アリアに取り憑くもの
階段を登りながらダンプはカイを盗み見る。
表情はひょうひょうとしているが、気配がピリピリしていてやりにくいことこの上ない。
「アリアに危害加えるんじゃねえぞ」
加えませんよ、と笑いながらカイが答える。
「自宅警備員も楽じゃありませんね」
「まったくだ」
これで穀潰しと言われるのだから割に合わない。
「アリアとは付き合いが長いんですか?」
「まあな。かれこれ5年くらいになるかな」
武器を仕入れに来たアリアは今よりもひどい有様で、誰かの囲われ者だと言うことは一目見たときからわかっていた。食事ももらっているかわからないような体で、仕入れ用のお金も持ち逃げする体力すらないアリアに、ダンプたちができるのは食料をこっそりと分けることくらいだった。
「けどな、渡したパンを突っ返して来たんだ。ここで這い上がれないようならどっかで野垂れ死ぬ、それなら早い方がいい、ってな」
「随分、肝が座ってますね」
「それくらいじゃないと生き残れない場所にいるんだ」
アリアの様子だけは随分良くなった。ボスを誰かに乗り換えたのか、同じ場所でのし上がったのか。
「あんな、誰かに操られるようなのは初めて見た。俺たちは5年間一度も気づかなかった」
それを断罪する権利も義務もカイにはない。黙って聞くだけだ。
「あなたも思ったより義理堅いんですね」
「は?」
「いえ、こっちの話です」
さあ、着きました。
カイの言葉に前を向くと、目の前の扉を開けた。ベッドにはアリアが寝かされている。槍の先から火傷用の軟膏を取り、アリアの手に丁寧に塗る。手の皮膚はただれ、炎症による水ぶくれができていた。焦げ臭さもまだ鼻につく。
「で、お前はどうするんだ?」
「どうしましょうかねえ」
そう言いながら、カイはダンプの部屋をぐるりと見回す。大きな机は作業台のようで、作りかけなのか直しかけなのか途中であろう状態の武器が置いてあった。周りにはぐるりと本棚が埋まり、武器作成や素材、装飾品、魔法や武術のおよそ武器に関わる本が所狭しと並べられ、隙間に積み上げられていた。
「勝手に触んなよ」
「そんな失礼なことはしませんよ」
カイは手を後ろに組んだまま、ゆっくりと歩き回る。
「店長さんがこの部屋に入ったのはいつが最後なんですか?」
「さあ、いつだろうな。俺が12くらいのときじゃないか」
もう10年以上も前の話だ。
「そうでしょうねえ。この部屋を見たら、バカ息子なんて言い方しないでしょうしね」
「別にわかってもらおうなんて思ってない。俺はここで生活できてればいい」
そうですか、とカイが頷く。
「手当終わりましたか?」
「あとは包帯だけだな」
ダンプが慣れた手つきで包帯を巻いていく。武器を試す上で生傷を作るなんてことは日常茶飯事だ。一通りの処置は経験としても知識としてもわかっている。
「それでは、私も始めますか」
カイは左手でアリアの手に触れ、右手で宙を指で探るようにかき回し、犬のような霊を召喚する。モヤで形作られたその霊は、カイに引っ張り出されると大きくジャンプし、あたりを走り出した。犬よりも大きいかもしれない。おそらく狼だろう、とダンプは見当をつけた。
「いつ見ても圧巻だな」
ダンプが息を吐く。周囲の空気が濃くなるので自然と深く息をつきたくなる。ネクロマンサーの存在は知っていたし、似たような技を使う術士も見たことがあったが、これほどに圧倒的なオーラで何の霊かわかるほどに形取られたものを召喚できる人間はいなかった。
「この魂を縛っているものを喰らってください」
そう言うと、犬の霊がアリアの手をかぎ回り、手首を呑み込み始めた。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「黙っててください」
ダンプは仕方なく口を閉じる。手のひらが見えなくなった頃、アリアの左の手首に連なっていた腕輪がしゅるりと解け、小さな蛇に変化した。
「蛇がお好きな方ですねえ」
犬の霊は手を口から出すと、蛇にぐわっと噛み付き、頭から飲み込んでいった。バリバリと音がしなかったのが不思議なくらいだ。
蛇の体を全て飲み込むとフルッと頭を一つ振って、犬の霊は霧散するように消える。
カラン、と蛇に変化したはずの腕輪が後には残っていた。




