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『温室とドレスと猫』

作者: 色紙しきし

『温室とドレスと猫』


 そこは絵本の中から切り取られたような場所だった。

 ガラスに囲まれた世界は太陽の光を受け入れながらしかし、外の世界とはまったく趣きが異なっている。時計の針と戯れながら彩りを変え、四季を着せ替えていくのを楽しむ外の世界と、砂の入ってない砂時計の器の中のようにうつろう事なく常春の姿を保ち続けるガラスの世界。

 ガラスの世界は春にあふれていた。色とりどりの花が咲き乱れ、外の世界では眠っている蝶たちがひらひらと花の香り色付く空気の中で踊っていた。

 その中心にレンガで円形に固められたスペースがあった。こじんまりとしたレンガの浮島には木製のテーブルと椅子、そして老いた猫がいた。年取って灰色の毛並みをしていたが決してみすぼらしい印象はなく、その慈しむような優しげな眼差しと光の当たり具合で銀にもプラチナにも見える毛並みから気品すら漂う貴婦人であった。

 うららかな日差しの中、老猫は椅子に腰掛けテーブルに向かい何やら作業に勤しんでいる様子であった。だからであろう、小さな闖入者の存在に老猫は最後まで気づかなかった。

「おばあちゃーん!」

「おっ、とっ」

 溢れんばかりのはなまる印な声と同時に老猫の膝の上にまっしろな雪の塊――幼い少女の白猫が飛び込んできた。

「おどろいた? びっくりしたー?」

「おやおや、まったくこの子ったらイタズラが好きなんだから。ええ、驚いて腰を抜かすかと思ったわ」

「えへへー」

 自分の膝の上に寝そべるように身体を預ける孫猫の頭を撫でる。ドングリのような丸い目を気持ちよさそうに細め、無邪気に笑う孫猫。それを見て老猫も微笑んだ。

 ひとしきり撫でられて満足したのか孫猫は次なる対象に興味を移していた。

「おばあちゃん、なにしてたの? これなぁに?」

「これかい? これはねぇ、こうすると……」

 身体を起こし、テーブルの上のものを注視する。瞳の中を好奇心の星で満天に輝かせる孫猫に、老猫は止めていた作業の手を動かした。

 手にしたのは長いレースの生地と針。糸を通した針で生地を縫い合わせる。その手先に老いを感じさせない瑞々しい指使いで針はレースの生地を行進していく。迷うことなく違うことなく動く指先は、生涯のほとんどを費やしたのを疑うべくもない職人の御技だった。

「わぁー……」

 孫猫の瞳は好奇心から感動に輝きを変えた。まさしく魅せられている。魔法使いのように老猫が織り成すものに心を奪われていた。

 孫猫が言葉を忘れているうちに老猫は作業を終えた。その手にはふわりと、孫猫にとっての魔法が出来上がっていた。

「おはなだ……すっごーーいっ! おはなができてるーー!!」

 老猫の手にはレースで出来た花飾りが一輪咲いていた。この花に満ちたガラスの世界の中でも引けをとらないほど美しく、綺麗なカタチだった。

「おばあちゃんおばあちゃん」

「なんだい」

「これなに? おはなどうするの?」

「これはね、花嫁さんのお洋服に使うのよ」

「およめさん? おばあちゃん、おようふくつくれるの?」

「ええ、もちろん。貴方のお母さんに教えたのもおばあちゃんなのよ」

「ほんとにっ!?」

 ぴこーん、と耳をはね上げる孫猫。驚くのも無理はなく、孫猫の両親の家業は仕立て屋で両親共に店に出ているが、老猫が店に出ているところは見たことがなかった。孫猫にとっては忙しい両親の代わりに相手をしてくれる優しいおばあちゃんでしかなかった。

