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黒ノ鉱山師  作者: 濱野 十子
森の中に躍る
2/4

 すれ違いざま、砂金が詰められた小袋を向けられた手のひらに落とす。にわかに粗くなる鼻息は、すました顔とは不釣り合いで、実に面白い。

「……顔を合わせるだけだで、連れ出そうなんて、変な気はおこさんでおくれよ」

 ぼそっと言い残す牢番に、徳良晏火(とくらあんか)は「分かっている」と頷き返し、先を歩く二人の男の後を追いかけた。 

「善助よ、官兵衛様は生きていらっしゃるじゃろうか?」

 普段は頭に来るほど陽気で小憎らしい母里太兵衛信(ぼりたへえとものぶ)は、辺りに漂う死臭に、すっかり怯えてしまっていた。

 先導して歩く栗山善助利安(くりやまぜんすけとしやす)を見つめる厳つい顔は、老人のようにくしゃくしゃで、しがみつくように槍を握る手の甲には、血管が太く浮き出している。

「安心せぇよ、太兵衛。攻め手の様子をうかがっては、官兵衛様に幾度もお会いしておるんじゃぞ! しっかりと、生きておられる。無事とはいえまいが、生きておられる。上々じゃ!」

「善助殿、人払いはしてあるとはいえ、敵陣の中でございましょう。今少し、落ち着かれよ」

 戦場の熱に()てられたのか、冷静であると評価の高い利安の顔は、口調こそいつも通りだが、肌の色はらしくないほどに気色ばんでいた。

 あからさまに緊張を隠せないでいる二人の若者に、晏火は気取られないように肩を竦めた。

 脳裏をよぎる一人の少年の姿が、今更のように重なって見えた。生きていれば、こいつらほどの年齢だろうか。

 今なお引きずっているらしい己を内心で笑い、晏火は顔を引き締めた。

 利安は晏火の注意に「わかっておる」と顔を顰め、口を真一文字に引き結んで足を速めた。

 余所者に言われるまでもない、といったところだろう。

 街を抱き込む総構えの広大な有岡城を攻めているのは、織田方きっての精鋭の面々だ。

 晏火の主でもある秀吉も、中国攻めの指揮を弟の秀長に任せ、有岡城攻めの陣に加わっている。

 目を掛けていた重臣の荒木摂津守村重に裏切られた信長の怨恨を背負っているとあってか、敵方も味方も、必要以上に気が高ぶっているように思えた。

「嫌味な性格をしているくせに、官兵衛殿は、良い家臣をお持ちだ」

 敵地に乗り込んだまま戻らぬ官兵衛の生存を信じる者は、小寺家の身内しかいなかった。生死よりもむしろ、村重側に寝返ったのではないかと詰る者のほうが多いくらいだ。

(筑前守様でさえ、官兵衛殿はすでに摂津守殿に殺されていると見ておられた。結局のところ、すべてを見通すことができたのは、半兵衛殿だけだったということか)

信長を騙してまで、官兵衛の一人息子である松寿丸を竹中半兵衛重治が庇っていなければ、事態はもっと、ややこしいことになっていたに違いない。義に厚い官兵衛とて、息子を殺されれば黙っておれないだろう。

(官兵衛殿が秘める慧眼を捨てるのは惜しい。多忙を極める筑前守様には、半兵衛様が亡き後も良き目が必要だ)

 神がかった才気をふるっていても、半兵衛もまた人の子であった。

 痩身をむしばむ病に喰われつづけた命の灯火は儚く、弱れども強くならぬまま、今も消えようとしている。

(官兵衛殿が、半兵衛様の見立ての通りであってくれれば良いのだがね)

 息子が存命であることは、官兵衛と幾度となく連絡を取り合っていた利安を通して、すでに伝えられている。

(強固な有岡城に、半兵衛様に継ぐ策士である官兵衛殿の知恵がもたらされては、いくら最強の将を揃えたところで、手こずるのは必至。危ういところであったな)

 あり得ないとは思っても、もし、官兵衛が村重に傾いていたらと考えれば、ぞっとしない。

 最悪の事態が免れたのも、利安たちの忠義心のおかげだろう。

 牢番を賄賂で懐柔し、外界の状況を官兵衛に逐一報告していたからこそ、正しい判断に導くことができたのだった。

(とはいえ、現状を思えば、小競り合いに時間を掛けている場合ではない。急がねば、苦労して育てたものがすべて泡となりますぞ)

