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 静治とのキスから一週間が過ぎた。

 あの日から少しずつ私たちの関係は変わった。今まで私たちの面会では静治の高校の話を聞く事が多かったが、私も徐々に自分の話を混ぜるようになった。他の患者さんや看護婦さんと話した事、最近読んだ本、不味い病院食とお見舞いの品との差、病室から見える公園を通る人の話など、今まで何で話さなかったのかと思うほど口から言葉が出た。


 それに今まで感じていた静治との距離感も少しずつ、ほんの少しずつだけど縮まっている気がする。どちらが近寄ったのかは分からないが、些細なことだった。


 私はやっと、静治と同じ場所に立てたと思えるから。

 ただ、変わったのは私たちの関係だけではなかった。


「……今日も、来ないのかな」


 上半分の角度を上げた寝台で私は部屋の入口に視線を向ける。

 一週間前から、母さんが来なくなっていた。これほど来ないのは久しぶりで少し不安だ。


「海外出張とかじゃないの?」


 太陽の光が降り注ぐ窓に背を預けながら瑛子さんがそう言った。


「いつもなら長期出張の場合は、必ず行く前の日には寄ってくれたんです。もしかしたら忘れているか、来れないほど忙しいかのどちらかだと思うんですけど」


「頑張ってるんだね、結衣のお母さん」

 そう言われると嬉しく、自然に頬が緩む。

 変わったと言えば瑛子さんとの会話もそうだった。あの日以来私は瑛子さんから〈死神〉に関する様々な事を自分から訊いた。


〈死神〉とはいっても別に偉いわけではなく、ただの会社員なのだそうだ。

 魂送霊社。初めに見せられた名刺にあったように瑛子さんはその会社の亜細亜圏―日本支社―関東支部の人事課の課長だという。長という字が付いているので少しは偉そうだが、本人曰く、会社という組織の中で顔が広いだけらしい。

 

 そんな瑛子さんでも日本支社の支社長にしか会った事は無く、亜細亜圏の統括、さらには会社のトップの顔は見たこともないのだという。

 

 一般的な〈死神〉のイメージと少し、いや大分違うがそういうものらしく、私が死神になると瑛子さんの元で働く事になる。つまり人事にかかわる仕事なのだが、人事の仕事はまず一年に数件あればいいほうでほとんど仕事は無い。それならいつも暇なのかというとそうではなく、普通の〈死神〉のように魂をあの世に送る仕事をしているらしい。


 だからこそ人事関係の仕事が少ない関東支部人事課は、瑛子さん一人だけなのだという。どうやらそれがとても寂しいらしく、話しているときは酷く落ち込んでいた。

 それが原因という訳ではないが私は死後、〈死神〉になってもいいかもしれないと思い始めていた。

 だけどそれは出来るだけ考えないようにしている。私は静治と今を生きると決めたのに、死後の事を考えるのは失礼だと思ったから。


「そういえば最近はずっと調子がいいわね。私と会ったときは随分弱ってたのに、今は血色も良くなっているんじゃない?」


「一昨日、先生にも言われました。それにもしかしたら、外に出られるかもしれないんです」

 確かに調子が良かった。以前は病院食を半分程度しか食べれなかったのに、今では八割ほど食べれるようになっている。それにトイレに行くだけで身体が痛む事もあった以前に比べて、散歩もできそうなほど体が軽く感じた。


 それを話して検査結果を見たときの先生の驚いた顔と言葉は、今でも覚えている。


『すごく良くなっているよ。弱っていた内臓も僅かずつだけど快復しているし、この調子でいけば短時間の外出許可なら出せるかもしれない』


 その言葉を思い出すだけで体に力が入るのを感じる。

 外に出られる。それは私にとってとても魅力的だ。以前から望んでいた事でもあるし、静治が願っていた事の一つでもある。


「外に出られる、か。そうなるといいわね」


「はい。――ん?」


「どうかした?」


「いえ、何か部屋の前で声が……」


 耳に届いた声は強い口調で、少し慌てているように聞こえる。知らない人なら放っておくしかできないが、聞き覚えがある声だった。


「先生?」


 被っていたシーツを剥ぎ、寝台の足元に置かれたスリッパを履く。以前の私ならこれだけでも辛い時があったが、今なら楽にこなせる。


「大丈夫?」


 そうはいっても普通の人より遅い動きなのは変わらないので瑛子さんはそう言ってくる。私は笑顔で答えて壁に手をつきながら部屋の扉へ向かう。そうすると声が鮮明になってきた。


