第一部第三幕【イエロースカーフ討伐戦・第二段】
〜 OL三国志演義 第一部【イエロースカーフの乱】 第三幕 【イエロースカーフ討伐戦・第二段】
お茶場での休憩を終え、玄田徳子は職場に戻った。昼過ぎから夕方にかけて、コンピューターの入力システムの関係で、業者がプレゼンテーションに来る予定だ。これに公文課長※1と一緒に立ち会わなければならない。
「業者に実務担当者の意見を伝える」という役割なのだが、公文課長は何かと自分を仕事に絡ませる。経験を積ませてもらえるのはありがたいが、仕事はあくまでも結婚までのつなぎと考えている腰掛けOL玄田徳子にとっては、公文課長の親心はかえって迷惑だった。バブルの頃ならいざ知らず、今や働く女性など流行らない。
※1 公文孫一。営業二部食品課の課長。玄田徳子の上司。
玄田徳子が席につくと、公文課長が話し掛けてきた。プレゼンの件だろうか、、、
「なあ、玄田さん、清原は、FAして今年から巨人やろ?」
「え、キヨハラ?FA?」
「西武の清原やん。FA宣言したん知らんか?」
どうやら公文課長は、昼休みに喫茶店かどこかでスポーツ新聞に目を通したようだ。スポーツに関心のない玄田徳子でも清原くらいは知っている。
「あ、清原ですか!知ってますよぉ。あ、でも、FAって?」
「知らんか?野球選手が所属している球団から独立して、個人として他の球団と交渉するんや。」
「ふ〜ん。」
「やっぱり、凄いよな!そのお、実力ある選手にしか出来へんのとちゃう、そういう組織とかに頼らず個人で交渉するっていうのは!」
公文課長は、彼がスポーツ新聞から得た知識の最大限を披露しているようだ。
「へえ〜、なんかカッコいいですね〜。実力の世界かあ。」
「お、関心ある?野球好き?」
「好きっていうか、、スポーツって観てもやっても、面白いじゃないですかぁ!」
玄田徳子は会話の円滑さのためには、少しばかりの嘘は厭わないOLである。運動神経の乏しい玄田徳子は、そもそもスポーツには全く興味がなく、スポーツと言えば、学生時代にサークル活動でテニスをかじった程度である。
因みにこのサークルは、テニス以外にもスキーやドライブ、バーベキューを嗜むという、実のところスポーツなぞ目的としていない野合であった。言ってしまえば、玄田徳子にとっては、カレ探しの集いであり、暇つぶしの安全弁であった。
スポーツ観戦といえば、せいぜいデートで何回か甲子園に行ったことがあるくらい。あ、そういえば、jリーグがブームの頃、顔にペイントをして観戦してしまったという気恥ずかしい思い出があった、、、
「それやったら、また野球でも観に行かへん?玄田さんの同期の子らに声かけておいてよ!」
おやおや、さっそく公文課長が食いついてきた。否、もともとそういう意図を持って、話し掛けてきたのか。要するに、FAはその前フリ?清原がかわいそうだ。いや、全然かわいそうじゃない。だって、高校球児だった頃の清原は自分と同世代であるにもかかわらず、坊主刈りした現場のオッサンにしか見えなかった。あの頃から清原は生理的に受け付けない、、、
「はい!じゃ同期の娘に声かけてみますね。」
まあ、適当に返事しとこ。暇な日があったら連れて行ってもらえばええし。そう思って、玄田徳子は愛想よく笑顔で応えた。
「それにしても、やっぱりスポーツは実力の世界やなあ!俺らサラリーマンもFAする時代が来るかもな。」
公文課長が、珍しく引き締まった表情をしているのは、「実力の世界」という自分の言葉に軽く酔っているからだろう。玄田徳子にはそれだけでも滑稽だったのに、さらに笑えたのは、発言と表情にまるで似つかわしくない公文課長のコミカルなネクタイだった。
「あ、、、課長、、、ネクタイ、、」
噴出しそうになったのを堪えながら玄田徳子がネクタイに水を向けると、公文課長は嬉しそうに、誇らしそうな顔をして言った。
「あれ、気づいちゃった?オシャレなネクタイやろ〜ウフフ。」
黄色地に子犬のイラストが散りばめられたネクタイ。これが曲がりなりにもアパレルで働く社員のものかと疑いたくなる最悪のセンス、、、えッ!黄色!!
