第一部第三幕【イエロースカーフ討伐戦・第九段】
〜 OL三国志演義 第一部【イエロースカーフの乱】 第三幕 【イエロースカーフ討伐戦・第九段】
ポキポキと指を鳴らす音が静まり返った店内にこだまする。誰かが、ゴクリとつばを飲み込んだ音が聞こえる。
張本翼は中腰になり、悠然とテーブルに肘をついて、首のあたりで軽く肩を回した。ビートたけしの「なんだ、このヤロウ」風だ。対する、悪来典子は前屈をして軽いウォームアップをしている。その姿は沸々とたぎる闘争本能をアスリートの理性で覆い隠すための儀式にも見える。
バーカウンターの中では、操猛美が腕組みをしてその二人の様子を眺めている。口元には微かに笑みが見える。その隣では、妹分張本翼の大勝負を前に厳しい表情の関長子がいる。その黒く麗しい長髪をつかんで嗅いでいるのは、緊迫した時の彼女の癖なのだろう。
さらにその横にはイスに座りこんで、ソフトドリンクをちびちびと飲む玄田徳子。妹分の剣が峰も、どうでもいいといった様子で、合コンが不発に終わったダメージから未だ抜け出せないようだ。
まずい、玄田派と操派が仲間割れをしている場合ではない。関長子が操猛美に視線を送ると、それに気づいた操猛美は関長子を一瞥して言った。
「典ちゃんって学生時代、アームレスリングのチャンピオンやったらしいよ。」
そう言うと黙ってカクテルに少し口をつけた。しばらく成り行きを見よう、操猛美はそう言っているようだ。
悪来典子が静かにテーブルに近づいた。足元を確かめるようにしながら中腰になり、右腕の肘をテーブルについた。この一戦を見事な連係によって扇動した角田らイエロースカーフ三人衆は、張本翼と悪来典子のそれぞれの側にいる。
どういうわけかレフェリーを自ら買って出た公文孫一課長が両者の間に立ち、これまでに見せたこともない神妙な顔つきで、二人のファイターに目配せをする。そして掌を合わせるように促す。
「レディ、、、ゴー!!」
公文レフェリーの号令がこだますると静まりかえっていた店内は、興奮の坩堝と化した。「やっちまえ!張本、シュートだ!!」となどど囃したてる声が、闘う二人の唸り声をかき消していく。騒然となった腕相撲の人だかりのただ中で、角田、梁田、宝田のイエロースカーフ三人衆はほくそえんでいる。まずは操・玄田の連合軍に亀裂を入れることに成功したからだ。
腕相撲の攻防は一進一退。体格に勝る悪来典子が有利と思われたが、喧嘩慣れした張本翼は、腕に体重をかけて巧みに応戦している。合わせた掌が右に左に動くたびに観衆がどよめく。
悪来典子が押し切るかと思われると、張本翼が押し返す。逆に張本翼が攻勢に出ると、悪来典子はおどけた表情で、空いた片方の手で「来いよ来いよ」と挑発のポーズ。そしてドカドカと足を踏み鳴らしてベストバウトを称える観衆の靴の音と、「ファィッ!ファィッ!」と両者をせき立てる公文課長の声。熱戦は永遠に続くかと思われた。
が、転機が訪れた。攻めあぐねた悪来が、ここが勝負と悪来が猛然と腕に力を入れると、悪来の腕時計の皮ベルトのはちきれてしまい、腕時計が宙を舞った。そのアクシデントに一瞬集中力を切らした悪来の隙に、張本が腕に全体重をかける。
「あ!」
悪来は悔恨の声を発したが、時、既に遅し。張本翼は勝利を宣言して右腕を突き上げる。レフェリーの公文課長は、その腕をもう一度掲げて、張本翼の勝利を確定する。店内に響きわたるやんやの歓声。悪来は肩を落とし、テーブルの上に落ちた時計を拾う。文字盤に描かれたミッキーマウスの笑顔がかえって寂しい。そして、操猛美にいるカウンターに向かって深々と頭をさげている。
