双人
R-15になっていますが、人によってはそれ以上と感じる残酷描写があるかもしれません。
また、ジャンルが文学になっていますが、ホラー(?)・狂気色が強いと思われます。
お母さんのおなかの中で眠るひとりの赤ん坊がいました。
かわいらしいかわいらしい赤ん坊。
――だというのに、神様が間違って、赤ん坊をふたつに裂いてしまいました。
赤ん坊は、ふたつになって産まれました。
右側だけの子供と、左側だけの子供と。
もちろんひとつだったものが裂けたのですから、
片腕片足、目だって片方だけしかありません。
口の中さえ綺麗にふたつに裂けてしまっていて、
半分こになった舌では、上手く話すことさえ出来ませんでした。
だから他人には上手く伝えられないけれど、脳みそだって分けた仲です、
ふたりになってしまった彼らの間でだけ、言葉はなくとも心は通じました。
気持ちがわるいとお母さんに罵られ、
バケモノだとお父さんに捨てられました。
物珍しい生物として、病院に入れられました。
いえ、物心ついた時には両親はおらず、ふたりは病院にいました。
お医者さんが興味深そうな目で見て、
看護婦さんが虫を見るような目で彼らを見ました。
人間のこども。
そんな風には見てもらえなくて、名前すらふたりにはありませんでした。
なので、ふたりはお互いを、右側の体を持っているから、ミギと呼び、
左側の体を持っているから、ヒダリと呼びました。
元はひとつなのだから、彼らにはそれで十分でした。
ミギとヒダリは、いつだって元に戻ろうとしました。
まだ脳の発達していない幼児の頃は、
常にお互いの頭を、顔を、手をすり合わせて、
ひとつに戻るマネごとをしていました。
頭が少し発達して、物事をちょっとだけ考えられるようになると、
お医者さんが使うナイフやいろんな機械の置いてある部屋から、
古びた糸と針をくすねてきて、ふたり協力して体を縫い合わせました。
脳や骨や心臓にべったりと接着剤を塗りつけて、ひとつになるのを待ったこともありました。
鉄がとろりと溶けて固まるのを見て、お互いの体をあぶって溶かしてくっつけようとしたこともありました。
けれど、どれも上手くいきません。
体は元はひとつだったもの、今でもひとつにピッタリつながるはずなのに、
神様が心をふたつにしてしまったから、どんなにどんなに、
くっつけても縫いつけても、溶かしても固めても、体はふたつに裂けてしまいました。
それがひどく、かなしくて、かなしくて。
体はひとつになったのに、手が、足が、目が、
すべてがバラバラに動く度に、ふたりはとても悲しみました。
何十回、何百回、思考錯誤を繰り返しても、
お医者さんの手を借りても、ふたりの体は元に戻りませんでした。
体は他の人と違うのに、半分ずつしかないのに、
ふたりとも他の人と同じように成長していきました。
バラバラになったまま10年以上も生きて、
ずっとずっと、ひとつになることを夢見て、
けれど、やがて、はらはらと涙をこぼしながら、ミギが言いました。
「もうやめようよ。私は片方だけで十分だ」
ヒダリは納得がいきません。
「どうしてそんなことを言うの、私はひとつになりたいのに!」
元に戻りたくはないのか、と、ヒダリは激しくミギを責め立てました。
ミギはよわよわしく首を横に振ります。
「戻りたいよ。戻りたいけれど、それ以上に、この苦痛に心が耐えられない……!」
ミギは泣きます。けれどヒダリはひとつになることを諦められません。
ずっと望んできたことじゃないか。
元はひとつだったのに、ふたつのままで良いの?
思いを叩きつけ、叫んでも、泣きながら首を振るミギを見て、ヒダリもまた、悲しくなりました。
――ああ、結局私たちは、心さえ通じていなかったんだ。
通じていたのは、言葉だけだったんだ。
ひとつになれずとも心は分かりあえているものだと、今の今まで信じてきたのに。
「きっと、私たちはこういう生物なんだよ。元々ふたつだったんだ。
元はひとつだったなんて、きっと幻想なんだよ」
ヒダリの思いを肯定するように、ミギが鼻声で言うものですから、
心の奥底が引っ掻かれて、ヒダリはミギに怒声を浴びせました。
「例えそうだったとしても、完璧に、完全に成りたいと思うことの何が悪いの!