「これなあ、、、派遣のコからのプレゼントやねん。俺の誕生日の。嫁さんにはナイショやで。エヘへ。でも、何で彼女ら俺の誕生日知ってるンかなあ!」
何で私がわざわざ課長の奥さんにそんなつまらん告げ口すんねん。というか、「嫁さんにはナイショ」はある種、オッサンらの慣用句か。いや、今はそんなことはどうでもいい。何故、派遣社員のイエロースカーフが公文課長と?
「この間、ちょっと派遣のコらと飲みに行ったんやけどね。その日が俺の誕生日の三日前やったのよ。ちょっと早いですけど、って、プレゼントしてくれたんや。エヘへ。」
公文課長は、嬉しそうに派遣の子との宴席のエピソードを披露しはじめたが、もう玄田徳子の耳には届いていない。
若手の中条と公文課長が揃って黄色いネクタイ。にわかに不安になった玄田徳子は席から立ち上がって、両手で双眼鏡を作り、注意深くフロアを見渡した。すると、黄色いネクタイをした男子社員がなんと大半を占めているではないか。玄田徳子は何かの間違いではないかと目をこすり、もう一度フロアを見渡した。すると今度は営業部の全男子が黄色いネクタイをしているではないか!
玄田徳子は目を閉じて首を振り、冷静になろうと努めた。が、まぶたの奥では、母親、元カレ、ビトンのバック、マクドのクーポン券、沖田浩之のポスター、そして星条旗。世界の全てが黄色に変色していく、、、そんな妄想が浮かんでは消える、、、玄田徳子は混乱していた。
「・・・でね、俺、言ってやったのよ。ね、こんなオジさんと飲んでないで、早くカレシを、、、ど、どうしたん?玄田さん??」
己の宴席自慢をぶっていた公文課長が、ようやく玄田徳子の様子がおかしいことに気づいた。
「あ、大丈夫です、、、ちょっと、お手洗いに、、、」
玄田徳子は立ち上がり、置き傘を杖にしてヨロヨロと歩き出した。お手洗いで顔を洗おう、、、さっき見たのは幻だ、、、ようやくトイレにたどり着いた玄田徳子は、トイレ入口の洗面台の前で話し込む四人のOLの姿を見た。
そのうち三人は、イエロースカーフとおぼしき面々。もう一人のOLは、ダナキャランのスーツにハイヒール。爪は真っ赤に塗られていて一部の隙もない。髪型はショートのワンレンボブで、鋭利な刃物を思わせる。小柄ながらも迫力のあるそのOLは、全身から理知的という言葉が染み出しているようにも見える。
勝気そうな目元の三白眼は、まつげが濃く、表情は微笑んでいるがその目は決して笑っておらず、三人のイエロースカーフにかわるがわる鋭い眼光を差し向けている。あんなコ、ウチの会社にいたのかなあ、、、
「今、イエロースカーフと話込んでいる彼女は、三十歳の若さで人事部の新しいプロジェクトのリーダーに抜擢された逸材です。」
突然背後から響いた声に驚いて玄田徳子が振り返ると、聞き慣れたその声の主は、関長子だった。
「この三月までは香港の支社にいたそうですよ。語学も堪能だとか。」
「ふうん、、、名前は?」
「みさお、たけみ。操猛美です。」
「操猛美。みさお、たけこ、か、、、」
玄田徳子は一見しただけで圧倒的な印象を残した、そのOLの名前を反芻した。初対面ながらも長い付き合いになりそうな、そんな気がした。
再び操猛美らに目を向けると、彼女は、三人のイエロースカーフ一人一人と握手をしていた。どうやら女たちの談合が成立したらしい。
(次回につづく)