殿下と男爵令嬢は結婚できません。何故なら――。
「アナ、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「「「――!」」」
王家が主催している、華やかな夜会の最中。
私の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるモーガン殿下が、唐突にそう宣言した。
モーガン殿下は今日も流れるような金髪が煌めいており、その明媚な顔は貴族令嬢たちを魅了している。
殿下の突然の婚約破棄宣言にも、令嬢たちは不謹慎だとは感じつつも、好奇の色を抑えられない様子。
「どういうことでしょうか殿下? よろしければ事情をご説明願えますか?」
「……君には本当に申し訳ないとは思っている。――だが僕は、真実の愛に目覚めてしまったんだ!」
そう言うなり殿下は、傍らに立っている男爵令嬢のチェルシーさんを抱き寄せた。
令嬢たちから「キャー!」という黄色い声が上がる。
それもそのはず。
チェルシーさんも殿下同様、流れるような金髪にまるでお人形のように美麗な容姿を誇っているので、二人が抱き合っていると、それだけで一つの完成された芸術作品のようにさえ見えるのだ。
地味顔の私では、こうはいかない。
「こんなことになってしまってごめんなさいアナ様! でも私、どうしてもモーガン様のことが好きなんです!」
「嗚呼、チェルシー、僕もだよ!」
二人は互いの愛を確かめ合うかのように、熱い抱擁を交わす。
「承知いたしました。そういうことでしたらこの婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私は恭しくカーテシーを取る。
「おお! わかってくれたかアナ! 君ならそう言ってくれると信じていたよ!」
さて、これで私も――。
「僭越ながら、お待ちください殿下」
「「「――!」」」
その時だった。
私の隣にさながら騎士の如く佇んでいた私のお兄様が、殿下に声を掛けた。
お、お兄様……?
「な、なんだ!? たった今、当のアナから婚約破棄を受けると言質を取ったんだ! 今更文句は受け付けないぞ!」
「いえ、その件に関しては仰る通りですので、私からは何も申すことはございません」
「だ、だったら……」
「私が言いたいのは、残念ながら殿下とチェルシー嬢はご結婚できないということです」
「ハァッ!?」
「なっ!?」
お兄様……!?
どういうことなのです、それは……?
「フ、フザけたことを言うな! 多少の身分差くらい、僕たちの真実の愛で乗り越えてみせるさ!」
「そ、そうです! 私とモーガン様の愛は本物なのですから!」
「本物……ですか。皮肉なものですね」
お兄様はその鋭い眼光を二人から逸らし、フウと一つ嘆息した。
「さ、さっきから何なんだ貴様! これ以上僕たちの愛を侮辱するようなら、不敬罪で斬るぞ!」
「何故私がこんなことを言っているのかは、あなた様からご説明していただいたほうがよろしいかと思われますが、いかがですか、陛下?」
「「「――!?」」」
お兄様がおもむろに、殿下のお父上である国王陛下に水を向けた。
まさかここで陛下にお声を掛けるとは誰も予想していなかったので、会場がざわつく。
「う……ぐぅ……」
そんな陛下は、苦虫を噛み潰したようなお顔で、視線を彷徨わせている。
「ご、ごめんなさい、チェルシーッ!」
「「「――!?」」」
その時だった。
今度はチェルシーさんのお母上が、号泣しながらその場でチェルシーさんに向かって土下座をした。
あまりに混沌とした状況に、場は沸騰寸前だ。
「お母さん!? どうしてお母さんが謝るのよ!?」
「……あなたとモーガン様は絶対に結婚することは許されないの。どうかわかってちょうだい」
意味あり気な視線を、国王陛下と交わすチェルシーさんのお母上。
ま、まさか――!!
