プロローグ 2
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一面草原や木々で川なんてないと思っていたら、彼女が言った通り思ったより近くで流れていて、俺は非力ながらも下着を洗っている間にモンスターや人がこないか見張りをすることになった。
彼女が言うには、この辺に出てくるモンスターとして、そういう世界観でも有名だったオークとか、元いた世界にいたスズメバチの何倍も大きい、低確率で攻撃した対象を即死させるスズメバチ等々⋯敵の強さはそこそこだが、自身の運も絡んでくるモンスターが多いらしい。
「⋯⋯こんな木の棒で、何が出来るんだよ」
バットよりは大きい木の棒をあの人に渡されて、見張りをする際、自分のできる範囲でもいいから追い払えと頼まれたのだ。⋯⋯『追い払う』。棒を無我夢中に振り回すだけで相手が諦めて帰ってくれるなんて有り得るのだろうか?
何気なく周りを見渡すと、早速オークであろうモンスターが四体も散歩していた。そして、彼らの歩く方向は確かに彼女が下着を洗っているであろう川に向かっていた。
「お、おい!なんか来たぞ⋯⋯」
レザーアーマーを脱ぎ捨てて、下着姿になった彼女は自然的な動きでブラのホックを外し、失禁した際にかなり湿ったことであろうパンツも脱いで、生まれたままの姿になっていた。視力が悪いためか、それとも彼女との距離がかなり離れているのか、白い肌のシルエットしかわからない。⋯⋯会って間もない人に何興奮してるんだよ!
落ち着け、落ち着くんだ!今あのタイミングで彼女を呼ぶと川で泳がせることや下着を洗わせることができなくなる!
「ーーーーっ!仕方ない、追い払ってやろうじゃないか!!」
俺はブレザーを脱ぎ、少しでも動きやすい格好になってオーク四体に向かって突撃した。
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追い払ってやろうじゃないかと言い出したのに、逆に追われる身になってしまった俺は───
「やばいやばいやばいやばいやばいやばい、やばい、殺される!!まだ死にたくない!」
───ぶひいいいいい!!!!───
豚の様な⋯いや、顔は豚だった。そんな、先端がかなり尖った石の槍や、どこかの冒険者でも殺して奪ったのか鉄の剣をを持ったモンスター四匹に追われていた。
相手の武器と数に対して俺の木の棒だけでは完全に不利。中学から高校一年の冬まで陸上をやっていたため体力には自信こそあるものの、こいつらも負けていない体力を持っている。
「まだか!!あいつはまだ下着を洗っているのか!?」
どれだけ走ったのかもわからないし、もしかするともう下着を洗い終えてちゃんと乾かして、服も着ているだろう。
正直、男としては情けないがここは助けてもらうしかない。全力で走ってオーク達と距離を取り、その間に彼女のいる所へ行く。
「おーい!もう着替えただろ!?流石に四体相手に追い払うことはでき───」
「⋯⋯⋯⋯あ」
俺がその場にたどり着いた時には、茶髪ロングの美少女は黒のパンツを履き終えたところだった。建物と建物の間を跳躍してほぼ垂直に矢を放ち、今まで殺戮をして快楽か何かを求めていた人物の身体は、この状況だけに簡潔に言うと、良かった。もっとこう、全体的に固そうだと思っていたからだ。
⋯⋯俺は異世界に来てというか、これまでの人生も含めてほぼ後ろ姿にしても女性の身体を見たことはないし、そもそも女性と接するような機会なんて全然なかった。だからこそ、バックで白いオーラみたいなのを発した彼女が一瞬ゴミを見るような目で見た時には、しばらく硬直!ではなく、直ぐに謝れば良かったという選択肢も知らなかった。
「⋯⋯⋯⋯あの───」
「喋るな変態。なんだ?見張り以上に私の裸を見たくなった。モンスターに逃げるフリしてここに来たら許してもらえるとでも思ったのか?」
「いえ。本当にモンスターから逃げてました。さっきも言おうとしたのですが、見張ってたらここに向かって歩く四体のオークを見つけて、まだ洗い始めてもないんだろうと思ったから自分なりに追い払おうとしたのですが、生憎戦い方も知らないし、木の棒に対して向こうは槍とか剣でそんな物は直ぐに破壊されて、情けない限りですが助けてもらおうとここに来たら⋯⋯はい。本当にごめんなさい」
証拠として半分辺りの所を割られた木の棒を差し出して、頭を下げた。ついさっきまで肩を掴んだだけで謎の興奮からの失禁に至ってた変態はどこに行ったのやら。もしかすると、今の彼女この素の彼女なのだろうか⋯⋯。
───グチャッ⋯!!───
その音と同時に、右腕に水分のような物がかかった。
頭を下げた際に目を閉じたため、これがそもそも水なのかもわからない。
「⋯⋯⋯⋯失せろ」
「!?」
目を開ける直前まで俺は、最初それが俺に対して言っているものだと思った。しかし目を開けた時には前に彼女がいなく、足音も立てずに俺の右斜め後ろに立っていた。
上体を起こして後ろを振り向くと、そこには先程まで俺を追い回していたオーク三体と、それを前にしている彼女がいた。
だがおかしい。俺を追い回していたのは四体で、もう一体は───
「⋯⋯おい。マジかよ⋯⋯!!!!」
今ようやく、自分の右腕にかかったものがなんだったのかがわかった。
血だ。首から下がどこに行ったのかわからないオークの頭をたった一度の踏みで粉砕したのであろう彼女を中心にそれは広がっていた。
さっきまで殺意に溢れていたオークまでも恐怖で心がいっぱいなのか、何歩か後ろに後退している。
