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86話 自由への道標

その時見せたアルシュの決意に、スピカは快く乗ってくれた。


もちろん嬉しさはあった。だがその時は単なる思いつきでしか無く、考えても見ればこの練兵所からの脱出は決して容易ではない。


というのも、要因は三つある。

まず一つは、牢からの脱出。まず、鍵が手に入らなければ話にならない。

二つ目、私兵の監視。もし見つかれば武器がない中、二人で十人程の私兵を相手にしなければいけなくなる。アルシュはともかく、武器がなければ力を発揮できないスピカであれば危険極まりない。


三つ目、マシールの存在。アルシュがこれまで脱出を先延ばしにしてきた原因。いくら看守を圧倒できても、奴がいる。正直、今のアルシュでも奴に打ち勝てるビジョンは浮かばない。


だが、残された時間の中、二日間でアルシュとスピカはこれらの問題を解決する事ができた。


「本当に、看守はいなくなるんだろうな」

「大丈夫だって。貴方と違って、私は魔力感知が得意だから。大体真夜中の皆が寝静まった頃になると、マシールはいない。見張りは十人から二人になるわ。だから狙い所はそこよ」


牢を出て極力戦いを避けつつ脱出を狙うというのが、二人が考えた作戦だ。

逃げ出すともなると慎重になるアルシュ。だが、スピカの胸の張りようだ。ここは彼女を信じる他あるまい。


「でも問題は、どうやってそれぞれが鍵を奪うかよね」


問題の二つは処理できたが、残り一つにスピカは考え込む。

そもそも、別々の部屋にいながらそれぞれが看守から鍵を奪う事ができれば苦労はしない。


「待てよ、別々?同じ?」


アルシュはタウフィクからの褒美を思い出す。あの男は言った。スピカと共に夜を過ごす権利を与えると。


「そうだ、その手があった!」

「え、アルシュ?どうしたの?」


アルシュの中に妙案が浮かび、スピカの計画と繋がる。事でその表情には光明が浮かんだ。








それからタウフィクに提案をされてから2日目の夜、アルシュとスピカの脱出作戦は幕を開ける。


「まさか、貴方と一緒の牢で過ごす事になるなんてね」

「しょうがないだろ...だって、これしか方法が無かったんだ」


一つの牢の中、二人は仰向けになり天井を眺めながら作戦の始まりを待っている。


「でも、本当に感謝してるのよ?貴方があの時一緒に出ようって言ってくれた事、本当に嬉しかったんだから」

「最初に言い出したのはお前だろ?だから俺も乗ってやっただけだよ」


アルシュはスピカの決意を覚えていた。ここを一緒に出たら生きる事の楽しさを教えてくれるのだと。


「じゃあ、もう復讐はしないって誓ってくれるの?」

「...!」


嘘はつきたくなかったから、言葉が詰まる。それだけは誓えない。

これまで、腕の中で最後に見た父の無念の顔を忘れた事はない。

これまで見てきた地獄を忘れられる訳がない。復讐の怨嗟は今もアルシュの心を燃やし、生きる糧となっている。


「すまない。その誓いはできない。その目標を捨てる事だけは絶対にできないんだ」

「どうしてよ、私と一緒にここに出るんでしょ!?」

「俺だって、お前の言うように楽しく過ごせたら、どんなに幸せかって思う。でも俺には、そんな生き方はできない。だって俺は今まで、そのために生きて来たんだ」


戦場で生き抜いて来たのも、闘技場で死闘に打ち勝ったのも、ヨルム王を殺すためだ。

その目標がなければ、今頃アルシュはここにはいない。とっくに土に帰っていたに違いない。


「何よそれ。ふざけないで、ふざけないでよ!それじゃあ話が全然違うじゃない!私はアルシュと一緒にいられると思ってこの話に乗ったのよ!?」