「――! そ、そんな……。ウソよ……、ウソだと言ってよお母さんッ!」
「父上ッ! あ、あなたという人は――!! う、うわあああああああ!!!」
真実を察したチェルシーさんとモーガン殿下は、頭を抱えてその場に頽れた。
「すまん……。すまん二人とも……」
握った拳を震わせながら嗚咽する陛下。
……そういうことですか。
モーガン殿下とチェルシーさんは、腹違いの兄妹だったのですね。
それは確かに、結婚はできませんね……。
どうりでお二人のお顔は、どちらもよく似てお美しいはずだわ。
陛下はお若い頃は紅顔の美少年だったそうですし、お二人とも陛下の血を色濃く継いでらっしゃるのですね。
「どういうことですか陛下!? 納得のいく説明をしてください!」
王妃殿下が陛下に詰め寄る。
「この、売女がッ! 拾ってやった恩を仇で返しおってッ!」
そしてチェルシーさんの義理の父上である、マクベイン男爵がチェルシーさんの母上に罵声を浴びせた。
嗚呼、完全に地獄絵図だわ……。
「ふむ、これ以上ここにいたら、厄介なことに巻き込まれそうだな。そうなる前に、俺たちは帰ろうか、アナ」
「は、はい、お兄様!」
私はお兄様と並んで、怒号が飛び交う会場を後にしたのだった――。
「お兄様はあのお二人が兄妹であることを、知ってらっしゃったのですね?」
帰りの馬車の中で、隣に座られているお兄様にそう尋ねる。
「ああ、まあね。とはいえ、裏の世界じゃ有名な話だから、別に大したことじゃないさ」
「……そうなんですか」
お兄様は何でもないことのように、窓の外に視線を向ける。
夜空には怪しげに輝く満月が、私とお兄様を無言で見下ろしていた。
――お兄様は影に生きる人間。
所謂スパイなのだ。
お父様の指示の下、日夜文字通り命懸けでありとあらゆる情報を集めている。
そんなお兄様なら、国王陛下の過去の過ちくらい、自然と耳に入っているのは自明でしたね。
「でも、だからといって、わざわざあの場で暴露する必要はなかったのでは?」
これでもし王家から恨みを買ってしまったら、お兄様の身が心配です。
まあ、お兄様のことですから、何重にも防衛策は張ってらっしゃるのでしょうけど。
そもそも今回のことで王家の信頼は地に落ちたでしょうし、ひょっとしたらトップの首が置き換わるなんてことも……?
ああ、よもやそのことこそが、お兄様の狙いだった、とか?
「ふふ、そうはいかないよ。――可愛い妹を公衆の面前で虚仮にされたんだ。兄として、黙ってはいられないからな」
「お、お兄様――!」
月明かりに照らされたお兄様は、まるで人知を超えた存在のように、神々しかった――。
「お兄様、大好きです!」
堪らなくなった私は、お兄様に抱きついた。
「ふふ、俺もだよ、アナ」
そんな私のことを、お兄様は優しく抱きしめ返してくれた。
嗚呼、お兄様、私、幸せです――。
――私は絶対、お兄様と結婚してみせる。
モーガン殿下とチェルシーさんと違って、私とお兄様は血は繋がっていないから。
今から八年ほど前、私のお父様が孤児だったお兄様を、スパイとして養成するために、養子として我が家に迎え入れたのである。
儚くも美しい黒い瞳を持つお兄様に、私は一目惚れした。
その時既にモーガン殿下の婚約者だった私だけれど、どうしてもお兄様のことが諦めきれなかった。
だからこそ、モーガン殿下の関心がチェルシーさんに移っていることを察しながらも、私は敢えてそれを放置したのだ。
まさかその結果、実の兄妹が愛し合うことになってしまったのは皮肉だけれど、まあ、半分は自業自得だものね。
どちらにせよ、もう私には関係のないこと。
今はただ、お兄様の胸の温かさを、堪能することにしましょう――。
拙作、『憧れの美人生徒会長にお喋りインコが勝手に告白したけど、会長の気持ちもインコが暴露しやがった』が書籍化します。
オーバーラップ文庫様より2024年6月25日発売予定です。
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)