欠けているピースは分かっていると言うのに、どうしてそれを諦められる!?」
「……ヒダリは、完全に、“ひとつ”に、なりたいの」
「なりたいね。他の人間のように、“ひとつ”の体を持ちたいよ。
僕らはふたり半分、“1”にすらなれない不完全じゃない」
ミギは一本しかない手で涙で濡れた顔を覆い隠して、そうだね、とだけ呟きました。
よわよわしいその声に、ヒダリは唇を噛みましたが、それ以上はもう、何も言いませんでした。
ミギの言うことが身勝手なワガママだということも、
自分のそれすら、同じ、身勝手なワガママなのだと、分かっていましたから。
いつも、明日はひとつにと願って、
体を寄せ合い眠っていたのに、その日はお互いバラバラに眠りました。
毛布が心臓を擦って、ちりちりと痛みました。
――次の朝。
ヒダリが起きるとミギがいませんでした。
狭い病室という名の隔離部屋、
バラバラで寝ていてもお互いのむき出しの心音と呼吸は聞こえていましたから、
本当に“ひとりだけ”になってしまったようで、ヒダリは怖くなりました。
ミギ、どこにいるの。
そう呼ぼうとした時、ビリ、とない筈の片側が痛みました。
……体が重たい。
片方しかない目で必死に右側を見ると、そこには見覚えのない手がありました。
足もありました。胴体もあって、触れれば顔までありました。
両目、両耳、両手、両足……。
欠けていた右側は、例え動かずとも完全に揃っていました。
「違う」
半分と半分が合わさって“ひとつ”になったと言うのに、ヒダリは納得がいきませんでした。
だって、体は左右不揃いのバランスで、手も足も自分より一回り大きく、顔だって歪に合わさって。
――その、醜さたるや。
鏡に映った姿を見て、ヒダリは初めて絶叫しました。
違う、違う! こんなものになりたかったんじゃない!
私のピースはひとつだけ、こんな醜悪で下劣な体を欲した覚えはない!!
ぞわぞわと肌があわだって、心臓をわし掴まれたような息苦しさと、
腹の底から黒い何かがわき上がってくるような感覚を覚えました。
――根源的な拒否感と嫌悪感が、、そして怒りが、沸き立ちました。
乱暴に糸で縫われた半身を、肉や内臓がぶちぶちと千切れるのもお構いなしにかなぐり捨てて、
自分にとりついていた汚い体を踏みつけました。
素足で踏むと、またぞわりと体の底の底から嫌悪に伴う寒気が沸き立って、
ヒダリは感情に任せ、近くにあったホウキの柄で目を口を徹底的に潰していきました。
やがて中から壊された半身の姿は初めとまったく違う姿になって、血で覆い隠されました。
それでもまだ、視界に入るそれが、嫌で嫌で。
ヒダリは部屋の隅に追いやっていた使っていない布をそれにかぶせました。
一番手近にあった自分たちの毛布は、使う気にはなれませんでした。
例えどんなに洗い、血肉を落とそうと、あの醜い体の一部がついたものが、
また自分の肌に触れあうなんてたえられなかったのです。
ぜえ、ぜえ、と息を切らして、ヒダリは窓から血のついたホウキを投げ捨てました。
遠い遠い、下の方で、ガロン、とホウキが落っこちた音がした頃に、ガチャリと扉のカギの開く音がしました。
ハッとして振り返れば、いつもと変わらぬミギの姿がそこにあって、ヒダリは安堵の息を吐きます。
ヒダリが、どこに行っていたの、と問いかけようとした時に、
ミギが彼の足元の血だまりを見て、溜息を吐きました。
「それじゃ、ダメなの?」
……え?
ヒダリは言葉を、失いました。
「ひとつになりたいんでしょう? だから、半分を君の半分にくっつけたのに」
違う、違う。そんなこと、望んでいるわけないじゃないか!
