このサンタの貯金箱のおまじないは効いたんでしょうか?
玲子は朝食にパスタを出したのだが夫の正樹の食べ方が気に入らない。
「何でそんなにタバスコをかけるのよ」
「いいじゃないか、俺はタバスコが好きなんだ」
「よそでそんなことしないでね。失礼だわ」
「まずいからかけてるんじゃない。うどんの七味と同じでタバスコは風味づけだよ」
いつものこととはいえ両親のいさかいに弘は両手で耳を覆った。
「ネクタイと靴下は?」
「クローゼットの中。朝は私も忙しいんだからそれくらい自分で出してよ。弘、食べ終わったら今日はママと病院に行くわよ」
正樹と玲子の一人息子、8歳の弘はここひと月ほど体調がすぐれない。
最近になって首の少し上のあたりの後頭部が間欠的に痛むと訴え出した。
そのため玲子は弘を連れて町の中心部の総合病院にやってきたのだった。
すぐに済むだろうと思っていた検査が長引くので玲子は胸騒ぎがしだした。
玲子の不安は的中した。
手術で摘出するにはもはや手遅れの悪性脳腫瘍があると告げられた。
治療をしても2、3か月の命とのことだった。
正樹が夕方に会社から戻ると玲子は電気もつけずにリビングのソファーでうなだれている。
「弘は?」
「そのまんま入院したわ。でも延命治療しかできないって……」
玲子は両手で顔を覆って泣き出した。
詳しい診断結果を聞いた正樹は突然すぎる事態に驚愕した。
「専業主婦で毎日家にいてどうして手遅れになるまで気づかなかったんだ!」
玲子は立ち上がって正樹をにらみつけた。
「よく言うわよ! 頭痛や吐き気は学校に行きたくない言いわけだから知らんふりしてろって言ったのはあなたじゃない!」
弘が入院して3日が経った。
「遅い! 先に行くぞ」
「もうちょっと待ってよ」
置いてけぼりを食って一つ後のバスで病院に着いた玲子は病室に入るなり正樹に当たった。
「お化粧する間くらい待ってくれていいじゃない!」
「病院に行くのに念入りに化粧する必要があるか? よくそんな余裕があるもんだ」
弘は掛け布団を耳のあたりまで引き上げた。
経済的負担は痛かったが弘の病室は個室にしている。
ベッド脇のテレビの横に陶器の置物があるのが玲子の目にとまった。
サンタクロースをかたどった貯金箱だった。
「弘、これどうしたの?」
「来月はクリスマスだから看護師のお姉さんに借りたんだ」
「貯金でもするのか?」
正樹は空の貯金箱を手に取って振ってみた。
「ううん。ねえパパ、ママ、病院にもサンタさんは来てくれるかな?」
「来てくれるわよ。クリスマスの25日は弘の誕生日でもあるんだし」
「よかった! じゃ、僕、クリスマスまでの間、毎週サンタさんに願いごとを書いて貯金箱に入れる」
次の週の金曜日、正樹が会社から帰宅したのは玲子が病院から戻ったのとほぼ同時だった。
「それは?」
ネクタイを緩めながら玲子がテーブルに置いた紙きれを見て言った。
「貯金箱に入ってたの」
「貯金箱?」
「ほら、弘が看護師さんに借りたっていうサンタの貯金箱よ。ママがサンタさんに届けてあげるって言って持ってきたの」
「どれどれ。『サンタさん、パパが作ったハンバーグが食べたいです』何だこれは?」
「私もクリスマスに欲しいおもちゃか何か書いてあるとばっかり思ったわ」
「じゃお前がハンバーグを作って持って行けばいい。しかし病院食以外に勝手に食べさせていいのかな」
玲子はしんみりと肩を落とした。
「お医者さんに聞いたら、食べられる今のうちに好きなものを食べさせてあげてくださいって……」
その言葉を聞いた正樹は玲子とは逆に肩をそびやかしてこぶしを握りしめた。
「玲子、ハンバーグは俺が作る! 作り方を教えてくれ」
「どうだ弘、美味しいか?」
「本当にパパが作ったの?」
「ああ、サンタさんに頼まれてな。ママに教わったけど作ったのはパパだぞ」
「美味しいよ。今までで最高のハンバーグだよ!」
病院からの帰り道、正樹は上機嫌だった。
「料理ってのは案外面白いな、弘の喜ぶ顔も見られるし。また貯金箱に注文が入ってたら作り方を教えてくれ」
翌週の金曜日、正樹は帰宅するとすぐに玲子に言った。
「今週の貯金箱は?」
「『サンタさん、ママが作った蕎麦を食べたいです』だって。拍子抜けしちゃった。うどんや蕎麦なんか誰が作っても同じなのに」
「いや、手打ちの蕎麦を食べさせてやろう。弘はメニューの一つ一つが二度と食べられなくなるかもしれないんだからな」
「そういえばあなた、去年職場の旅行で熊本の阿蘇に行った時、蕎麦道場で手打ちした麺を持ち帰って弘に食べさせたわね」
