オオトカゲ魔族の子どもたち
オオトカゲの城は洞窟状になっているため、外からモヤで覆うことにした。カイはヴァンを召喚する。オオトカゲの住処は森の深いところにある。鬱蒼と茂っている木々は歩くものを混乱させ、ここ一帯に咲く幻影の花の香りがこの場所を目指すものを惑わせる。この環境がヴァンが作り出すモヤをより濃いものにしてくれるはずだ。
ヴァンは守護霊なのでカイが近くにいないと召喚し続けられない。エアとダンプとは分かれて、カイは一人でこの洞窟の前にいた。
だから暇だと言えば暇だったのだが。
「どうしました?」
洞窟の入り口の影に隠れている小さい姿に声をかける。先ほどモヤの中で遊んでいたオオトカゲの子どもたちの一人だ。
木の棒と尖った石を握りしめている。その子どもは、カイに声をかけられるとその武装のまま入り口から飛び出してきた。
「お、お前が! お前が来たからオラン様は!」
その一言で何があったかはだいたい知れた。ペナルティがなかったとは思わない。
「そうですか。残念です」
後半の言葉は本心だった。少しの間しか関わっていないが、オランが実直で慕われるような王であったことはカイにもわかる。
「ざ……残念でオラン様の死を片付けるなー!!」
子どもが突進してくる。オオトカゲの大人はジオほどの大男に近い大きさになるが、子どもではカイの背丈の半分ほどにも満たない。それでどうやってその長さのない木の棒で戦おうというのか。
突進して来た子どもを避けると足を引っ掛けて転ばす。
ドテッと音がしそうなほどに受け身の取れていない転び方で、子どもは頭から地面に突っ込んだ。転ぶ前のの悪あがきなのか、地面が顔につく前に子どもはカイに向かって石を投げる。軽く避けると背後の木に当たった。
「なってませんね。それでは、私が何かしなくとも早晩オオトカゲの一族はダメになっていたでしょう」
「な、に、をおおおおお!」
地面から子どもがはね起きる。むき出した牙は小さいながらに鋭く、顔の形にめり込んだ地面の跡からはオオトカゲの体の硬さが伺える。
向かって来た子どもの頭を今度は片手で止めた。
「それで仇を討とうなんて甘いんじゃないんですか」
「それは、どうかな!」
目の前の子どもではない声に頭上を見上げると、木の上からもう一人のオオトカゲの子どもがカイの顔に飛びついて来た。硬い鱗に覆われた体全体でカイの顔にしがみつく。
顔を振っても取れない上に、片方の腕はすでにいた子どもに押さえ込まれている。
「サバン! 死んでも離すな!」
「っ!」
腕をつかんでいる子どもが叫ぶと、足に激痛が走る。どうやら噛み付いたらしい。しがみついてくる子どもの爪が頭に食い込み、圧迫された状態で酸素も吸い込むことができない。カイは諦めたように腕を垂らした。
「やった! やっつけたか!?」
「ナイル! 手を緩めるな!」
顔にしがみついた方が声を上げるが、その時にはすでに遅く、カイは足を大きく振ってナイルと呼ばれた子どものオオトカゲを洞窟の方へ吹っ飛ばした。
洞窟の壁に当たったのか、ぎゃっという声がする。同時に、カイは顔に張り付いていた子どもの方、サバンと呼ばれたオオトカゲを顔から引き離して地面に叩きつけた。グエッという声がしたが構わずに踏みつける。
「ああ?」
息を大きく吸う。もう少しで窒息するところだった。そのまま、髪の毛をかきむしりYシャツのボタンを外した。
「ったく、爪が甘いんだよな。そこで首でもへし折ればお前らの勝ちだったのによ」
カイがサバンをナイルの方に蹴り上げる。二人とも先ほどの一撃が大きかったのか、まだうずくまったままだ。
「で? 敵討ちに失敗した気分はどうだ?」
しゃがみこんで顔を覗き込むと奥にいたナイルが口を大きく開けて噛み付こうとする。