――そう言いたいのに、声が出てきませんでした。
今までは、例え体は離れていても、例え体がふたつでも、
ミギとヒダリは繋がっていると思っていたのに、
それがバックリと、もう元には戻れないくらいに裂けてしまった気分でした。
本心から残念だと言いたげなミギに、
自分たちに別の半分をくっつけてひとつにすることが最善だと信じているミギに、
ヒダリはもう、反論する気を失ってしまいました。
だってもう、いくら言葉を伝えても、ミギと繋がりあえる気がしなかったのです。
私が求めてきたのはいつだってミギだけだったのに。
私の右側のピースも、君の左側のピースも、お互いでしか務まらないのに。
ひどい、ひどい。
私はこんなの欲しくない。
こんな醜い“ひとつ”なんていらないのに!
そう叫んだところで、ミギにこのむなしさと悲しさが、伝わるとは思えませんでした。
ただ、“ひとつ”になりたい訳ではないのに。
ただ、“ひとり”になりたい訳ではないのに。
数字の話をするならば、半分と半分を足せば“1”だろうけれど、
私たちはそうではなんだ、と、そう、言いたいのに、言いたいのに。
言葉に諦めと絶望が絡まって、重くて重くて、喉まで這いあがってこないのです。
「なら、どんな半分ならば良い?」
ミギは何も言わないヒダリに問いかけます。
「キレイなのが良い?」
「強いのが良い?」
「格好良いのが良い?」
「しなやかなのが良い?」
どれもいらない。
ヒダリは小さく呟きました。
けれどやはり、ふたつに分かれた体、心は共有できないようで。
ヒダリの本心からもれた呟きは、ミギの心には、耳には、届きません。
「髪が長いのが良い?」
「目が大きなのが良い?」
「指が長いのが良い?」
「足が長いのが良い?」
いらない、いらない。
奇跡を願って、たった一本でも自分たちの間に何かが繋がっていますようにと、
そう、願って、悪あがきのようにいくら心だけで伝えても、ミギは分かってはくれませんでした。
――それからミギは度々、自分やヒダリの体に別の半分をくっつけました。
その度にヒダリが癇癪を起して乱暴に体をひきはがすものですから、
もう皮膚も肉も骨も内臓も、ブチブチと千切れてしまって、
ミギが幾らそれを咎めても、ヒダリは首を振るばかりでした。
ミギはその度に、ほら、見たことか、と冷めた目で彼を見つめるのです。
ほら、ほら、私たちがひとつなものか。
私が君を思ってやることにさえ君は癇癪を起して、怒鳴り散らす。体を壊す。
私たちは“ふたつ”だと言うのに、“ふたり”だと言うのに、別々だと言うのに、
私の体にさえ、君は文句を言って。
……ひどい、ひどい、ひどい人。
毎日、毎日、くっつけては引き裂いての繰り返し。
――お互い壊れかけた体で、血だまりの中で、
ミギとヒダリは体の一ヶ所もあわせずに座り込んで、疲れた声で問いかけあいました。
「“ひとり”になりたいんじゃなかったの? 心変わりでもしたの?」
「してないよ。今だって“ひとつ”になりたいよ」
「ならばどうして、半分を引きちぎってしまうの。折角、“ひとり”になったのに」
ヒダリが壊した半身を片づけながらミギは、
聞き分けのない子供を諌めるように言いました。
ヒダリは子供のように泣きながら、それに喚き返しました。
「私は“ひとり”になりたいよ、けれどそれ以上に、“ひとつ”になりたいんだ!
