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新任将校の受難Ⅶ


 ーーー時刻は少し遡る。


「行け!行け!行け!」


「目標まで後三十メートル!」


「了解!走れ!走れ!」


 アトラス1こと、私、第二機動歩兵大隊第五小隊第二分隊分隊長である竹本雅タケモト ミヤビ海兵隊曹長は走っていた。

 ここは千葉県の片田舎の大型商業施設。周辺でテロリストによる襲撃事件が発生したため、民間人の保護及び施設の警備を目的として海兵隊員達が展開している。


「後、十メートル!」


 商業施設に集客した民間人をかき分けて通路を作っているのは先にこの施設に到着した海兵隊員達。

 誰しもが真剣な顔をしており、まるで重要な作戦を遂行中のようである。

 私達の分隊は先に展開した部隊の後詰め、という名目である。

 本来の目的は違う、それはこの場にいる海兵隊員達は良くわかっている。

 彼らの本来の任務に後詰めは現在必要ないのだ。


「あー、シャシンはトラナイデ!ダメ、ゼッタイよ!」


 片言の日本語を話す海兵隊員がスマートフォンのカメラを片手に私達を撮影する群衆を静止する。

 おそらく、民間人である彼らも私達がまっとうなお仕事をしているとは考えていないのだろう。

 いつものように第二機動歩兵大隊フールズ名物が始まるのだと期待しているのだろう。

 人払いをしているのにもかかわらず、むしろ人が集まって来ている。


「おら!見世物じゃねえぞ!」


 そんな海兵隊員の怒号もエンターテイメントの一種なのだろう。

 民間人、群衆、もとい観客が歓声をあげる。

 第二機動歩兵大隊の合言葉である、フーファーフールズなんて声があちらこちらから聞こえる。

 国民的悪役のお出ましと言わんばかりだ。

 ……はぁ、私は何をやってんだか。

 自分の存在定義にまで疑問を持つような己に対する嫌悪感を感じる。


「あらぁ、遅かったわねー。雅ちゃん」


 人々の歓声に包まれて目的となる店舗、ジュエリー山谷に到着すると筋骨隆々のゴリラ顔の男がショーケースから出された指輪を照明に翳し、指にはめる。

 あら、サイズが合わないわなんて言って店員を困らせている。

 彼の名は、笠倉譲治カサクラ ジョウジ海兵隊少尉、雅の所属する第五小隊の小隊長である。

 またの名を海兵隊の最終兵器、漢と書いて乙女と読む生粋のおネエである。

 彼に後ろを取られてはならない。これは第二機動歩兵大隊に配属するとまず初めに教えられることである。


「おい、ゴリラ、てめぇのじゃねえぞ!」


 そもそもヤツの指にはまる指輪なんて日本に売っているのか。

 一体、何号なんだ。流石


「あらぁ、これは自分用のよー。ホウちゃんと瑞樹ちゃんのこーれ」


 店員が譲治から促されてショーケースから取り出したのは、大粒のダイアモンドが中央にあしらわれたソリティアリングとジルコニウムで出来た紺碧色のペアリング。


「瑞樹ちゃんが十号でホウちゃんが十八号よね?」


「あぁ、さっき大佐から聞いたから間違いないはずだ。……なんで大佐は指輪のサイズの測り方がわかるんだ?」


「結婚のとき苦労したんじゃない?」


「……結婚か」


 目の前に輝く指輪。……これをホウのやつが……。

 私は何か間違えたのだろうか。

 そんな私の物憂げな表情に気づいたのだろうか。

 譲治が会計を急かす。


「ほらほら、今は会計よ。ちゃんとクレジットカード持ってきた?」


「ああ、バスタカードだから此処でも使えるはずだ。で、いくらなんだ?」


「こちら三点で合計……七十万三千円になります」


「……はぁ?はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「……何を驚いてんのよ、婚約指輪に結婚指輪合わせたらだいたいこんなもんよ」


