焼きそば : 私だけ
七時を過ぎて、空が暗くなってきた。屋台の灯りもついて、周囲も賑やかになって、やっとお祭りらしくなる。
それなのに、私の心はどこか冷めている。
私たちが座るベンチは、扇子や風鈴を売っているお店の目の前だった。お店の扉は開きっぱなしだから、クーラーの冷たい風が出てきて心地いい。
「お祭り、結構来たことある?」
私は、隣の浩介くんに問いかける。
「そんなにないかな」
そう答える彼の手は、もう止まっていた。透明の容器の中身は、もう空だ。
私は冷め切った焼きそばを急いで食べようとした。でも割り箸はあまり慣れなくて、なかなか進まない。
ずっと、話していたのは私だけ。彼は相槌を打っているばかりで、聞いているのかそうじゃないのかも分からなかった。
初めてのデートで、緊張しているんだろうか。それとも――
ああ、美味しくないな。
屋台の焼きそばは、買った時点で冷めていたりしているからあまり好きじゃない。でも、浩介くんが食べると言ったから、私も買った。美味しいねって、言い合えたらいいなと思った。
去年はそれができていた。同じクラスで、机をくっつけて、同じ給食を食べて。どんなに冷めていても、美味しいねって笑い合えた。
私はもう一回、それをしたいだけなのに。
一瞬目をやると、彼は私と反対方向の何かを見ている。
私はその何かに嫉妬しながら、最後の麺を丁寧につまんで口へ運ぶ。
それから、ハンカチで口を拭いて、リップを塗りなおして、それからやっと彼の方を向いた。彼はまだ、どこかを見ていた。
「少し、歩く?」
私は問いかける。浩介くんは私を見て、また少し目を逸らす。
「もう少し、座ってよう。ここ、涼しいし」
「……うん、そうだね」
店の風鈴がチリンと鳴る。それきり、私たちは何も話さない。
笛の音と太鼓の音、人びとの賑わいが私たちの気まずさをなんとかしている。そんな感じだった。
まるで、出会ったときみたいだと思った。あのときも、私は一人で喋ってばかりだった。
中学三年生、隣の席だった浩介くんは体が大きくて無愛想で、女子から少し怖がられていた。私が話しかけても、短い返事しかしなかった。
それでも私は彼のことが気になって仕方がなくて、たくさん話しかけた。話しかけるたびに、浩介くんの返事は確実に長く、明るくなっていった。彼の心が近くなっているって、ちゃんと感じられた。中学を卒業する頃には、浩介くんから話しかけてくれて、たくさんくだらない話をするようになっていた。
それがどうして、また元に戻ってしまったんだろう。
「足の日焼け、すごいね」
彼は私の足元の日焼け跡を見て言った。夏休みに入って外で部活ばっかりしていたから、靴下を履いているところだけを白く残して、足が真っ黒に焼けていた。裸足なのに、まるで白い靴下を履いているみたいに。
「……ああ、これ? すごいでしょう」
私は苦笑した。
お気に入りのサンダルを履いてた。ピンクのペディキュアもしてた。お洒落なミサンガもしてた。
そのどれも、浩介くんには気づいてもらえない。
彼は、またそっぽを向く。私も下を向く。
きっと、元に戻ったんじゃない。今、彼の心は少しずつ離れていってるんだ。
そんなこと、私にだってわかる。だって、半年も付き合っているのに、私たちは手すら繋いだことがない。
ずっと触れたかった彼の手は、今でもこんなに遠い。
どうしたらいいんだろう。
分からなかった。浩介くんがどうしたいのかも、私がどうしたらいいのかも。
せっかく同じ高校に入れたのに。やっと想いが伝わったと思ったのに。たった、半年で。
「そろそろ、帰らない?」
浩介くんは、ふと振り向いてそう言う。
まだ、唐揚げを食べてない。かき氷も食べてない。チョコバナナも、わたあめも。お神輿だって、すごく遠くにちらっと見えただけだ。
これじゃあ、なんのためにお祭りに来たのか分からない。
でも、それでもいい。
「うん、帰ろっか」
きっと、いま何を食べたって美味しくない。
浩介くんは立ち上がる。それから、振り返ることなく歩き出す。私は黙って、その後ろをついて行く。
最初から、私だけだったんだろうな。
浩介くんの大きな背中を見ながら、そう思う。彼の前を歩くカップルは、手を繋いでいて、楽しそうに笑っていた。
私は息を吐いて、笑顔を作って、浩介くんの隣へ駆けていく。
「焼きそば、美味しかったね」
彼は私の目をチラリと見て、また逸らす。
「……俺は、中学の給食の焼きそばのが、美味しかったかな」
呟くように、そう言った。
……そうか。私だけじゃなかったんだね、あの頃は。
私は上を向く。何回も挑戦して、やっと上手くできたメイクが崩れてしまわないように。
小さな風が吹いて、髪が頬にふれた。焼きそばの匂いは、もうしない。
それは暑いけど冷たい、夏の夜だった。