08話 人狼さん、同胞と出会う
パチパチと火のはぜる音と、木と何かの燃える匂い。
んん? 何だろ。
何だか美味しそうな匂いがする。
その音と匂いに、ぽかりと暗闇の中に意識が浮上する。
それと共に『仲間』の匂いも感じ、同時にここが『安全な場所』なのだと認識する。
そっか、仲間がいるなら安心だ。
自然と体の力が抜け、ホッとする。
? ……仲間? 私に仲間はいないよね?
「ん? 目が覚めたか?」
声をかけられ、重い瞼をなんとか持ち上げる。
景色はすっかり暗くなり、目の前に広がる夜空にはいくつもの星が瞬いている。
どうやらあの化け物と戦った後、意識が飛んでいたらしい。
……あぁ、そうだ。
確か二本足で立つ狼に助けられたんだった。よく生きてたよね、私。
半ば他人事のように思いながら、声の聞こえた方向に顔を向ける。
視界に飛び込んできたのは、オレンジがかった赤い炎。
それがパチパチと木の爆ぜる音を鳴らしている。
ああ。意識が覚醒した時に聞こえた音は、これだったんだね。
安堵感と、その暖かさに目を細める。
そしてその炎越しに、灰茶色の髪色をした少年が地面に座っていた。
自分よりもより少し年下らしい、快活そうな雰囲気の少年で、短めの髪が無造作に跳ねている。
その頭には同じ灰茶色の獣の耳が生えており、視線が合うと、金色の目を細めてニコリと笑いかけてきた。
バサリバサリと下草をかき分けるような音に視線をやると、少年の背後で尻尾が嬉しそうに振られているのが見える。
(この子、私と同じ人狼だ)
その姿に迷いなく確信し、先ほどの『狼』が誰であるかも思い当たる。二本足で佇む狼。あの姿が人狼の『獣化』した姿なのだろう。
ということは、意識を失う前に彼から発せられた兄弟という言葉は、同族の仲間という意味か。
(もしかして、同じ人狼の仲間だから助けてくれたのかな?)
「俺は、君に助けられたんだろうか?」
疑問に思うと同時に声に出したが、予想外の低い音に一瞬驚く。
しかも、『俺』って? え、何言ってるのかな、私。
いやいや待て待て。今の私って、男で人狼だったんだ。
夢でもない、正真正銘の 現 実 ! というやつだ。
だから男言葉でもおかしくない。むしろ、勝手に変換されて有難いぐらいだ。
この体で女言葉は引く。どこの二丁目のオネェさんだよ。
「だな。間に合って良かったぜー。死体は始末したし、それ目当てに他の魔物がやって来ることも無い。それにここは戦った場所から結構離れてるから、ゆっくりしていても大丈夫だ」
得意げに言いながら、更に尻尾が揺れる。
どうやら、かなり彼には世話になってしまったらしい。
「そうか……俺一人では無理だった。ありがとう」
目を閉じて大きく息を吐き、再び少年へと目を向ける。
あの時、本気で死を覚悟していたから、まさか助かるとは思いもよらなかった。助けてくれた少年に改めて感謝してしまう。
本当は起き上がって礼を言いたいところだけど、体が鉛のように重すぎて中々動かない。
随分とこの体に無茶をさせてしまったらしい。
けど、生きることを諦めずにもがいていたこの体が、殺されなくて本当に良かったと思う。
どこか現実離れした意識の中、あの時まで自分が死ぬ可能性があるとは全く考えてもいなかった。
この体の為にも、次はもっと慎重に行動しないと。
「まぁ、仲間が死にかけてたら助けるのは当たり前だしな。しっかし、《神託》を受けて来てみればハイオーク相手に殺されかけてるとか、俺の心臓が止まるかと思ったぜ」
「神託?」
「そう、神託を受けてここに来た」
そういえば、転移間際に神託持ちを向かわせるとか、神様が言っていたような。
神託って、神様からお告げをもらうっていう意味だよね。
彼がその神託持ちか。おかげで見つけてもらったうえに、助けられたっぽい。
「俺らの祀っている神で、この世界を創ったといわれている最初の神……イヴァリースっていう名の神なんだけど。そいつから『お前らが欲しがっていた黒狼を復元してやったから迎えに行け』って、急に神託降りてさー。それで慌てて来たわけ」
それがまさか死にかけてるとは思わなくてビビった、と快活に笑われる。
へー、あの地味な見た目の神様、イヴァリースって名前なんだ。今更知ったよね。
というか、神様の扱いが軽いように感じるんだけどいいのかな?