 驚く私からクレジットカードを取り上げ、店員に渡す譲治。

 困惑する店員。ええと、伊崎様本人で間違いないでしょうか……という質問にもちろんよと息を吐くかのように嘘をつく譲治。

 なんとなく店員の側も本人ではないんだろうなと薄々感づきながらも会計を済ませる。

 まぁ、国防軍の軍人達が大挙して押し寄せているのだ。犯罪には手を染めないという希望的観測があるのだろう。

 それにしてもーーー


「おい、譲治。いくらなんでも七十万を超える額ってのはシャレになんねぇぞ!」


 別に軍人は高給取りというわけではない。

 だから、七十万なんて金がポンと出せる者は少ないはずだ。

 ……少なくとも私は出せない。夏のボーナス……をつぎ込んでも無理だ。


「……大丈夫よ。ホウちゃん、大きい買い物してないみたいだし。上級将校は意外とお金もらってんだから大丈夫よ。ちょうど、給料の二ヶ月分ぐらいじゃないかしら」


「二ヶ月……だと!?」


 私の給料からすると……三ヶ月分でも足りない……。


「まぁ、大尉だったらそれくらいじゃないかしら。それにホウちゃん、少し前まで英国に派遣されていたからその手当とかもらってるからそれなりの蓄えはあるはずよ。無駄遣いする子じゃないし」


「は……は、マジかよ。……どうりで二人で飲みに行くと奢ってくれるし、買い物行くと何か買ってくれるし至れり尽くせりだと思ったんだよっ!……マジか、そんな給料格差が」


「ちょっとアンタ……今の話聞いて物凄い罪悪感感じちゃったじゃない……。まぁ、今更だけど」


 困惑した表情でため息をつく譲治。

 迎えのヘリからの海兵隊員が状況を察したのか、小声で時間です曹長と恐る恐る店内に入ってくる。

 ……そうだ、兎にも角にも今はこの指輪たちを輸送しなければならない。

 ホウのやつに七十万も使わせちまったからな。


「そろそろ時間ね。余計なお世話かも知れないけど、雅ちゃん……折角、将校への昇進の打診を受けているんだし、受けてみれば?ホウちゃん達と同じ世界に立ってみない?」


「……勉強苦手だからなぁ、それに面倒だし」


 私は先日、部隊の指揮官である神楽坂大佐から将校への昇進の打診を受けていた。

 下士官から将校へ昇進するためには部隊の指揮官からの推薦状が必要となるが、神楽坂がそれを書いてくれるという。

 まぁ、私の現在の階級は曹長。一つ上の階級は将校である准尉か曹長になってから勤続十年を果たして得られる上級曹長しかない。デスクワークの可能性がある階級か、一生現場か。

 将来的な事を考えれば将校に昇進するべきではある。

 しかし、私が現場を離れてできる仕事なんてあるのだろうか。

 高校もまともに通わずに中退したこの私が。

 それに下士官から将校への昇進の際には昇進試験が控えている。

 試験内容は一般教養から部隊指揮まで幅広く、今更、数学とか国語とかやるのはどうにもなぁ。

 それに学のない私が試験を突破できるとは思えない。


「でも、給料変わるし。色々と融通聞くから下士官何かと比べて断然良いわよ?それに海軍からのスカウトがあるかもしれないし」


 海軍からのスカウト、それは海兵隊名物と言っても過言ではない。

 元々海兵隊は海軍の一部であったことから、人事の異動は頻繁に行われる。

 特に優秀な者は海軍に引き抜かれる傾向がある。

 これは人事の優先権が海軍にあるためだ。

 よって、海兵隊には落ちこぼれとかどうしようもないクズとかろくな者達が集まらない。

 ……私が海軍なんかのお眼鏡にかなうとは思えないんだが。

 海軍は完全なる学歴社会、学閥はあるし、そもそも高校を卒業していない者なんて居ないはずだ。

 私の居場所があるはずが無い。


「うぐっ……考えてみる」


 そう言って私は迎えのヘリへと駆けた。

 なんとも言えぬもやもや感を抱えて。

 ……ホウ、私はどうすれば……。


ーーーーーーーーーー


「えっ、七十万円分…………はい、ええ、はい、私が使いました。不正利用ではないです、はい」


 普段からほとんどクレジットカードを使わないのだ。

 いきなり七十万円分も利用されたらカード会社も不審がるだろう。

 クレジットカード会社からの本人確認の電話に低頭平身しながら答える。

 ……というか七十万円って。シャレにならんぞ、彼奴等。

 ここはテロリスト達との戦場となったコンビニの駐車場。

 テロリスト達の遺体は既に県警の警察官たちが片付けており、随分ときれいになっていた。

 それでも血溜まりや、良くわからない肉片なんかは落ちていたりするが。

 

