第7話「Hello World」
「……開かないやつ?」
「そうですね。この個体は一般的な加熱による収縮では開きません」
足元には、焼き跡の残るリクガキが転がっていた。
「現地の方々は“反応がない”個体を死体と判断していますが、これは工程が最適化されていないだけです」
「つまり……?」
「水を用意しましょう」
※ ※ ※
ダリオさんに断って、手洗い用のバケツを汲み替えつつ、一つ借りることにした。
「ホント悪ぃな。ほったらかしちまって」
話しながらも作業の手を止めないダリオさんの顔には、明らかな焦りの色が浮かんでいた。
奉納局から指定された目標数には、まだ遠く及んでいないらしい。
……あれで半分もいかないとか、どう考えても目標の方がおかしいだろ。
「悠真さん、≪サラマンダー≫をここに」
言われるまま、スキルを発動する。
胸の中にあるモヤモヤが邪魔して、新しい力を使った感動なんて、どこかへ飛んでいってしまっていた。
冷水を縁に沿って流しかけるよう、ザズに言われた通り動く。
ゆっくり、慎重に、何度か繰り返していると──
「……チッ」
小さな音とともに、殻がわずかに緩んだ。
「カキベラをここから差し込んでください」
言われたとおりに手を伸ばす。
するり、とカキベラが吸い込まれた。
「……開いた……」
「えっ、開いた!?」
「ちょ、ちょっとどいてくれ! 粒子化が始まっちまう!」
気がつけば、周囲にいた討伐員たちがこちらを注視していた。
ダリオさんが弾かれたように駆け寄ってきて、開いたリクガキを覗き込む。
「うわ……これ、白鉄繊維じゃねぇか!」
「カキ鉄も品質5だ! 結晶もでけぇ!!」
ものすごい手さばきで解体を進めながら、三人は大興奮のようだった。
俺は全くついていけてない。
「……白鉄繊維って?」
「高密度金属繊維です。通常の個体からも稀に発見されますが……現地では“死体”扱いされている閉殻型個体が、最も採取量が多いとされています」
「……はー。すげぇんだなお前」
ふと気づくと、討伐員たちの視線が俺に向いていた。
「……えっと、その……今のって、どうやったの?」
「あっ、え、いや、あれは……水をこう、かけて……?」
「水で開くなんて初めて見たぞ。狙ってやったのか?」
「い、いや……まぁ……実家が牡蠣漁やってて……?」
ヤバイ、これなんて説明すればいいんだ。ザズは生成AIですってのは秘密なんだよな……?
ザズをちらっとみると、静かに首を振っていた。言わない方がいいらしい。
「教えてくれ!!!」
「……え?」
不意に叫ばれて、戸惑う間もなく。
ダリオさんが、がばりと頭を下げた。
「頼む! 今のままじゃ、どうやったってFPがもたねぇんだ。
でも……もし、この“ハズレ”からこんだけの素材が取れるんなら──
俺たちの現場は、まだ守れる!」
「守れるって……」
「今朝の騒ぎ、見たか? ……また上が変わって、得体の知れねぇやつがついたらしいんだよ。
……上の指示がコロコロ変わるのは、まあ、いつものことだ。けど、今回のはマジでヤベぇ。こっちの状況とか、何ひとつ聞く気がねぇ」
少し躊躇ってから、ダリオさんはぽつりと続けた。
「リッテルアちゃんが、ずっと頭下げて止めてくれてんだ。
おかげで今まで何とかなってたが……どうやら、そろそろ“改善対象入り”だとよ」
その言葉に、別の討伐員が耐えきれず声を上げた。
「いや、あんなん無理ですって! 現場知らないくせに、マニュアル増やすことしか考えてないんすよ!」
「関係ねぇんだよ、そんなの。……結局よ、上から見たら“成果出せてねぇ”ってだけなんだ」
目を伏せたダリオさんの声は、かすかに震えていた。
──胸が苦しかった。
「……もう、誰もいなくなるかもしれねぇ。
このままじゃ、うちの班だって解散される。バラバラになって、どこに飛ばされるかもわかんねぇ」
ダリオさんは、年季の入った手で額をこすりながら、こちらをまっすぐ見た。
「でも、あんたのやり方で“開いた”ってことは──
“やりよう”が、まだあるってことだろ? だったら……頼む」
そのひどく真剣な目を見つめ返しながら、俺は小さくうなずいた。
──答えは、とっくに決まっていた。
※ ※ ※
──夜。
「悠真君とアイオーン様に──乾杯!」
ギルド近くの酒場は、すっかりお祭り騒ぎだった。
「いやー、むしろ採れすぎちまったな!」
「革命ですよ、革命!」
「載せきれなくて結晶捨てるなんて初めてだよ!」
閉じたリクガキからは、予想をはるかに超える収穫があった。
ザズが瞬時に手順をマニュアル化し、祈線で共有。
ナクセリ討伐局の全チームが、余裕で目標を達成した。
……まぁ、人力の荷車の方に限界があって、成果もそこそこに引き上げたんだけど。
「……交通インフラに対して情報インフラが先を行きすぎじゃない?」
思い返しながら、見たことのない料理と、初めての酒を味わう。
胸の奥がじんわりとあたたかかった。
「マニュアルは特許出願も可能です。がっぽり儲けられますよ」
「無粋なのか、お前は」
何を食べるでもなく隣に座るザズに、苦笑する。