そういえばあの神様、私が出会った時も随分と砕けた調子だった。そういうキャラなんだろうか。
どうやらその神様のおかげで死なずに済んだようだけど、騙された件だけは忘れてないので感謝はしない。うん。
「それはすまなかったな」
「別に、間に合ったからいいんだけどさ。それより腹は減ってるか?」
そう言って、串にささった肉を寄こしてくる。
よく見ると、同じものが焚火の周囲の地面に刺さっている。どうやら目が覚める前に感じた美味しそうな匂いの正体は、この焼かれた肉だったようだ。
が、連戦によって体が疲れ切っており、今は物を食べるという行為は遠慮したい。
よく考えたら、復元されたばかりの体なのに、馴染む前に酷使し過ぎたからなぁ。ダウンするのも当たり前だよね。
「いや、今は減っていないな」
「そっか、腹減ったら言えよ。肉はまだ沢山あるから」
「……沢山?」
一瞬、豚に似た化け物を思い出す。
え、もしかして。
「おう、ハイオーク三匹とか、食うだけじゃなくていい金になるぜ」
ニンマリとした顔で、焼きあがった肉を口にする少年。
彼の言葉に一気に頭がはっきりしてくる。
え? それって食べられるの?
あの二本足の豚モドキだよね?!
「それって、食べられるのか?!」思わず考えなしに口に出てしまう。
「? 普通のオークより美味いぞ? 魔物の中でも高級肉の部類だし。ただ、強くて厄介だからあんまり出回ってないんだよなー」
「えぇ……」
俺ら人狼は獣化すれば簡単に狩れるけどな、と言いながら手にした肉を美味しそうに頬張り咀嚼する。
二本足歩行の生き物とか、ちょっと抵抗感があるんですけど。思わず顔を歪めてしまう。
っていうか、やっぱりあの豚さん、強かったんだ。
「あぁ、あんたの所じゃ魔物が居ないんだっけ? なら、食うのに抵抗あるのか。しっかし、神託で聞いたけど、そんな世界もあるんだなー」
「確かに魔物? というのは居なかったな。それより、どこまで神託とやらで聞いているんだ?」
いい加減寝たままの会話は失礼だろうと思い、気合を入れて起き上がる。
んん? やけに肩や胸の辺りがスカスカするような?
違和感に目をやり、動きが止まる。
「?!」
あ、あれ? 私の上着は?
何で裸なわけ?!
「? どうした?」
「い、いや、上着が……」
不思議そうな少年に、動揺しながら返事をする。
「ああ、お前がぶっ倒れた時、肩庇ってたからさ。怪我してるのかと思って脱がして確認したんだよ。打撲してっから、一応包帯で肩を固定しておいた……って、何その格好?」
「え? ……?!」
おおっと! 無意識に両手で胸隠してたよ!
無い胸隠してもしょうがないんだけど、こういうのは咄嗟に出てしまうっぽい。中身女だと、こういう弊害が起こるのか。気を付けないと。
いや、そんなことより、大の男が胸隠す乙女ポーズとか、ビジュアル的にどうなの……。
「こ、これはだな」
何て言い訳しよう。いや、言い訳できる状態なの、これ?
えーと、えーっと。
ううっ、上着ないと寒いなぁ。……ん? 寒い?
「これは、あれだ。寒さのせいだ。無意識に暖をとろうとしていたようだな、うん」
そう言いつつ、そのまま腕をさすってみせる。
そうそう、私は寒かったんです! 決して恥じらっていたわけじゃありません! あー寒い寒い!
「そっか。夜は冷えるからなー。薪増やすか。もっと火の傍に寄るといいぞ」
「あ、ああ。悪いな」
薪を追加する少年に促され、さりげなく腕ほどいて火にあたる。
かなり不自然な流れだったけど、どうやら上手く誤魔化せたらしい。
疑うことを知らない純粋な少年で良かったぁ。
「風邪ひかれたら困るしな。動けるようになったなら、これ着とけ」
心配そうな顔をした少年に、服返しとくぞと手渡される。
本気で心配されているようで、ちょっぴり良心が痛む。なんて優しい少年なんだ……!
感動しながら渡された服に袖を通そうと腕をあげると、途端に激痛が走る。
うおお、肩が、肩が痛い!
そういや打撲してたんだっけ。
慎重に腕を通すことで、苦戦しながらも漸く羽織ることが出来た。
やっぱり服を着ると安心するなぁ。
「で? 何の話だったけ?」
「神託で何処まで聞いていたのかってところだな」
「あー、そんな話だったっけ?」
何もなかったように話を戻してくれる少年に、好感度が跳ね上がる。
いやぁ、危なかったね。これからはもう少し、男ということを意識して行動しないとね。
今の私は女じゃなくて男なんですよー。
しっかりしましょうねー。
「そうだなぁ。黒狼の体の復元に成功したけど、中身の魂が無いんで、他の世界から借りてきたってことと、この世界のことは何も知らないってことぐらい? あと、元人間だから同じ人狼の俺が、色々手助けしろっていう内容の神託が降りた」
「成程……」
性別以外はほとんど全部だね。
だから服を脱がすのも抵抗なかったわけだ。
「だからハイオーク相手に獣化しないで戦ってたのか? いくら人狼でも人型のままは結構きついぞ。普通、獣化して瞬殺するもんだし」
「そういえば、《身体強化》は使ったが、獣化はしなかったな」
戦ってみてわかったことだけど、多分《剣術》と《身体強化》は元の体から引き継いでいるんだと思うんだよね。だから、主導権が体側の時に自然に使えたんだと思う。
逆に《鑑定》が使えなかったのは、私がもらった恩恵だからだと推測している。体が使えると認識してないんじゃないかな。よくわかんないけど。
でも、その考えだと、何で獣化出来なかったんだろ?