「人語が理解できてるのはわかってるんだ。こうなりたくないなら失せろ。今なら生かしてやるぞー」
戦意を完全に失ったオーク達は、武器を投げ捨てて、確実に全力で走った俺より速い速度で逃げ去った。その直後、オークが去ったことで一つ目の緊張が解けて力が抜けて、尻もちをついてしまった。
「⋯⋯⋯⋯なあ。別に殺すことなんてなかったんじゃないのかよ。それにさ───」
無残にも原型を留めていないオークに対する気持ち悪さと以上に⋯⋯。
「なんでお前は、返り血で血だらけなのにそんなにも顔を赤くして笑顔なんだよ」
笑顔な彼女に対して気持ち悪いを通り越していた。両肩を掴んだ時に見せた興奮をモンスターを踏み潰したことにでも出している。
正直、女の子にこんなことを言う俺もどうかと自分でも思うのだが、完全に狂っている。
「⋯⋯こ、これは違います!あなたが本当にオークに追われてるとわかって、助けれて良かったというか、守れて良かったというか!そういう笑顔なんです!」
「少し前に誰かを殺すこと以上に気持ちいいとか言ってたやつのことをどう信用しろと?だいたいおかしいんだよ。⋯⋯お詫びとか言って、どうせ本当に頭を射抜くなりなんなりして殺すつもりなんだろ!!」
「違っ!そんなことはないですって!話を聞いて───」
俺は素早くオークが投げ捨てた剣を手に取って、剣先を彼女に向ける。戦うことになるなら絶対に負ける自信があったが、少しでも距離を取りたかった。
「怒鳴って悪いと思ってるし、少し前といいさっきといい、助けてくれたのは感謝している。でも、俺はまだ死にたくない。じゃあな」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
オークの頭を踏んだまま、力なく膝を着いた彼女は俯いて、震えていた。どうしてここまで俺に近づこうとしていたのかわからない。というか知りたくもなかった。
俺はそのまま、彼女を背にして次の行き先も定まらないまま、歩き出した。
「⋯⋯⋯⋯アルマ」
十本程歩いた時、後ろで声がした。
「アルマ・カディック!それが、私の名前だから。⋯⋯忘れないで」
一度立ち止まり振り返ると、パンツしか履いていない返り血で血まみれになった彼女、アルマは何故か涙を流しながらそう言った。
「⋯⋯⋯⋯しばらくは嫌でも忘れないさ」
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太陽が沈み、月が見えてきた頃には、俺も脱ぎ捨てたブレザーを回収し終え、更にその道中にリンゴのなった木を見つけたことで今日の夜だけはなんとかなる程度の食料を調達できた。
⋯⋯もしこの異世界も、ゲームのように夜間の間はモンスターが凶暴性を増すという仕様だったらどうしよう⋯⋯。俺はそんな奴らをどうにかできるのだろうか?
「このまま街に戻って、無実の罪に問われてもいいから牢屋で過ごそうかな⋯。いやいやいや!その前に首飛ばされるわ!」
独り言。今となってはそれも十分気分が良いものだと思ってしまう。
しかし、日の暮れる前に取ったリンゴが思ったより美味しい。ここのリンゴは以前の世界と変わらず美味しいということがわかっ───
「う⋯⋯ ゴホッ!!⋯なんだ、こ れ⋯⋯!?」
いくつか持ってきたリンゴの内の一つを一口、口にした途端それはリンゴではない味で、まるで鉄のような味がした。
信じ難いことに、どんどん口の中が痺れてきた。飲み込まないようにその液体は吐き出した。そして上手く言葉が発せなくなってきた。
「あ⋯⋯⋯⋯っ!」
声を絞り出そうとした直後、足の力が抜けた。俺は、数時間前も同じような事があったことを思い出しながら顔から地面へとぶつけて倒れた。
これは後に知った事なのだが、この世界のリンゴはかっこよく言うと『禁断の果実』と呼ばれており、普段食べていたリンゴよりも甘味のある、アップルパイにして食べたら天に召されるんじゃないかというレベルの美味しさを持っている。だがそのリンゴ、細かくいうならそのリンゴのなる木は、たまにリンゴにかなり似たモンスターを生み出すことがある。
その気が作ったリンゴに似たモンスター、アッブルはその身に強力な麻痺属性と、一時的に対象の動きを止める『停止』という、二つの状態異常を付与させる血液の流れている最悪のモンスターと呼ばれていて、俺は現在その状態異常にかかっている。
更に、アッブルは動けなくした対象を食い殺す。麻痺が解除された時にはもう対象は天に召されているのだ。だから、この世界のリンゴはギャンブルか自殺として使われるらしい。
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『やばい⋯⋯これはやばい!!なんだよあのリンゴ!』
声が出ない。体が動かない。動くのは目と助けを呼べない口だけ。
『⋯⋯おい、マジかよっ!!』
俺の横に生い茂っていた草むらから出てきたのは、先程アルマが惨殺行為をした際に逃げていった残りのオーク達。前からつけていたのか、音に反応して来てみたら俺が倒れていたという偶然なのかそんなことはどうでもいい。問題は、ブヒブヒと謎の会話をしているこの二匹の気分によって俺の命が燃え尽きることになる。
⋯⋯。つまり俺は、自然の摂理というものに賭けてみるしかなくなった。瞼が異常なまでに重い。目を瞑ればそこは天国か地獄か。今賭けに出てるわけだからこっちもかけたくなってきたな。
重ね賭けを試みた俺は、目を閉じた。そして、元の世界のことを走馬灯のように思い出していた。