ざわめきの中、不意に、ひときわ大きな声が飛んできた。
「悠真ぐん、本当、ありがどね〜!」
べろべろに酔っぱらった短髪の女性が、テーブルに頭突きする勢いで隣に座る。
「ごこ最近、ずっとみんな帰れでなくでさ。やっど寝られ゛るよぉ゛〜」
「バカコンサルにも一泡吹かせられるしな! 俺はマジでそれが嬉しい!」
「見たかこの野郎! これがリッテルアさんの力だー!」
「悠真君だろ!!」
笑い声とともに、あちこちから感謝の言葉が飛び交う。
──みんな、凄いな。
これだけ成功を喜び合えるのは、皆が、自分ができることと向き合っていたからだと思う。
俺なんかより、ずっと。
……でも、すいません、それ、ザズのおかげです。
もちろん、感謝は嬉しかった。でも同時に、胸の奥に小さな引っかかりが残っていた。
──なんだろう、この居心地の悪さは。
誰かが笑いながらグラスを掲げる。
誰かが感極まって、ぽろぽろ泣いている。
そんな喧騒のなか、不意に視線を感じて、顔を上げた。
そこに、リッテルアさんがいた。
カチリ、とグラスの音が落ちる。
彼女は俺の隣に立ち、テーブルの端にそっとグラスを置いたところだった。
「……ずいぶん、好かれたわね」
「え、いや……俺なんてなにも……」
「それ謙遜? それとも逃げ口上?」
言葉に反して、彼女の声は柔らかかった。
「……たぶん、どっちもです」
「ふうん。あんなマニュアル、誰も思いつきもしなかった。しかも無料配布なんて、正気じゃないわ」
彼女は、水をひとくち飲んで、視線を外す。
「……そんな大層なものじゃないって、どうしても思い込みたいみたいです」
なにを言っても見透かされる気がして、つい、思ったままを口にする。
リッテルアさんは、そんな俺をしばらく見つめた後、ふっと笑った。
「ま、いいんじゃない、それで」
彼女はグラスの水を飲み干すと、立ち上がる。
「今日は好きに飲みなさい。どうせ明日には地味な作業に戻るんだから」
そう言って背を向けた彼女が、ふいに振り返った。
「……でも、あんたがやったこと、あんたが思ってるより、ちゃんと届いてるわよ。自覚がないみたいだから、言っといてあげる」
その目元が、ほんの少しだけゆるんだように見えた。
俺はその背中をただ見送っていた。
「俺なんか、頷いてただけだ――」
それが思わず口からこぼれたときだった。
「──なぁに言ってんだよ」
後ろから、静かな声が飛んできた。
ダリオさんだった。
いかつい顔をしかめながら、俺の隣に腰を下ろす。
「お前が頷いてくれたから、今があるんじゃねぇか」
まっすぐな視線が、俺を射抜いた。
「あんなもん、断られて当たり前だと思ってた。――だってそうだろ。お前はなんにも得しねぇじゃねえか。……けど、お前は黙って、頷いてくれた」
静かなのに、胸の奥に響く声だった。
「……こういうの、あんま得意じゃねぇんだけどよ」
照れ隠しのように額の汗をぬぐい、口元をほんの少しだけゆるめる。
「……あんたがいてくれて、助かった。ほんとに、助かったんだ。
……こんなところへ、よく来てくれた。これからも、よろしくな」
──帰り道。
リッテルアさんに紹介された宿に向かいながら、俺は、酔いが残った足取りで夜道を歩いていた。
久しぶりに大人数で酒を飲んだせいか、胸のあたりが、さっきからずっと、ふわふわしている。
夜の町はほとんど灯りもなく、ぽつぽつと立ち並ぶ鏡のような柱が、足元をわずかに照らしていた。
──「おまえが手出すな!」
いつか聞いた怒鳴り声、もう思い出せない顔たち。
あの頃の自分が、ずいぶん遠くに思えた。
今は、この小さな町で、必死に生きている人たちと一緒に──いると言って、いいんだろうか。
「……やっぱり、俺じゃないよな」
異世界でも変わらない満天の星空を眺めながら、ゆっくりと歩く。
何かを押さえていないと、気持ちが勝手に前へ走り出してしまいそうだった。
「……すげーのはザズなんだよ」
「私は悠真さんの生成型支援知性です。悠真さんが選んだこと、動いたこと──それがなければ、私は何もできませんよ」
ザズの声は、相変わらず穏やかだ。
「……でもさ……いや、……そう、なのかな」
「そうですよ。悠真さんは、自分では気づかないうちに、ちゃんと誰かを助けてました」
……そう思えたら、いいのかな。
居酒屋の熱気が、まだ体の中に残ってる。
楽しかった──んだと思う。けど、自分がそこに混じって笑ってたのが、どこかむず痒い。
……どうしてだろう。
胸の奥が、さっきからずっと、苦しかった。
酔ってるせいでも、夜風のせいでもない。
こんなふうに誰かと笑って、誰かに認められて──
……ずっと、こういう場所を、探してたのかもしれない。
──「よく来てくれた」。
その言葉が、頭から離れなかった。
喉の奥から熱がこみ上げてきて、上を向いて歩かないと、溢れ出してしまいそうだった。
「……明日は、少しでいいから、自分の言葉で話せたらいいな」
ぼつりと零れ落ちた言葉は、星空へ溶けていくようだった。
奉納塔の無機質な瞳が、それを眺めていた。