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第一部第三幕【イエロースカーフ討伐戦・第五段】

〜 OL三国志演義 第一部【イエロースカーフの乱】 第三幕 【イエロースカーフ討伐戦・第五段】


 えっ!カツ丼を箸にとったまま、張本翼は目を輝かせた。サクサクに揚げた豚ロースの衣が、ふんわりとした溶き卵に包まれている。米粒はピンと天を向いて反っており、一粒一粒が白銀に輝いている。


 甘辛いしょう油だしに、さわやかなみつばの葉。一口で、歯ざわりと味わいの、それぞれのコントラストが楽しめるという、芸術的ともいえる一品を、カウンター奥にいる、まるで無愛想なオヤジが作っているのかと思うと、日本の食文化の底の深さを思わざる得ないと、関長子は思った。このような場末の大衆食堂にもマエストロがいるのだから、驚きというか奇跡である。


 玄田徳子、関長子、張本翼のランチ探検隊は、本日は雑居ビルの一階にある小さな大衆食堂に出動している。大阪キタの食堂事情に明るい関長子が主張した「オヤジについていけば、安くてうまいものが食べられる」という言葉に従って、三人は若いOLには似つかわしくない大衆食堂に出張ってきたというわけだ。


 そして、その選択は大正解であった。見よ、この500円のカツ丼の美しさを。質素などんぶり鉢がかえってその魅力を倍増させている。本当に美味いものとはこういうところにあるのだ、モノは見た目ではない、そんな警句を発してみたくなった関長子であったが、その衝動は抑えた。関は「沈黙は金」という言葉の価値を知り抜いている。


 「え〜!!京阪ええなあ〜、環状線は、そんなイートインのある駅なんて無いで!」


 と、口いっぱいにカツとご飯を頬張った張本翼は、玄田徳子を責めるように口ぶりで言った。 玄田徳子は、日ごろから無口で、食事の時には、なおいっそう無口になる関長子が、さっきから深刻そうにしていることが気になっていた。


 オシャレでモードな関は、自分が主張したものの、「やっぱり、この店失敗、、、」と悔いているのではないかと、思ったりした。じゃ、自分が頑張って美味しそうに食べなければと、箸をどんぶり鉢に入れようとした、まさにその時に、張本翼が昨夜の出来事に食いついてきた。正確には昨夜の出来事の枝葉にと、言うべきだが。


 「イートインゆうても、あれやで、そんな大きないで。ちょっとしてテーブルだけがあって、売店で買ったモンを飲んだりできるだけやから。」


 改札口の横に、デパートの地下食料品街のものか、あるいはテーマパークや博覧会に設置される、あの過度に楽しげなイートインを想像していた張本翼は、みるみる残念そうな顔になった。改札横で、一杯引っかけることの出来る京阪電車!という張本翼の頭の中で、にわかに広がった愉快な空想は、たちまちに萎んでしまったのである。


 玄田徳子は、ちぇ、と舌打ちしながらも、カツ丼にパクつく張本翼の健康的な食欲に触れ、自分の食欲の減退を感じた。バブルの頃には、グルメだなんだという空騒ぎに便乗したクチの玄田徳子も、今ではそのテの情報に無関心になってしまっている。


 そして、食欲に代わる欲望を見出せないことが、最近の退屈と億劫の原因ではないかと思ったりした。何に関しても欲望というか、情熱というか、そういう前に向かうものが減っちゃって、真剣になれるものが見出せないのが、ダメなんやわ。なんか探さんと、、、とは言え、次のステップが遅延している腰かけOLの自分が、結婚以外であらためて真剣になれるものなどあるのだろうか。10年後、いや5年後の私は何してるンかな、、、


 「ねえ、ねえ!徳子の姐さん!で、イートインで、操さんとは、どんな話したん?」


 このコ、おいしそうにゴハン食べやるわぁ、、、口いっぱいにカツをモグモグと頬張りながら、箸を振って、操との会話の内容を催促する張本翼を見て、玄田徳子は、張本翼が同期の男子らに可愛がられている理由が分かったような気がした。じゃ、私も、と玄田徳子は、カツを二つ、口に放り込んで、むしゃむしゃと頬張りながら、話はじめた。


