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こいとき!〜落語→ラノベ化計画第一弾 時そば〜

「ちゅうかあああぁぁ~~~~そばあああぁぁ~~……~ぁぁああ~~……はあ、寒いし恥ずかしいなぁ……」


凍えた空気に震える指へと吐息をかけながら、風早初子(かぜはやはつこ)は照れ交じりにトラックと一体になった屋台の中から呼び込みをする。屋台にかけられた時計をチラッとみると、時刻は午後九時に近づいており、残る営業時間はおよそ三十分となった。


「アイス、大丈夫かな……」


初子は呟いて、少し早目に屋台の片づけを始める。今朝、彼女は家を出る前に作ったクリスピーアイスを大事に凍らせているのだが、それが姉に食べられていないか、はたまた失敗していて不味かったらどうしようか、そんなことをこの日ずっと考えていた。


特に姉である明梨(あかり)には念を押して食べるなと言っているが、心臓が鉄の塊で出来ているような姉には効いている素振りなど微塵も感じなかった。初子はとにかく早く帰ってアイスが姉の多元宇宙の彼方に消えていないかを確かめたかったのだ。


そんな時に、願ってもなかった客が初子の前に姿を現した。


「すみません、まだやってますか?」

「あ、はい!いらっしゃいま……」


その客を見ると初子は思考が止まり、目の前の男子しか見えなくなってしまった。彼の声、髪型、顔つき、そして名前を、クラスメイトの初子は知っていた。


「あ、風早さん。ここで働いてたの?」

「ひゃああああああああ!?ゆっ、ゆゆゆゆゆっ裕史(ゆうし)くん?!んなな、あ、な、なんでここにいるのお?!」


初子は一瞬で真っ赤になった顔を必死に手で隠して屋台の下に隠れてしまった。


「ん?風早さん?」

「ごごごごめんなさいいぃ!」

「いや急に謝られても……えっと、とりあえず入ってもいいかな?」

「え、えと、あのあの……その!は……はい……」


赤面交じりにカウンターから顔だけ出した初子は、屋台の暖簾(だんろ)をくぐる裕史(ゆうし)と呼んだ男子をじっと見つめていた。


裕史清人(ゆうしせいと)。彼の名前を初めて聞いた四月の始めから、初子はずっと清人に恋をしていた。


「今日は冷えるね……寒くないの?」


清人に話しかけられるまで彼のことをぼーっと眺めていた初子はビクッとして、慌てて言葉を返す。


「え?!あ、だ、大丈夫!パーカーの下に防寒用のインナー着てるから、大丈夫」

「そっか、それなら安心だね。メニューある?」

「う、うん、どうぞ」


初子はロボットのようなぎこちない動きで裕史にメニューを渡す。


「えーっと……ラーメンにつけ麺かぁ……じゃあ、ラーメン一つ」

「は、はい!かしこまりました!」


この日初めての大きな声を出した初子は直ぐにラーメン作りに取り掛かる。調理をする彼女の手は、いつもより手際が良かった。


「ラーメン、売れてる?」

「いや、あんまり、売れてはないかな、あはは……そ、そういえば!どうしてこんな時間に来たの?」

「ああ、散歩してる時にお腹がすいて、たまたまこの店を見つけて、ってところかな。いやあ、まさかそんな時に偶然風早さんに会うなんて思ってなかったよ」


清人はアハハと付け加えて嬉しそうに語った。それを聞いた初子は手が止まってしまい、


「私も、裕史くんと、会えるなんて思ってなかったな……」


なんて小声で、とても気恥ずかしそうについ言ってしまった。


「ん?何か言った?」

「あっ!!いや!なん、何でもないよ!」

「なんだか顔が赤いな、やっぱり寒くて風邪ひいてるんじゃ……」

「え!?そん、そんな事っ!ないよ!ホントに!大丈夫!」


初子は慌てて調理に戻り、ガチャガチャとわざと食器を掻き鳴らした。清人は「無理はするなよ?」と心配そうに様子を伺ったが、彼女は下を向いて「うん……」としか言葉を返さなかった。


ちょっとして、清人は店の外に出された看板に気が付いた。


「おっ、綺麗な看板だね。えーっと……あたり屋、か……この店の名前?」

「う、うん。ここ、親戚の叔父さんのお店なの。どうしても働いてほしいって言われちゃって……」


まだ少し照れたような口調で初子が言葉を返す。


「へえ、そうなんだ。なんだかあたり屋って縁起がいいね。今度また見かけたら立ち寄るよ」

「あっ、ありがとう……えっと、お待たせしました。ラーメンです」


初子はちょっと下を向いて、上目で清人を見ながらラーメンを渡す。きれいな円を描く形の丼の中には、鮮やかな夕日のように輝く出汁に浸かった細く綺麗な麺と、丁寧に添えられた少しの葱に初子オリジナルのチャーシューがラーメンを彩っている。この日、いやこのラーメン屋が始まって以来最高の出来の「ラーメン」だった。


