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新任将校の受難Ⅷ



「おいおい、冗談じゃないぜ。俺は味方だろ」


 俺の世紀に残るプロポーズも終わり、さあこの先は幸せな新婚生活が待っているかと思いきや、人生というものは複雑怪奇である。

 そうは問屋が卸さないと言わんばかりに新たな問題が生じてしまったのだ。

 誰も七難八苦なんて望んでいないのに。


「ブーケの代わりに銃口を向けるとかどこの蛮族だ、てめぇら」


 目の前にはややオーバーリアクション気味に両手を上げて軽口を叩く男、ラシード・ハーン。

 国防海軍情報部所属の少尉で、先の戦闘で狙撃手(スナイパー)として俺たちを援護してくれた男だ。

 その頭には俺が構える銃の銃口が突きつけられている。

 周りには瑞樹を含め数名の第二機動歩兵大隊の面々。

 俺と神楽坂大佐が厳選したメンバーだ。

 現場処理を行っていた県警の特殊部隊や民間人、残りの海兵隊の面々には一時的にこの場から退去してもらった。

 ……内々に処理すべき問題が生じたからだ。


「ラシード……いや、お前は誰だ」


「何言ってんだ。俺はラシード・ハーン。国防海軍情報部所属、お前らの味方だ。もしかして肌の色であのテロ屋共と一緒にする気か?ふざけんな!」


「まだ主人格は切り替わっていないみたいです。おそらく、この場はラシードに任せるようです」


 どこかの洋画で出てきそうな人権意識の高い黒人青年みたいな発言を完全に無視。

 まだふらつく俺の体を支える瑞樹が呟く。

 現在の瑞樹はいわゆる神化した状態。神性の高まりからその長い黒髪は銀髪へと変わっていた。


「……そうか」


「おいおい!何か言えって!……マジで人種差別なのか?いつからこの国の海兵は腐っちまったんだ!」


「よく聞いてください。先程入った情報です。……ラシード・ハーン少尉は二日前に相模湾で水死体となって発見されました。遺体の腐敗が進んでいたため、身元の特定にはかなりの時間がかかったようですが」