 「、、それがなあ、、、」


・・・


 玄田徳子を呼び止めた操猛子は、売店でスポーツドリンクを四本買うと、そのうちの一本を玄田徳子に差し出した。売店の前には小さなテーブルが数台ある。ショットバーなどで見かけるイスの無いテーブルだ。そのテーブルは、ちょうど一人の人間が、飲み物とちょっとした食べ物を置くことの出来るくらいの広さで、玄田徳子はそのうちの一つにバックを置いて立っていた。


 「オゴるわ、飲んで。」


 そう言うと、操もテーブルにバックを置き、玄田徳子の横に並んだ。あ、プラダの新しいやつだ、、、


 操猛美の差し出したスポーツドリンクは、一頃有名なサッカー選手がCMをしていた、200mlもある栄養ドリンクだった。その胴の太いビンを見る度に、玄田徳子は威圧感のようなものを感じていたので、操から飲めと手渡されたものの、その栄養ドリンクを開ける気がしなかった。そもそも、ほぼ初対面の相手から差し出されたものに手をつけることにも抵抗がある。


 そんな玄田徳子を気に留めることもなく、操猛美は早々と一本目を飲み干しそうな勢いで、ごくごくと喉を鳴らせて栄養ドリンク飲んでいる。あっけに取られている玄田徳子を操猛美はドリンクを呷ったまま、横目でチラと見た。そして、ドン、とドリンクのビンをテーブルに置き、玄田徳子に向かってこう言った。


 「ぷはぁ〜!あたし、アンタ知ってる。いつも、デッカイきれいなコと、もう一人、若いコと三人でおるやん。会社で何回か見かけた。」


 「私はみさお、操猛美。知ってるやろ?、有名やし。」


 栄養ドリンクを水のように飲む飲みっぷりと、一方的な物言いに完全に面喰らった玄田徳子だったが、有名な自分を知っているだろうと正面から言われたのが癪だったので、あえて知らないと言ってやることにした。


 「いや、悪いけど、、、はじめて見るわ、、、菅コーポ(レーション)の人?」


 と、玄田徳子が言い終わらないうちに、操猛美は不思議そうな顔をしながら、玄田徳子を見つめて言った。


 「アンタ、アホやね。完全にアホやね。」


 「??はあ?」


 「私、今、菅コーポで赤丸急上昇中やで。注目度NO.1の若手やで。ベストテン(*1)で言うたら、『今週のスポットライト』やで!」


 *1 ザ・ベストテン 昭和の人気TV歌番組。 


 「??こんしゅうの、、、!?」


 え!?ベストテンの?何?なんかあった?そんなコーナー!?え、、、追っかけマン!?あれれ、シャネルズのわんこソバ???


 操の「奇襲」に混乱した上にノスタルジィが加わって、完全に思考回路が麻痺した玄田徳子を無視して、操は話を続けた。 


 「今は人事で新しいプロジェクト責任者してる。この三月までは香港の支社におってンけどな。プロジェクト立ち上げるからいうて、戻ってきたんやけどね。ちょうど、毛沢東と立ち上げたプロジェクトが軌道に乗ったのに、、、迷惑やワ!まあ、他に出来る人間がおらんかったということやろうけど」