「貴方が生まれる前にお母さん達に店を任せちゃったからねぇ、驚くのも無理ないわ」

「……やめちゃったの?」

「そういうことになるわね」

「じゃあなんでまたはじめたの?」

「おばあちゃんのね、お友達に頼まれたの。今度、孫が結婚するから服を仕立てておくれって」

「まご? わたしのこと?」

「そうね、おばあちゃんからみたら貴方のことね」

「じゃあわたしもつくる! おばあちゃんつくって!」

 名案でしょ! と言わんばかりの勢いで立ち上がり、大きな瞳をさらに見開いて老猫に詰め寄る孫猫。その必死の形相に思わず頬が緩む。

「その時がきたらおばあちゃんが作ってあげるわ」

「やったー! ありがとうおばあちゃん! おばあちゃんだいすきっ!」

 喜びを全身で表現するように老猫のまわりではしゃぎまくる孫猫。が、ボールのように跳ね回っていたのが急にピタリと止まった。

 前触れなしの急制動に首をかしげ、老猫が声をかけようとした瞬間、くるりと向き直る孫猫と目があった。その目は楽しいことを思いついた時特有の色が見て取れた。

「おばあちゃん、わたしいいことおもいついた」

「いいこと?」

「うん! あのねあのね、おようふくをね、わたしとおばあちゃんでいっしょにつくるの!」

「あら、一緒に? それは素敵だわ」

「でしょでしょ! それでね、もうひとつおねがいがあるの」

「なんだい。なんでもいってごらん」

「あのね、おはなのつくりかたおしえて?」

「ふふ。いいわよ、ほらいらっしゃい」

 膝の上に座るように促すと、孫猫は満面の笑顔でちょこんとそこにおさまった。

 常春のガラスの世界。絵本の中のように花が咲き乱れるその中心で、暖かな陽射しと祖母の温もりに抱かれながら孫猫は慣れない手つきでせっせと針の行進に勤しんだ。


 それから年月は流れる。

 孫猫は家業を継ぐ修行のために家を離れていった。母親の紹介で修行させてもらった店で、少女時代のほとんどを過ごした。一日は長く、しかし一年は短く感じられる多忙な毎日。知らないことが多すぎて覚えることが山積みで日々を忙殺されていくような環境で腕を磨いていった。

 そして修行が終わり、胸を張って帰ってきて一番に老猫の訃報を聞いたのだった。

 どうやら修行に出てしばらくしてから体調を崩してしまい、寝込むことが多くなったそうだ。そのことは孫猫にはふせられていた。心配はかけたくないと老猫が拒んだらしい。そしてとうとう孫猫が帰郷する数日前に息を引き取った―――ひとつの約束を残して。

 孫猫の帰郷間近に病床に伏せた老猫はこんな言葉を漏らした。

“約束を守れなくてごめんね”

 老猫は幼い日の孫猫との約束を忘れずに叶え続けようとしてくれて、夢は半ばで潰える。

 遠い日はそのまま彼方に。

 淡い思い出は彩りを枯らし、過去になっていく。

 だが、過ぎ去っていくものを受け止める手があった。

 その手はしっかりと消えていく約束を離すことはなかった。

 なぜなら―――

「大丈夫だよ。約束はわたしがちゃんと守るから」

 彼女も約束を忘れていないから。


 そして約束を胸に、この日を迎えた。

 立派に成人した孫猫の胸にはレースでできた花が添えられていた。

 この花はあの日、たくさんたくさん挑戦して、たくさんたくさん失敗して、祖母の手を借りて最後の最後で出来上がったレースの花飾り。改めて見れば不格好で、今ならばこれよりも上等なものが作れる。でも今日という日にふさわしい花はこれしかない。この花は二人で一緒に作った最初で最後の一輪なのだ。

 修行時代、何度もこの花に助けられてきた。つらい時、かなしい時、にげだしたくなった時には実家から持ってきたレースの花を見て思い出していた。あの日の驚きを、感動を、約束を。その思いがあって今の自分がここにいる。

 鏡に写った花嫁姿の自分を見る。

 祖母の友達の孫に作ったものを自分なりにアレンジしたものだ。

 レースの花もこうしてみればなかなか様になっている。これも手伝ってくれた祖母の力かもしれない。そう思うと自然と笑みがこぼれた。

 胸の花を風が揺らす。その風に誘われて窓辺によると陽射しに包まれた。

 ここはガラスの世界ではないけれど、春の陽射しはあの場所と同じく暖かで、祖母の温もりを思い出させてくれる。

 陽射しを浴びながら心の中で天国にいる祖母にいった。


 ―――素敵なドレスをありがとう、おばあちゃん

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