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84話 無謀な戦い


あまりにも早すぎた。



闘技場のリングの上ではネルブガルドが赫灼する陽光によって照らされた金色の鎧が眩いほどに輝かせ次の戦士を待っている。

そんな時、待機所の中に竜族の少年の名が木霊する。


「!」


アルシュは自分の耳に入ってきた内容を受け入れられない。私兵に背を向け、鉄格子の前で立ち尽くしたまま動かない。


「アルシュ!聞こえなかったのか!タウフィク様がお前をご指名だ!行くぞ!」


それでも私兵はもう一度、さらに声を大きくしてアルシュに聞こえるようにはっきりと告げる。

するとアルシュは私兵の方へ強張った体を向けるが、地を見下ろしたまま、辛酸を浮かべるその顔をもたげることに躊躇う。


「そんな...嘘...」


スピカは予想以上に早いアルシュへの指名に愕然としている。

今まではこんな事などなかった。

ガルスターと戦うのは、いつも名もない者たちだと思っていた。

実際、自分が奴の他に英雄の称号を持つ戦士と戦わされた事などこれまでにはなかった。

それは戦績のある戦士をそう簡単に失わないようにしようというタウフィクの作戦なのだと思っていた。

だが、ネルブガルドがリングで次の戦士を待つ現状でアルシュの名前は呼ばれている。


「私のせいで...」


確信していた事実は、単なる彼女の思い込みでしか無かった。それを事実のように告げた事で、アルシュの信念に泥を塗ってしまった。

すぐには呼ばれないなどと言わなければ、彼にはまた違った選択があったのかも知れない。そう感じた時、スピカを罪悪感が包み込む。



「へ、へへっ...!」


が、アルシュは笑みを引き攣らせている。手先が小刻みに震るのを手で押さえ感情を隠す。


力のコントロールは十分とは言えず、新しく考案した技も昨日の気絶から考えると、まだ完成には程遠い。


勝利の確信などできるはずもない。奴に勝てるのだろうかと脳裏をよぎらせるが、決してその不安を表情には出そうとはしない。

ここで顔を歪ませれば、スピカを苦しめる事になる。だからアルシュは無理矢理にでも口角を上げた。


「残念だったな。何か対策を練っていたんだろうが、間に合わなかったみたいだな」


壁によしかかり、腕を組むグレンは落ち着いた様子で動揺を隠しきれないアルシュに声をかける。

その表情には憐憫すら浮かばず、ただ漂流物が河川の奔流によって流れされて行くのをただ眺めているかのように、冷笑を浮かべ、赤い瞳を向けている。



「問題、ねえよ。勝てるさ」


心無い言葉を放つグレンに対する苛立ちを抱きながら。アルシュは震える手を押さえて確証もなしに強い言葉を放ってみせる。


「どうだかな。相手はネルブガルドだ。いくらお前が強くたって、よくて数分が関の山だとおもうがね」

「....っ!」


が、確証もない勝利宣言をグレンに否定され、言い返す余裕すらない事にアルシュは耐えきれず、歯噛みする。


「アルシュ...ごめん。私が、猶予はまだあるなんていうから」


思わず顔を歪めたアルシュにスピカは申し訳のない表情でアルシュの元へ歩み寄り、謝罪する。


「気にすんな...!絶対に、勝つから!」


アルシュはそう言い切ると、自分を親指で指差し、もう一度にんまりと、苦し紛れの表情を作ってスピカに見せる。

それだけで精一杯だった。笑みは所詮一枚の仮面に過ぎず、すでに恐怖という毒はアルシュは蝕み、体全体が凍えるようだった。


別にスピカを責めようなどとは思わない。

タウフィクには前に会ったが、戦士の心情などを気にするような奴ではない。

所詮戦士は道具。所有物。いつでも自由に壊すことができる。だからこうなる事はなんとなく頭の片隅の中で想像はできていた。

それでも恐怖が闘志を上回る。今の現状はアルシュにとって最悪である事には変わらない。

本当であれば逃げ出したい程だ。それでも逃げる事はできないし。奴はサイードの仇だから必ず倒さねばならない。

この日のために、これまで誰よりも鍛錬に打ち込んだのだ。

出来ることはやった。だから挑まねばならない。アルシュはゆっくりと、死地へと歩みを進める。


「気にするに、決まってるでしょ...!」


スピカはアルシュの背中に向けて小さく呟いた。勝算のない戦いである事は彼女にも分かっていた。

アルシュであればここで助けようとしたのだろうが、そんな勇気などスピカにはない。