どうしてそれを分かってくれないの!」
分からないよ。
突き放すように、ミギが言いました。
「だって、私たちは“ふたり”だもの。まだ、それさえ理解できないの?」
今の今まで、ずっと言わなかったことを、
ミギはヒダリに突きつけました。
――それでも、別に、君が嫌いなわけではないんだよ。
大切に思っているし、大切にしたいと思っているし、幸せになって欲しいと思っているし。
でも、それはあくまで、親愛なんだ。他者への愛なんだ。
君が私に抱いているような、半身への、自己への愛情ではないんだよ。
分かってほしい、どうして分かってくれないんだと、そう思っていたのは私も同じなのに。
ほら、今だって私は君を気づかって言葉を呑みこむ。自己防衛なんて理由じゃなく、単純に、他人への遠慮として。
自分の言葉に愕然と動かないヒダリに、ミギは溜息を吐きました。
分かってくれないのなら、分かるまで突き放すしか、
ヒダリが自分に対して信じている繋がりを、ことごとくちぎってしまうしかないと思いました。
例え、半分と半分だろうと、その半分同士が自立している以上、
数字のように足して“1”にしてしまうことはできないのです。
だから、“1”にならない半分で左が満足すればそれで良し、
満足しないのなら、そのことに気づいてくれると、ミギは信じていたのです。
糸の千切れた肉塊をゴミ箱に放り込んで、
落っこちた髪の毛をブラシで血ごと掃いて、
未だ座り込んでいるヒダリをミギは冷ややかに見つめました。
自分たちが“ひとつ”だと、“ふたりでひとり”なのだと、信じていた頃は、
ミギもヒダリと同じように自分への愛情として彼を愛していたのです。
けれど、今は、理解さえ拒んで現実から逃避し泣きわめくヒダリの、なんて遠いことでしょう。
同じ腹から同じ時に生まれたのに、今の彼はまるで子供のようです。
弟のようだと、ミギは思っていました。――兄弟と見ている時点で、彼と自分は他人なのです。
「……じゃあ、試してみようよ」
ふいに、今まで黙りこくっていたヒダリが提案を持ち出しました。
それにミギは少し驚いて、首を傾げて見せます。
――心が通じ合わないと、言葉さえまともに通じ合わないと分かった最近はこうして、体で感情を示すことが増えました。
ヒダリはミギを手招きして、近くに呼びよせます。
同じように座り込んだミギの目の前で、ヒダリは自分の心臓を握りつぶしました。
ぐちゃり、と嫌な音がして、無残な内臓の破片が床に落ちました。
それと同時に、ばたりと、ヒダリがその上に倒れます。
……ミギは泣きも喚きもしないで、ヒダリの潰れた心臓に触れて、
それが動いていないことを確かめました。
濡れた手で口元に触れて、息をしていないことを確かめました。
ヒダリは死んでいました。
それでもミギは、生きていました。
「ほら、見たことか」
自分が死ねば、私が死ぬとでも思っていたの?
そうすれば、この苦痛や迷いからも解放されて、
なおかつ“ひとつ”としての証拠がたつとでも?
ならば残念、やはり私たちは他人だった。
君が死んでも私は生きているし、きっと私が死んでも君は生きていたのでしょう。
所詮、私たちは半分にされたのではない、ただの半分の生き物だったんだ。
だから、心臓も肺も脳も視神経も、心も、何もかも、
ひとつとして、ひとつとして、繋がってなんていないんだ。
なんて無意味な死だろう。こうしないと、君は理解できなかったの?
――そう思うのに、はらはらと、ひとつだけの目から涙がこぼれました。
ミギがいくら泣いても、ぐったり動かないヒダリは泣きません。
ミギがいくら嗚咽を漏らしても、ヒダリは一声たりとも、泣いてはくれませんでした。
ひどい。
ひどい。
こんなことをしなくても、分かりきっていたことなのに、私を“ひとり”にするなんて。
私はそんなこと、望んでいなかったのに。
ミギもヒダリがしていたように、子供のように泣きわめきました。
ぼろぼろと涙を流して、感情に任せて吠えました。
それでもなお動かないヒダリが、半身が、むなしくて悲しくて。
少しも痛くない心臓が、いつも通りに動く心臓が、憎らしくて苦しくて。
その涙が枯れて、その声が枯れて、感情のすべてが枯れ切るまで、ミギは泣き続けました。
それでもヒダリは、起きませんでした。
だって、嬉しかったのです。そう感じられるこの体が。
そして彼もまた、“ひとり”で生きたいという、
“ひとつ”になりたくないというミギの思いを叶えてあげようと思ったのです。
それでも、事実は変わりません。
――ほら、やっぱり、私たちはひとりじゃない。
私は幼いころ、双子、三つ子は「同じ日に生まれた子ども」ではなく、
「お母さんから同時に生まれた子ども」だと思っていました。
今思えばおそろしい間違いですが、そこから生まれたお話でもあります。