「だから――だけは―――きま―ん」


「しか―、こちら――ごとな――す」


 先生は誰かと言い争うというほどではないが、少し声を荒げている。もう一人の声は知らない男性だ。私は少し躊躇しながら恐る恐る扉を開ける。

 部屋の前には眼鏡をかけた白衣の男性と、少し白髪が混じった中年の男性がいた。白衣の男性が私を担当している藤堂先生だが、中年の男性は見たこともなかった。


「藤堂先生、どうかしたんですか?」


「っ! 椎名さん」


 藤堂先生が私の名前を口にすると中年男性が少し目を細める。目には憐れみに近い感情があった。


「初めまして、私は警察の沖田といいます。少しお話を――」


 そう言って警察官らしい中年男性は手帳を開いて私に見せる。私服という事は警部とか警部補という階級なのだろう。初めて見たので何となく手帳に視線を注いでいると――


「やめてください」


 藤堂先生が私と刑事さんの間に立ち、普段話すよりも低い声を刑事さんに向ける。その様子は普段温厚な先生にしては少し意外で、だからこそ何か嫌な予感がした。


「許可できません。お引き取りを」


「しかし――」


「お引き取りを」


 強い口調でそう言う先生の背中へ私は声をかける。


「話すだけなら、大丈夫です」


 背中越しに振り向いた先生は困惑したような表情で私を見て、何かを堪えるように刑事さんの方へ向き直った。


「念の為、私も同席します。よろしいですね?」


 有無を言わせぬ口調だった。

 仕方なさそうに刑事さんが頷いたのを先生の肩越しに見て、私は部屋の中へ二人を招き入れる。藤堂先生と刑事さんを後ろに連れながら戻ると、珍しく瑛子さんがいた。いつもなら私以外に部屋に誰かいるとすぐに何処かへ行くのに、先程と同じように窓に背を預けていた。


 視線で『どうかしたんですか?』と送ると瑛子さんは無言で首を振った。不思議に思いながらも私は寝台に腰かけて話を始める。


「それで、話って何ですか?」


「まずは確認を」と言いながら刑事さんは手帳を取り出し、「あなたは椎名結衣さん、お母さんは椎名夏樹さん。間違いないですね」と訊いてきた。


 久しぶりに聞く母さんの名前に私は頷く。入り口近くに立っていた藤堂先生が顔を歪めるのが視界に移った。それに対して刑事さんは無表情に近い。まるで感情を抑えるような表情。


 嫌な予感が膨れ上がる。今まで様々な本を読んできた経験が最悪の予想を頭で構築していく。


「実は一昨日の午後、あなたのお母さん、椎名夏樹さんが――」


 刑事さんはそこで一息溜め、重々しく口を開く。

 心の内で『外れて』と願う。

 もちろん叶う訳がない。それが現実で、私の予想は的中した。


「自宅のマンションで御遺体として発見されました」


 いたい、遺体、遺体? つまり、しんだ、死んだ。母さんは、死ん、だ。


「お悔やみ申し上げます」


 そう言ってくる刑事さんは僅かに頭を下げる。先生は歯を食いしばって何かに耐えているようだった。窓へ振り向くと、瑛子さんはいなくなっていた。どこへ行ったんだろうという疑念と、どうでもいいかという諦念が浮かび上がる。


 視界に映るのは、毎年満開の花を見せていた桜が散り始めていた風景。公園の半分の桜は既に散り、今咲いている桜からも一枚一枚の花弁がひらり、ひらり、と宙を漂い地面に落ちていく。


 私にはそれが人の命のように思えて、母さんもこうして散ったんだと悟った。


 そして私もいずれ、こうして散る。


 体の中心に大きな穴が開いて、そこから何もかも零れ落ちていくような感覚が全身に行き渡った。


 それが喪失感だと気付くと、その穴から一つの感情がにじみ出る。


 怖い、恐い、コワイ。死ぬのが怖い!

 それは今まで私が隠してきた感情。母さんや静治に絶対に見せないように隠してきた、私の弱さ。


「ああ、あああああ――」


 無意識に口から音が漏れる。それは湿っていて、ドロドロしていて、冷たい。そんな私の恐怖が籠っていた。


「ああぁァァアアアアアアアアアアあああああっ!」


 散っていく桜の花弁を視界に収め、


 初めて味わう絶大な喪失感に悲鳴を上げ、

 

 止められない死の恐怖に怯え、


 私は意識を手放した。


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