「ありがとう。いいねぇ……こうやって話してたらラーメンが来るなんて。ちょっと早いくらいで遅すぎない、いいタイミングだよ。流石料理が得意な風早さんだ」

「ほ、褒めすぎだよ……」


そんなことを言われて、初子は顔から火が出そうなくらい恥ずかしがった。いや、実際には湯気が出ていた。料理を始めてから、他人からその腕を称賛されることが多くそれだけでも照れてしまったが、清人にそれを言われるとなると彼女はもうとめどなく恥ずかしかった。しかし同時に途方もない嬉しさが溢れ出てきた。そんな初子の顔は主人に愛してもらった可愛らしい犬のように笑顔だった。


清人も、そんな初子の顔を見てドキッとしてしまった。なんだか彼の方まで恥ずかしくなったので早くラーメンをすすることにして、丼に掛けられた箸を手に取った。


「お、割り箸だ!い、いいね。最近のレストランとかラーメン屋って使い回しの箸が多いよね。エコって感じはするんだけど他人が使った箸っていうのはあんまり気が進まないなぁ」


清人は時折ハハッと苦笑いを挟んで、普段から気にしてもいない言葉を述べて気を紛らわし、箸を割りながら更にまくしたてた。


「これは……綺麗な丼だね!すごくいい形だよ。中身がとても美味しそうに見えるよ。職人さんが作ったみたいな形だし、そこらへんのラーメン屋にはないんじゃないかな?それに……」


言いかけてから、いてもいられず清人は出汁を口にする。


ずずずっ、ずずずずずぅ……っ。


「ああ、いい匂いだし、醤油出汁がとても美味しい……。こんな出汁は飲んだことないなぁ……それに醤油ラーメンって結構味が薄い店が多いけど、風早さんのそばは程よいって感じだね。すごくいいよ。うん……」


それから清人は箸で麺を少しとってふうふうと息をかけてから口に入れる。


ずるっ、ずるるるうぅ~~……ちゅるんっ。


「……俺はラーメンが好きだし、色んなところで食べてきたけど……すごく美味しい!もしかしたら、どこよりも美味しいかも。醤油出汁がよく絡んでるし、それに麺も細くて口に入れやすいなぁ……。こんなに美味いそばは初めてだよ。具も食べてみようかな、チャーシューは……結構厚いな」


それは普通のものより厚さのあるチャーシューだった。清人が箸で掴んでみると、染み込んだ出汁がチャーシューから溢れた。


「あ、えと、それはサービス……だよ」

「本当?ありがとう!あ、この前あったんだけど、チャーシューじゃなくてハムを食べたことがあるよ。しかもとても薄く切ってあって……なんだか食べた気にならなかったよ。こんなに厚くしてくれるなんて嬉しいな……」


パクッ、


一口。清人は丸ごとチャーシューを頬張る。何度か咀嚼して、そこで清人ははっと気が付いた。


「うん、美味しい!本当に、風早さんの作ったラーメンは美味しいなぁ!毎日食べたいくらいだよ……ん?」


そこまで言って清人は初子の方を見ると、彼女はカウンターに突っ伏して顔を隠していた。時折「うう……ああぁ……ひゃぁぁ……」と呻くというか、喘ぐというか、まるでツンデレな女の子が不意にデレまくって恥ずかしがる時のような声をあげていた。


