ナイフが刺さらん。知りません。
喉に。いや首だな。首にキンとした冷たさを感じた。
私の背後に忍びよった誰かが鋭利な刃物をあてがったのだ。
ぐわっと髪の毛がわしづかみされ、頭をがっちり押さえ込まれる。
逃げようともがいたけど、のけぞることさえできない。
弾力の乏しい無防備な皮膚にナイフが食い込んでいく。
「どこから入ったの?」
「……」
何も話さないか。ムダ話無し。いきなりの刺殺とはやってくれるね。
準備不足っぽい毒の男や、変節の魔法侍女とは違う。
敵は二人。確実に私を始末するプロだ。
ストイックっぽい匠の風格さえ感じる。
匠の技だ。なんということでしょう!
食事に毒がなかったことに、疑問を感じてたけど、なんのことはない。
そんな必用はなかったってことだ。
あれは短い異世界生活の”最後の晩餐”。
私という囚人へギブされたエンディングディナーだったわけだ。
そんなことなら、
そんなことなら、
もっと、ゆっくりご馳走になるんだった!
私は、覚悟して目をつむった。
やるつもりなら、さくっとやってくれ。
そうすれば、後悔する時間は極めて短くなる。
死ぬ理由がどうとか、これ以上うじうじ考えこまなくて済む。
死んだらどこに行くのかな。
死後の世界って本当にあるのかな。
あるとすれば、私はどっちにいくんだろう。
地球かこの名の知れない世界か。
また、生まれ変われたとしたら…………あれれ・
なんでこんなに考え込んでるんだ?
――――おい。
時間、かかり過ぎてないかぇ?
すぐ実行する気はないのかぇ。
気を持たせるんじゃないよ。
ナイフで器官を押さえこまれて、呼吸しにくいんだよー!
「どうして、刺さっていかないの?」
「か、カスティリオーネさま、落ち着いて」
テーブルにある私の前後で、ふたりはあたふたやっていた。
刺すなら刺せよプロ。スカっとズバッとやればいいでしょ。おら!
「やってるわよ。だけど力が、ナイフが刺さっていかない、の、よ!」
「ナイフの、持ち方が間違っているのではありませんか」
「そんな初歩的ミスしないわよ。だいいち、どう持ったってこの体勢なら殺せるでしょうに普通は」
テーブルのあっちでは給仕が、持ち方をジェスチャー。
こっち側では、カスティリオーネって女が四苦八苦だ。
挟まれた私はなにをすればいい?
笑えばいいのか怒ればいいのか。
それとも、この下手なコントに拍手すればいいのか。
あ~~あ。
あくびがでそう。
もういい。
息苦しい。
なにより、飽きた。
ガマンの限界だっつーの!!
「やってられないよ。ばかばかしい」
こんなアホ衆に殺されてたまるかっ。
「え?」
ナイフを持つ手首をぎゅっと握った。きゃしゃだ。若いのかな。
「う、力が……」
女の手は、力が抜けたようにぐにゃりとなった。
筋肉に供給されていたパワーが消失したかのようだ。
私の腕には反対に力がみなぎってくる。
アドレナリンが騒ぐぜ。
カラン。
ナイフが床に落ちた。とうとう女の手からこぼれたのだ。
私の頭に長い髪がぱさりとかすめて、アゴががくんとぶつかった。
頭が痛いじゃない。このー。
女本人が倒れこむ。どさり。女が崩れおちた音だ。
数分ぶりに開放され、わが身の自由を感じた。
男はといえば、ナイフを握ったマネをしたままで固まってる。
私を死のふちまで追い込んだ相棒が、つっと、試合放棄。
そのことに理解が追いついてないみたい。
なにが起こったのか、わかっていないのだ。
わかってない……については、私も同じだけど。
マジ。いったい。なにがおこった?
いやまて、もしかしたら――――
LEDライトが点灯するように、ある考えが脳内にひらめいた
――――でも、まさかね。
そんなことがあり得るのか?
ひらいた直感が荒唐無稽すぎて理性が否定したがってる。
荒唐無稽は間に合ってます。
お腹いっぱいです。
だけど、それを言っちゃあ、
ここにいることそのものを否定しなきゃいけなくなるよね。
異世界の、魔法が存在する世界だ。
私の身体がそうでないとは言い切れないじゃない。
なにか、能力をもっていたっておかしくない。
男の様子が変化する。
固まっていたのが再起動したようだ。
私のことをじっと見据えてくる。
カスティリオーネを助けおこすのか。
それとも彼女に成り代わって続きを実行する気か。
「エリザバトラー・レイス・ウィドネス様。カスティリオーネ様に何をなされました?」
「さあね。知らないし。その子に聞いてみれば?」
私は、精一杯よゆーある顔を創ってみせた。
男はとまどってる。私がなにかやったと思ってる。
そしてそれを探ろうとしてる。
これは抗うチャンス。せっかくだから活かせてもらう。
私にはなにか、能力みたいなものがある。
触ったときに発動する魔法のようなスキルをもっているのだ。
男は私の技を警戒してるが、それがなにかはわかってない。
この婆さんボディに勝機があるとすれば、その一点だ。
「もしや本当に忘れておいでなら教えてさしあげましょう。カスティリオーネ様は、あなた様の侍女のお孫です」