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広めるため安く作る

 帰国すると、彼らは四年生になった。

 カルノの同級生たちは卒論執筆よりも就活に追われていた。マコパン語を学んだ経験を活かせる仕事など皆無なので、学生たちは面接で仕方なく「少数言語と文化を学んだことで視野を広げ、自分を客観視できるようになった」といった長所をでっち上げるしかなかった。彼らの大学自体にもまったくネームバリューがないので、就活は難航した。

 そのため四年生になっても学校に来る学生は少なかった。カルノはそれが寂しかった。ここで彼は一人ぼっちだった。たまに同じ学科の同級生と会っても、一年間の留学で隔たりができ、それに就活の話題を共有できなかった。彼はただ、あのマコパンでの暮らしに思いを馳せるしかなかった。

 彼は土日に久しぶりに実家に帰った。一年間の留学生活と一人暮らしで大きく成長したはずだが、母はまだ彼を子供扱いしていた。息子が途上国で彼女を作ったなんて想像もできなかった。彼も大げさに驚かれたり、正気を疑われ反対されるのが嫌だったので、わざと黙っていた。

「卒業後はどんな会社に就職するつもりなの?」と、母は彼に聞いた。

「実はまだぜんぜん決まってないんだ。マコパンと関わる仕事がしたいんだけど……」

 父は歳を取り、出張が減り、家にいることが多かった。彼は息子にこう言った。

「今後だんだん増えてくるかもしれないが、今のところは少なそうだ。仕事がなければ自分で作るしかないな」

「自分で?」

「会社で働くばかりが人生じゃない。今は個人でも働ける時代だ。有名ブロガー、動画配信者、ノマドワーカー、なんでもありだ」

 それでカルノも気が楽になった。本当に好きなことがあれば、道は切り開けるはずだと思った。

 しかし父はこう釘を刺すことを忘れなかった。

「でも卒業後は自分で稼いで、自立するんだぞ」

 カルノは父に励まされ、首都のアパートに戻った。

 島から持ち帰った大量の資料のほとんどが、カルノの論文執筆に活かされなかった。この人生で最初で最後になるであろう論文を立派に仕上げるべく、現地の文化を広く網羅する内容にしようと思ったが、そのためには知識も能力も足りなかったからだ。そこで彼はテーマをポカティに絞った。その成り立ち、かつての宗教行事における使用例、製造方法、各流派とその演奏方法の違い、産業の現状などなど、ポカティだけでもかなり書けることはある。

 実際に文章にしてみることで、カルノは自分のポカティへの理解がまだまだ浅いことに気づいた。特に製造方法については参考書の内容を書き写すだけで、実感がまったく伴わなかった。彼はいつか必ずマコパンのあの密林で作り方を学ぼうと決意した。

 産業の現状となると、彼は悲観的にならざるを得なかった。結局、留学先の大学でポカティを吹ける人はンバルぐらいで、現地の若い世代からはとっくに忘れられていた。密林の演奏家や職人たちも、継承するつもりはあっても広めるつもりはなく、霊木によそ者を近づけようとせず、神秘的な伝統を後生大事に抱えたまま静かに消えゆこうとしている。

 カルノは自分の力でポカティを消滅から救えないかと真剣に考えた。そのためには何ができるか。まず、あの素晴らしい楽器を広く人々に知ってもらい、笛をもっと気軽に手に取ってもらえるようにしなければ。

 そんなことを考えながら卒論を完成させた。達成感はなかった。これからやるべきことが山積していたからだ。

 資料を本棚に戻し、ブウロからもらったポカティをトランクから取り出した。シーリングライトの光を浴びる木の実からは重厚感が失われ、人工的な感触を帯びている。どこかプラスチックのようだ。彼は久しぶりにポカティの穴に口を当て、息を吹く。久しぶりだからか、それともブルーランドの現代的な家の一室にいるからか、その音はやや硬く伸びがなかった。

 三十分も吹くと調子を取り戻してきた。しかし音はやはり機械的で冷たい印象だった。カルノは、ポカティがこの国の気候や風土に馴染めないためと結論づけた。マコパンと比べ気温も湿度も低く、それが楽器のパフォーマンスに影響を及ぼすのだった。

 楽器の性能を一定させるにはどうすべきか。気温と湿度の影響を受けない材質で、一定の形の笛を作ればいい。

 ひとまず就職するつもりがなく時間が余っているカルノは、郊外にある工場を訪問した。そこは楽器を含むさまざまなプラスチック製品を作る工場で、顧客からの試作依頼も受け付けていた。工場の担当者はカルノから大まかな構想を聞いた上で、さまざまな加工方法を提案し、そのコストについて説明した。その後、カルノは工場に足繁く通い、細部の設計を詰め、ついにいくつか試作してもらうことになった。

