手が……
「ぎゃああああ!!」
バッチリ見えた正体不明の何か。
なにこれ!
なにこれ!
なにこれ!
密着してるソレから、ゆっくりと後ずさり。
そして旋風脚で掛け布団を吹き飛ばし、シュタッと床に着地!
…………するつもりで足をふり上げたけど二本の足は上手にもつれた。
ずるりって床にすべり落ち顔を思いきりぶつけた。
痛い。
でも痛いとか騒いだり叫んでるヒマはない。
ほかの人たちはとっくに部屋には逃げ出してる。
私だけ置いてけぼり。
奥方さまを放置して、みんなとんずらこいた。
「こわい、こわい、こわい……」
鷲鼻という人間がイメチェンして生まれた正体不明のグレーの何か。
生物っぽい気配はぜんぜんない。
動いて追ってくるようには思えない。
けどもここは私の知らない異世界だ。
何が起こるかわかんないし、何がおこってもおかしくない。
いうことをきかない不自由な婆体を、腕と膝で無理やりひきずる。
ほふく前進。というかハイハイみたいなどたどしい歩みで、
部屋を這いずりすすんでいく。
14歳の身体だったら……。
20歳くらいの侍女が扉を閉めようとしていた。
重そうな金銀細工の一枚板の扉。自力で開けられるわけない。
こ、の、人でなしがぁ。気を使えよ若年者
「ま、ま、待って」
タダでもシワガレて出にくい声なのに、動いたせいで息が絶え絶えだ。
「待って閉めないで」の一言が声にならない。年寄りにしゃべらせるなよ。
それでもどうにか気付いてくれて、閉めないでまってくれた。
なんとか、恐怖の部屋から逃げのびることができた。
ふぅ~~。しばらくは立てそうもない。
ばたん。
扉が閉まった。
はぁはぁ。すぅすぅ。
はぁはぁ。すぅすぅ。
はぁはぁ。すぅすぅ。
「なによあれは」
特定の誰かに聞いたわけじゃない。
いや、事情をしってそうな身内と話したかったのは本音だけど、
血のつながりのありそうな人たちは手のとどかない廊下の端まで逃げ去ってた。
近くにいたのは、扉を閉めた侍女のみ。
四つんばいの私と彼女の視線とが、交差した。
「なにあれは?」
「……」
「答えてられないんですか?」
「……」
侍女、だんまりか。
「私はね、死んだっていいと思ってんの」
そこんとこどうでもいいのよ。ほんとに。
死亡ナウを気にしない程度には、精神が病みきってる自信がある。
一回死んで、度胸がついたのかな。
生まれなおした結果がエリザバトラーだから、嫌気がさしたって気分が強い。
じゃなんで、アレについて聞きたくなったか。
殺される理由くらい知っておきたいでしょ人間だもの。
なんで婆さんを狙ったのか。
あの鷲鼻は何者か。
毒の成分は何か。
一瞬で人が人でなくなる毒なんて核兵器よりアブナすぎる。
そうじゃなきゃ、元からああいうタイプの生物だったのか。
知っておきたいでしょ。
知ってから死にたいでしょう。
ひざまずいた侍女が重い口を開いた。
「……奥方さまと口をきいては……旦那様から、その、、叱られますので」
だんなー?
なんだーそりゃ?
クチを開いたと思ったら、それかい。
奥様を独占したい派の亭主か。
それともよけいなことを言うなって口止めか。
どうすればいいんだ。
あ、権威には権威をか。
「バカ旦那様には罰は与えないように、よーく言っておきます。だから安心してしゃべくって。あれはなに?」
プッと噴出して慌てて口を押さえた侍女。
かわいいじゃないの。思っていたより若いかも。
西洋風の顔立ちだから、年がわかんないのよ。
「………………あれとおっしゃいましても……奥方さまが、バーゲンベノム様に……何かをなされたのでは……」
「は?」
なにを言ってるのかな。
侍女は、震える手で私を指差した。私というか、私の手をだ。
その手には手の形をした灰が握られていた。あの男の手だったものだ。