 三木城の包囲は、着実に完成しつつあった。

 有馬温泉へと続く湯の山街道は、すでに羽柴のものとなり、ここ、有岡城を落としてしまえば、別所方の生命線の大部分を封じたも同然だ。

 三木城は、近いうちに落ちる。誰もが感じているところだった。

 だからこそ、急がねばならない。

 背中を強く押す風に空を仰ぎ見れば、飛ぶ鳥を追い越す勢いで、大きな雲が流れてゆくのが見えた。

「いかんな。胸騒ぎがする」

 ふと突いて出た言葉に、友信が訝しげに振り返った。官兵衛の不慮の死を示唆していると思われたか、唾を飛ばされる。

「失敬失敬、こちらの独り言よ。お気になされるな」

 痰混じりの唾を難なく避けると、友信は先ほどまで真っ青にしていた顔を一気に赤らめた。

「貴様! 馬鹿にしおってからに!」と声を荒げて槍を構える友信に、利安が「馬鹿は、お前じゃ!」と、拳を脳天に叩き付けて叱りとばした。

「馬鹿とはなんじゃ、善助よ!」

 官兵衛の計らいにより、義兄弟の間柄となった友信と利安は、正反対の性格をしているからこそ、見事に釣り合っているようだ。

 二人を見ていると、官兵衛の先見の力の一端を目にしている気分になる。

 ちぐはぐな若者のやりとりは至極おかしく、戦場でなければ、声を出して笑っていたところだ。

「太兵衛よ、儂らは遊びに来たわけじゃなかろう? 我らが殿をお救いするためにやってきたのだ、そうだろうて! ほれ、着いたぞ!」

 利安の案内で辿り着いたのは、鬱蒼とした竹藪と、遠目からでも深いと知れる、池に囲まれた土牢だった。

「よくもまあ、こんなところに! さぞ、お苦しかったことじゃろうて」

 友信が声を泣かせるのも、無理からぬことだった。

 泥のように濁った池のせいか、肺に入る空気は悪臭さえ覚えるほどに酷いものだった。

 水草は生い茂るままに放置され、朽ちた葉から滲み出す汁によって、水面には油のような膜さえ張っている。

 初夏であっても、周囲はしっとりと生ぬるいように感じるのだから、これから来るだろう本格的な夏場の湿気を思うと、さすがの晏火も表情を曇らせた。

(まさに、生き地獄よ。摂津守様は、情けをかけたおつもりであろうがなぁ)

 生きているのは、利安の話で聞いてはいた。

 が、状況を見るからに、五体満足であるとは、とても思えない状況だ。むしろ、まだ生きているのさえ奇跡に思う。

「あまり時間をかけていると、牢番に怪しまれましょう。お急ぎを、善助殿」

「分かっておる! 余所者は黙って、立っておればよい」

 友信は晏火の手を振り払い、小走りになって利安を追いかけていった。

 池の側に立つと、環境の悪さが際立って感じられる。利安はこの池を泳ぎ、壁越しに官兵衛とやりとりしていたというのだから、驚嘆する。

 放置されたまま、伸び放題になっている竹藪。土牢に刺す光はわずかで、汗が滲み出してきそうなほどの蒼天であるのに、土蔵だけがひっそりとした宵闇の中にあるようだった。

(官兵衛殿、貴方を生かしているのは、執念か? それとも、すでに生ける屍となり、何も感じなくなってしまっているからか?)

 腐った空気に混じって漂う気配に、晏火はどことなく懐かしさを感じていた。

 死に瀕した、これは故郷の臭いとよく似ている。 

「殿、お助けに参りましたぞ!」

 利安と友信が、勢いよく土牢の格子へとしがみついた。べとつくような湿気に晒されている金具が、キシキシと悲鳴を上げる。

 声は聞こえてこないが、わずかな身じろぎが竹の葉音に混じる。

 ずるずると、重いものを引きずる音が近づき、薄暗い格子の向こうから、幽鬼のような顔が覗いた。

 短くない幽閉によりいくらか造作が変わっているものの、小寺官兵衛考高に間違いない。

「善助に、太兵衛。まさか、晏火もおるとはな」

「官兵衛殿のお顔を拝見するだけであるのに、いささか高い買い物だった」

 晏火の軽口に、「悪いことをしたなぁ」と、官兵衛はただれた皮膚を引きつらせて笑った。影になってよく見えないが、何かしらの皮膚病を患っているようだ。

「官兵衛様! お会いしとうござった!」と、二人の忠臣は歓喜の声を上げた。

 いまにも格子を壊してしまいそうな勢いに、官兵衛はかすれた声で「少し、離れよ」と苦言を返す。

「このような貧相な鍵、すぐにでも壊してみせましょうぞ!」

「殿、早う出してあげまする!」

 互いに縺れ合いながらすがりつく友信と利安に、官兵衛は伸びっぱなしの髪を振り「ならぬ」と一蹴した。

「攻め手の鉄砲の音が、いまだ遠い。お前たちも知っておるだろう? 有岡城は、広大な城ぞ。足がまともに動かぬ病人を担ぎ、誰にも見つからずに易々とは逃げられん。すぐに見つかって、殺されるであろう」

 死の淵に立っているのにもかかわらず、官兵衛は平静そのものだった。

(まったくもって、たいしたものだ。まだ、生きることを諦めてはいない)

 時を読み、最善の行動を探る。

 暗い穴蔵に押し込まれていても、半兵衛が認めた慧眼は衰えていないようだ。

 官兵衛は油断ならない男だが、嫌いではない。むしろ、面白いとさえ思える人物だった。

 言ってしまえば、常人には理解されにくい偏屈なところを気に入っている。

「今はまだ無理だが、必ず……必ずだ、晏火。私は筑前守様の元に参る。半兵衛殿の情けを無駄にはせん」 

 落ち窪んだ眼窩に嵌る官兵衛の両眼は、熱く、播磨を駆け回っていたときに見え隠れしていた光がぎらついていた。


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