「か、風早さん?本当に熱があるんじゃ……」

「ち……ちがう、の。そんなに、褒めてくれる、なんて思って……なくって。私、ほめ、られるの……慣れてなくて……うううぅぅ……」


そう言って、初子は顔を上げる。彼女の目からは少しだけ涙が出ていた。


「な、泣くほど恥ずかしかったのか……なんか、ごめん」

「いいの……とっても、嬉しかった、から」

「あ……そ、そっか、あはは……」

「うん……ふふふっ」


二人は恥ずかしさを紛らわすように、お互いに笑い合って見せる。その様子は正に青春のひと時を謳歌する男女の羨ましいワンシーンだった。


「っと、冷める前にもう食べてしまうよ。冷めるとせっかくの味が落ちちゃうからね」


そう言って、清人は麺を口にし、出汁をすすり、初子のラーメンを味わった。初子はそれを見ていてとても幸せだった。


何度か言葉を交わしつつも、清人はラーメンを、出汁の一滴を残さず温かいうちに食べ終わった。


「ふう、ご馳走さま」

「お粗末様でした」

「お代払わなきゃな。いくらだっけ」


清人は着ていたコートのポケットをガサガサと探り出す。


「あ、うん。えーっと、三百六十円だよ」

「あー、散歩がてらだったから小銭ばっかりだな……いいかな?」

「あ、大丈夫だよ。じゃあここに」


初子は右の手の平を清人に差し出して見せる。清人は服のポケットから小銭をとり出して、金を持った手を初子の手の上に近づけた。


「三百六十円だったね?ええと、まず百円玉二枚と、十円が……いち、に、さん、しい、ごお、ろく、なな、はち、あ、今何時かな?」

「え?えっと、九時かな」

「九時か。じゅう、十一、十二、十三、十四、十五、十六……よし。じゃあもう遅いし、俺は帰るよ。また学校で会おうね、風早さん」


そう言って清人は屋台に背を向ける。彼の言葉を聞いた初子の右手が、小銭を握る力を弱めた。


「あっ……」


ここでようやく、初子は清人が客だということを改めて認識して激しく後悔してしまった。客はいつか帰るもの。当たり前だけど、目の前の客にはいつまでもいて欲しかった。なんだかよくわからない焦りが初子を取り囲み、どうにか清人を止める口実がないかを手当たり次第に探しだす。ふと、右手の小銭に目が向いた。初子は咄嗟(とっさ)に気が付いて、左に結んだ髪をなびかせながら直ぐに清人に向き直る。


「あっ、ゆ……せ!清人くん!!」

「えっ?」

「あ!え……っと、ちょ、ちょっと、きて!!」


親しくもないのに思わず下の名前で呼んでしまった。そんな後悔の念が初子に押し寄せるも、そんなことに初子は構っていられなかった。やがて清人が初子の前まで戻ってきた。


「どうしたの?」

「えっと、十円だけ、お金足りないの」

「あ……!本当?!ご、ごめん!!」

「い、いいの、大丈夫!私こそ、こんなくだらないことで引き止めちゃってごめんなさい……」

「いや、くだらなくなんかないよ。払うものはきっちり払わなきゃね。はいこれ」


清人はポケットにあった十円を初子に差し出す。それを受け取ろうとして初子は手を伸ばしたが、清人の手の前で止めてしまう。


「……風早さん?」


初子は黙って、清人の手のひらをじっと見つめていた。

ここで受け取れば、また帰ってしまう。名残惜しくて、たまらなくて、でも、どうにもできない、のかな……。頭の中でそう考え、悩み、遂に初子は答えをだした。

両手で、手を取り、チャンスを掴む為に。


「え!?か、風早さん!!?」


清人の顔に赤みが零れる。


「……あと十分でお店閉めるから」

「え……?」

「その後……アイス、食べて」


まっすぐ。清人の目を見ながら真剣に、しかし泣き出しそうな顔で迫る初子の手は少しだけ震えていた。


「あ、アイス?アイスって、どこに……」

「私の手作り……私の、家で」

「それって」

「……」


それからはちょっとの時間、お互いに見つめ合うだけだったが、言葉はもはや交わされたようなものだった。




そんな二人の青春の一幕(ひとまく)を、屋台の目の前にあるオープンバーで与太川朗次(よたがわろうじ)はイライラしながら眺めていた。


「なんじゃあいつら、人の気も知らんでイチャイチャしよってムカつくのぉ。特にあん男。女に向かってベラベラベラベラつまらん話しよって。黙ってそば食えんのんか。クソ!ムカつくのぉ……」


やけにつっけんどんな態度をとる中途半端な広島弁のこの男は、この日の夕方にコンビニのバイトを「態度がなってないし、ミスをし過ぎ。絶対に許さない。顔も見たくない」といった理由を店長に告げられてクビになり、揚句に一日分(三十分)の給料を投げつけられてやけくそに酒を渇喰(かっく)らっている最中だった。

この男、今にも「スッゾコラー!」と、ヤクザスラングを使いそうな見かけにふさわしい性格と出で立ちをしており、更に唯一の趣味が人間観察で、ただ人を見るのではなく当人に聞こえない程度に文句を放ったり (ひが)んだりする、どうしようもないダメ人間なのである。加えて、父親のキャッシュカードを無闇に使い勘当(かんどう)され、仕方なく上京したフリーターという名のニートである。