「できる訳ないだろ!俺はヨルムのところに行くんだ!だからいつまでもこんな所で腐ってられるか!」


思わぬ裏切りに、スピカは肩を落とす。


「もう、いいわ。じゃあ私はこの作戦に参加しない」

「は?今更何言ってんだ!」

「当然よ!復讐って言ってる奴と一緒にいるだけでも反吐が出る!」

「おい!何事だ!お盛んなのは結構だが静かにやれ!」


看守は呆れながら、やけにうるさいアルシュの一室へと歩みを進める。

その足音と共に、喧騒は止み、静寂が漂う。

看守は違和感を感じずにはいられない。明らかに何か一悶着があったようだ。それなのに、糸が途切れたように声が止むのは不自然だ。

とりあえず、アルシュのいる牢へと向かい、そこで見た光景に看守は言葉を失う。


「あ...ああ...!」


アルシュの背中が見え、その下にはスピカの仰向けの体がある。

アルシュは両腕を首あたりに伸ばし、前傾姿勢になっている。まるで何かを必死に取り押さえ、少女は呻き声をあげて苦しそうだ。


「おい!一体何事だ!」


大声にもアルシュは振り向かない。看守には首を絞めているように見えた。戦士同士の殺し合いはまずいと看守は慌てて鍵を開ける。


「やめろ!」


それからアルシュに近づき、剣を引き抜いた。


「ごばあ!」


直後、遠心力によってアルシュの左ストレートが風を切って看守の顔にめり込むと、そのまま押し倒した。


「すまない。ちょっと重かったか」


アルシュが退くと、スピカも背中を撫でながらゆっくりと立ち上がる。


「ちょっとね。それより、貴方って本当に容赦ないのね。今ので死んじゃってもおかしくないわよこれ」

「殺すつもりはねえよ。これくらいやらないとすぐ起きちまうだろ」


アルシュが強く殴りつけたため、看守は白目を向いている。歯が周囲に散らばり、口元からゴボゴボと泡を吹き、痙攣している。

その酷い有様に、スピカは目も当てら荒れず少しばかり同情を見せる。


「それによくこんな方法思いついたわね。普通ここまで卑劣な方法思いつかないわよ」

「別に大した事ねえよ。前にもやった事があるだけだ」

「前にもって...貴方ここに来るまで何回牢に入れられた事あるのよ」

「覚えていない。いっぱいだ」


牢から出る事など、アルシュにとってはなんの困難にもならない。看守の気を引いて油断させればどうにかなる。それはこれまでに学んだ事だ。


「それより、大事なのはこっからだ。一応御信用のためだ。それ持っとけ」


そう言ってアルシュは伸びきった看守の鞘から飛び出していたサーベルを拾い上げ、スピカに渡す。道中何が起こるか分からない。戦う手段があった方が彼女も動きやすいに違いない。


「ありがと、使わせてもらうわ。でもアルシュは大丈夫なの?」

「俺なら何とかなる。さっきのを見ただろ?」

「そうね。でもなるべく使わない事を祈るわ。だっていくらなんんでもあれじゃ看守がかわいそうに思うもん」

「そうだな。敵に会わないように慎重に行くぞ」

「その前にもう一ついい?」

「?」


先を急ごうとするアルシュの背中にスピカは問いかけると、素足が止まる。


「さっきの話、本当に演技なのよね?」

「....」


アルシュは足を止め、開きかかった牢の出口で無言のまま立ち尽くす。


「演技...だけとは言えないな。本心も混じってる」

「そう...」


その返答を、スピカは否定はしなかった。ただその声には復讐から逃げられないアルシュへの憐憫と、決して変えてあげる事の出来ない物悲しさを感じさせた。


「でも、変わりたとも思っている。お前のおかげで分かったんだ。この世界は俺が思っている以上に広いんだって戦いや復讐だけじゃないんだって。そう思えるようになって来た。だから俺はここから出たい...!」

