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 目が覚めるとまず最初に見るのが清潔感のある白い天井。何百回と見たその光景に、変わらない毎日が始まったと告げられた気がする。


「おはよう」


 唯一違ったのは聞きなれない声の挨拶。左へ視線を向けると幽霊、ではないらしい黒髪の女性が立っていた。今はライダースーツではなく蒼いデニムのパンツを穿き、白い肌着の上に黒革のジャケットを羽織っている。優しげな声とは違いワイルドな格好だ。


 しかし肌着のサイズがあっていないのか、胸部は強調するかのごとく張っている。いや違う、サイズがあっていないのは胸だけなのだ。恐るべき胸囲といえる。日ごろ仲良くしている胸の小ささを気にしている女性看護師が見たら鬼のような顔になりそうだった。


 後光のように女性の背後から来る太陽光に目を細めると、ビルの群れから春の太陽が顔を出している風景が見えた。


そこで違和感を覚える。私の部屋にこの女性が飛んできたときは曇りだったはず。その直後に私の意識は薄れた。だとすれば今見ている太陽は――


「具合はどう? 一晩眠っていたから少しは快復しているはずよ」


 女性の言うとおり身体は少し軽くなっている。どうやら本当に一晩眠ったようだ。腕の点滴の針は抜かれて清潔なガーゼが張られ、呼吸器と心電図は部屋から消えていた。


「朝早くに看護婦さんが来て片づけていったわ。お医者さんとの会話を聞く限りではもう大丈夫のようね」


「はあ……ありがとうございます。えーっと、それであなたは、なんですか?」


 念のために警戒はしながら質問する。昨日の事で普通の人ではない事がわかったけど、善人とは限らない。


「あれ、私の名前覚えてない?」


「怪しい会社の怪しい人ですよね。確か、工藤瑛子さん」


「そうそう、私は工藤瑛子。瑛子でいいわ、よろしく」


 私は「はあ」と言いながら軽くなった上体を起こして差し出された手を握る。


「私は椎名結衣です。よろしくおねがいします」


 瑛子さんの手は暖かかった。昨日は窓をすり抜けるという幽霊の様な事をしたのに、今はまるで普通の人だ。


「それで、瑛子さん」


「私は何か? という質問ね。私は幽霊でも宇宙人でも異世界人でも怪人でも変人でもないわ」


 そこまで考えてません。


「私は〈死神〉よ」


〈死神〉


それは予想外の答えだった。でも、私の身体の状態なら「ああ、そうか」と納得できる。


「じゃあ瑛子さんは、私を迎えに来たんですか?」


「違うわ。私はあなたを見に来たの」


「……どういう意味ですか?」


「そうねぇ、簡単に言えば将来を見越した求人活動といったところかしら」


 求人活動。一応、私でもその言葉の意味は知っている。だけど私のどこに求人するメリットがあるのだろうか。それに私にとって将来は、あるかどうかもわからない不確かなものだ。就職なんて完全に未知の領域だった。


「瑛子さん、私は――」


「大丈夫。私はあなたの状態を知っているわ」


「だったら」


「私は死神だって言ったでしょ。だから私が行う求人は死後の事よ」


「死んだ後に、求人ですか?」


「そ。あなたは死神ってどんな事をしてると思う?」


 瑛子さんは寝台に腰かけ私を真正面から見つめる。


「死んだ人の魂をあの世へ送る事、だと思います」


「うん正解。〈死神〉っていうのは器が死んでしまった魂をあの世へ送り、この世に魂が溢れかえらないようにバランスを保つ事が役目なの。でも最近は〈死神〉も人手不足でね、この世に魂が残りすぎているのよ。それで私は人材を探すためにあの世から求人活動をしに来たの」


「つまり、私は死期が近いということですか?」


 私に死期が近いからこそ、〈死神〉の瑛子さんは私に会いに来たのだろう。ある意味、医者に告げられるよりも説得力がある。人のようでありながら人ではない存在だからこそ、死期を知っている気がした。


