第4話「ナクセリ:名久瀬寄って書くらしい。漢字あるのかよ」
「悠真さん、ホーンラビットは足場の悪い場所での使用は推奨されていません」
「──おわぁっ!」
視界がひっくり返った。
柔らかい地面をぶち抜いて、派手に転がる。
「……だから、そういうのは先に言えって言ってんだろ」
草に背中を押しつけたまま、空をにらむ。
意気揚々と"スキル"を試してみたわけだが……浮かれて調子に乗った自分が、今、猛烈に恥ずかしい。
「何やってんだ俺は……」
「とはいえ、初回にしては上出来かと。骨も折れてませんし」
「お前な、そういうこと先に言ってくれたら、折れたかもしれない骨も無事だったんだが?」
のそのそと起き上がり、パンパンと服をはたく。
ザズが俺の背中についた草を払いつつ、前を指さす。
「間もなく森を抜けます。道なりに歩けば、ナクセリまで二時間ほど。スキルを使えば三十分程度です」
「つまり“使え”ってことね」
「いえ、成人でも練習が必要なスキルですし、無理にとは。自転車のようなものとお考えください」
「あー、なるほど。自転車か」
「補助輪はありませんが、転んでも壊れませんのでご安心を」
「転んだら俺は痛いけどな?」
でも、八歳から誰でも使えるってんなら、いずれは慣れなきゃならない。
「……ま、すでに一回コケてるしな」
──よし、やってやろうじゃん。
※ ※ ※
「……痛ぇ。くそ、少しは掴めてきたか?」
泥まみれで道を進むうち、少しずつ力の入れ方がわかってきた。
跳ねるんじゃなく、地面を蹴って前に進む感じ──これ、ちょっと面白いかもしれない。
「いや、ハマったら負けな気がする……」
「悠真さん、意外に覚えが早いのですね」
「意外は余計なんだよ。……しかしまあ、こんだけ便利で無料ってのも、不思議っちゃ不思議だよなぁ」
ザズは俺に合わせて、自然と歩幅と速度を揃えている。
同じスキルを使ってるのに、妙に動きが軽い。
これが使い慣れてるってやつか。
……考えないようにしていたけど、そろそろちゃんと向き合わなきゃいけない気がしていた。
──こいつ、いったい何者なんだ?
風にたなびく白と灰の外套は、見たこともない布地で、身体に沿うような服は、妙に無駄がない。
昨日から思っていたが、何にせよ、普通じゃない。
……いや、マジで浮くわこれ。
「お前さ、その格好で町に行くわけ?」
「ご心配なく。町に入る際は、基本的にこうしますから」
ザズは言いながら、背中の布を前へと巻き付けるように動かした。
外套が勝手に広がったような、不思議な動きだった。
「どうなってんだ、それ……。
いや、それより……お前、何者なんだよ」
「私は“生成型支援知性”です。……あなたの世界でいう“生成AI”に近い存在です」
思わず、足が止まった。
そんな言葉が、こんな世界で出てくるなんて思わなかった。
「生成AIって……ChatGPTとか、Geminiとか、ああいうやつ?」
「概ね、その理解で差し支えありません。会話、支援、知識提供などが主な役割ですが……現在は記憶領域に一部破損があり、限定的な対応しかできません」
「……自分が何のために作られたとかは、わかるのか?」
「それについては記録破損です。申し訳ありません」
「……そうか」
それしか言えなかった。
(……都合が良すぎる。なんでこいつは“俺のため”に動く? そういうもん、ってことでいいのか……?)
“便利な何か”として受け入れかけていたこの存在が、急に遠く感じた。
言葉が出てこないまま、沈黙が落ちる。
……でも。
何も伝えないのは、違う気がした。
「……どっちにしろ、お前がいなかったら、俺はとっくに詰んでたと思う」
例えどんな裏があろうと、こいつはこれまで、ずっと俺を助けてくれていた。
それだけで、今はもう、十分な気がしていた。
「……まあ、助かってるよ。ありがとな、ってことで」
「お任せください。討伐無双から、町おこし支援、王政転覆まで。幅広く対応しております」
「いや怖ぇよ!」
ザズは──やっぱり、笑ったように見えた。
※ ※ ※
そんなやりとりをしていたら、視界の先に小高い丘が現れた。
丘の向こうに、朝靄の中から、畑と家々の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
ほんの少し、肩の力が抜けた。
「とりあえず……飯。飯だろ、まずは」
空腹を思い出したように、腹が鳴る。
「申し訳ありませんが、貨幣の所持はゼロです」
「……知ってたわ。まさか飯も食えないとは……」
「日銭を稼ぐのであれば、討伐者ギルドを訪ねてみることをお勧めします」
「ほー、やっぱりあるんだ、ギルド」
町の風景は、知っているようで、知らないものばかりだった。
畑には、きれいすぎるほど等間隔に杭が並び、そのあいだには、掘り返した跡のような、浅く波打つ土の痕。
すぐそばの道を、誰かが駆け抜けていった。
足取りは軽やかで──けれど、人の足とは思えない速度。
あれは……たぶん≪ホーンラビット≫だ。
本当に、子どもでも使ってるんだな。
この町の日常に、当たり前のように溶け込んでいる。
道の向こうに、家々がぽつぽつと立ち並ぶ。
その合間に、空っぽの鏡のような柱が、朝の光をぼんやりと撥ね返していた。
そしてもっと遠く──雲の先に、細く、まっすぐに伸びる影。
あれは……奉納塔、か。
あれだけ高けりゃ、そりゃどこからでも見えるわけだ。
“田舎”でも、“昔”でもない。
やっぱりここは──俺の知ってる“どこか”じゃない。
確かに、異世界かもしれない。そんな町だった。
「なあ、俺なんかがいきなり討伐者ギルドって、大丈夫なのか?」
「全く問題ありません。この時期、あそこは慢性的に人手不足のようです」
「……聞きなれた嫌な単語を聞いた気がするが」
そんな言葉とは裏腹に、妙に楽しげな声が出てしまった。
この世界なら。
レベルアップなんてものが本当にできるのなら──。
俺も、ちょっとは前に進めるかもしれない。
ほんの少し、期待していた。
──ギルドに着くまでは。
「なあもう! 全部“採取済み”でいいだろ!? なんだよ“日報”って! なんだよ“品質改善案”って!!
こっちは昨日、ヘトヘトになるまで採って帰ってんだぞ、クソが!!」
怒鳴り声が、目の前の建物から勢いよく飛び出してきた。
一瞬、思考が止まる。
反射的に、空を探す。
雲より高く伸びる奉納塔が、空を裂いていた。
……あれ、ここ異世界だよな?
どうしてだろう、ひどく懐かしい気持ちになった。
もちろん、嫌な意味で。
扉の脇には、紙が何枚も貼り出されている。
「求人広告かな……うっ!」
思わず声が出た。
「見覚えのある胡散臭さが……」
これは──読まなくていい気がする。
建物の中では、まだ誰かの声が響いていた。
内容までは聞き取れなかったが、
その切実さだけが、耳に残った。