「アルシュ...」


スピカの瞳に光が宿り、安堵と共に湧き上がる喜びの感情が目に涙を潤ませる。

憎しみと悲しみだけがこの世界の本質ではないんだと、アルシュは知った。

だったら知りたい。楽しい事、嬉しい事に出会う。そしたらこの傷も癒えるかもしれない。


「さあ、一緒に出ようスピカ。俺たちの未来はすぐそこだ...!」

「うん!」


スピカは目元を拭い、心を決める。何があろうと絶対にここから出るんだと。復讐から抜け出す事のできないアルシュを救うのだと。



こうしてアルシュとスピカは牢を出て、アルシュが前方を、スピカが後方を見渡しながらゆっくりと牢を出る。足音が響かないようにゆっくりと、静かに。

壁際に察知された松明と、記憶を頼りに暗く、長い廊下を息を殺しながら突き進んで行く。

不安はあった。もし見つかれば、もし想定を上回る事態が起こりでもすれば無事では済まないだろうと。

だが、今の所は慎重だ。看守の足音は聞こえない。

それと長い廊下を渡り切ってから突き当たりを右に曲ったが、そこから先の廊下も誰かがいる気配もない。次の突き当たりで左に曲がれば出口だ。


「行ける。出られる」


懸念の中に広がりつつある期待はアルシュとスピカに勇気を宿す。

もうすぐ出られる。この死を待つしかなかった日常から。前に進めるのだ。


「あぁ?なんだぁ....?ヒック!」

「....っ!」


角を曲がった時、何か大きな鉄の壁が二人の行手を阻んだ。何かツンとするような匂いと共に野太い男性の声が二人の頭上から聞こえる。

スピカは見上げて逡巡し、顔を強張らせた。鉄の壁だと思っていたそれは鎧を着用する看守であった事に気付く。


「てめえらは...!?」

「....っ!」


看守も二人の姿に気付いたようだ。

スピカは剣を構える。本当なら避けたかったが、戦うしかない。

こうなる事は分かっていた。今更何を迷う必要があるのか。

前を見ろ。剣をあの喉に突き立てるんだ。

スピカはそう言い聞かせ、看守に向けて刃を突き上げようとした。


「ぐっ...!?」


だが、その必要はなくなった。不意に琥珀の光が走り、看守の側頭部に兜が割れるほどの衝撃を与える。その反動で壁に勢いよく叩きつけられた看守はもたれ、動かなくなった。


「危なかったな...あのまま大声を出されてたらどうなってたことか...」

「そうね。助かったわ」


間一髪のところで大事に至らなかった事に、スピカは大きく息をこぼした。看守が酒に酔っていたこと。アルシュが瞬時に対応したことが重なっていなければ仲間を呼ばれていたかもしれない。

