プロローグ 1
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俺がこの異世界に来てしまってから一ヶ月、この村に来てから三十分。⋯この村の人間にも俺は忌み嫌われている。
「ついにこの村にまで来てしまったか」
「あの男が立ち入った村や町は、一日に一人は死ぬっていう噂だ⋯⋯」
「早く出てってくれよ」
また、モンスターにいつ襲われるのかすらわからない状態での野宿か。
⋯⋯⋯⋯俺は何もしていない。ただの人間だし、もちろん毒とか呪いなんて撒き散らすような存在でもない。そんな物騒なことをやっているのは───
「どうしたの?浮かない顔しちゃって。今日のご飯、買ってきたよ♡」
「ハートつけんな!今日も野宿だぞ!?この前の街でもお前が三人も殺してしまったから、噂がここにまで来てるじゃないか!」
⋯⋯良いと言ってないのに俺にずっとついてきている、自称・俺のパーティーメンバーである。
この異世界に召喚されてから、俺の毎日はいつだって理不尽である。
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俺はもともとただの学生で、まだ十八歳になってもないのにネット通販でエロ本を買ったり、部活も中途半端に辞めては新しい部活に入り、スポーツ系の部活では短期間で大会優勝チームに並ぶほど上達しても辞めるを繰り返したことで一部から嫌な目で見られたりするも、悩みを打ち明けたりできるし一緒に遊びに出かけることのできる友達がいる。というそこそこな人生を送っていた。
ある日のことだ。よほど事情があったのか、または酔ってたか居眠りかで信号無視をした高速に走る自動車に盛大に撥ねられた。
顔面から道路に強くぶつかって死ぬという未来を持ったスローモーションの世界で、俺は自分の運命を受け入れて瞳を閉じた───はずだった。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ん⋯⋯んん?」
どうした道路。早く俺の顔に飛んでこい。
そう思っていたのに俺の顔には何も飛んでこない。それどころかそよ風まで吹いてきた。⋯受け入れた後の間があり過ぎて運命認めたくなくなってしまったじゃないか。
「⋯え?⋯⋯⋯んぶっ!!」
一瞬だけ空中で静止していた俺の体は、目を開けたとたんに道路ではなく畳に向かって落下した。
状況が理解できないし、鼻に激痛を覚えながらも身を起こすと、目の前に知らない女性が正座していた。
手入れの行き届いた黒く長い髪で肌の白く、縦に『Choose』と書かれた白いシャツを着たスタイルが良い美少女がそこにいたわけなのだが⋯⋯。
「あ、あの。あなたは?」
「私?これからあなたに選択肢を選ばせる神様です」
その、現実にこんなのがいたらまあ変な人に思われる、自分のことを神様と称した人は自身の足元に置いてあった水のような液体の入ったコップを差し出してきた。
「あなたに問います。死の運命を回避するか、しないのかを───」
「待ってください。話が全然掴めないんですけど!!もっとこう、具体的に教えてください」
「⋯⋯そうですね、これは失礼しました。それでは極力簡潔に言うと⋯今あなたの目の前に置いたこの飲み物。飲むならあなたは先程の世界から消えた、あなたのいた世界でいうところの異世界に行くことになり、そこですくい上げた命を大切にしながら一生を過ごすことができます。ですが、この飲み物の入ったコップを壁にでも投げていただいて割ってしまうなら、先程の世界に戻り、あなたなら顔から道路に向かってぶち当たり、更に自動車にしばらく引きずり回されながら果てることができます」
つまりこの神様がいうのはこういう事だ。飲めば異世界とやらに飛ばされてしまい、今は死なずにすむが、飲まなかったら心構えや受け入れるなんて考える暇もないまま死ぬということだ。
「そりゃあもちろん。俺はこの飲み物を飲み───」
「地獄へようこ───」
「ちょっと飲むの躊躇ってしまうような発言言うのやめてくんない!?」
「あ。すみません」
「⋯そう言えば、この液体を飲み干すとどうなるんですか?」
「その液体を飲み干して五秒間目を閉じると、そこはもう異世界です。あなたのほとんど中途半端に生きてきたこの約十年の短い人生以上に理不尽なことばかりの世界です」
俺の声に驚いた時以外表情一つ変えない神様とやらは、どうやら全てお見通しらしい。別に、中途半端に辞めたくてやめた訳ではないのだが⋯⋯事実だからしかたないか。
「つまり、俺がこれを飲むのなら、それなりの覚悟をもって飲め。そう言いたいんですね」
「まあ、言うつもりでしたがそういう事です」
「⋯⋯⋯⋯分かりました。では、向こうで死ぬまでにはこの途中で辞めるような癖をなんとかしてきます。行ってきます」
「(普通の人ならここで諦めて死を選ぶのに、やっていけるかも。この人なら)その言葉、待っていましたよ!さあ、ぐいっと一息で!」
液体の味?見た目はただの透き通った水で、光の反射ではなく水自体が光を発していた不思議なそれは、忘れることが出来ないくらいに、不味かった。