「それは、違うわ」


 そんな考えを瑛子さんは首を振りながら否定する。だったら何故? と訊くと瑛子さんの表情に悲しみが混じった。


「肉体が死んで魂だけにならなければ〈死神〉にはなれないわ。だけど器を失った全ての魂が〈死神〉になれるわけではないの。こんな言い方はしたくないけど、もし全ての魂が〈死神〉になれるなら、まだ生きているあなたに会いに来るよりも、肉体が死んだ直後の魂に会いに行く方が手っ取り早いわ」


 言われてみれば、そうなんだろう。いずれ死を迎える私を待つより、既に死んでしまった人の所へ行く方が早い。


「〈死神〉になるには魂の適性が必要なの」


「……私にはその適性があるんですか?」


「そう」


 瑛子さんは表情から悲しみを消して窓から見える景色へ視線を向ける。ビルの影から太陽が顔を出していた。


「〈死神〉への適性はこの世に来る時点で決まっているの。まあ、才能みたいに先天的なものでね、普通ならその適性が変化することは無いんだけど、椎名さんは例外だった」


「例外、ですか。あ、私の事は結衣でいいです」


 下の名前で呼んでもらうようにすると、窓から私へ視線を移した瑛子さんは、穏やかな笑みを浮かべる。


「結衣の魂は元々適性は無かったんだけど、何度も死にかけているうちに適性が出来ていたのよ。適正があるっていうのはあの世で自我を保てる魂の事ね。普通の魂は私たち〈死神〉にあの世に送られた時点で何もかも真っ白な状態に戻されるんだけど、適性を持つ魂はそれを自分で選ぶ事が出来るの。再び肉体を持つか〈死神〉として残るかをね」


 皮肉なことに、何度も生死の境をさまよう事が私の死後の選択肢を増やしていた。

 本当に、酷い皮肉だった。


 苦しくて、痛くて、辛くて、たまに死にたくなったけど、それでも私は生きる事にしがみついた。生きたいと願ったことが死後の選択肢を増やしたというのなら、神様にビンタの一発でもくれてやりたくなる。残念なことに目の前にいる神は〈死神〉なので相手が違った。


ただ、あの大きな胸は触ってみたいと思った。口には出さないけど。


「つまり、私は死んだ後に選択しなければいけないんですね?」


 瑛子さんは「まあ、そういう事になるわね」と言いながら再び朝日へ視線を向け、「ところで」と続ける。


「私が言うのもなんだけど、信じるの?」

 

 いまさら何を、と思う。昨日あれだけ異常な登場の仕方をされたら信じるしかない。それに魂の適性や〈死神〉云々は抜きにしても、瑛子さんからは悪意は感じなかった。圧倒的な胸囲は感じたが。


「信じます」


 私が迷わずにそう答えると、瑛子さんは嬉しいような悲しいような、二つの感情を含んだ表情になった。


「そっか。ありがと」


 瑛子さんが礼を口にしながら顔を伏せる。何故か後ろめたい事がある様な態度だった。

 私が口を開こうとすると部屋の入り口から控え目なノックが聞こえる。さらに扉を開ける音が続き、そして私が人生で最も多く耳にした声が届いた。


「結衣、起きてる?」


 私は反射的に答える。


「起きてるよ、母さん」


 私の母だ。だけど答えた後に今はまずい事に気がつく。傍には瑛子さんがいるのだから。慌てて瑛子さん視線を向けると安心させるように微笑んでいた。


「大丈夫。私はあなた以外に見えないし、声もあなた以外には聞こえないわ」


 その言葉を示すように、母さんはいつもどおりに部屋に入ってきた。肩にかかる程度の黒髪に優しそうな顔立ちが特徴。今は黒いパンツスーツ姿で、ついさっきまで仕事をしていたという雰囲気がある。

母さんは手に持っていたバッグをソファーに放り投げ、私に抱きつく。危うく起こした上体が倒れそうになったが何とか耐えた。


「あーもー、心配したよぉ」


 いつもの事なので優しく抱き返す。ただ、声だけはいつもと違い涙声だった。


「ごめんね、だけどもう大丈夫だから、泣かないで」


「うん。あー、でも私もごめんね。すぐに来れなくて」


 身体を離して母さんは涙を拭う。


「出張だったんだから、仕方ないでしょ」


 母の仕事は詳しくは知らないが出張が多いらしい。年に数回は海外、国内に至って半月に一回もあるらしい。そのせいで余り休みは取れないらしいけど文句は言えない。この個室の入院費だって馬鹿にはならないし、母さんも生活していかないといけないのだから、あまり会えなくても我慢できる。