「はぁ~ぁあほんっまイライラするのぉ!あの男!見せびらかしよって!そういうのは家でやれぇっつうんじゃクソガキよぉ!」


酔った勢いか、はたまたこれが普通なのか。朗次の口は速くそしてどんどん悪くなっていった。それと同時に与太川の額には怒りマークがどんどん増えていった。


「あの男『すみません、まだやってますか?』だなんて言いよってから何もわかっとらん。当たり前じゃろ電気ついとんのにやっとらん店があるか!『今日は冷えるね』なんて言われんでも冷えとることぐらい女の方がわかってるじゃろうが。『そば売れてる?』いちいち聞くなやすぐ忘れることをよぉ。女が『こんな時間になんで来たの?』と聞けば『散歩してる時にお腹がすいて偶然店を見つけた』だのうて。もっとマシな嘘つけぇや!はなっから狙ってたんじゃろぉが下心見え見えなんじゃ!『会えるとは思わなかった』じゃあ?口から出まかせ吐きよって!『なんだか顔が赤いな、風邪ひいてるのか?』女が自分の事好きって気付いとんじゃろ?気遣うふりしよって!小綺麗な看板にも目をかけよったな。そっちは気が付くクセにのぉ。縁起がええ?どこがじゃ!あたり屋なんて食いもん食うところでつけるもんじゃなかろぉが!女の叔父は狂っとるわ。他にも割り箸がどうじゃあ丼がいいじゃあ出汁が良い醤油じゃあチャーシューが美味いじゃあ調子のええことグダグダグダグダ喋りよって!黙って食うっつうのが出来んのか馬鹿がホンマに……」

散々言い散らかしてから朗次は周りを見ると、オープンバーの客の殆どが呆気にとられた表情で凝視していた。皆口々に「よく覚えているな……」「暇だったんだろうな」「男の子の方馬鹿にしすぎだろ」と小言を言っていた。


「人の事見ながら酒飲むなや!!」


朗次はダンダンバンバァン!と机をジョッキで叩いて当たり散らし、客は直ぐ別の方を向いた。


「ケッ!どいつもこいつも……それにしても野郎、あんだけ喋っとったけぇ食い逃げでもやろうとするんじゃねえんかと思ったが、ちゃんと払いよったのぉ。食い逃げでもしようもんなら女の叔父にボコボコにされとったろうの。だがちゃんと払いよった。チッ!面白くないのぉあの野郎……。」


そう言ってから、ふと、郎次はあることが気になった。


「しかしあいつ、勘定(かんじょう)を間違えんかったのぉ。ありゃ女の気を引こうっちゅう作戦じゃったってのは解るが、どうにも()()ちん」


清人がそうだと思ってやった事でもないのにそう決めつけてから、郎次はまた考え込んだ。


「……そういやこう言っとったのぉ。『散歩がてらだったから小銭ばっかりだ』こっからじゃ、ええと……『三百六十円だったね?ええと、まず百円玉二枚と、十円が……いち、に、さん、しい、ごお、ろく、なな、はち、あ、今何時かな?』『え?えっと、九時かな』『九時か。じゅう、十一、十二、十三、十四、十五、十六……よし』っと。おかしくはないの……いや待ちぃや、 おかしいのぉ。野郎、変なところで時間を聞きよった。なんでじゃ?んなもん払った後に聞きゃあええのに……。余計なことしくさりよったら、そりゃ勘定を間違うもんじゃが、そんなもんか?」


郎次はもやもやしながらも、今度は指を使って数え出した。


「ええと、『いくら?』『三百六十円』『十円が……いち、に、さん、しい、ごお、ろく、なな、はち、今何時?』『九時かな?』『じゅう、十一、十二、十三、十四、十五、十六』っと。んん?どういうことじゃ?……『いち、に、さん、しい、ごお、ろく、なな、はち、何時?』『九時』『じゅう、じゅ……』……!!」


郎次ははっと気づき、大いに感心した。清人は時間を聞いたときに、九と聞いたのでそこで自分が置いたと勘違いしていたのだ。


「時間を聞いたところで一つちょろまかしよったんか!はぁ~野郎もよぉ考えたもんじゃのぉ。それでわざと女の気を引いて店の外に出させて告白させるっちゅう訳か」


ここまで喋って、与太川はようやくジョッキに残ったビールを景気よくグイッと飲み干して、胸元で腕を組み謎を解いた解放感と自身の才能にうんうんと頷いていた。


朗次は清人にいつの間にか、侮蔑(ぶべつ)ではなく心から称賛を送った。女たらしな彼は一つ恋のテクニックを思いつく度にそれを女性に吹っかけているのだ。清人の一連の意図しない褒め言葉や勘定の間違いを、朗次はそれが全て恋に繋がるテクニックだと勘違いしてしまっているのだ。


