死霊術師の宿敵-3
「そこ!」
みやびの声が響いた瞬間、曲がり角から飛び出してきた男が須田に向かって突進した。須田は落ち着いて突進をかわすと同時にその片手をひねりあげ、さらに足を払って男をその場に抑え込んだ。
「さっすがおじさん」
みきは感心したように言って須田に駆け寄り、みやびはしゃがんで男の顔をよく確認する。その男は一見したところ普通の中年の男だったが、みやびは顔をしかめる。
「こいつ、死臭がひどすぎる」
「そういう気はしないが、こいつが使徒で間違いないのか?」
「まあこの臭いは素人にはわからないかもしれないけど、間違いなし。しかしまあ、死人をここまで動かすとは驚いた」
「こいつが死人か」
須田はまだもがいている男を押さえながらつぶやく。みきはその横にしゃがむと男の顔をのぞきこんだ。
「このおじさんがもう死んでるなんて、全然思えない。顔色はいいし、今でも元気いっぱいに見えるよ」
「はっはっは!」
そこでいきなり男が大声を上げて笑いだし、みきは驚いて後ろに下がりながら立ち上がった。男はそっちに顔だけ向けてにやりと笑う。
「よくわかったな」
続けて発せられた声は奇妙に若い響きが感じられるものだった。それを聞いたみやびは心底嫌そうな表情を浮かべる。
「白神、まさかあんたとまたこうして話すとは思わなかったよ」
「俺もこんなに早く貴様と顔を合わせるとは思わなかった。背中の上にいるクソ探偵ともな」
「状況はわかってるらしいな。それなら、自分が身動きできないこともわかるだろう」
「くくく、死体を押さえつけてるだけで何を調子に乗っている? 俺はこいつを通して話しているだけだぞ」
「ああ、あんたの言う通り」
そこでみやびが口をはさみ、正面から男の視線を受け止めた。
「本当に残念だけど、確かに今ここであんたをどうこうすることはできない。だけどさあ、この死体があるんだから、ある程度の情報は引き出せるのくらいわかんでしょ」
「そいつはどうかな?」
男の口が動くと、その体から煙が立ち上り始める。須田はすぐに手応えがなくなっていくのを感じた。
「これは、縮んでるのか?」
その言葉通り、煙の量が増えていき、男の体は徐々に小さくなっていく。
「ちっ! 離れて!」
みやびが声を上げ、須田はすぐにそれに反応して男の背中から離れた。みやびも立ち上がると、片眼鏡に指をあてて調整し、それを光らせる。
「支えて!」
みやびの体が揺らいだが、すぐにみきがそれを支えた。その頃には男の体は服ごと跡形もなく消え去っていて、その場に残ったのはぐったりしたみやびを含んだ三人だけだった。
「こんな芸当までやるなんてな」
「ほんとにびっくり、でもお姉ちゃんが追ったみたいだし、しばらく待ってようよ」
須田は意識を失っている様子のみやびを見ると、ため息をついて手袋を外した。
「そうするしかないか。こういう仕事は俺にはわからない」
その頃、みやびの意識は体から離れ、どことも知れない暗闇の中で白神の痕跡をたどっていた。
「さて、どこに案内してくれるのかね」
しかし、白神の意識の痕跡はすでに消え始めていて、気づかれない距離と速度ではすぐに追うのが難しくなってきた。
「あいつ、かなり腕を上げてる。こりゃとんでもないな」
次の瞬間、みやびは上からのプレッシャーを感じて動きを止めた。その目の前を何か白いものが鋭く横切ると、それはみやびの前方で動きを止め、人の形をとった。それは形だけで何の個性もなかったが、言葉を発すると白神の声だった。
「ここまで追ってきて、今のもかわすのか。大した力を手に入れたもんだな」
「あんたもね。死んでたくせに成長したもんじゃないの」
「はっ! 俺はおとなしい死人じゃなかったもんでなあ!」
「それそろおとなしく死んでてもいいんじゃないの!」
みやびと白神の間の空間が歪み、弾ける。
「ちっ」
みやびは舌打ちをして後方に下がったが、白神はそれを追わず、逃げることもしなかった。
「いいなあ! 現世にいる死霊術師風情がここまでやるってのは嬉しい誤算だ! 褒美に一ついいことを教えておいてやろう。お前達はどうせあの死体を俺の使徒だと思っていたんだろうが、あれは違う。俺の使徒は他にいる」
「ご親切に情報をどうも。それなのになんで今回はあんたが死体を動かしてたのかね」
「特等席でお前達の間抜け面を見ておこうと思ったんだよ! まったく、ただの死体に必死になってるのには笑えたぜ。はぁーはっはっは!」
白神のわざとらしい高笑いが響くが、みやびはそれを無表情で見つめる。それからおもむろに手を動かすと、自分の背後に出口を開けた。
「ここであんたとこれ以上つきあってもしょうがないし、戻らせてもらうから」
「そうか、また会おう。こんどは生身でな」
白神の姿は歪んでから消え、みやびも自分の体に戻っていった。
「お姉ちゃん!」
みやびが目を開けると、目の前には心配そうな表情のみきの顔があった。みやびはその顔に手を伸ばして軽く撫でる。
「余裕だって。よっと」
みやびはみきの腕の中から立ち上がり、須田の顔を見た。