「あー、獣化は恩恵と違って特殊だからなぁ。元人間には判りづらいかも」
困ったような顔で肉に齧り付く少年に、「そうなのか」と頷き返す。
あらら。私の意識が邪魔してるってことか。
うーん、獣化して戦うのが普通なら、やっぱり出来た方がいいだろうな。いつまでもハイオークとかいう魔物に苦戦とかしてたら話にならないし。
話しっぷりからするとこの体、元人間の私が原因で獣化出来ないで戦っていたみたいだし、この子にコツとか教えてもらえるといいんだけど。
あ! そういえばこんなに会話してるのに、名前聞いてなかったよね?
「今更なんだが、君の名前は? 俺は名無しなんで名乗る名が無いんだが」
「? 名が無いのか? そう言えば、名乗ってなかったよな。俺はノアだ」
「ノアか。よろしくな」
「おう、こちらこそよろしくな、、、……うん、名が無いのは不便だな、さっさとつけた方がいいぞ」
「そうか?」
「そうだ」
名前か。思わず考え込む。
前の名前は使えないよね。どこから見ても女の名前だし。この姿で『立花あやめ』とか、笑う。
それに、ヒナはともかく、他のクラスメイトには性転換したこの姿は知られたくない。むしろ、正体を知られたくない。何言われるか分からないし、嘲笑の的とか嫌だし。
ヒナだけに、聞いたらすぐにわかってもらえそうな名前が良いんだけど。
うーん、そんな都合の良い名前があるかなぁ。
「名前か……」
「俺がつけてやろうか?」
ニッと笑いながらそう言われるが、それだとヒナにはわかってもらえない名前になってしまう。
「いや、自分で考えてみる。すまないな」
「そうか。おかしかったらダメ出ししてやるから、思いついたら言ってみ?」
「ああ、頼む」
そう答えると、期待に満ちた目で早速待たれてしまう。
え、あれ? 早く思いつかないと何か悪い気がしてきた。えーと、えーと。
ヒナにすぐ伝わって、他の人に気づかれない名前……。
む、そうだ。うちの母親の旧姓なんかどうだろ。
うちの母親はヒナのお母さんと姉妹だから、元の名字は勿論、同じだ。
ちょっと珍しい名字だし、ヒナになら気に留めてもらえそう。
ついでに言うと、クラスメイトは私達が従姉妹だって知らないし、もちろん私達の母親の旧姓なんか知るわけもない。その名で呼ばれても、彼らには気づかれないし丁度いいんじゃないかな。
そして何より大事なのが、この名字、名前っぽい響きなのだ。
うん。それでいこう。
「『クロウ』という名はおかしい響きか?」
うちの母親の旧姓は「九狼」。
メッチャあり得ない名字だけど、ちゃんと由来がある由緒正しい名だ。
その昔、九匹の狼を従えて殿様を守った武士のご先祖様が、報奨にと頂いた有難い名なのだ。
田舎では今も伝えられている逸話で、一族自慢の家名でもある。
しかも九狼の本家や分家には、今も狼の子孫の犬達が沢山いて、遊びに行くと盛大に迎えに出てくれるという、大型犬が大好きな私にとって天国のような所なのだ。
外孫なのにヒナと共に随分と可愛がってもらったのも、良い思い出となっている。
この名なら珍しいし、わかる人にはわかってもらえるんじゃないだろうか。……多分。
少なくとも、ヒナがその名を聞いたら、確実に気に留めてもらえるレベルぐらいにはなると思う。
ノアの様子を伺うと、思案顔で何度も口の中で呟いている。
表情的には、悪くなさそうかな?
「うーん、クロウか。珍しいけど東の方の響きに近いし、おかしくはないかな。一度聴いたら忘れなさそうでいいんじゃないか?」
そう言われてホッとする。
どうやら、この世界でも通用するようだ。良かった。
母親の旧姓が自分の名前とか、ちょっと不思議な感覚だけど、慣れたら大丈夫そうかな。
元々カッコいい名字だと思っていたし。
「ならこの名前にするか」
「じゃ、改めてよろしくな、クロウ」
「ああ、よろしく頼む」
そう言って、例の肉を渡される。
つい受け取ってしまったけど、これって食べろって事? 受け取ってしまった手前、食べないとやっぱり失礼だよね?