だが、幸いにも今の事態に気付いた者はいなかった。


「やっぱり、貴方も剣を拾っていくの?」

「まぁ一応な。あった方が落ち着くから」


出口は目前だ。だがそれでも気を抜くまいと、アルシュは意識のない看守から刀を鞘ごと拾い上げる。


「行くぞ。スピカ」

「うん!」


出られる。やっと、自由になれる。気付けば不安は小さくなって行く。期待が喜びに変わり、大きく心を包み込んでく。

出口の木造の扉は目の前だ。二人の足取りは羽毛のように軽く、表情には歓喜が宿る。

そして、アルシュの掌は触れ、勢いよく扉は開かれた。


「ハハ、やっと出られたぞ、スピカ!」

「喜ぶのはまだ早いわ。ここはまだタウフィクの領域、まだ足を止めちゃダメ!一気に突っ走って!」

「あ、ああ!」


歓喜に浸るアルシュを横目に、スピカは油断をさせまいと、その背中を叩く。

まだプーティアにいる以上は安心はできない。だからなるべく遠く、誰も追ってこれないほど遠くを目指し、二人は走る。


「ハァッ!ハァ!」


練兵所前の芝生を駆け抜けると、商店街の街並みが現し、建物の一つ一つが向かい風と共に過ぎ去っていく。

油断はできないと、スピカは注意を怠らない。だが、練兵所から離れれば離れるほど、スピカの口元も緩む。

夢にまで見た自由。未来、地の果てへと足を踏み締める一歩一歩に、喜びを感じずにはいられない。


故に、商店区の一本道を突き進む中、昏き闇を支配するかの如く浮かんだ丸い月。その光の中を走る影に気付かない。


「....っ!」

「スピカ!どけ!」


闇の中から放たなれた一本の刃。その一瞬の瞬きに気付いたアルシュはスピカを突き飛ばす。


「アルシュ、一体何....え?」

「ぐっ...!」


スピカは顔を強張らせる。月明かりに照らされているアルシュの腕には一本のナイフが穿たれ、地の滴が乾いた砂の地面を赤く湿らせる。



「まさか...脱走者が現れるなんてな」



レンガの煙突から飛び降り、アルシュとスピカの前に現れる黒い影は月明かりに照らされ姿を現す。

闇の中から現れたボロマントを靡かせた死神は、刀を引き抜くと刃の側面が月光に照らされて光を放つ。


「てめえ...!」

「マシール...どうして」


スピカは青ざめる。ようやく見えた先の未来が再び暗雲によって閉ざされた。

油断はあったが、魔力の感知を怠っていた訳ではない。だからマシール程の強大な魔力であれば気付かないはずなどない。

否、方法が一つだけある。


「魔力を、消してたの...?」

「正解だ」

「魔力を消す?そんな事できるのかよ」

「うん、でも過酷な訓練がいる。それと長い時間がね。私も試したけどダメだった」

「そうだな。お前にはプーティアに来る前に教えようとした事があったな」

「なっ...どう言う事だ...?」


その事実をアルシュは飲み込む事ができず愕然とする。その言い方だと、まるでマシールがスピカに戦い方を教えていたように聞こえたからだ。


「私はここに来る前、マシールから戦いを教わった事があった」

「そんな、なんでそんな事を今まで!」

「これまで黙っててごめん。でも言いたくなかったの。あの時、私はアイツの本性を疑う事もなかった。そう思うと、自分が許せなくて...思い出したくもなかったの!」

「スピカ....!」


教えて欲しかった。その苦しみを、少しでも分けて欲しかった。だが、その屈辱が分かるからこそ、アルシュには責めることはできず、言葉にならなかった。


「俺もあの時は胸が躍った。幼くして高い魔力量を持つ逸材だとな。だが、殺しを嫌うお前には失望した。所詮お前は凡人の小娘に過ぎない」

「黙れ...!!それ以上スピカを侮辱するんじゃねえ!」


痛切を浮かべるスピカに追い打ちを掛けるように罵倒するマシールにアルシュは激昂する。


「だがアルシュ、お前は違う。殺す事にも躊躇わず、ガルド族をも仕留めて見せた。やはりここで終わらせるのは惜しい。だから戻って来い。そうすれば、また半殺し程度で済ませてやる」

「ふざけんな...!お前たちの所になんて戻るか!俺はスピカと一緒にプーティアを出る。お前をここでぶっ倒してな!」


アルシュは看守から奪った剣を構え、琥珀色の光を放つ。

スピカも立ち上がり、剣を構え、マシールに向けた。


「そうか、残念だ。お前なら良い戦士になれると思ったんだが」


マシールはこれまで同様に構えず、ただ刃の先を下に向ける。

それはクモレイアで見た死神の構え。それを見るだけで、あの時の戦慄が蘇り、背筋が震える。

だが、何かが違う。決定的な何かが。構え、気迫。それらは以前と全く変わらないはずなのに、マシールの動作の一つ一つから無駄が消え、目つきは以前よりも鋭いように思える。


