第一部第三幕【イエロースカーフ討伐戦・第四段】
〜 OL三国志演義 第一部【イエロースカーフの乱】 第三幕 【イエロースカーフ討伐戦・第四段】
一人で歩いて帰れるとダダをこねる張本翼を難波の駅まで送り、そこで玄田徳子と関長子は帰途につくために市営地下鉄に乗った。
酔うと一人で歩いて帰ると主張するのは、この張本翼に限ったことではないが、何故、人がそのようなことを言うのか、考えてみれば不思議なことだと玄田徳子は思った。
自分は酔ってなんかいない、十全だ、そんな姿を誇示したいのだろうか。ほら、見ろ、最寄の駅まで歩いて帰れるぞ!タクシーなぞ無用にござる、と具体的に示したいのだろうか。千鳥足では全く説得力がないのに。
そういえば以前、職場の宴会で、二次会で潰れた公文課長*1が、両肩を部下に担がれながらも、「はッ!大丈夫であります、自分はぁ〜駅まで歩いて帰りまッすぅ!」と、何のつもりか軍隊式の敬礼をしてみせたことがあった。その日以来、玄田徳子は課長はバカだと思っている。
*公文孫一 玄田徳子の上司。営業二部食品課の課長。
千里中央行きの電車に飛び乗った玄田徳子と関長子は、同時に腕時計を見た。駆け込み乗車をした時の無意識のアクション、周囲へのアピール。ごめんなさ〜い、急いでたの、、、そんなところか。
時計の針は午後10時30分を数分超えている。酒乱、張本翼と飲んで終電までには至らなかったのだから、良しとしなければならない。「駆け込み乗車は危険ですから、、、」というアナウンスの声を耳障りだと思いながら、ふと車両の扉を玄田徳子が見ると、ガラスの部分に自分達が映っていることに気がついた。
関長子の横顔は、鼻の高さとホリの深さが車内の明るくない照明のおかげで強調されており、美しさに凄みが加わっていた。アルマーニのスーツとシルバーのネックレスがキマッテいる。自分はといえば、張本翼を駅に送る時の尽力で、髪型がかなり乱れてしまっている。
ヘアクリームで懸命に抑えていたサイドのボリュームが、、、クソッ、張本め!と思いながら、扉のガラスを鏡にして、手櫛で髪型を直してると、ガラスの中に、自分の顔を見つめている若い学生風の男の顔を発見した。おぉッ!
玄田徳子は、少し気分を取り直して関長子に話かけた。
「今夜はなんとか、午前様は避けれそうやね。」
「張本と飲むと毎回、長くなりますからね。」
やれやれと、関長子が少しオーバーに眉を困らせて見せて、そう言った。
「ほんま、オーダーストップに救われたわ。」
玄田徳子は車両の扉にもたれながら腕組みして、首を少し傾げながら微笑んで言った。
「オムライスでよかったですね。今日の張本の勢いなら、居酒屋で飲んでいたら間違いなく午前様。徳子の姉上が、、、」
と言って関長子が吹き出した。
「あんな話するから、、、」
「?、、、あ、あれ、張本が同期にモテてるいう話?」
「そうです。張本、すっかりいい気になってしまって、、、」
関長子は含み笑いをしながら、そう言った。無論、玄田徳子を批判しているのではない。会話を楽しんでいるという風だ。日頃は無駄話をしない関長子も、やはりアルコールが入るとおしゃべりになるようだ。
「語ってたねえ、恋愛論。なんか、どっかで聞いたような話が多かったけどね。」
と、玄田徳子は少し嫌味を言った。同期の男子に対して、やりたい放題ながらも、彼らから憎からず思われているように見える張本翼先生から、恋の精神論と技術論を概ね3時間にもわたってレクチャーを受けた玄田徳子は、正直言って閉口していたのである。
だいたい、男に電話を頻繁にかけた後に、しばらく電話を控えて相手を焦らす、なんていう手管は、まるで中学生ではないか。そんな児戯みたいな恋のテクニックは聞かなくても知っている。私が知りたかったのは、あんたの傲慢が何で許されているんや、ということなンや!