 これはまさに偶然の産物だ。

 彼の不審な行動を目撃した俺と海兵隊の情報部への照会際に情報部側の担当士官がラシード・ハーンの知り合いであった事が決め手になった。


「はぁ?……何言ってんだ。俺は現にここにいるだろ。幽霊だ、なんて言うんじゃねぇだろうな」


 もう怒りを通り越して呆れ顔のラシード。

 無理もない、おそらく彼は何も知らない……いや覚えていないのだ。


「おそらく、それは仮の肉体。降霊術で他人の肉体を乗っ取っているだけです」


「おいおい、冗談じゃないぜこの嬢ちゃん。降霊術?んなもんあるはず無いだろ!オカルトに傾倒するのはティーンまでだぜ、いい加減にしろ!」


「では問います。あなたの生まれ育った町はどこですか?」


「突然だな、おい。何言ってんだそれは…………」


 ファイユーム。エジプトの首都から南東に約百三十キロメートル離れた地方都市出身。

 実家は代々続くパン屋で地元ではかなり愛されていたらしい。

 しかし内戦の折り、家族で米国に移住。

 第二の故郷としてはテキサス州ヒューストン。彼は青年期はそこで過ごしたという。

 言葉に詰まる彼の表情はおそらく迷いではない。

 出てこないのだ、言葉が、そして記憶が。


「そしてあなたは結婚してますか?」


 米国を追われ日本に亡命してから彼は日本人女性と結婚している。

 子供は二人。まだ小学校に上がったばかりだという。

 ……それすらも思い出せないのか。

 苛立ちが募る。それは彼に向けたものではない。

 彼をそうさせた者に対してだ。


「…………」


 彼の口からは答えが出てこない。

 その事実を知った彼も驚愕の表情を浮かべていた。


「芹沢……いや、伊崎少尉。これは一体どういうことだ?彼はラシード・ハーンではないのか」


 今まで事態を静観していた神楽坂が口を挟む。

 彼を含めて今いるメンバーには魔術の存在について打ち明けていた。

 そして、ラシードが置かれている現状を。

 だからメンバーを厳選したのだ。

 俺の知る限り口が硬い者達を。中には雅や譲治の姿がある。

 まぁ、みんな半信半疑であるが。


「霊体を降霊術で降ろした場合の弊害です。記憶の欠損……特に術者の技量が低い場合は顕著です。……おそらく、術を施したのは三流、いやそれ以下かと」


 侮蔑の表情を含んだ瑞樹の瞳。それが捉えるのは目の前のラシードではない。

 遥か彼方にいる魔術師。同じく降霊術を行使するものとして許せないのだろう。

 死霊を扱うにも一定の倫理観があるのだろう。それは死者への畏敬の念だろうか。


「……それに主人格との中途半端な精神融合のせいで彼は後数時間程度で魂魄そのものが消失します」


「消失?それは成仏とかそう言ったものなのか?」


「いえ、魂魄は肉体が滅ぶと同時に亜空間にある集合的無意識といわれるモノに吸収されます。通常成仏とか一般的に言われているものです。そして集合的無意識に溶け込んだ魂魄は再び新たな生を受け再生する。その繰り返しがこの世界の理、いわゆる輪廻転生というやつです。一方、私の言う消滅とは彼の魂魄そのものの消滅。要は彼の存在がこの世から抹消されるという事です。……このままだと彼に次の生はありません」


「……消滅を防ぐにはどうすればいい?」


「ラシードさんは怨霊とかそういったたぐいではないので、術の消滅より早く彼の魂魄を解放すること。簡単に言うと、仮の肉体を破壊すれば通常のプロセスで成仏します。……肉体の持ち主には死んでもらうほかはありませんが」


 今の瑞樹は神との半ば融合状態のいわゆる神化という状態だ。

 魔術など用いなくても直接的な意思の力だけでこの世界に物理的干渉力をもつ、いわばマリオがキノコを食べてスターを拾った無敵状態だそうな。

 だからこと、相手を見ただけで大抵の事は見通すことが出来る。

 場合によって、その者の少し先の未来まで。

 まったく、とんでもない嫁である。

 とりあえず、喧嘩だけはしないように心に誓う。


「おいおい!いきなりの事でど忘れしてるだけだ!ちょっと待て……ええーと、あーと、畜生!出てこねぇ!」


「……理解しろとは言いません。……それは酷ですから」


「ああ、もういい!仮に俺が死んでいたとして何か問題でもあるかよっ!」


「ラシード、お前自覚が無いのか?」


「大佐、おそらくスパイ行為の実行行為時に一時的に工作員と主人格が入れ替わったのでしょう」


「では、今も工作員の方はラシードの陰に潜んでいると?」


「はい、本来であれば工作員の方の意識が優先的に人格を切り替える事が出来ますが、現在は私がその人格を抑え込んでます。どうやら人格を切り替えたいようですが、想定よりもラシードさんの魂魄の消耗が激しいので……」