また、失うのか。そう思うと目から涙がこぼれそうだ。


「絶対に、勝ってよね...」


スピカは俯きながらそう呟いたが、すでに小さくなって行くアルシュには聞こえていなかった。



闘技リング上。黄金鎧の巨躯を持った戦士の前に胸当てを装着し、片刃の刀を手に持つ少年が現れる。

ネルブガルドは兜の奥の赤い瞳の輝きを放ち、値踏みするかのようにアルシュを注視する。


「つまらん。今度こそはこの俺と戦える者が現れるかと期待すれば、斯様な小僧がこの俺の前に現れるとは。それで何か訳があるかと思えば魔力も羽虫程度」


ネルブガルドは顔を黄金の悪魔に模した黄金の兜で覆い隠していたが、それでも落胆の色が滲み出ている。


「この闘技場には失望したぞ。俺が敢えて奴隷に成り下がったのは、強い戦士と戦う為に他ならないというのに。貴様らの体たらく、度し難いにも甚だしい!」


兜の内側から放たれる強烈な怒声はぐぐもりながらも闘技場に木霊すると共に、風圧が周囲に撒き散らされる。

その圧倒的な怒声と共に放たれる強者の風格を感じる事でクモレイア村でのマシールとの戦いを思い出し、恐怖を力へと変えるように、直刀を握る拳を強く握りしめた。


「もう良い。貴様を殺した後、俺はこの場にいる残りの戦士や観客共を全て葬り、このプーティアを去る」

「無理だ...」

「なんだと?」


それからアルシュに向けて矛を向け、冷酷な決断を下すネルブガルドに対し、アルシュは薄ら笑みを浮かべて見せる。


「お前には、もう誰も殺さねえよ。だって、お前は今から俺に倒されるからだ」

「フン、冗談を言うな。貴様如き小僧に遅れをとるとでも思うのか?」

「お前が強いかどうかなんて関係ねえ。俺はお前に殺されたサイードの仇を打たなきゃいけないんんだ」

「サイード...?誰だそいつは...」

「小人族のサイードだ!貴様が躊躇いもなく殺した、俺の友達だ!」


凍えながらも、憤ったアルシュは惚けた様子のネルブガルドに怒声をぶつける。

が、顎に二本指を添え、小人族の姿を記憶の中から引きづり出すことに手こずる。



「いや、待て...貴様はタウフィクの待機所から出てきたとすると...ああ、あの小人族か」


ネルブガルドは記憶の奥底にあった小人族との決闘を思い出し、


「あのような虫ケラ、本来であれば記憶に留める価値すらないのだが、忘れとうてもまだ此処へ来て20人しか殺しておらぬ故、嫌でも脳裏の奥底にへばりついておるわ。全く、不愉快極まりない」


平然と、アルシュの前で不快な異物を吐き捨てるかの如く、侮蔑を放った。


「なん、だと...!?」


アルシュは歯が砕けてしまいそうなほど力いっぱいに噛み締め、大きく目を見開く。ギラついた琥珀の瞳で鋭く仇の存在を睨みつける。

よくも、許せない。憎い。悲しい。苦しい。負の感情がアルシュを包み込む。

単にこの男はサイードを殺した事を何とも思わなかったようだ。だが、逆にそれが本音で良かったと安堵する。

おかげでなんの躊躇いもなく、


「殺してやる...!」


それは今のアルシュが全力で向けた純粋な殺意。


「この俺を、殺すだと?貴様がか?...舐めるな」


忘我していたアルシュはネルブガルドの圧倒的な殺意に気押されて我に帰る。

無謀である事は分かっている。付け焼き刃の対抗手段を身につけた所で叶わない敵である事も。

だからこそ、今はこう言うべきだ。


「勝てるさ」


そう口にする事で、暗い視界が開けて行くような気がする。勝てる気がする。

否、勝たなければいけない。大切なものを守るため、死んでいった者たちの無念を晴らすため、そして自由を得るためにも。



「...?」


決意を決めたアルシュは空を仰ぎ、深呼吸をする。周囲の大気を全て吸い込んでしまいそう程に深く、そしてゆっくりと。


「死ぬ前の準備というやつか?安心せずとも楽に、....?」


アルシュの行動に兜の奥の赤い眼差しが大きく見開かれた。

目の前の脆弱な少年が深く息を吸い込んでから、徐々にその体が琥珀色の光を放ち、煌めき出す。



「なんだその光は?魔力、ではないのか?」


ネルブガルドは驚きながらも興味深そうに眺める。魔力、それとも何かしらの小細工か。否、魔力とも違う何か別の存在、だが力である事は分かる。


現に、少年が光に包まれると、身体中の筋肉が隆起、膨張する事でより戦闘に適した姿となった。もはやそこには、ただ無謀にも戦いを挑もうとする脆弱な少年はおらず、その場に立ち塞がるのは万全を期して戦いを挑もうとする戦士の姿だった。