そして、その技のターゲットとなる女性はもう目星をつけられていた。


「ラーメン屋とくれば話が早い。これを中通りのラーメン屋の雨停(あめどまり)ちゃんに使うしかないのぉ。前から気になっとったけぇの。有難く使わせてもらうけぇの?クソガキ」


(あご)に手を当ててくけけけっと気持ち悪く笑う郎次を遠巻きに見ていた客とオープンバーの店員は、呆れを通り越して恐怖を感じていた。




翌日。昨日は小銭を持っていなかったので、朗次は一応バイトで稼いだ金の五百円全部を引出しそこから小銭を用意して、昨晩より早い内に口に出したラーメン屋へと向かっていた。


初子が出していた屋台の近くには落語の寄席があり、その向かいにはそこそこ大きい中通りがある。その一角に、一際異彩を放つラーメン屋が一件建っている。店の前を沢山のパワーストーンで囲み、(なま)めかしい匂いを放つお香が不気味な雰囲気を漂わせ、店名の看板の横には「恋占いやってます」の張り紙。これだけあると最早ラーメン屋ではなくある種の占い屋ではないのかと感じてしまうが、れっきとしたラーメン屋らしい。


そんなあべこべラーメン屋の前にたどり着いた朗次は、昨晩「雨停(あめどまり)」と呼んだこの店の店主の顔を思い浮かべていた。


「この店の風貌は確かにあれじゃがのぉ、あの時窓から見えた雨停(あめどまり)ちゃんを見よったらそんなことどうでもええ。(つや)やかで白い肌、ぷっくりとした唇、整った鼻、鮮やかに光る二つのオッドアイ。後ろに縛った長い紫の髪、そして体のラインくっきりな服にエプロンつけて仕事なんて完全に誘っとるわ。へへへ……今すぐ行くで、待っちょれよぉ……」


傍から見ればこれでもかと言わんばかりの変態発言だったが、前しか見えていない朗次にとってはどうでもよかった。早くこのテクニックを使い雨停という女性を落としたくて落としたくてたまらないのだ。逸る気持ちを抑え、作りなれないポーカーフェイスで、遂に朗次は占いラーメン屋へ足を踏み入れた。

 

「よおラーメン屋!空いとるか?」


朗次はなるべく景気よく愛想を振りまいて入店し、厨房(ちゅうぼう)の見えるカウンターでつまらなさそうに膝をつく女性、雨停紫(あめどまりむらさき)へと声を向けた。紫は気怠そうに朗次を一瞥して、これまた気怠そうに口を開いた。


「もう店は開いているわよ。看板見逃したの?」

「お、おぉ。見た見た。確かにやっとるの、おう」

「……ラーメン食べに来たの?」

「おお!そうじゃそうじゃ!わしぁ腹が減っとんじゃ。醤油のラーメンを頼むわ」

「……解ったわ」


そう言うと、紫は体を伸ばしながら立ち上がった。その時、朗次は少し狼狽(うろた)えてしまった。朗次は紫が座っていてよく解らなかったが、紫はとにかく身長が高かった。朗次もそこそこ高い方ではあるが、身長差では僅差(きんさ)で負けていた。


こんなにでかいんか。と呆気にとられた朗次だが、紫の体を素早く(くま)なくチェックし、そのプロポーションに一層魅力を感じた。巨乳、と言えるほどの豊満(ほうまん)な胸に大きく誘惑している尻。そして若干ムチッとしながらもモデルのような身体つきは朗次でなくとも「完璧じゃあ!」と言わざるを得ない体だった。


「人の体を見ながらそんなセリフ、完全に変態ね」

「あ、口に出してしもうたか!こりゃ失礼」


にやにや笑いを浮かべる朗次に紫は呆れていた。


「とんだ客ね……」


そう呟いて、紫は厨房に入って行った。朗次は先程紫が座っていた席に座り、いよいよテクニックを披露(ひろう)する時が来た。


「うー……今日は一段っと冷えるのぉ!こりゃ早よぉラーメンが食いたいのぉ」

「今日は暖かい方よ」

「おお……おお、そうじゃ、あったかい。言えとるの。じゃが昨日は寒かったけぇ」

「そうみたいね。昨日来たお客さんがぼやいていたわ」

「で、どうじゃ?ラーメンは売れとんのか?」

「そりゃあ、おかげさまで。この不景気にあってもわたしの店はそこそこ繁盛してるわ。常連さんも増えてきてね、上手くいっているわ」

「そ、そうか。そいつはええ事じゃ。良かった、良かった……」


おかしい、テクニックが全く通用しないどころかあっさり返されている。と、朗次は心の中で焦りを感じていた。そして、ここで会話が途切れてしまった。その原因に朗次が気が付くのには意外と早かった。先日の初子の言葉である「こんな時間になんで来たの?」は店主側から投げかけられた言葉だったことに今更気が付いたのだ。何とか軌道修正を図らなければと、朗次は計画を早めることにした。


