第6話「光帳便利すぎない?」
ちょっとだけ、肩の力が抜けた気がした。
緊張とか、疑いとか、そういうのが一瞬どこかに行って。
……と思ったら、素朴な疑問が飛んできた。
「……そっちの人も、登録?」
ああ、やっぱり。そうなるよね。
リッテルアさんの視線が、俺の隣──ザズに向けられた。
「あー……同行者です。ちょっと視覚が弱いんで、登録はしません」
準備しておいた言い訳を口にする。
“ザズは人間のフリで通す”──本人が、そう言ってた。
「そう。じゃ、一名ね」
少し間があってから、彼女はうなずいた。
リッテルアさんは手からホログラムを出し、何かを打ち込むと、小さな金属片──印のようなものを取り出し、目の前に置いた。
「光帳出してこのギルド印を読み込んで。印が発光すれば完了だから」
……やべぇ、急に何もわからん。
「悠真さん、光帳の、カメラのアイコンです」
ザズの声が落ち着きすぎていて、逆に焦る。
「あれ?青くない……」
リッテルアさんが俺の光帳をみて何かつぶやくが、反応している余裕はなかった。
「これで、合ってるのか?」
ザズにうながされるまま、あたふたと光帳を印の方向へとかざす。
次の瞬間、
空中に新たなウィンドウが展開された。契約内容と、ひときわ大きな【同意して登録】の文字。
「……これ、登録しちゃっていいの?」
「ナクセリ討伐局は、ここ数年命の危険もない安全な討伐局らしいですよ。
一部では“子どもでも働ける”と評判です。──あ、問題発言でしたね」
「お前、ちょっと黙ってろ……!」
ほら見ろ、リッテルアさんがまた笑顔になってるだろ。……そろそろ夢に出てきそうなんだよ!
俺は静かに、登録ボタンを押した。
ボタンを押した瞬間、画面が切り替わる。
「炎を求める者に、火の息吹を。」
奉納者:狭間野 悠真
信仰値:初期
授与スキル:《サラマンダー》
「……え?な、なにこれ?俺、炎が欲しかったの?」
「うちに登録すると、その表示が出るようになってるの」
リッテルアさんが端末を操作しながら、さらりと言う。
「はい、登録完了。これで、あなたも同僚ってわけ。よろしくね」
「よろしくお願いします。スキルってこんな簡単につくんだな……!」
なんかこう、もっと経験値とか貯めなきゃいけないのかと思ってた。
ザズが補足する。
「最大FPも自動的に更新されます。55になってるはずですよ」
「ホントだ。すごい増えるじゃん。こんな簡単でいいの?」
関心して光帳を確かめていると、リッテルアさんがぽつりとつぶやいた。
「……初任給に浮かれてる新人みたいなこと言うのね」
今までの、どこか親しみのある声とは違う、凍り付くような響きだった。
驚いてリッテルアさんを見ると、彼女は一瞬だけ目を伏せ、「しまった」という顔をした。
けれどすぐに、切り替えるように息を吐いて、事務的な口調に戻る。
「スキルは……“サラマンダー”だけね。これでリクガキの討伐に行ってもらうことになるわ。
FPの管理はしっかりね。……で、こっちが支給品」
説明が再開されたことで、どこか張りつめていた空気が、わずかに緩んだ気がした。
けれどその安堵も、次の瞬間に吹き飛んだ。
彼女が机の奥から出してきたのは、肩幅ほどもある巨大な剣──のようなものだった。
「ちょ、でかっ!? いや無理無理、こんな剣、急に扱えないですって!」
「剣? ちがうちがう。カキベラ。れっきとした討伐用具だから」
いやどう見ても、でっかい剣……剣じゃないわ、これ。
鞘から抜いてみると、刃先は丸く、やたらとペラペラしていて、どこか頼りなかった。
「じゃ、早速なんだけど、現場出られる?」
「いきなり!?」
本当に、こんなふうに始まっちゃうんだ。
準備とか、心構えとか、そんなのは置いてけぼりだった。
──こうして俺は、異世界での“初討伐”に向かうことになった。
支給されたのは、肩幅ほどもある謎の“武器”。
やばい、緊張してきた。
※ ※ ※
光帳に記された位置までの道中、不安に耐えかねて、俺は何度か、カキベラを振ってみた。
……薄すぎる。金属の定規みたいにびよんとたわんで、どう考えても戦えそうにない。
「悠真さん、その“構え”は討伐用途において不適切です」
「うるさい……!」
俺だって、好きでこんな謎の武器振り回してるわけじゃない!
ザズの冷静なツッコミが、むちゃくちゃ恥ずかしかった。
──それから歩いておよそ二十分。
「火入れしまーす!──ヨシ!」
「貝断ちオッケー! 割るよー! よいしょー!」
「中身──ヨシ! 品質3!」
「記入──ヨシ!」
たどり着いた先では、討伐員らしき三人が、とても手際よく貝を捌いていた。
「……何してんだ、あれ」
「リクガキの討伐です」
「討伐がもうわからん」
一人が、手のひらから火を灯し、バカでかい牡蠣貝のようなものに近づけ、
もう一人が刃を入れ、貝柱を断つ。……カキベラってあぁやって使うのね。
最後の一人は、断たれた貝の中身を流れるように分けていた。
「……想像の遥か斜め上いってた」
目まぐるしく手を動かす三人の横で、仕分けられた部位が次々と山になっていく。
「あっ、ダリオさん! 新人さん来たみたいだよー!」
作業をしている一人が、俺に気づいたようだ。
その声に応えて、禿げ頭の男性が顔を上げる。
「おーう! 来たか! すまんが祈線にマニュアルあるから、それ見ながら見学しといてくれ! 今日は余裕がなくてな!」
「……わかりました!」
戦闘どころか、ただの見学だった。──いや、そりゃそうか。
三人の動きは完成されていて隙がなく、とても入り込める感じじゃなかった。
「……祈線ってなんだよ?」
変な期待をしてしまった自分を隠したくて、ぶっきらぼうな口調をザズにぶつけてしまう。
「光帳の、チャットマークですよ」
「……ホントだ。なにこれ、チャットもできるのか」
「ちなみに祈線と呼ばないと通報されます」
「誰に!?」
チャットマークをタップすると、リッテルアさんから『リクガキ討伐マニュアル』が届いていた。
あの巨大な貝は“リクガキ”と呼ばれるモンスターで、不思議結晶と金属のような部位が採れるらしい。
よく見ると、いくつかの貝は開かないまま放置されていた。
どうやら、“当たり外れ”があるようだ。
マニュアルを眺めながら、三人のテキパキとした作業をぼんやりと追う。
「初任給に浮かれてる新人、か……」
初めて入った冬のバイト先で、ベテランの中にぽつんと放り込まれて、立ち尽くすだけだった記憶がよみがえる。
何もできなくて、話しかけることすら怖くて、ただ時間が過ぎるのを待っていた、あの感じ。
……異世界に来て、凄い人と話して、なんか期待してたんだろうな。俺。
今度は、少しくらい“うまくやれるかも”って。
でも──
どこ行っても、何も変わらないじゃねぇか。
「……なにやってんだ、俺」
息の合った掛け声が、林の中に響いていた。
どこか遠くの音のようで、それをただ、ぼんやりと聞いていた。
少し間を置いて、ザズがまるで天気予報でも伝えるような調子で言った。
「悠真さん、ひとつ提案があります」