 

 ただ、最近は我慢ならない事があった。


「母さん、最近ちゃんと休んでる?」

 

 今の母さんは同年代の人より痩せているし、化粧で誤魔化しているが肌が荒れているようにも見える。

 いくら仕事が大事だといっても少しは休んでほしかった。


「んー、先月の末に休みがあったし問題は無いと思うけど?」


 パイプ椅子に座りながら母さんは目を逸らす。問題がある証拠だ。


「その日って私に会いに来た日でしょ。たまには私も仕事も関係ない休みを取ってよ。このままじゃ母さん私みたいにガリガリになるよ」


「そうかな? 大丈夫だと思うけど――っふぁぁぁああ」


 言いながら母さんは大欠伸をする。


「あー、そういえば朝一で帰るために徹夜で仕事したんだった……」


 語尾を小さくしながら母さんはベッドに上半身を投げ出した。目が四分の一開きですぐにでも眠りそうだ。


「もう仕事はいいの?」


「うん。出張が終わったから、今日はもう、ない……よ」


 目が完全に閉じる。次第に小さな寝息が私の耳の届いた。


「寝ちゃったか」


 少し痛んだ母さんの髪を手ですいてみる。ちょっと脂っぽいが柔らかい手触りだった。


「いいお母さんね」


 母さんが眠ったからか、黙っていた瑛子さんがそう言った。もちろん私はそれに同意する。


「はい。少し子供っぽいけど、自慢の母です」


 一応眠ったとはいえすぐ側にいるので私は小声で答える。


「私が病院暮らしをするようになってから、ずっと頑張ってくれています。本当ならまだ若いから、もう少し自分の為に生きてほしいんですけど」

 

 痩せている母の頬を、そっと撫でてみる。温かい母は、貧弱で冷たい私とは対照的で、少し悲しくなった。


「何年ぐらい、病院にいるの?」


「もう、十年ですね。小学校一年の夏に内蔵が色々悪くなって、それから十年間、ずっとです。〈死神〉ならそれぐらいわかるんじゃないですか?」


 私の疑問に瑛子さんは苦笑しながら答える。


「〈死神〉っていってもそれほど万能じゃないわよ。結衣の魂の適性が見つかったのはつい最近だし、物語に出るような〈死神〉とは違って誰が何時何分何秒に死ぬなんてことはわからないわ。せいぜい、あの人は死に近づいているなってぐらいが関の山ね」


「神様にしては不便ですね」


〈死神〉である瑛子さんは私が想像する全能の神様とは違ったとしても、仮にも〈神〉と名のつく存在。だから人には不可能な力があると思っていたけど、どうやら違うようだ。


「まあ、〈死神〉なんて肩書はあるけど元は普通の人間だったからね。さてと、じゃあ私は屋上にいるから、何か訊きたい事とかあったら呼んでね。あなたの声は私が何処にいても届くから」


「え、行っちゃうんですか?」


「今は眠っているけど、お母さんに甘えたくもなるんじゃないの?」


「わ、私はもう十七歳です。子供は卒業しました」


 私の反論に瑛子さんは小さく笑った。なんだか大人の余裕を見せられているようで少しムッとする。


「まあ、いくら私が〈死神〉でも他人のプライバシーは尊重するってことよ。お母さんと仲良くね」

 

 そう言って手を振りながら瑛子さんは部屋の入口へ向かう。扉を開けるのかと思ったらすり抜けて行った。


 改めて瑛子さんが普通じゃないと認識していると、右手に温かいものを感じた。見ると眠ったままの母さんが私の手を握っていた。私は母さんの手を握り返し、再び髪をすく。


 瑛子さんが気を利かしてくれたとても穏やかで静かな時間は、朝食が運ばれてくるまで続いた。


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