 試作品の出来は悪かった。見た目が木の実というよりはプラスチックボールみたいなのは仕方ないとしても、肝心の楽器としての性能がいま一つだった。音がスムーズに出ず、出ても音に張りがなく不安定で、裏返りやすい。だが、それでも彼が幼い頃にもらったポカティよりはマシで、上手くいけば本物に近い音が出ることもある。

「あなたが持ってきてくれた一つだけでは参考材料が足りません。元は木の実ですから個体差があるので、いくつかを比較し、その間で最適解を見いださなければなりませんね」

 ともかく作れ、しかもまだ改善の余地があることは分かった。カルノはわくわくした。樹脂製ポカティの量産化に成功すれば、この文化の普及に大きく貢献できることだろう。そのためならば自分の労力をいくら費やしても構わない。後はお金の問題だが……

「やれるだけやってみたらいいだろう。出世払いしてもらえばいいから」と、父が全面的にサポートしてくれることになった。

 カルノは再びマコパンに戻ってきた。空港の外から島を眺めると、空、雲、原っぱのすべてが、馬鹿の一つ覚えみたいに年中同じ色を呈している。それは濃い原色なのに、マコパンの高層ビルの灰色よりも目にやさしく染み渡る。そよ風には家畜の糞の匂いが混ざり、風をいっそう瑞々しく、涼しげにしている。

 大自然の真ん中に立つと、カルノの表情が活き活きとしてきた。やはり自分の居場所はここなのだと思った。

 半年もたっていないのに彼は留学生活が無性に恋しかった。まずマコパン国立大学の留学生寮に行き、お金を払い部屋を貸してもらった。荷物を置くと寮を出て、ンバルを探しに行った。

 彼はンバルと話してからミシャナに会うつもりだが、予定が変わってしまった。ある研究棟の廊下で、横に並んで歩く彼ら二人とばったり出くわしたからだ。

 ンバルは「来ると思っていた」という笑みを浮かべ、カルノに歩み寄ろうとしたが、動きを止めた。ミシャナの異変に気づいたからだ。彼女はその場に立ち尽くし、微動だにしなかったが、左手に提げていたバッグ、右手に抱えていた本を順番に地面に落とし、両手を自由にしてから初めて「まぁ」と声を上げ、カルノに飛びついた。

「帰ってくるならどうして連絡してくれなかったのよ!?」

「ごめんごめん、急なことだったから……」

 まだ次の授業があるというのに、ミシャナはカルノと共に留学生寮に直行した。若い二人は何度身を重ねても決して枯渇せず、少し休んだだけですぐ命の泉が湧き出た。彼らは昼食も取らず、現地人の昼寝の時間が終わるころになり、すっきりした朗らかな顔で外に出た。

 もちろんカルノが自分のなすべきことを忘れるわけがない。翌日、彼は改めて学食でンバルと二人きりで話をした。

 ンバルは白いテーブルの上に置かれたプラスチックの塊を見て、「なにそれ?」と聞いた。ポカティと言われるときょとんとし、「いや違う」と否定した。

「だから樹脂製のポカティなんだって」

「プラスチックで作ったらポカティではない」

 ンバルは譲らなかった。そもそもポカトゥフの実、ポカタルで作るからポカティと呼ばれるわけであり、プラスチックではプラティとでも呼ぶべきか。ポカティを作り、吹くことには、神の恵みへの感謝を示す宗教的な意味合いがある。樹脂製では魂、精神が宿らないではないか。それにプラスチックなんかでいい音が出るわけがない。密林の職人たちを馬鹿にしているのか。仮にそれでいい楽器が作れたとしても、職人の仕事がなくなるではないか、彼らの技術が失われるではないか。

 カルノも負けてはいなかった。そんな悠長なことを言ってポカティが自然消滅するのを放っておくよりは、本当にこの楽器や文化が好きならば、なんとか存続する方法を探るべきではないか。安く簡単に楽器が手に入るようになれば愛好家が増え、そのうちの何人かが立派な演奏家になり、たとえ今とは違った形であってもこの文化を引き継いでいってくれるはずだ。

 ンバルは沈黙した。反論しようと何度か口を開きかけたが、そのたびに口を閉ざし、考え込んだ。最後に彼は渋々こう言った。

「そんなに言うならば密林の職人に紹介してやるよ。でも頑固な人だから、絶対にきみの計画は話すんじゃないぞ。なんでも黙って言うことを聞くんだ」

 次の休日、ンバルはカルノを連れて密林に入った。

 スラム街には閉口させられたが、カルノは森の中の原始的な生活は嫌いではなかった。人工的な汚れや悪臭が少なく、食べ物も川の水も新鮮で、風呂に入れないことを除けば清潔で健康的だ。しかも島のパワースポット「マコパンのへそ」が近く、ここにいるだけで心が清らかになった。

