第一部第二幕【忍び寄る黄色い影・第五段】
関長子の皮肉ともとれる一言に、角田は一瞬ひるんだように見えた。菅コーポレーションの幹部達から得た、今後の人事管理に関する重要な情報をさりげなく披露してみせたのだが、逆にこれを幹部達(オッサン達である)と酒席を重ねている証として、合コン相手の若手男子達の前で強調されてしまったのだ。
角田は、几帳面に箸袋を折って作った箸おきに、割り箸を置きながら言った。
「よく、誘っていただけるので。上の人とお話する勉強になるんですよ。」
角田はオッサン連中との飲み会は、あくまも「勉強」であるとしたが、中条ら若手の男子には白けた空気が流れてしまっている。自分達の上司としばしば飲みに行っているという角田らに、合コン相手としての魅力が薄れたためだ。男というものは、どうも自分の誘いにだけ応えてもらいたいようだ。自分の方は、女性全般に対して関心が高いにもかかわらず。
「私はオッサンと飲むのは、イヤやわ!」
と、張本翼が割って入ってきた。
入社二年目の張本翼にとっては、先輩女子社員らが上司(オッサン連中)を毛嫌いしないことが理解できない。学生気分がまだまだ抜けない張本翼にとっては、「働く男の頼もしさ」や「大人の冷静さと包容力」など無価値なのである。彼女は大阪ミナミのオンナらしく若くてオモロイ男が大好きなのだ。
数年前に流れていた、美人OLが「課長の背中を見ていて、いいですか」と甘く囁くウィスキーのCMを、不気味すぎると唾棄した短大時代から、張本翼の男性観は変わっていない。
その後しばらくの間、張本翼がどれほど自分がオッサン嫌いであるかと熱烈に説明したので、玄田徳子、関長子、張本翼の義理姉妹と、角田らイエロースカーフの対立関係が鮮明なものとなってしまった。
関長子と張本翼の「口撃」によって、イエロースカーフがモテモテの宴席の雰囲気はにわかに変貌したわけであるが、考えてみれば、合コンに乱入した挙句、場の空気を乱し放題の自分達は何なんだろうと、玄田徳子は気まずくなってしまった。
二人の義妹を見れば、腕組みをして「ムハハ」と高笑いをしており、今にも勝鬨をあげかねない様子だ。何考えてんねん、この娘ら、、、
「なあ?時間あったら二次会行けへん?」
玄田徳子は提案した。「乱入した上に場を乱す奴ら」という印象を、若い男子達からぬぐっておきたい。また、イエロースカーフの正体は未だ判然としないので、これを追求したい。そのためには二次会の開催は必須だ。
時計の針は午後9時40分を指している。もし一次会が、このままこの場で午後10時まで続けば、二次会のセンは無くなってしまう。たかだか20分の違いなのだが、夜の10時を境にしてOLとサラリーマンはシンデレラとなってしまうのだ。玄田徳子の二次会の提案は、ギリギリのタイミングといってよい。
筆者曰く。宴会に後から参加する、いわゆる合流組があった場合、宴会は長引くものである。この点を計算に入れて、二次会までも含めた宴会のトータルコーディネートを考えたいものだ。
「あ、二次会、イイですねえ〜行きましょうよ!皆かまへんやんなあ!」
女子に二次会を誘われて断る男子は、まずいない。もしそんなことがあったら、女子はよほどのことと理解すべきだろう。中条は、同期の男子らに向かって念押しをした。玄田徳子らの乱入によって、意味合いの違った飲み会になってしまったが、中条らとしても、この合コンの二次会は、店の予約までは入れていないものの、元々は気分の中では予定していたのだ。
「じゃ、私、近くにいいお店を知っているので。そこに行きませんか?」
と角田が言った。角田のこの提案を潮に、宴会の一次会は終了し、玄田徳子ら三人も含めた15人の宴会参加者は、二次会に向けてジャズの流れるニュー居酒屋を後にした。
店を出て、宴会参加者ら15名は、二次会の店を知るイエロースカーフの梁田と宝田が先頭を歩き、その後を彼女らに案内されるようにして、若手の男子らが他のイエロースカーフらと、とりとめのない雑談をしながら続いた。玄田徳子と関長子は、早くも千鳥足で猥歌をさえずる張本翼を抱えて、さらにその後を歩き、この宴会の幹事である中条は勘定まとめた関係で、角田と最後尾を歩いていた。
大阪一のビジネス街、本町界隈の高層ビル群は、今夜も無表情な貌で聳え立っている。もう夜の10時になるというのに、其処此処の窓から煌煌と明かりが漏れていて、勤労の不夜城とも言うべき威容をたたえている。
この檻の中で飼われるように生きている賃労働者諸君は、ポストバブルの不況の中で、ますます過酷な労務環境で働くことになるのだろうか。関長子は、イエロースカーフらが言った給料の年棒制というものが気になっていた。
本町の高層ビルと高層ビルの間に横断歩道が敷かれていて、あたかも街全体でシンメトリーな迷宮を構成しているようにも思わせる。二次会に向かう玄田徳子ら十五人の男女は、歩道を幾分酔った足取りで進んでいた。
十五人の隊列が横断歩道を渡りつつある時、突然、最後尾にいた角田が中条の腕を取って、前にいた玄田徳子らを抜いて、小走りに横断歩道を駆けていった。ややあっけに取られた玄田徳子に向かって、角田は横断歩道の向こうで振り向き、「早く、早く」と微笑みかけているように見えた。その横には、美人に腕を組まれてご満悦のバカ面が見える。
玄田徳子らが横断歩道を渡ろうとすると突如突風が吹き荒れ、玄田徳子は驚いて目を覆った。突風が吹き荒び、玄田徳子らはその場に立ち止まらざる得なかった。
一分間ほど突風は吹いたのだろうか。風が止み、玄田徳子が目を開いて見ると、誰もいなくなった歩道には、コンビニのビニール袋がカサカサと音を立てて転がっていた。
「き、消えたワ、、、」
玄田徳子らは顔を見合わせた。イエロースカーフの面々と張本翼の同期男子らの姿は既に無く、玄田徳子ら義姉妹三人は、都会のビルの谷間に取り残されていたのだった。
(次回につづく)