「そいつは尋問が可能か?」


「……はい、おそらくは。しかし、次の人格の切り替えにラシード少尉の魂魄は耐えられないかと……どうしますか」


「いや、このままでいい。どうせどこか安全な所で笑っている黒幕がいるはずだ。そいつを尋問すれば全て済む」


「……わかりました」


「おいおい、スパイとか工作員ってどこのだよ!俺は日の丸に忠誠を誓ったんだ、何かの間違えだろ!」


「ラシード、お前のズボンのポケットを漁ってみろ」


「はっ……何を言って……これは」


 血の気の引くような表情のラシード。

 無理もない、ラシード自身がやった事がないのだから。


「USBメモリだ。中にはコンビニの監視カメラのデータが入っているんじゃないか?大方、瑞樹の行使する魔術を分析する為だろうな」


 テロリスト、いやその襲撃を利用した第三者の目的はこの国の魔術師とその行使する魔術の分析か。

 少数で大規模な敵と戦うならば状況をひっくり返す為に魔術行使は必須。

 仮に死んだとしても戦術分析として日本の魔術師一人に対して一個小隊で対応するというドクトリンを確立できる。

 どちらに転んだとしても第三者は旨味がある。

 特に瑞樹は神降ろしができる巫だ。

 彼女の話曰く、神降ろしができる魔術師は貴重な存在だという事。

 もっとも、その国の神を降ろすわけだから地理や環境的な影響を多分に受け対外的にはあまり使えないらしい。

 まぁ、それでも研究対象としては興味深いだろう。


「……私も迂闊でした。データを破棄していれば」


「なんで……俺がこんな事……」


「お前じゃない。お前を利用している卑怯者がだ」


「……おい、俺はどうしちまったんだ……」


 頭を抱え、事実を受け入れ始めるラシード。

 ……すまない。


「大佐……そろそろ彼の時間が」


 苦虫を噛み潰したような瑞樹の表情。

 時間切れ、それはラシードの二度目を意味する。

 俺も瑞樹も彼には恩がある。仮に第三者の手のひらの上で転がされたとしてもだ。

 彼は俺たちを助けた、その事実は変わらない。


「そうか、伊崎大尉。……ラシード・ハーン、いや目の前の工作員の頭を吹き飛ばせ」


 こんな時でも表情を一つ変えずに命令できる神楽坂は流石は一軍の将と言ったところだろうか。

 彼も情に厚い海兵隊の隊員だ。その指示を出すことが辛いはずだ。

 ならば、俺もあえて罪を被ろうではないか。味方殺しという名の罪を。


「了解」


「はははっ、こりゃ傑作だ。俺とした事がな……」


「最後に言い残す事は無いか、ラシード」


「……すまねぇなこんな役回り押し付けちまってよ。もうまったく覚えてねぇんだが……もしも、俺に愛する者がいるのならば、愛しているって伝えてくれ」


「……わかった」


「感謝する。テロリスト相手にあんな大立ち回りする……お前とは友達になれる気がしたんだけどな、こうなっては後の祭りだな。さぁ、俺を撃て伊崎大尉!この体のクソ野郎と共にな!」


 自らの指で頭を突き、ここだ外すなと言わんばかりに笑顔を浮かべる。

 おそらく、このラシード・ハーンという男は仲間想いのいいヤツなのだ。

 死は怖いはずだ。しかし、彼は自ら死を選択する事で味方殺しという俺の心の負担を軽くしようとしているのだ。

 まったくーーー


「お疲れさまでした、大尉。そして、我が友ラシード・ハーン」


 その悲しき残響は一瞬で彼を天に還す。


「全員、ラシード・ハーン大尉に敬礼!」



ーーーーーーーーーー


 打ち付けるのは生暖かい雨。

 アスファルトに溜まったそれは朱と混じり合う。

 ここは……。

 不明瞭な記憶。

 確かさっきまで車の後部座席に乗ってーーーー


「ゔぅっ……」


 霞む瞳に映し出されたのは、うつ伏せになって倒れている瑞樹。

 そのすぐ傍から流れ出る赤い液体。

 おかしい、これは何かの間違いなんじゃないか。

 ラシードの件が片付いた後、俺たちは県警のパトカーで本来の目的地に向かっていたはずだ。

 これで、こんなくそったれな一日から解放される。

 そう誰もが思っていた。

 あぁ、ラシード。

 連れてくのは違うだろ、俺を連れていけよ。

 なんで、なんで瑞樹なんだ。


「瑞樹っ……」


 体は上手く動かない。

 自分も瑞樹同様、アスファルトに倒れていた事を今更ながら認識する。

 特に下半身の感覚が無い。

 おそらくどこか負傷したのだ。

 しかし、それがどうした。

 自分の事なんかよりも今は瑞樹の方が心配だ。

 一刻も早く側に行かなくては。

 腕の力を頼りに這って近づく。

 血と硝煙薫る最悪のプロポーズを受け入れてくれた妻の元へ。


「ゔっ……すい……ませ……ん」


「……何で謝る?」


 思い出した。

 何故自分達がこんな事になっているかと言うと、乗っていた車が爆破されたのだ。

 事前に車に仕掛けられていたと考えるべきだろう。

 それが誰が、なんの目的でなんて今はどうでもいい。


「わた……しが……もう……少しごふっ!……はぁ」


 口から吐き出される血液。

 ヤバイ。これは内臓を損傷している。

 一刻も早く病院に連れて行かなければ。


「やめろ!もう喋るな」


「はぁ……はぁ……最後……に……一つ……お願い……が」


「やめろ!最後とか言うな!」


「な……ぎさ……の事を……おね……がい……」


 瑞樹の瞳孔が開く。

 駄目だ!駄目だ!そんなのは駄目だ!

 神が許しても俺が許すものか!

 そんな神、俺が殺してやる!


「おい!しっかりしろ!おいっ!」


 何度も揺さぶるが反応は無い。

 ……やめろ、やめてくれ。

 もう、これ以上やめてくれよぉ。


「……おい、マジかよ……。っ!ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 人生の中で一番冷たい雨は止むことなく降り続いていた。


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