「スピカ、気をつけろ...」

「わ、分かってる....。この嫌な感じ...ネルブガルド以上よ」


すでにスピカの息は荒く、手元は震えている。


「話はこれまでだ。お前ら、腹を括れ」

「来るっ...!」


瞬きの間に死神が視界から消失した。直後、金属を交える音が耳を打つ。すでにアルシュが凶刃を受け、振り払うように弾いている事に愕然とする。


「ほう、先にスピカを仕留めるつもりが、今のを防ぐとはな」

「スピカ!ボーッとしてんじゃねえ!そんなんで勝てるほどこいつは甘くねえ!」

「ご、ごめん!」

「仲間の心配をしている場合か?随分と舐められたものだ」


そんなやり取りをしている暇もないと、直後に気付く、すでにマシールはアルシュの背後に周り、月明かりに照らされる刃を振り下ろす。

アルシュは体を回転させて回避。それから体をしならせながら横に斬り込む。


「!?」


マシールは瞬時に刀身で防御に入ることで相殺するが、アルシュの剛腕に弾き返された。


「今だ!スピカ!」

「分かってる!」


宙に弾かれた瞬間に向けて、スピカは疾走する。かつての師に刃を向ける事に躊躇いなどなく、身動きの取れない対象の背後に周り、剣を振り下ろした。


「っ...!」

「スピカ!」


マシールは瞬時に体を反転させ、逆さの状態でスピカの剣でいなす。それから彼女がよろけた隙に着地し、蹴り飛ばした。

その小柄な体は道端にあった木樽に叩きつけられ、木片が飛び散る。


「うぅっ...!」

「邪魔だ。死んでろ」

「やめろ!」


マシールは懐から取り出したナイフをのたうつスピカに放つ。

アルシュは瞬時にスピカの前に立ってナイフを叩き落とすと、マシールの拳がめり込んだ。


「邪魔だ....、!」

「捕まえた...」


が、マシールは手を引っ込めることができない。アルシュの異常な力によって骨が砕けそうなほどに腕が締め付けられ、振り解くことができない。

それどころか、振り上げ、叩き落とされる。


「ぐっ...!」


初めて与えたマシールへのダメージに対してアルシュは高揚を抑える。


「スピカ!」

「はぁっ!」


スピカはよろけながらも立ち上がり、痛みを堪えながら剣を向けて、向かってくる。

マシールは地面に叩きつけられ、立ちあがることはできない。片腕はアルシュによって封じられ、身動きが取れない。


「勝てる。倒せるぞ」


本気でそう思った。勝利を信じた。


「やれやれ...お前に二度も手こずるなんてな」

「!!」


だが、不意に放たれた言葉によって、アルシュの心が揺れ動いた。何か、肝心な事を忘れている気がする。


「来るな!スピカ!」

「え?」


警鐘を放った刹那、マシールはアルシュに向けて、軽く刀を横に振った。届く範囲ではあったものの見切れない攻撃ではないと、アルシュは即座にその一閃を叩き落とす。

それからアルシュは思い出す。なぜクモレイアでの戦いでマシールに負けたのか。

縦に裂けた傷口を見つめながらマシールの腕を離すと、直後に飛んできた蹴りがアルシュを転がした。


「え」

「アルシュ!」

「....っ!」


辛うじて意識のあったアルシュはなんとか膝をついた。これだ。この斬撃によって、アルシュは敗北したのだ。

だが、なんだ今の斬撃は。横に振ったはずなのに、この胸元は縦に裂けている。


そんなアルシュに目もくれず、マシールはスピカの命を刈り取る事に意識を傾ける。勢いを殺せないスピカの元へ駆け抜けて、縦に刀を振った。

スピカは擦れ擦れ横に逸れた。

にも関わらず、右肩に斬り込みが入り、血が周囲に散らし、地にへたり込んだ。


「うぅ...!」

「ふん、万が一の時のために体内に魔力を張り巡らせていたか。それだけは得意だったな。だが、次は耐えられるか?」


「やめろぉっ!」

「....っ!」


致命傷にならなかったとは言え、このままではスピカが危ない。

その呼応と共に、体に纏う光を一層輝かせると、傷口が急速に塞がって行く。

その完治を待たずに、アルシュはマシールの元へと疾く。


「ちっ」

「おりゃあ!」



その速度に対応が間に合わず、マシールは高速で飛来する刃を防ぐ事しかできない現状に唖然とする。ジルドラスで出会ったあの脆弱だった小僧が。何もできずに嘆いていたあのアルシュに、押されている自分がいる。