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─1日目─
「⋯⋯わ、わーお」
ここが異世界だ!⋯という実感はもちろんない。不味い液体を飲んだ後は目眩を起こして倒れ、気がつくと知らない場所のベンチに腰掛けていた。
スズメの様な声を出すハトの様な生き物が空を舞い、周りにはゲームで見たことのあるエルフであろう種族の子どもたちや、直立二足歩行の犬のような種族⋯⋯これは獣族なのか?それはさておき、同じ人間の様な人もいる。そして少し遠くには、わりと大きな城まである。
「おにいさーーん!そのボール取ってくださーい!」
右足にドッヂボールくらいの大きさのボールが転がってきて、先程遊んでいた様々な種族の子どもの一人が俺に呼びかけていた。いい機会だ。このボールを一度あの子に返し、顔に向かってボールを投げてもらおう。
「悪いけど、このボールを俺の顔面に向けて全力で投げてくれないかな?」
下投げでその子にボールを返してあげる。その場の子どもたちはほとんどが不思議な目で見てきた。
「⋯⋯この人大丈夫?」
「さあ?⋯⋯いいんですか?投げますよー!」
「おー⋯⋯って、どわああっ!?」
本能的に両腕が突き出て、幼い子どもが投げるには早すぎる全力のボールを非力ながらも全力で受け止める。重量に完全に逆らった直球は、角度を変えることなく俺の両手に受け止められるも、右回転をしながら着実に俺の手にダメージを与えている。⋯⋯冗談抜きで手が痛い!
「お、お兄さん大丈夫か!?弾き飛ばすか地面に叩きつけろ!見た感じお兄さん非力そうだから完全に威力を殺すまで受け止めるなんてできないぞ!」
たまたま歩いていた同い年くらいの知らない男にアドバイスと今の現実を突きつけられる。確かに今のままでは俺の手は骨まで砕かれて、勢いを殺せなかったボールは顔面に飛んでくるだろう。
この男が言うように、ボールを弾くか叩きつけて地面にめり込ませる、最悪受け流すという手もあるのだが⋯⋯。
「どうしよう!!ボールを弾き飛ばす力どころか地面に叩きつけることもできない!」
「⋯⋯っ!ボールを中心に砂ぼこり散らす強風が出ていてボールを割ろうにも近づけない!⋯⋯お兄さん!魔法の詠唱が終わるまで我慢するんだ!」
「我慢なんて出来るか!早く唱えてくれ!やばい、回転するボールを持つ手から赤い液体がでてきて───」
バンッ!
「うわっ!!」
男が聞いたことのない言葉を呟いている途中のことだった。必死になって受け止めていたボールが突然割れた。もちろん俺は何もしていない。
「お、おいお兄さん。大丈夫か?」
ボールを受け止めていた位置の真下にそれはあった。一本の矢である。ほぼ90度に地面に刺さっているそれは、角度的にも真上から放たれているものなのだが、上を見ても青い空が続くだけで、どんな心優しい人が助けてくれたとしても不思議で仕方ない。
前後にある建物と建物の間を飛んでその間に俺の持つボールを射抜いた。と思ったのだが、見たところそんな人はいない。
「あ、ああ。どこからか飛んできたこの───」
『矢が俺を助けてくれた』と言おうとしてたはずが、目の前で起きた事によって何も言えなくなった。
さっき俺に向かってボールを投げてくれた子どものお腹に柄のような何かが刺さっているのだ。
「お、おいお兄さん。どうしたんだよ⋯⋯⋯⋯わああああああああああ!!!!」
「⋯⋯な、なにこれ?お腹が、熱くなっ───」
その何かが青く光った直後、何かが刺さっている子どもの後ろに集まって来ていた人の一部に血が飛び散った。何が起きているのか全然理解できない。
さっきまで、見ている人からしたら盛り上がっていた場が一気に冷める。口からも血を吹いた子どもは、俺に向かって三歩程歩いて、倒れて、二度と起き上がることはなかった。
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そこから先は最悪だった。あの男は違うと言ってくれたものの、周りにいた子どもや大人には、何故か子どもは俺が殺したのではないかと誤解をかけられた。学生服という向こうからしたら不思議な物を着ている不審者そのものだからだ。
人だかりがどんどん増えていくなかで、男と俺の弁解が全然通じなくなり、俺はこの街から逃げることになった。
どれだけ走ったのか、街からかなり離れただろうと感じた辺りで俺は足を止めた。
「なんで、こんなことになるんだよ!?誰があんなことしやがったんだ!!」
真上からボールを射抜いた人が子どもに謎の物体を刺して殺した。と思ったのだが、子どもの目の前には俺がいた。なら俺にその物体が刺さっていたはず。
嫌な予感がしてブレザーとカッターシャツを脱いで自分の腹部を確認する。
「良かった。まだ生きてい───」
「今度は頭を射抜いてあげようか?」
「⋯⋯っ!!」
今までに何度か体験したことはあるが、ここまではっきりとしたことがない、殺意。
抵抗なんてできないし、そもそも考えてもいなかったからここは言われなくても素直にお腹を隠して両手を上に上げる。この人は誰だ?射抜いてあげようっていうのは、まさかボールを割ってくれた人なのか?