カイがその鋭い眼光そのままにナイルを睨みつけと、しおしおとナイルは口を閉じた。ナイルの喉がゴクリと鳴る。
「……殺せ」
サバンがうめき声をあげながら起き上がると地面に座った。
カイが懐から短剣を取り出し、サバンの顔に突きつける。サバンが目を閉じた。
「閉じるな」
その逆らいようのない声に目を開ける。銀色に煌めいた刃の先端が顔に近づいて来る。目を閉じないようにするので一杯いっぱいで、いつのまにか視界がぼやけていくのを止められなかった。
――父さん、母さん。
少し大きくなったハナの顔。いたずらをして大人に叱られたこと。オランがそんなサバンとナイルを笑って許してくれたこと。勇者と戦って勝利したあとは皆で踊り歌うこと。ナイルと魚釣りに行って、大物を召し上げて褒められたこと。
サバンの頭の中をひっくり返したかのように、楽しかった記憶が溢れ出て来る。
「やめろ!」
ナイルの静止に短剣がサバンの目の前すれすれで止まる。
目に浮かんでいた涙がサバンのほおを滑り落ちた。
「忘れるな。それが、死にたくないという感情だ」
カイが短剣を納めて立ち上がる。
ヴァンはすでに与えられていた作業を終えていて、カイたちの方までモヤが漂ってくる。
カイがYシャツのボタンを閉めて、髪を整え直した。
「私を恨むのは当然です。けれど、戦うことや死ぬことをもっと真剣に考えなさい。あなたたちが安易に命を落とすことをオラン様は望んでいないと思いますよ」
洞窟の入り口に向かうカイをサバンが呼び止める。
「なんで、お前がそんなこと気にするんだよ!」
「本当は契約外なんですけどね。オラン様への餞別です」
最後までオオトカゲ一族の仲間たちの事ばかりを考えていた長への。
ポケットからエアが改造した冷却器を取り出す。壁際にいくつか置いてスイッチを押した。細かな水蒸気が筒の側面から放出される。これをあるだけ、2人の前に放り投げた。
「これもプレゼントします。このモヤはある程度は消えずに残るのですが、これほどの長時間は試したことがないので、この筒を洞窟の周りに置いてください」
「こんなもので本当にみんなを守れるのかよ!?」
今度はナイルがカイに噛みつくように問う。エアが不敵に笑った。
「ネクロマンサーをバカにしないでください。モヤがある限りはほぼ大丈夫でしょう。この筒からは水蒸気が出ます。水は魂の源、すなわち霊気の源でもあるので、モヤが消えてしまうのを防いでくれるはずです」
サバンは地面に転がった筒を握りしめる。
「礼を言っておいてくれ、って。オオトカゲの長じゃなくてオラン様が、そう言ってた」
カイはその言葉に片手を上げると今度こそ歩き出す。
「あ、そうそう。このことは秘密ですよ。魔物を助けたなんて知られたら、それこそ私も命が危ういです。誰にも話しちゃダメですからねー」
背中越しの言葉にナイルはせいぜい舌を出して応戦する。
「……このモヤのところまでわざわざ運んで来てくれたんだ」
サバンが蹴られた脇をさする。モヤがサバンとナイルのところまで漂って来て、少し息をするのが軽くなった。まだまだ動けそうにもないが、このモヤに隠れているおかげでもう少しここにいても大丈夫そうだ。
サバンはカイが歩いて行った洞窟の入り口を見る。
「俺たち、まだまだなんだな」
ナイルの言葉に頷く。情けをかけられたと憤れるほどの強さが、サバンたちには足りない。
「ナイル」
「わかってるよ。まずは稽古からかな。母さんの説得は難しそうだけどな」
対等に渡り合える力を。敵討ちはそれからでも遅くない。
だから、今は。
「俺、お前が死ななくてよかった」
ナイルの言葉を胸に染み込ませる。モヤは先ほどよりも一層濃くなったようだ。




