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 視界の大部分を白い天井が占めている。眠気もないので天井ばかり見ていたけど、さすがに飽きた。視線を左へ向けると窓から外が見える。空は薄い鼠色に染まり、雨が降りそうで降らない中途半端な天気。いつもなら上体を起こして桜が咲き始めた公園の風景を見下ろせるのに、今は無理だ。


 私の身体は重くて動かず、腕には点滴注射の針が刺さり口は呼吸器で塞がれている。膨らみが薄い胸には数本のコードが貼り付けられていて、それと繋がる機械は私の心臓の状態を逐一表示していた。

 

 曖昧な記憶の中で、胸が苦しくなってナースコールを押した覚えはあるがそこからの記憶が無い。今までも何回かあったけど今回は大分まずいのかもしれない。見覚えのない薬剤を点滴され、看護師さんが何回も様子を見に来ていた。


 再び視線を天井へ戻して軽く嘆息。意識がはっきりしているので眠る事が出来ない。動けないし話せないなら眠ることが一番なのに、それができないというのはすごく暇だった。右手にはナースコールがあるけれど、意識が戻っている事は知られているので呼ぶ理由はない。


 私の部屋は少し広めの個室で、寝台の右には小さなテーブルを挟むようにソファーが一対、その近くにはテレビと小型の冷蔵庫がある。冷蔵庫の中にはリンゴジュースが入っているけど、今の私では冷蔵庫を開けることすら不可能かも知れない。


 仕方なく視線を窓に戻すと、雲に覆われた空に黒い何かがあった。それは雲というには余りに黒く、飛行機か何かというには大分小さい。黒い何かはどうやらこちらへ近づいているようで、だんだんとはっきり見えてきた。


 そして私は、自分の意識を疑った。


 私は今、本当に起きているのだろうか? これは夢じゃないだろうか?

 しかし腕に刺さった点滴の針が与える痛みにそれらは否定される。

 だけど私はまだ疑う事はやめない。意識が確かなら、私の目がおかしくなったのだろうか? そう思ってもそれも否定される。私は視力がそれほど悪くないうえに、周りの風景がはっきりと見えているのだから。

 

 そしてもはや疑いようがないほどに黒い何か、いや、黒い『バイク』が近づいていた。余り覚えていないけど、以前洋画のDVDで見た事がある車種だ。確か……ハーレーという前後に長く大きな車体のバイク。そのハーレーが空を飛び、私にバイクの右側を見せるように曲がりながら走って来ている。

 

 バイクを操るのは黒いライダースーツを身に付けた人物。顔は黒いヘルメットを着けているうえにまだ少し遠いのでよくわからない。でも体格からして女性という事は分った。黒いライダースーツの胸元が膨らんでいたので一目瞭然だ。うらやましい。

 

 そうして細かいところが見えてくる頃には、ハーレーはもうかなり近くまで来ていた。だというのに何故かエンジン音は聞こえない。私の記憶にはハーレーの低いエンジン音が刻みついているのに、近づいてくるバイクにはエンジン音が無かった。

 

 空を駆けるハーレーは大体五十メートルほどの距離から減速を始めた。徐々に、徐々に速度を落としているけど、このままなら私の部屋の窓に激突する。

 

 そうなると私は死ぬのだろうか? 窓を突き破ってきたバイクに轢き殺されて。なんだか少しおかしいが、容易にその光景を想像できた。

 

 私がそんな事を考えている間にハーレーは減速しながらも近づき、部屋の窓を突き破る――ことはなかった。前輪から窓に入ったはずなのにガラスは割れず、そのまま窓をすり抜けて車体が部屋に侵入してきた。

 

 ハーレーはそこでさらに速度を落とし、寝ている私の上で停止する。私と天井の間に見えない足場があって、バイクはそこに止まったように見えた。

 

 音もないのに心臓のように鼓動しているエンジンを宿すバイクと、それに跨る黒ずくめの女性。まるで何かの映画のような光景だ。

 

 動く事が出来ない私はハーレーの運転手を見上げる。すると運転手は返すように私を見下ろした、と思う。残念ながらヘルメットの中は部屋の明かりの影になっているせいで見えない。

 

 こういう場合どうすればいいのだろう。空を飛んで窓もすり抜けるという事は、このバイクと運転手は幽霊なのだろうか。だとしたらナースコールは使っても意味がないのかもしれない。

 

 それにしても、私はなぜか落ち着いていた。目の前にはおかしな存在がいるのに、私の心はほとんど乱れずに平静を保っている。自分が轢き殺される光景を思い描いたほどなのに、何度も死の淵を行き来した経験があるおかげか、目の前のハーレーと運転手にはあまり驚かない。それにこの幽霊はなんだか悪霊とかそういう類の者には感じなかった。


 そんな私の事を気にした様子もなく運転手はハーレーから降りる。まるで空中に地面があるかのように立った運転手はヘルメットに手を掛け、一気に引き上げる。

 

 現れたのは黒い長髪に少し茶色の目をした日本人女性の顔。少し色白だが十分に綺麗な容姿をしている。よく見ればライダースーツは体にフィットしているようで、メロンの如き大きさを強調する胸だけではなく、形の良いお尻もなかなかだった。こういうのをボンキュッボンというのだろう。胸から足元まで一直線の私には大変羨ましい女体だ。


「こんにちは、お嬢さん」

 

 大型のバイクを操るのには不似合いな、穏やかで優しい声だった。

 女性は脱いだヘルメットをバイクのハンドルにかけると両腕を広げ、食事のいただきますの挨拶をするように両掌を打ち合わせた。パンッ、という音が病室に響く――かと思ったけど、何故か音は聞こえないうえに、ハーレーとヘルメットが一瞬で消えた。

 幽霊は何でもアリなんだなと思える光景だ。

 

 それに満足したように女性は頷き、見えない足場から飛び降りるように寝台の左側の床へ着地する。壁をすり抜けるのに床はすり抜けない。ある意味とても幽霊らしい。

 

 女性は私を覗き込むように見下ろし「ふんふん」と納得するように頷いた。


「あな、たは、幽霊です、か?」


 呼吸器の所為で少しくぐもっているが、女性が首を横に振っているので意味は通じたようだ。


「自己紹介がまだだったわね。私は――」


 女性は空中にある何かを右手の指で摘むような仕草をする。すると指の間に一枚の紙が現れた。


「こういう者よ」


 その紙にはこう書かれている。

 魂送霊社 亜細亜圏―日本地区―関東支部―人事課課長―工藤瑛子。

 ………………、

 突っ込みどころ満載だ。

 訝しげな視線を送ると、女性はにっこりと笑った。


「まあ、私は怪しいものです」


 普通は逆じゃないのだろうか?


「でも、貴方に危害は加えるつもりはないわ。それは誓ってもいい」


 何となく、嘘はついていないと思えた。根拠はないけど。


「まあ、詳しい話はまた後日ね。意識ははっきりしているようだけど、身体の状態が良くないわ」


 工藤という女性私の額の上に手をかざす。


「おやすみ」


 その単語が耳に届くと急速に意識が薄れていき、視界は完全に閉ざされてしまう。

 最後に見えたのは、工藤という女性の悲しそうな表情だった。


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