて、ごめんな」


指輪、という言葉に、ドクンと心臓が跳ねるのが分かった。

最近確かに、自分の周りで指輪をもらった———つまり、プロポーズをされたという人が増えた。それは単に年齢の問題と、職場という結婚適齢期の若者が大勢集まる空間にいるせいでもある。

「そんなこと全然っ……! むしろこんな高価そうなもの、ありがとう……」

私は友貴人から、初めての勢いでされたサプライズに高揚感で耳まで熱くなった。

周りの子たちみたいに、憧れの指輪プロポーズではなかったけれど、私たちには私たちなりの幸福がある。

だからいい。

私は素直に、今この瞬間の喜びを噛み締めていた。

「茜、どうして泣くんだよ?」

彼の言葉に、私ははっと気づいて自分の頰を拭う。

感激で泣いてしまうなんて、いつぶりだろう。

きっと彼が去年、肺癌で入院して以来だ。

あの時は本当に大変だった。

突然の癌発症、入院、治療。

幸いあまり病気が進んでいなかったため治療して病気も治ったが、彼が入院していた時には毎晩のように泣きじゃくっていた。子供みたいに、私は泣いていたのだ。

「……泣いてないわ」

あまりに見え透いた嘘をつき、自分自身の気をなだめる私を見て、彼はふふっと笑った。

「そんなに喜んでくれて嬉しいよ。さ、ご飯が冷めないうちに食べよう」

「うん!」

一緒にいた時間がとても長い私たちなのに、まだこんな風に嬉しくて泣いたり笑ったりできるのがどれだけ幸せなのか、私はこの時まだ知らなかった。



幸福と禍いがいかに容易く入れ替わるかということも、翌日知ることになる———。


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