さようならの代わり
赤い夕刻の空に長い金色の雲が棚引いている。
ビルとビルの間を靡く雲は建物に切り取られて全容が見えない。
それでもその夕暮れの空はとても美しかった。
「なあ、春貴」
小学校からの親友に呼び止められて俺・長倉春貴は中学の校門を抜けたところで振り返った。
昼過ぎまで降っていた雨が校庭の土の窪みに溜まって赤い空を綺麗に映し、そこに自分たちの姿も写り込んでいた。
俺はこの瞬間がなんの疑問も持たずに永遠に続くと信じ込んでいた。
「なに? 智巳」
校舎を背に立ちつく親友にいつもと変わらない笑顔で聞き返した。
「もしかして明日、朝から俺んちくるとか?」
いいよ、と俺は言いかけて親友の支倉智巳の言葉に止められた。
「お前が友達と思っている間は友達でいる」
俺は一瞬親友が言っている意味が分からなかった。
俺が友達と思っている間は友達。それってどういう意味だ?
俺はもやもやとした何か納得いかない言葉に顔を顰めた。
「それって俺が友達だと思わなくなったら終わるってこととか? 俺なら、そんな友情はいらない」
意味が分からず返した言葉に沈黙が広がった。赤い夕陽の色が少しずつ濃くなり紅へと変わり始めている。
もしかして、本当に俺が友達だと思わなかったら直ぐに友達じゃなくなるって事か? それって俺が友達だと思い続けなきゃ壊れてしまう関係って事か?
本当に友情の存続も終わりも俺の努力次第って意味だったのか?
いや、違う。
どういう意味だ?
「意味わかんねぇ、言っとくけど本当に俺が友達だと思わなくなって終わるものなら俺はいらない」
少し伏せた智巳の姿に痛みを覚えたけれど踵を返して立ち去った。
綺麗な夕闇は東の空から追いかけてきた黒い闇色と混濁し少しドス黒い赤になって夜の闇へと切り替わった。
なんだよ、あの言い方! 俺は怒りが収まらなかった。
何時もと変わりない自宅マンションに戻り、何時もと変わりない母親の「おかえりなさい」を聞いて自室へと足早に入ってカバンをベッドの上に投げた。
ムカムカした。
腹が立った。
俺は智巳を友達だと思ってる。喧嘩しても、一時、あいつが友達じゃないなんて思ってもまた友達に戻るつもりはある。
けどあの言い方は違う。
友情を保つために俺だけ努力しろと言っているのと同じだ。 そんなの友情じゃないだろ?
「そうじゃなくて!!」
怒鳴った俺に母親が入ってきた。
「どうしたの? 春貴」
俺は言葉にできない苛立ちに涙が滲んだ。
母親は俺の話を聞くと静かな笑みを浮かべた。
「そうね、春貴は支倉くんの気持ちが欲しいのね。愛も友情も一緒ね。一人が懸命に水を上げても育たないわ。二人で一緒に水を上げてこそと育つモノだわ」
……もし春貴が友情を続けようと思うなら支倉君に聞いたら? 春貴のことを友達だと思い続けてくれるのか? って、そこが知りたいんでしょ? ……
「春貴は支倉君と友達でいたいから苛立ったんでしょ? それをちゃんと伝えなさい」
俺はハッとして立ち上がると家を飛び出した。
夜の闇をポツリポツリと照らす街灯の下を駆け抜けて住宅街にある智巳の家の前に立った。
一台の車が出ようとしていて俺は慌てて窓ガラスを叩いた。
後部座席に座っていた智巳が窓を開けて俺を見た。
「春貴、何でお前……」
俺は先まで言おうとしていた言葉を忘れて慌てて口を開いた。
「あ、俺……お前のこと友達だと思ってる。すっげぇ、大切だしお前のこと好きだ。けど、俺一人なのか? 俺一人が友達だと思ってないと続かない友情なのか? それって俺とお前が詰まんないことで喧嘩してバイバイしたら終わりって事だろ? お前は俺のこと本当は友達だと思ってないのか? お前の言ったことそう言うことだぞ」
もう何を言ってるのか分からなくなってた。
でもそうなんだ。
俺だけが友達だと思ってないと続かない友情ってお前は友達だと思ってないって事なんだぞ。
「俺は、俺はお前の気持ちが知りたいんだ!! お前も友達だって思ってくれてるかってことだ!」
智巳は顔を伏せるとドアを開いて俺に抱き着いて号泣した。
「春貴ぃ!! 俺、お前に忘れてほしくなかったんだ! でももう会えなくなるから!」
俺は勢いで尻餅をついて智巳を抱きしめる形になった。
意味がわからない。
茫然としていた俺の前に智巳のおじさんが車を降りて座り込んだ。
「申し訳ない。すまない……」
俺は分からないままおじさんを見つめた。
智巳のおばさんが投資で多額の借金をして家の有り金や家を抵当に入れて投資話をしてきた男性と姿を消してしまったのだ。
金も家も無くなり多額の借金だけが残ったおじさんは智巳に夜逃げをすると言って、本当は死のうと思っていたらしい。智巳もそれを感じていたのだ。
死ぬかもしれないと、思っていたのだ。
泣きじゃくる智巳を抱きしめて俺は駆け付けて良かったと思った。手を伸ばして良かったと思った。
数日後、智巳のおばさんと投資詐欺をした男性は他でも詐欺をして捕まり、おじさんは正式に離婚して多少のお金が戻ってきたが引越しをすることになった。
俺はその話を智巳が学校を辞める日に聞いた。
あの日と同じ赤い夕暮れだった。
智巳は少し笑って手を出した。
「俺、春貴のことずっと無二の親友だと思ってる。会えるのは1年後か5年後か10年後かわからないけど俺はお前が俺を忘れても、その時はまた友情を繋ぎ直すために頑張るよ」
俺は智巳の手を握り返した。
「俺も智巳のことずっと無二の親友だと思ってる。どんなに離れても連絡するから……一緒にさ、離れてても思いを育てていこうぜ」
一緒に。
あの日の夕暮れとはもう違っていた。
二人で友情を育てていくことを覚えたから。
智巳が全てが赤く染まる夕暮れの校門前から去っていくのを目に焼き付けた。
その日から10年のあいだ智巳と会うことが出来なかった。
俺は大学に進んで社会人として働いている。
そして今、この光景が俺の日常となっている。
俺はあの日、目に焼き付けた赤い夕暮れとよく似た情景の中で手を振った。
「智巳!」
そこにあの日からずっと変わらない友情をともに育ててきた無二の親友の姿がある。
……春貴! ……