「白神とちょっと話をしてきた。どうも使徒は別に用意してるらしくてね、今回はまあ、はずれってこと」
「これから本番がくるわけか」
「そゆこと。まあ今回は警察が解決できるレベルで我慢するしかないね」
「なーんだ、これから大活躍しようと思ってたのに」
みきは軽く左右の突きを繰り出してから軽く構えをとってみせる。
「その時は期待しておくけど、あんまり無茶はしないでね」
そう言ってからみやびは片眼鏡を外し、ジャケットのポケットに突っ込んだ。
「それじゃ、帰ろうか。須田、あんたはどうする?」
「石村と会ってくる。今回の件を見届けておきたいからな」
「ああ、そっちはよろしく」
須田はうなずいてから背を向けて歩き出した。
「あ! あたしはおじさんと一緒に行く」
みきはそう言うと須田の腕をつかんだ。須田は立ち止まると、問うような視線をみやびに向ける。
「いいけど、遅くならないようにね」
「はーい。行こ、おじさん」
意思を無視された須田は特にため息などはつかずに、みきの好きにさせたまま反対の手を上げて歩いて行った。一人残されたみやびは、男が消えた場所を一瞥してから反対方向に歩き出した。
三日後の夜、みやびの事務所には須田が訪れていた。みやびはソファーに座ったまま、顔だけ向ける。
「解決したの?」
「ああ、実行犯の男は今朝逮捕されたらしい。凶器はすでに押さえて、目撃証言も集まってるそうだ」
「ふうん」
「興味がなさそうだな」
須田が向かいのソファーに腰かけると、みやびは天井を見上げる。
「まあね、もう白神は取り逃がしたんだから、あたしには関係ない」
「それでも事件解決に協力したんだから、報酬と信頼が手に入る」
「信頼なんてすぐには役に立たないだろうけど」
「そのうち役に立つ時もあるだろう。それよりも、そっちに動きはあったのか?」
その問いにみやびは黙って首を横に振った。須田は軽く息を吐き出して立ち上がる。
「そうか、遅くに悪かったな。白神の件だったらいつでも連絡してくれ」
「おや、サービスのいいことで、なら遠慮なくそうさせてもらうから。覚悟しといて」
「覚悟しておく。だが、お前の妹の相手は姪に任せたほうが良さそうだな」
「ああ、真純ちゃんなら安心だ。あんたにしては随分サービスがいいねえ、いつもこうなら助かるんだけど」
「俺はお前と頻繁には会いたくはないんだがな。正直言ってそっちの世界にはあまり関わりたくはない」
須田の答えにみやびは大きくため息をついた。
「ったく、あんたはいつもそれだ。少しは他人の仕事にもう少し尊敬をはらったらどうなのかね」
「十分そうしてる。それじゃあ、気をつけろよ」
須田は軽く手を上げてから外に出て行った。
「そっちもね」
みやびはその背中に声をかけ、しばらくの間はソファーに座っていたが、おもむろに立ち上がるとジャケットを羽織ってから自分も外に出た。
そして自宅への道が半ばとなった頃、みやびは妙な気配を感じて立ち止まった。
「やれやれ、言ってるそばからくるもんかね」
みやびは右後方の路地に目を向けると、そこから全身をローブに包んだ人物が姿を現す。
「お前が死霊術師か」
男とも女ともつかない声が発せられ、同時にみやびは言いようのない圧力を感じた。
「そう言うあんたは白神の使徒かね、まーたずいぶんと変わった格好じゃないか。そんなんじゃ色々やっかいな事態に巻き込まれるよ」
「他人のことより自分のことを心配すべきだろう。所詮お前の力は白神様に遠く及ばないのだからな」
「そいつはどうかな? 力っていうのはそれほど単純なものじゃない」
「何を言っているか理解できない。どんな手段を使ったところでお前に勝ち目があるはずがない」
みやびはそれには答えず、突然一歩下がった。次の瞬間、今まで足があった場所から腕が飛び出してきた。みやびはそれを蹴っ飛ばし、地中に逆戻りさせる。
「怖い怖い、これが勝ち目がないってやつかい?」
「この程度で調子に乗るな。だが、自信に根拠がないわけではないらしい。これなら少しは楽しめそうだ」
それだけ言うとローブの人物は闇に溶け込んで消えた。みやびはしばらくそこを見つめていたが、そこから地面の穴に目を移し、頭をかいた。
「面倒くさそうな奴だな」
そしてそれ以上何かを気にすることはなく、自宅に向かって歩き出した。その途中、電話が鳴る。
「はいはい、頼んでた件に進展があったわけ?」
「ふむ、その様子だとそちらですでに何か動きがあったのかね?」
「まあね。白神と接触したし、新しく見つけたっていう使徒らしいのともさっき会った」
「それは災難であったな。こちらでも白神らしき動きは確認できたのだが、遅かったか。それで、君の印象は?」
みやびは少し間をおいてから返答する。
「面倒くさそうだった。あの連中をこれから相手にすると思うと憂鬱」
「応援を検討すべきだろうか」
「あー、とりあえずはいいや。でも、ちょっとそっちから何人か呼び出すかもしれない」
「それほどか。わかった、危なくなったら遠慮せずに呼ぶのだぞ」
「ま、それじゃまた」
みやびが電話を切ると、すでに自宅のマンションの前に到着していた。
「ああ、おかず買ってくるの忘れた」