「くくっ...!くくくく...!」


だがこの現状に焦燥や怒りなどはなかった。あるのはただ強者と巡り会えた事への喜び。

金属音と共に、アルシュによって3メートルほど叩き飛ばされてもなお、マシールは不気味に顔を歪めて笑っている。


「何がおかしい...!」

「いや、まさか野党如きに震えていたあの時の小僧が今や俺に届きうる実力を持つようになるとは思わなかったんでな」

「俺だって意外に思うよ。あの時憧れた戦士が、今では殺したくて仕方がねえんだからな!」


アルシュは剣を構え、刺すような琥珀の視線をマシールに向ける。


「全く、運命とは面白い。いいだろう、今のお前になら本気を見せてやろう」

「本気だと?お前の同時切りはなんとなく分かった。要はその剣を振らせなきゃこっちのもんだ」

「そう、簡単に行くといいな」


マシールの剣なら分かった。おそらくこの男は間合いの対象に複数の斬撃を同時に叩き込む事ができる。

故に並の剣士であれば防御不可の必中の一撃。それはもはや、スピカですら対応しようのない人外とも呼べる程の極技。

それでも弱点はある。やつは間合いに踏み込まなければいけない。そして刀を振らせなければ同時切りはできないのだ。


「...!」


が、勝利を予感していたアルシュの自信が崩れ始める。マシールの足元から青黒い、炎のような魔力の奔流が死神の周囲を席巻する。

それはプーティアの軒並みを燃やし尽くそうなほどの勢いで、ゆらめきアルシュの前に柱となって立ち塞がる。


「どうした...?体が硬くなっているぞ。アルシュ...!」


マシールが隠し持っている力はアルシュの想像を遥かに超えていた。

ネルブガルドをも超える圧倒的な魔力に戦いの意思すら掻き消されそうだ。

逃げられるだろうか。そんな疑問がアルシュの脳裏をよぎる。

だが答えは分かっている。仮に逃げ切れても今この男をここで倒さなければ永遠に怯えながら過ごすことになる。だから、戦うしかないのだ。


「では、こちらから行くぞ」

「があああ!」


そう告げた瞬間、既に距離を詰めたマシールの青黒く燃える刃は、すでに真下からアルシュの胴体目がけて振り上げられようとしていた。


「させるか!」

「ククッ」


「ぐっ...!?」


それを阻止するべく、マシールの腕を瞬時に掴もうとした瞬間、なにか空気の衝撃のようなものががアルシュの体に叩きつけられ飛ばされる。

その現象に理解ができないまま顔を上げた時、前方から六芒星を描く青い斬撃が高速で襲いくる。


「暗影剣。六芒の怪」


至近距離で放たれたそれは、範囲がデカく避けきれない。防ぐこともできない。

だからアルシュは剣先に魔力を集中させる。斬撃を相殺するしかない。たとえ手足が千切れ千切れになっても突き破るしかない。

そのためには竜爪しかなかった。不可能をも破壊して見せる程の威力を持つ竜爪であれば、相殺くらいはできるはずだ。


「おおおおおお!」


真横ではスピカは壁によりかかり、気を失っている。彼女が起きた時に見せてやるのだ。自由を、幸せを。だからアルシュは障害を破壊するべく、今を全力で駆け抜け、剣を突き出した。



「竜爪!!」



六芒星の中心に負けじと力強く輝く一条の光がぶつかりあい、稲妻が踊り地が揺れ響く。

周囲の建物が今にも瓦解しそうな程の衝撃だったが、アルシュは迷わずに突き進む。



「いけえええええ!」



その命が続く限り、アルシュの猛攻は止めようとしない。六芒星の光は力付くでかき消され。霧散して行った。が、


「ぐっふっ!」


直後に多数箇所をズタズタに引き裂かれ、吐血する。


「阿呆が。今の技を使ったところで勝敗は明白だと言うのに...」

「ま、まだだ!!」


青い炎を纏うマシールは冷酷な視線をアルシュ向けて現実を突きつける。

意識が遠のき始めている。膝をつきそうになった。だが、堪えてアルシュは足を地につけて声をあげる。


「まだ、勝負は終わってねえ!絶対に勝つんだ!」



体中の傷は異常な速度で癒えていく。正直、思っていた程の威力ではないと感じていた。

明らかに以前の斬撃とは比べ物にならないのは事実ではあるし、竜爪で防がなければ五体満足では済まなかったのも否めない。


先ほどよりは回復の動きが遅い。体力は確実に消耗し始めている。

あと一発ほど竜爪を打てるだろう。だが、さっきよりは威力が落ちる。そして今のように詰められれば一巻の終わりだ


「じゃあ、終わりだ」


そう思考した側から、マシールはアルシュに急接近を仕掛ける。本来なら攻撃を止めたいが、先程のように吹き飛ばされては厄介だと考えアルシュは跳躍する。


「上に逃げても無駄だ!」


上から見下ろせばマシールの青黒い焔のような魔力は渦巻き、毒々しく咲き誇る。

それはアルシュの命を狙い、降りて来るのを待た

ずして消えたかと思うと、アルシュは背後から振られた一閃によって薙落とされ、全身を地に叩きつけた。


「ぐっ...!」


骨が治癒して行くのを感じながらゆっくり立ち上がろうとする最中、アルシュは疑問を浮かべる。なぜマシールは先程の技を使わなかったのか。否、使えなかったのか。いくらマシールとはいえ魔力にも限度がある。

であれば、


「な、んだ...!?」


僅かな勝機を見出すが、アルシュの体がその意思とは関係なく動作を止め、膝と手をついた。体から力が抜けて行く。


「くそっ...!動け..!」


アルシュは体を力ませるが体が動かない。体に受けたダメージは思っていたよりも深刻な事に気付く。もはやその体は意識を保つのに精一杯なようだった。


「終わり、か...!」


アルシュは焦燥し、目に涙を浮かべる。ここで終わると言うのか。せっかく、自由を手に入れたと思ったのに、スピカと共に喜びを分かち合えると確信していたのに、この男はまた、クモレイア村の時のように、全てを否定する。


「マシールゥ...!」


アルシュは顔を歪め、憎しみと悲しみを混在させて死神を睨め付ける。


「惜しかったな。だが俺に全力を出させ事は評価してやろう」

「マシールゥーッ!!」


マシールの微笑みと共に、アルシュは表情に怨嗟を浮かべ、叫声をあげる。が、すでにマシールの姿は見えない。

その琥珀色の瞳には刀を振り払った事による青い魔力の波が轟音をあげてこちらへ迫って来るのが見えた。


奪われる。虐げられる。壊される。踏み躙られる。

そのどれからも逃れる事ができない現状を恨めしく思いながらも、指一つ動かせない。

うつ伏せになるしかないアルシュの体は徐々に青い揺らめきの中に消えて行った。

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