 ドン、ドンと足踏みする音。

 それも一人ではない四、五十人の足音だ。

 俺と瑞樹を中心に海兵隊員と県警の警察官達が円形に囲っていいる。

 彼らは急かしているのだ。

 それは言わずもがな。プロポーズをだ。

 気分はまるでコロッセオの剣闘士。周りは殺せ、殺せと叫ぶ観客のローマ市民のようだ。

 圧迫感が物凄い。

 この場で人が死んでいるのだ、不謹慎だと言われるかもしれない。

 しかし、コレは第二機動歩兵大隊フールズ流の弔いなのだ。

 死者は面白おかしくこの世界から追い出してやらなければならない。

 だからこそ、彼らは戦場でこそ余計にふざける。

 個人的にはそんな弔い方も悪くはないと思うのだが……。


 自分の表情はよく分からないが目の前の瑞樹同様に顔が赤くなっているはずだ。

 なんとも言えぬ体温上昇を感じる。

 この歳になって怖いもの知らずになってきたが、これはこれで堪えるものである。

 ……恥ずかしい!


 何故、こんな状況になったのか。

 それはいじめっ子気質の海兵隊、いや第二機動歩兵大隊フールズのせいだろう。

 偶然、俺と瑞樹の婚姻届を見つけた海兵隊員が指揮官の神楽坂にそれを見せたのだ。

 そんな面白い話、神楽坂も第二機動歩兵大隊の面々も見逃すはずがなかった。

 彼らは馬鹿なのである。もう、どうしようもない。

 俺が失神している間の瑞樹の言葉足らずの説明から誤解に次ぐ誤解を生み、婚姻届にはサインしたけどまだ正式なプロポーズをしていない、それに指輪も買ってない、ならば俺たちがお膳立てしてやろう、という事になり現在に至る。

 ちなみに婚姻届の証人欄には神楽坂と第二機動歩兵大隊第三小隊の隊長である佃美里ツクダ ミサト海兵隊中尉の署名押印があり、たまたま現場確認に来た地元の市役所の職員に既に婚姻届が手渡されている。

 形式的には後数時間で俺と瑞樹が夫婦になるのが確定となってしまった。

 まぁ、それでも瑞樹のような美女とお近づきどころか結婚できるなんて夢のようである。

 ……このプロポーズが失敗したら、砂上の夢は儚く散る定めにあるのだが。


「かーっ、ぺっ!」


「あらやだ、雅ちゃんお下品」


 雅の視線が痛い。……俺が何かしたとでも言うのだろうか。

 もしかして今回の輸送任務は俺が指示したと勘違いしてるんじゃ……。

 後で何か菓子折りでも持っていくか。

 あいつは確かチョコレートケーキが好きだったような。

 あれ?瑞樹さん何ですかその目は。


 雅にどう誠意を見せるか思案していた俺に向ける瑞樹の怪訝な表情。

 いわゆるジト目というやつだ。

 ……女性は感が鋭いと言うけども、まさかな。

 冷静に考えるとプロポーズの時に他の女の事を考えることはかなりの失礼である。


「あーえーっとだな、瑞樹。あーその」


 言葉を紡ごうとするも中々出てこない。

 いくつか死線は潜ってきたがこればかりはなんともし難い。

 はぁ……覚悟を決めろ、俺。

 ……七十万も失ってしまったんだし。涙目である。

 もっと安いものなんて言っても後の祭りである。


「……なんですか」


 状況から判断するに俺が何を言うのかわかってるくせに不機嫌な態度を取る瑞樹。

 あぁ、もうっ!ツンデレかよ!