「い、いやぁー、まさかのぉ、散歩してる途中に偶然こんなええ店見つけるとはわしぁツイとるのぉ」

「ツイてる?」

「そうじゃ、こんな美味そうなそば屋に、アンタみたいな綺麗な人がおるんよ。これをツイとると言わずなんて言うんじゃ?」

「その割には、何度かわたしの店を覗いていたわね?与太川さん」


不意に自分の名前を呼ばれた与太川は二つの意味でドキッとしてしまった。頬に斜線(しゃせん)と赤みを作った郎次は狼狽える。


「何で知って……」

「親切に教えてくれたわ。一緒に見てた常連さんがね。貴方そこそこ有名みたいよ?悪い意味で」

「そうかい、いや、そりゃ一本取られたのぉ、はははは……いかんのぉ」


何かとテクニックが裏目に出てしまい、更に街に悪評をつけられていた事を知ってしまった朗次だが、ここで退くわけにはいかなかった。


「お、おおお!きれーな看板があるのぉ!綺麗な字で店の名前が描かれとるわ……。ええっとぉ……。は、はずれ屋?はずれ屋なんて言うんか?」

「そう、わたしのラーメン屋ははずれ屋。食べ物商売であたり屋なんてつけたら最悪でしょ?あ、占いの方はまた違うわよ」

「なるほど、言えとるのぉ。ああ……縁起は良さそうっちゃ良さそうじゃ。おお。そうじゃ、ラーメンはどんな具合じゃ?俺ぁ話してるうちに来るラーメンってのが好きなんじゃけど。……まだか?」

「ごめんなさいね、あなたが来る前、眠たくて(よだれ)入っちゃったから今予備の出汁を温めていたのよ」

「き、きたないのぉおい……いや、どうじゃろうの。案外……いや!ええ!いくらでも待つけぇ早くしよれ!」


そこからまた(しばら)く、沈黙が占拠してしまった。どうにも上手くいかないこの状況は、与太川の焦りをより強くしていった。


それから二十分位でラーメンは出来上がった。


「はい、お待たせ。はずれ屋の醤油ラーメンよ」


「よぉし来たでぇ……待っとったんで。おお、割り箸かぁ!やっぱ割り箸が一番じゃのぉ、どこん誰が使ったかもわからん箸なんて使うやつの気がしれんわ、特にあんたんとこの箸ぁ……ってこれ、割り箸じゃないのぉ。こりゃ、プラスチックじゃねえか。んまあ……そうよな、今じゃ割り箸だとコストがかさむけぇの。まあ、ええよ……使う使う。割る手間が省けたけぇ。お、そうそう!丼もよくなくっちゃのぉ。やっぱ中身もええが器もしっかりしとると見栄えが良くって食欲が増すけぇの。のぉ?あんたんとこのは、ええっと……なんか湿っとるが?ああ!欠けとんのか!そうかそうか、そりゃ手も出汁で湿るわな。なるほどのぉ。こんな丼を使うのはここら辺じゃそうそうないのぉ、おい……」


生憎(あいにく)と他のは洗いに出しちゃって、今それしかないの。我慢して頂戴(ちょうだい)

「あ、何時もの奴は別にあんの……それならしゃあないのぉ。おお。ま、こういうんは中身の問題じゃ。外がどんだけえじゃろうと中身が良けりゃ問題ないけぇの。そういうこっちゃ。ええと出汁は……」


朗次はラーメンの匂いを嗅ぎ、確信した。程よく香る出汁の匂い。他の匂いも多少はするが、これだけでも良いものだと朗次は確信できた。


「ああぁ……ええ匂いじゃ。ええ醤油を使っとるんかぁ。多少なんかが混ざっとるが、気になりゃせん。つうか、それもええ匂いの一つなんかものぉ。じゃ、頂くで」


そう言うと、何かに(すが)る思いで朗次は出汁を(すす)った。


ずずずず、ず……ずっ、ずず…………ずぞぞっ、ごふっ!