 え、毛沢東って、、え、生きてるの!?玄田徳子が混乱しきった顔で、操の顔をマジマジと見つめたので、落ち着かせる意味でも、操は自分の話を止め、玄田徳子に水を向けた。


 「、、で、アンタの名前は?何ていうの?」


 操猛美は2本目のドリンクを片手にテーブルに前身を預けて、両足を宙に浮かせて、バタつかせなが玄田徳子の返答を促した。


 「ア、ア、アタシはぁ、玄田。玄田徳子。営業二部で食品の輸入関係。」


 知らずと斉藤由貴の往年の過剰演技の物まねをしてしまった。ベストテンの一言に、玄田徳子の頭の中は80年代にタイムワープしてしまったのかも知れない。


 「あ、食品って公文課長のとこやろ。へぇー公文ちゃんの部下?、公文ちゃん、、、エロエロやろ?アハハハ!」


・・・


 玄田徳子がここまで話すと、黙って聞いていた張本翼がいきなり怒声を上げた。


 「なに、そのコ!いきなりアホやて!!」


 張本のあまりの大音声に、張本の後ろで肉うどんをすすっていた中年サラリーマンが驚いて、カツラを丼鉢の中に落としてしまった。玄田徳子は食堂に入った時から、その中年の頭を怪しいと思っていたので、クイズに正解したような嬉しい気分になった。


 「相当な自信のようですね。課長をちゃん付けですか。」


 すでにカツ丼をたいらげた関長子は、小さな傷がたくさん付いて表面が曇ってしまっているプラスチック製のコップに、共用のポットから冷水を注いでいる。関もこの話は聞いていたようだ。 


 「その後も延々と自慢してたで。香港時代の話。中国人にモテたとか、九龍城壊したとか、ユンピョウとご飯たべたとか言うて、、、」


 「何?ユンピョウって!どんな味!?」


 張本翼は、喰う、飲むの言葉に必ず反応する。


 「ちゃうて。ユンピョウ(を)食べたんやなくて、ユンピョウ(と)ゴハン食べたんやて。あんたユンピョウ知らん?ジャッキーチェンの仲間。」


 「知らんけど、別にそんなん羨ましないやん!金城やったら羨ましいけど、、、」


 あんたが金城武を好きなんは知ってるけど、そんなん聞いてないって、、、と会話に無関係な私情を差し挟む張本翼の悪癖をたしなめたい気分にかられながらも、玄田徳子は操の話を続けた。


 「ただなあ、操さんの話って全て自慢話なんやけど、聞いててあんまりイヤらしくないねんなあ。」


 「ふむぅ、、イヤらしくないというと?」


 ほとんど他人には関心を示さない関長子も操の話には関心があるようだ。


 「自慢話って、聞いてて腹立つやん、普通。でも操さんの自慢話ってなんか聞いていると、こっちのええ気分になってくるっていうか。」


 「ユンピョウが羨ましなかったからちゃうの?徳子の姐さんが。」


と、からむ張本翼。すっかり操とユンピョウが嫌いになったようだ。


 「自慢話でいい気分に、、、不思議な話ですね。で、その後どうしました?」


 関長子は張本翼を無視して話を続けた。張本翼はブウーとフクれて関長子を睨んでみせる。


 「30分くらいかな、、、しばらく話して、操さんは帰ったけど、なんか桃山台(*2)までタクシーで帰ったみたいやで。」


 *2 大阪府豊中市桃山台。北大阪の高級住宅街とされている。


 「ふん、淀屋橋から桃山台なら一万円くらいはするでしょう。」


 「お嬢さんなんやね。操さんて。」


 玄田徳子は「選ばれし人」操猛美に対して、ちょっとした嫉妬と羨望を感じたが、それを考えることはすぐにやめた。上を見ればキリがない、手に届かないものを無視する技能は、随分若いうちから身についている。あ、そうそう大事な話が、、、


 「で、ね、、、」


 上目づかいで二人の義妹に向かって微笑む玄田徳子。その大げさな表情に、オイシイ話の臭いをかいだ関と張本は、玄田徳子に額を寄せて、異口同音に鼻でさえずる。


 「フンフン。」


 さあ、どうぞ。お話を続けてくださいと、玄田徳子の言葉を待つ。


 「操さんがな、明日の金曜日に合コンがあるから一緒に行かへんかって、言うてきてん。ワタシら三人に!」


 イエーイ!操嫌い?の張本翼が立ち上がり、小躍りしながら玄田徳子にハイタッチを求める。まるで女子バレーの得点シーン。恥ずかしそうにしながらも、ハイタッチで応える玄田徳子を横目で見る関長子も、微笑んでコップの水を飲み干した。明日は出陣である。


(次回につづく)


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