思い出せば、オムライスと串揚げでガンガン飲んでいた張本翼に割り勘負けしたのも口惜しい。年下の妹分に、あんた大目に出しときや、と言って割増請求をするわけにもいかない。アカン、なんかホンマに腹立ってきたワ、、、
張本翼は、現在23歳。実際の恋愛経験は未だ乏しい。よって、彼女の語る恋愛論が大方は雑誌の受け売りで、具体性が無く、抽象的でも仕方がないことである、、、虚空を睨みつけている玄田徳子の顔を見ながら、関長子は、そう思った。が、そうとは言わずに、まあ、色々勉強中なんでしょう、とだけ言った。関長子は、本人のいないところでの人物批評は避けるべきであると自戒している。
関長子は常に、恋愛に関しては、決して深入りした発言はしない。美人ゆえの余裕か、はたまた淡泊さか。関長子の態度に我に返った玄田徳子は、何歳になっても他人の恋だの、モテるだのといった話に無関心になれない自分を恥じた。玄田徳子は話題を変えようと思った。
「あ、スポーツ用品店で出会った張本の同期、中条くんら、派遣のイエロースカーフのコらとテニスサークル作るって言ってたけど、、」
「言ってましたね。入りたいですか?」
関長子は、男性的というか端的にものを言う癖がある。
「いや、そうやなくて。なんか、このあいだ飲んだイエロースカーフの宝田いうコとか、テニスするいう感じやなかったやん。」
「そうですね。多分、口実なんでしょう、テニスなどは。」
テニスは口実、という言葉に玄田徳子は古傷に触られたような気がした。というのも、玄田徳子が学生時代に属したサークルは、正にテニスを口実にしたコンパサークルの類で、テニスの技量を向上させることなぞには、ほとんど無関心であった。テニスに飲み会、スキーに飲み会、花見に花火にドライブに、、、学生時代は無為に過ぎていった。
「まあ、テニスも頑張るんちゃうの。」
と、玄田徳子ややムキになって言ってしまった。
「そうかもしれませんね。」
と、関長子は応えた。落ち着きという点では、やはり年上の関長子に一日の長がある。
「ただ、彼女ら派遣社員のイエロースカーフが何を目的にして、勢力を拡大しているのかが、まだハッキリとは分かりません。職場内には黄色いネクタイの男子を随分と見かけるようになった。」
「彼女らは年棒制がどうとか、よく言いますよね。それに若い男子社員は感化されていってる。その上、彼女らは人事部で新しいプロジェクトを担当している、あの操猛美と接触を図っている。」
え、関、何言うてんの?テニスが口実って、合コンの、、、玄田徳子は関長子の話が急に飛躍したので、話題が見えなくなった。
「テニスサークルの会合と称しては、職場の人間を集めて談合を重ねるつもりなんでしょうが、、、何のために、、、」
つぶやくように言った関長子の横顔を、玄田徳子は扉のガラスの中で見た。と、同時にガラスの中にこちらへ向かう視線を感じた。あ、今度は関に見とれている、、、チェ。些細なことを張り合いながらも、玄田徳子は関長子の話から大学時代のことを思い出していた。
「テニスサークルいうたら、(大学の)一回生の時、、、あたし、変なサークルに勧誘されたわ。ガイダンスしてくれた人がものすごく明るくて。それがブキミやったから、パスしたんやけど、、、」
「後で聞いたら、その 『リフレッシュ』とかいうテニスサークル 、頭の中をリフレッシュするというか洗脳する、新興宗教の隠れ蓑みたいなサークルやったんやて。ヤバかったわぁ〜」
「、、、なるほど。テニスサークルを隠れ蓑に。イエロー、」
と、関長子が話を続けようとした時、ちょうど車内には淀屋橋への到着を告げるアナウンスが流れた。京阪電車に乗り換える玄田徳子は、降車しなければならない。
「ああ、、じゃあ、また明日!」
玄田徳子は降車を急ぐ他の乗客の波に押し出されるようにして、関長子と別れた。乗客が減った車両内では、関長子が胸のあたりで、片手で拳を握り、もう片方の掌で拳を包む独特のポーズで、別れの挨拶をしている。カッコ悪いからやめて、、、
玄田徳子は、関長子が最後にイエロースカーフに関して話そうとしていたことが気になりながら、午後11時台になるとめっきり本数が少なくなる急行列車に間に合うように、京阪淀屋橋駅に向かって早足で歩いていた。
「あ!!」
前のめりに、転びそうになる。
「くぅ!!」
相撲の四股のような姿勢で、なんとか転ばないように踏ん張る。夜の地下道で遭遇したOLの奇態に、通行人の好奇の目が注がれる。柱にもたれたホームレスは、キヒヒと笑っている。
「ちょっとぉ!コケそうに、、、」
玄田徳子が振り返って見上げると、後ろから肩に手をかけて、玄田徳子を呼び止めたのは、あの操猛美だった。
「こんばんは。」
一言も謝ることなく、挨拶した操猛美は、今日はジュンコ・シマダのスーツに、凶器のようなハイヒール、バックはヴィトンの最新作か。いずれにしても完璧な出で立ちだ。操猛美は、傲慢とも見える表情で、玄田徳子をじっと見下ろしている。
「電車の中で見かけたんやけど、あんたウチの会社のコやろ。」
え、じゃ、電車の中での自分達への熱視線の正体は、操猛美!?ここまで付ててきたんかなあ?
なんで!?ワタシを付ける?何の用!?混乱して言葉を失った玄田徳子であったが、とりあえず怒っているのだと、操猛美を睨みつけた。そんな玄田徳子の態度をせせら笑うような顔で操猛美は見ている。そして、四股のポーズで中腰になっている玄田徳子の手をとって、立ち上がらせた。
「なあ、ちょっと、付き合ってくれへんかなぁ。話があるんで。」
そう言うと、操猛美は売店横にある、小さなイーインにさっさと歩いていった。
(次回に続く)