「んんぅ…………んぉ…っんふ……ふぉう……んっぐ」

ゴルゥン……。あまり聞こえの良くない喉を鳴らしながら、朗次は出汁を決死の思いで飲み込んだ。


「はぁーっ!!……すまん、お湯を、足してくれぇや。個性的な味がする……なんじゃろう、わしはインスタントのラーメンでゲテモンみたいな塩っ辛いスープを飲んだことはあるが、流石に、その……じゃの、あ、甘酸っぱい出汁は飲んだことはないで」


「はずれ屋のラーメン出汁は恋の味よ。初恋のキスの味、思い出したかしら?」


紫は得意げに話すが、朗次は苦い笑いを起こすしかなかった。


「へへ、ま、まあええ、これもまた味がある……のかもしれんけぇ……ええい!次じゃ、麺じゃ!ラーメンの麺ってのはやっぱ細くなくちゃのぉ。太いのは流石にキツいわ。ラーメンだってのにうどん食っとる気分になっちまうけんの。面構えはまあ、細いが……まあ、食ってみりゃわかるかの……」


半ば諦めたような事を言いながら、朗次は麺を口に入れた。


ずるるるっるる………ずるっ!ずっ!!ずっずっずっずずぅぅぅぅぅ~~~………ずるぅんっ!もっちゃもっちゃもっちゃ………。


最悪だった。最初は細い麺だったが、途中から波のように太さがどんどん変わり、最後にはうどんとさほど差がない程の大きさに成長していた。加えて触感がお湯でふやかしたようにベタベタな餅のようだった。結局朗次は全て飲み込むまでに一分は裕にかかった。


「……これ、ラーメンか?途中から波みたいに太さが変わって、最後にゃ完全にうどんじゃったぞ」

「はずれ屋ラーメンは恋の過程を表しているの。調子が良ければ悪い時もある。悪い時もあれば、良い時もある。そういうものよ。ま、ホントはあまり恋の秋が来ないのが良いんだけどね、それにかけて、恋というのは飽きずにやる事ってことが重要よ」


「う、うまいこと言うとんのぉ……まあ、そうかもしれんの。と、とりあえず麺が太いんは気にせんけぇ……あっ!おいおいおいおい!そういえば具が見つからんぞ!入れてないんか?ああ?」


郎次はそう言いながら麺を掻き分けてチャーシューを探すが、それらしいものは見当たらなかった。


「入れたわよ?」

「つったって入っとらんがぁ……これじゃああれが使えん……」


小声でそう漏らしながら掻き分けると、丼の底にへばりつくチャーシューのような何かを見つけた。


「あ、あった!丼の底に引っ付いとった。こ、こりゃぁ……うっすいのぉ!模様かと思ったで。これ、はぁ……逆にすごいのぉ。こがんに薄く切れるなんてのぉ……」

「自慢じゃないけど、最近はラーメン界の石川五エ衛門って言われているわ」

「そ、そうなのか」

「大泥棒もびっくり」

「そうかい、そりゃ良かったの。じゃ、頂くで。せめてこいつくらいはのぉ……」


最後の辺りは小声で言い放ち、朗次は模様っぽいチャーシューを口に放り込んだ。結果は直ぐに解った。


「こりゃ……じゃけんのぉ……口ん中で一瞬で溶けよったわ。儚かったのぉ。これが恋の儚さってやつかいのぉ。くそぉ、涙が出てきよったわ。実はわし病人で、チャーシュー止められとるんよ……こりゃ、ハムがお似合いじゃのぉ……」


「気に入っていただけたかしら?」

「おお、おお。気に入ったで。良かった、大いにの。じゃがのぉ、すまん。ここに来る前に少し食ってきたんよ。不味い恋のラーメンをのぉ……ここ、口直しなんよ……もう、ええよ」


朗次はコトン、と、淡い恋の味がするラーメンを紫の傍に返した、すると紫は少し困った顔をした。


「あら、そう。……全部食べてくれないのね。私、悲しいわ」

「やめてくれぇや!のぉ、頼むわぁ……いくらなん?」

「しょうがないわね、三百六十円よ」

「三百六十円か……よぉし、待っとれやぁ」


朗次は不気味な笑いを顔中に浮かべた。朗次は紫を口説きに来た訳だが、最早ここまで来ると不味いものを食わされた仕返しに近い行動だった。


「よっしゃ!行くで、銭が細かいけぇの。あんたの手に置くから手ぇ出しぃや!」

「やけに気合が入っているわね。はい」


紫が差し出した手はとても美しく、触り心地も良さそうだったが、今の朗次にはそんな事どうでもよかった。一刻も早くちょろまかしてやって、紫を出し抜きたかった。


「よし、まず百円じゃ。二枚……ええか?行くで!うおおおおおおおおおおお!」


気合いをいれた郎次は雄叫びとともに十円を紫の手の平に乗せていく!勢いはあるものの、優しくソフトに十円を置くその技は見事なものだった!