 ンバルは笛作りの職人、クボッテを紹介してくれた。クボッテはカルノの笛の師匠、ブウロよりも一回り年上で、七十歳を超えていた。いかにも頑固な職人といった風貌で、腰蓑をつけるだけでほとんど全裸だった。全身の感覚が鈍るからと、川での水浴びも避けるほどなので体が汚いが、肉を食べないため体臭はほとんどない。

 クボッテは意地悪そうな顔で外国人のカルノを睨み、その目をンバルに向け、説明を求めた。「ま、手伝いにでも使ってやるか」

 カルノはクボッテの工房で働き始めた。働くといっても賃金などなく、三度の食事を提供されるだけで、しかも調理担当は彼だった。

 ポカティを作るためにはとにかく時間が必要だ。クボッテは食事中、カルノにその工程を詳しく教えてくれた。

 霊木ポカトゥフから木の実が落ちる秋に収穫に行き、その中から笛作りに適した大きさと形のものを厳選し、汚れを落とす。まず一番大きな吹口を作り、そこから中の余分な実や種をくり抜いてから、火であぶり油を取る。次に半月ほど天日干しし、それから陰干しに移り、なんと数年も放置する。その間に割れなかったポカタルを使い、別の穴を開けながら中を特殊な形のヤスリで磨きつつ、調律を繰り返す。最後に楽器全体を磨き上げ、購入者が希望するならば表面に銀の細工を施し、精巧な彫刻を入れて完成だ。

 たった二週間ほどの滞在では実際に全体の流れを確認できなかったが、カルノはクボッテがいくつかの作品を仕上げるのを見せてもらった。しかもクボッテは些細な理由で使えなくなったポカタルをカルノに渡し、手取り足取りで笛作りを指導してくれた。それでともかく形だけなら作れるようになった。

「よく働いてくれたお前に報いることはできないが、欲しい物があればなんでも持っていくがいい」

 そこでカルノは、クボッテが使わなくなった笛作りの道具、いくつかのポカタル、自分で練習用に作ったポカティを選んだ。

「そんな物だけでは悪いな。ようし、ここはわしが腕を振るおうか」

 難しい顔をしていても、やはり外国の若者がわざわざ学びに来てくれたことが嬉しかったらしい。クボッテはカルノに笛作りの極意をゆっくり解説しながらそれを作ってやった。

 カルノは感動しながら、出来上がったばかりのポカティを手にし、試しに吹いてみた。反応が段違いに良く、少し息を吹いただけでも音がすぐに、はっきり鳴る。やや強めに吹くと、ポカティを包む手全体に振動がビンビン伝わる。普通のポカティならば狙った音を出すため、ある箇所に正確に息を吹き当てる必要があるが、クボッテのこの作品ならばそこに息が自然と導かれるようだ。初心者にやさしく吹き方を教えてくれる先生のような楽器と言える。

「この歳になるまで数えきれないほどポカティを作ってきたが、誰でも簡単に音を出せるのが一番いいってことにようやく気づいたよ」

 カルノはいくつかの曲を演奏した。クボッテは感心しながら聞いたが、いくつかの改善点を鋭く指摘した。

「この笛があれば、いつかンバルを追い越せる日が来るかもしれません」

「おぬしの熱意があればンバルなどすぐに追い越せるさ」と、クボッテがやや歯がゆそうに言った。

 カルノは何度もクボッテに礼を言ってから密林を去った。

 留学生寮の部屋では、ミシャナがカルノの帰りを待っていた。彼はシャワーで旅の垢を落とし、ベッドに入り、ミシャナをやさしく抱いた。

 終わると、彼は卒業後の予定を話した。彼女は、彼がマコパンに本気で骨を埋めようとしていることを知り、安心した。それに彼女は事業熱心な彼を頼もしく思い、共に胸を躍らせた。本当に彼が言うようにポカティが全世界に普及すれば、彼が作る量産型ポカティは多くの富をもたらすことだろう。先進国のブルーランドで高級住宅を購入し、そこで豊かな生活を送れることだろう。

「きみがぼくの仕事を理解してくれて嬉しいよ。実はンバルには反対されたんだ。そんなのポカティじゃない、伝統を馬鹿にするなって」

「あの人は頭が固いのよ。もっともそれはマコパン人としては当たり前だけど」

 彼らは今回、結婚を誓った。もう誓わない理由はなかった。後は具体的な計画だ。カルノはまず大学を卒業し、自分の仕事が軌道に乗ってきたら結婚しようと提案した。ミシャナにも異存はなかった。将来の幸せな結婚生活を想像すると二人はまた力を取り戻し、相手の体内に深く溶け込もうとした。

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