「……うぐっ」


「……ホウ?大丈夫ですか?……無理をしないほうが」


 心配そうに俺の顔を覗き込む瑞樹。早く、この茶番を終わらせろと言わんばかりだ。

 そう言えば俺は負傷していたそれも腹部を。こんな状況だ、アドレナリンとかドーパミンがドバドバ出ていたお陰で意識せずにすんでいたが、めちゃくちゃ痛いのだ。

 あっ、意識すると余計に痛みが。

 ここはもう正攻法で行くしか無い。

 俺は痛む腹部を押さえながら瑞樹の前に跪いた。

 戦場でのプロポーズ、雰囲気もへったくれもない。

 まぁ、常在戦場の軍人としてはこれもありか。

 先程、譲治たちから受け取った婚約指輪のケースを開き掲げる。


「……芹沢瑞樹さん、私は一目貴方を見たときから運命を感じざるを得ませんでした」


 拙いながらも僅かな時間で捻り出した出来る限りの言葉を並べる。

 いきなり過ぎて申し訳ないと思うし、自分自身、プロポーズをする覚悟を持っているかと言われれば、もしかして状況に流されているだけなのではなんて思いもあるが、今は出来る限り台詞に誠意を込める。

 それが彼女に対する礼儀なのだ。

 たとえ、断られたとしても。

 周りの雰囲気でオッケーしてもらえるのではなんて打算的な考えはもちろん頭の片隅にあるのだが。


「出会って間もないかもしれないけども、今回の戦闘で思い知ったよ。俺は、いや私は君を失いたくない。……だから、私に君を守らせてはもらえないだろうか」


 まさに本心だ。戦闘を開始したのは俺であるが、瑞樹と縁を失いたくはなかった。

 共に居た瞬間が愛おしく思えた。

 彼女ともっと長い時間を過ごしたいと思った。

 だから、誓いたいのだ、君を守ると。


「それは……傲慢です。私は貴方に守られるほど弱いつもりはありません」


 一瞬の逡巡の後、彼女が紡ぎ出した言葉は断りの文言に思えた。

 しかしーーー


「……貴方が私の背中を守り、貴方の背中を私が守る、という条件でしたら和平合意をしても……いいですよ」


 恋は戦争、誰かがそう言っていたな。

 だとすると、この和平合意は蹴るわけにはいかないだろう。

 このままだと、俺の心が彼女に蹂躙され無条件降伏をする羽目になるだろう。


「わかった。その合意にサインしよう」


「……もう、私たちは書面にサインはしちゃってるじゃないですか」


「そうだな」


 俺は指輪をケースから取り出して彼女の薬指にゆっくりとはめる。

 時刻は黄昏時。差し込む西日がダイアモンドに反射して黄金色に輝く。


「……本当にいいのか?」


 自分はビビリである。

 だからこそ確認しなければ気が済まなかったのだ。

 こんなふざけた求婚を受け入れてしまっても良いのかなんて。


「……えぇ、色々と覚悟を決めましたから」


 そういう瑞樹の表情は笑っていた。

 そして一粒の涙が、まさか嬉し泣きだと言うのだろうか。

 西日に輝く彼女の特徴的な髪と相まって、とても美しく愛おしく思えた。

 あぁ、このまま抱きしめてしまいたい。


 周囲からは歓声。まるでお気に入りのベースボールチームが優勝したかのようだ。

 ただ時に集団心理というものは過激になる傾向がある。

 誰が言い出したのかわからないが、誓いのキスを要求するコールが沸き起こる。

 これには俺も瑞樹も苦笑である。

 しかし、意外にも乗り気なのは瑞樹の方でーーー


「はぁ、こういうのって二回目からは何回やっても変わるもんじゃないんですよ。価値があるのは最初の一回だけ。だからーーー」


 瑞樹の方から飛びつくように唇を重ねてきた。

 うおっ、マジか。


「……ぷはっ。貴方の妻になるんだったらコレぐらいの馬鹿はしても許されるはず」


「……まぁ、確かに」


 なにせ俺も元、第二機動歩兵大隊フールズの隊員なのだ。

 馬鹿であることに違いは無い。

 今度は俺の方から唇を重ねるが、その時。

 ん?あいつは確か……。

 歓喜に湧く戦場跡で不自然な行動を取る男が一人。

 周囲の者達が俺たちへと視線を向ける中、一人だけそれを無視するかのようにコンビニの店内に入る男。

 妙に不自然だ。

 まさかーーー


「……ホウ、どうしたんですか?」


 今は私を見なさいよと言わんばかりの瑞樹の視線。

 申し訳ないと思いつつも、


「……瑞樹、まだ終わってないのかもしれない」


 今度巻き起こる事態に不安を感じざるを得なかった。


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