「いち!にい!さん!しい!ごお!ろくぅ!ななぁ!はちい!おい!今何時だ?」

「えーっと、四時よ」

「ごお!ろく!なな!はちぃ!きゅう!……」




完敗の味も、不味すぎる恋の味も二度も味わった朗次の手元には何もなかった。結局、勘定を払いすぎてしまい、手元には十円しか残っていなかった。


「ウソじゃろ……」


途方に暮れて、夕日を見上げながら歩く中通りは寂しく夜風を流していた。


そこへ、朗次に駆け寄る影が一つ。正体は日傘を差した紫だった。


「待って!与太川さん!」

「あ?なんじゃぁ……勘定は払っとるじゃろ?もうええけぇ……」

「確かに、払いすぎていたのもあるわ。ごめんなさい、必死に払っている貴方がなんだか面白くってつい……って、そんなことはどうでもいいの!ちょっと手を見せて!」


そう言うと、紫は強引に朗次の右手を取り、まじまじと凝視する。何がなんだかわからない上にちょっと手が胸にあたっている事で朗次はまた狼狽えてしまった。


「なななっ、なんじゃあ?!」

「や、やっぱり……この手相は凄いわ。貴方、私の運命の人よ!恋愛の相が私と同じ形なのよ!!」


紫は自分の右手と朗次の右手を突き付けて朗次に見せつけるが、朗次は手相など解るはずもなかった。


「えええ?!ちょっと、ちょっとまとぉや!いきなり話が早すぎんか!?そりゃ大歓迎じゃが……」

「本当?!それじゃあ今から私の店に来て!もっといろんな恋の味を揃えているから!きっと気に入るわよ?」

「んな?!あんなのみたいなんがまだあるんか!勘弁してくれぇや、頼む!」

「嫌よ。ついでにその性格も直してあげるわ。そして、この街一番の愛し合う夫婦に私達はなるのよ。いい?」

「遠慮は……できんか?」

「ダーメ♡」


んなあああああああああああああああああああああああああああああああ………。


今夜聞こえるのは、寄席の傍にある屋台から聞こえるかわいらしい声ではなく、石焼き芋の呼び込みでもなく、街全体にこだまする一人の不幸な与太郎(よたろう)の声だけだった……。


はじめまして、こんにちは。トラップぱすたです!

 突然ですが、落語は好きですか?僕は大好きです。特にお話が好きで、これを書くきっかけにもなった程です。今回題材としました「時そば」も、馬鹿な男がどうにかお金をちょろまかそうとしてる場面が好きで、どうにか知らない人に知ってもらいたいなぁ……と思っていました。

 もちろん落語を見てもらうってのが一番早いのは百も承知ですが、今の若い人って自分から伝統芸能に興味を示すことが少ないと感じます。(興味のある人には大変失礼ですね……ごめんなさい)そこで目についたのが、ライトノベルだったわけです。

 落語をまるごとライトノベルにする!そんで若い人に読んでもらって落語を好きになるとっかかりにしよう!っていうのが今回の狙いです。

 落語を知らない人がこれを読んで、少しでも落語に興味を持って頂ければ本当に幸いです。そして、これを書くうえで様々な批評をくださった最早担当ポジションのゼミ先生とゼミの皆様、関係者の方々に大いに感謝しています。本当にありがとうございます。

ちょうど良く収まったところで、本日はこのへんで筆を置かせていただきm


 雨停(以下:紫)「ちょっと!話が違うわよ!!私が作者の趣味全開な設定していることを話したいとか某ドラまた系ヒロインが活躍するラノベのあとがきみたいにはっちゃけたいとか言ってたじゃない!」

 トラップぱすた(以下:ト)「チッ、バレたか……このまま恥かかずに終わろうと思ってたのに。仕方ない、恥はよろこんでかくし後悔はないから書いてやる!」

 紫「そう言いながらこれ書いてる貴方の顔真っ赤ね」

 ト「そりゃそうでしょ。これ友人とか知り合いに見られるんだぞ?恥ずかしいに決まってるって」

 紫「じゃあ書かなきゃいいのに……それはそうと、もうあとがきのスペースも残り少ないわよ?」

 ト「ええ、解っていますとも。といったところで、本当に終わりにさせていただきます。本日は読んで頂き誠にありがとうございます。ご意見やご感想等ございましたら是非ともお聞かせください。お待ちしております。それではまたお会いしましょう!サヨナラ!」

 紫「面白いこと一つも言えないの?そんn「そばああああぁぁぁぁぁぁ~!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 大好きな時そばが落語からラノベになっていてとても面白かった。 [一言] 次は「初天神」をお願いします!
2015/10/06 13:56 退会済み
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