「⋯⋯⋯⋯というのは冗談です。さっきは本当に災難でしたね」
さっきまではっきりと後ろから感じていた殺意は突然消えた。まるでゲリラ豪雨である。
しかし、ここで安心しきった俺を射殺す計画かもしれない。
「だ、誰だ。俺はここに来てから推定二十分しか経っていない。だから見ず知らずのあなたと関わった覚えもない。それに俺の財布のなかは⋯⋯⋯見ての通り一文無しだ」
ゆっくりと胸ポケットに入れてある小さな財布を左手で取り出して、家に帰る前に店で買ったために、まだ前の財布からお金やカードも入れていない新品の財布を背後にいる声からして女性に見せる。
「別に助けたから持っているお金を全部だせとかじゃありません。あの時だって、あなたに向けてボールを投げたあの子どもを殺すために───」
「お前が⋯お前が殺ったのか!!」
「きゃっ!」
非力だから俺はこのまま抵抗しないという意思は、非力でも悪気なんてどこにもなかった子どもを殺したこの人に対する憎しみに変わっていた。
後ろに方向転換をするついでに武器のような物を後ろ蹴りで蹴飛ばす。その勢いでレザーアーマーであろう服を着た彼女の両肩を掴む。
「あの子がボールを全力で投げたのは俺の指示であって、あの子は何も悪くなかったんだ!そんな子を、お前は⋯⋯!ていうか誰なんだ!さっきも言ったが、俺はお前と関わったこともな⋯⋯い?」
突然下を向いて息を荒げ始める女性。やがて首筋に汗を滴らせて、今掴んでいる両肩に彼女の体温が伝わってきた。
「はぁっ、はぁっ、凄⋯い。触れられるだけでこんなに全身が感じるなんて⋯⋯! 誰かを殺す以上に気持ちいいかも⋯⋯⋯んんっ!」
まだ名前すらも知らないこの変態は、自身の性癖のような何かを言った後、静かに失禁したのだった。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯俺は両肩から手をゆっくりと離し、ズボンのポケットの中から予備用に持っておいたハンカチを取り出して彼女の左手に持たせた。
そして俺は、別の意味で怖くなってこの場から走って逃げ───
「あの、申し訳ないんですが、近くの川までついてきてくれませんか?」
「何故ついてこないといけないんだよ!?」
「事情も知らずにあの子どもを殺してあなたをあの街にいられなくしちゃったわけだし、お詫びをしたいんです」
───走って逃げようとしたら、人の域を越えたような速さで俺は右腕を掴まれた。これだけでもホラー要素全開なのに、今度はお詫びをしたいと言い出した。
流石に、お詫びはともかく失禁してしまった女の子をこんな草原に一人にするのは良くないか。
「⋯⋯⋯⋯わかったよ。誰だか知らないけど、川まではついていってやるよ。俺の名前は須戸 拓海。⋯⋯多分お前の脳内ではスドタ・クミとかそういう変換が行われていて面倒だから、呼ぶならタクミでいい」
「タクミ⋯⋯タクミ⋯タクミ。うん、覚えました」
「いや、別に覚えなくていいから」
「⋯⋯いいえ。これからずっと、忘れることはないと思います」
何故だ!?嬉しいはずがこの人だと恐怖を感じている自分がいる!!思いたくなくても全部マイナスな方向に捉えてしまう。
「とりあえず!早く下着を洗わないと!川はどこだ!?一面草原や木々で、川なんて見えないけど!?」
「川はすぐそこです。モンスターが近くにいない内に行きましょう!」
異世界に来てからまだ一日目。俺の第二の人生は始まって間もない。