*筆者曰く。宴席に腕相撲などと思われる読者諸兄もおられると思うが、二次会の席で腕相撲が行われることは意外と多い。新社員歓迎会などでは、上司がお近づきの印と部下の腕力を測るために腕相撲をふっかける場面もしばしば。これは同時に女子社員の前で、年長者に花を持たせるかどうかという協調性のテストも含まれているので、若手諸君は、腕相撲の勝敗に十分配慮しなければならない。
「ね!張本さんが最強でしょ!」
張本翼の両肩に手をかけながら、梁田が誇らしげに叫んだ。すると悔しそうな顔をした角田が店じゅうを見渡しながら言った。
「ねえ、悪来さんのリベンジは誰もしないのぉ!?」
そのアジテーションに店内が静まりかえる中、テニスラケットのグリップをマイク代わりにして、張本翼が吼えた。
「ウチはいつでも、どこでも、誰の挑戦でも受ける!!」
張本翼の言葉に店内は再びヒートアップ!操軍団のエース悪来の仇を討つべく、まず手をあげたのは夏木姉妹の惇子だった。
「張本っちゃん!アタシが相手や!」
そう言うと、夏木惇子は、片目を隠した前髪を一度かきあげて「何ですか!アータァー」とわめきながら、張本のいるテーブルに向かっていく。
「え、金八っさん、、、、」
その声に関長子が横を見ると、さっきまで座りこんでいた玄田徳子が立ち上がっている。
「徳子の姉上、まずいことになってきました。ハリモトが操さんの手のものと争いはじめました。」
「何か、そのようやねえ。。。」
「イエロースカーフの計略で、ワタシ達、玄田・操の連合軍は分裂の危機です!」
「うん、危機やねえ。。。」
そう言いながら、玄田徳子はストローの袋をチマチマとちぎっている。ダメだ、徳子の姉上は合コン消滅のショックから未だに立ちなれていない。イケメンとのコンパなんて自分達の単なる思い込みだったのに、まだ引きずっておられる。打たれ弱さが姉上の弱点なのだと得心した関長子は、今夜の姉上は戦力外だと割り切った。
そして改めて店内を見回し、状況を確認すると、なんと、張本翼と夏木惇子の一戦が始まるや
、夢中になっている張本翼や操の一派をよそに、角田らイエロースカーフは、中条ら若手男子らと別のテーブルに移動しているではないか。そして、そこで再度乾杯をし直して、楽しげに語らい始めている。
操猛美の蛮勇と狡知で、店の占拠に成功した「合同」の二次会は、イエロースカーフ角田らの集いと、操・玄田連合軍による腕相撲対抗戦とに分裂してしまった。これでは、操が指示した「イエロースカーフらと男子らの二次会に水を指す」ことが出来ない。しかし、この状況にも未だ操猛美は動こうとしない。
それでは、いよいよ自分がと、関長子がカウンターから出ようとしたその時、
「バン!」
店のドアがけたたましい音と共に開いた。
驚いて店じゅうの人間が入り口の方に注目すると、そこには5人の作業服姿が横一列に並んで立っていた。
「ごめんー!遅くなって。現場に出てたんよ!!」
張りのあるその声の主は、なんと女性であった。その真ん中に立っていた女が一歩前に出ると、彼女は黄色い工事現場のヘルメットをさっと脱いだ。
髪の毛がふわりと広がる。柔らかなカールがかかった栗色のロングヘヤー。女がその髪をかきあげると小麦色に日焼けした、クッキリと彫の深い、凛々しい顔がのぞいた。セクシーな中にボーイッシュな快活を感じさせる、かなりの美人。男子どもが息を飲む。
その女はバーカウンターに操猛美を発見すると、サッと手を上げて言った。
「オーイッス!」
その「いかりや長介風」の挨拶に、操はゆっくりと手を上げながら応えた。
「遅かったね。待ってたンやで。岸和田の虎、孫田文!」
(次回につづく)