「それを覚えてたんだな。よし、作るぞ」
「だめよ、貯金箱には『ママが作った蕎麦』って書いてあるんだから。私が蕎麦を打つから教えて」
「それじゃ二八蕎麦にしよう。小麦粉が2割で蕎麦粉が8割、つなぎに山芋もちょっと入れたほうがいい」
「どう、ママの手打ちのざる蕎麦は?」
「パパに教えてもらったの?」
「そうよ」
「とっても美味しい! 去年のパパのより美味しいよ」
以降も正樹と玲子は貯金箱の注文に従って料理を作り病院に持参した。
しかし弘の体はしだいに衰弱して食べ物を受け付けなくなり鼻には酸素を供給するチューブが装着された。
顔が黒ずみやせ衰えていく我が子を正樹と玲子はもう見守ることしかできなくなった。
正樹はここ数日会社帰りは直接病院に向かい、夜遅くに玲子と一緒に帰宅する日が続いている。
クリスマスが近づいたが貯金箱はずっと空のままだ。
「弘、頑張れ。もうすぐ誕生日だぞ、クリスマスだぞ。何か願いごとはないのか?」
正樹の呼びかけに応じるかのように弘が目を開けた。
せわしかった呼吸も落ち着いている。
「パパ、ママ、幼稚園の頃に読み聞かせをしてくれた絵本を読んで」
そう言うと弘はテレビの横の棚を指さした。
棚には病院の図書コーナーから借り出した本が数冊立ち並んでいる。
玲子がそのうちの1冊を手に取って表紙を弘に向けた。
「この『大きな蕪』?」
「うん。目をつぶって聞くから僕が眠るまで読んでてね」
正樹と玲子はベッドの脇にパイプ椅子を並べて座った。
玲子が読み始め正樹はおじいさんの会話の部分を担当した。
おじいさんが畑を耕して蕪の種をまきました。
「甘い甘い蕪になれ。大きな大きな蕪になれ」
やがて甘い大きな蕪が育ちました。
おじいさんは蕪を抜こうとしました。
「うんとこしょ、どっこいしょ!」
けれども蕪は抜けません。
おじいさんはおばあさんを呼んできました。
「せーの」
蕪をおじいさんが引っぱって「うんとこしょ、どっこいしょ!」
おじいさんをおばあさんが引っぱって「うんとこしょ、どっこいしょ!」
「あなた、眠ったみたいよ。ん、弘? ……弘? ……弘! 弘!!」
眠りに就いたような安らかな顔で弘は息を引き取っていた。
葬儀をすました翌日に正樹と玲子は入院費の支払いのため病院に出向くことにした。
「今日は弘の誕生日なのよね」
「そうだったな。そろそろ出ようか」
「あ、忘れ物しちゃった。ちょっと待ってて」
「うん、雪が降りそうだからコートも持ってきたほうがいいよ」
バスに乗ると正樹は玲子が取りに戻って膝の上に置いている紙包みに目をとめた。
「それは?」
「サンタの貯金箱よ。借り物なのに持ってきてしまってたの」
病院の1階の会計で支払いを終えた後、玲子は弘の担当だった看護師を呼んでもらった。
「すみません、弘がお借りしてたのをうっかり持ち帰ってしまって」
サンタクロースの貯金箱を受け取った若い女性看護師は遠慮がちに言った。
「あの、失礼ですけど、この貯金箱のおまじないは効いたんでしょうか? 弘くん、亡くなってしまったのでそれがずっと気になってて」
おまじない? 玲子は正樹と顔を見合わせて首をかしげた。
「貯金箱には食べたいものを書いた紙が毎回入れてあったんでそれを作ってあげましたけど?」
今度は看護師が首をかしげて言った。
「そうだったんですか。すみません、私はちょっと違うように聞いていたので」
「どういうことなんですか?」
「『僕、これにおまじないを書いて入れるんだ。そしたらパパとママがきっと仲良くなると思うんだ』弘くん、そう言ってました」
看護師の言葉を聞くと玲子の目にみるみる涙があふれだし正樹も目を潤ませた。
玲子がその場にしゃがんで嗚咽を漏らすと看護師はおどおどして腰をかがめた。
そして事情を飲み込めないままお詫びをするかのように玲子に貯金箱を差し出した。
「あの、これ、よろしければ弘くんの思い出に差し上げますけど」
病院の玄関を出ると雪が降り出していた。
「弘ったら、私たちが協力し合わないとできない料理ばかり注文してたのね。童話だってお爺さんとお婆さんが力を合わせる話だし、死ぬ間際まで私たちのことを考えてくれてたんだわ。どっちが親だか分かりゃしない」
「やられたなあ、我が子ながらあっぱれだ。俺たち、弘のおまじないを無にしちゃいけないな」
玲子はうなずいて貯金箱をいっそう強く胸に抱きしめた。
二人は寄り添ってバス停へ歩き出した。
生きていれば9歳になったはずの弘がまとわりついてくるかのように正樹と玲子の前を12月25日の雪が舞う。