「魔力感知では推し量れない力。なるほど、それが小僧の武器か。どうやら俺は少々貴様を侮っていたようだ」


そのアルシュの得体の知れない力を目の当たりにし、態度を改める。


「見せてやるよ。俺がただの小僧じゃないって事を!」


今ある全力を尽くして、ネルブガルドに挑む。その琥珀の瞳に迷いはなく、ただ自分の進む道の先を見つめるかのように顔を強張らせる。


「少しは楽しめそうだな。よかろう、俺は寛大だ。例え相手が小僧でも、手は抜かん!」


そして銅鑼が鳴ると、アルシュは刃を掲げ、これまで死んで行った戦士がやったように、立ち尽くす黄金の光沢を放つ巨躯に飛びかかる。

宙へ飛び、風を切るその刹那、巨大な刃の先端が風を瞬時に切りつけながらアルシュの腹部へと襲いくる。


「....っ!」


それはサイードを終わらせた無慈悲なる怪刃。直撃を受ければ必死。


「ほう、避けるか...!」


が、周囲の動きが通常よりも遅く捉える事ができる上、肉体強度を高めたアルシュは空中で体を右に逸らし回避。

それから着地し、ネルブガルドの胴体に向けて、極力体力が削れないように調整しながら刀を横に振った。


「....っ!」


が、矛で防御を取られ直撃には至らない。それでも収穫はあった。

ネルブガルドは今の一撃を受けた事でその巨軀を後退させた。

それに、頑丈な鎧と魔力障壁があったにも関わらず矛で防いだと言う事は、直撃していれば通じる。つまり勝率はゼロではないのだ。


「よし、いける...!」

「それで終わりか?小僧!」

「…!」


最も、これから押し寄せるであろう巨大な矛による猛撃の波に耐えられたらの話だが。


アルシュは刀を直後に構えながら息を飲んだ。くぐもった声に静かな激情を纏うネルブガルドがゆっくりと矛を掲げた瞬間、空気が張り詰めるのが分かった。

呼吸する事すら躊躇うほどの殺意がリングに漂う。

数秒の後、生きている事ができるだろうか。原型を維持しているだろうか。

それらの確証も掴めないまま、血湧き肉踊る戦いは今まさに始まろうとしていた。


「見せてやろう。我が魔術を」

「魔術...だと?」


アルシュはその言葉を飲み込めない。互いの距離を10メートルほどの取る状況でネルブガルドは矛を振りかざしてはいるが、魔力光を収束させる様子すら見せない。

魔力を使えないアルシュでも、魔力を凝集させなければ魔術を放てない事は分かっている。

だが、何かがおかしい。突然、風が向きが黄金鎧の戦士の方向へと変わり、吸い寄せられているようだ。

これまで騒がしかった観客たちの喧騒が聞こえない。


何か、何か嫌な予感がする。

その直後に、これまで沈黙を保っていたネルブガルドの口が開かれた。


「来る...!」

「風断刃...!」


ネルブガルドそう言い放つと共に10メートルほど距離を取るアルシュに向けて矛が力任せに、横に振られた。

その直前を見計らい、アルシュは跳躍した。自分でもなぜかは分からない。ただ、跳ばなければ死ぬ。届くはずのない矛によって命を刈り取られると思った。


「っ!」


それから停滞した一瞬、俯瞰する事でアルシュは青ざめ、顔が引き攣った。

リングの石畳が一直線上に抉れ観客席との隔たりの壁を破壊していた。

幸い、防御結界が貼ってあったため観客は命を拾ったようだがその場からは離れ、逃げ出していた。


「ば、バカヤロウ!殺す気か!!お前に金を賭けてやってるんだぞ!」


観客たちの言葉がネルブガルドに投げつけられるが、雑言に注意を向けず、跳躍するアルシュに含み笑いをする。


「バカめ、上に逃げれば命取りだと何故気付かん!」

「しまった!」


また、今の攻撃が来る。まともに受ければタダでは済むまいと、アルシュは必死に剣を横に向けて前に突き出して防御体制を取る。



「風断刃...!」


空中で身動きが取れないアルシュに今再び、その災禍が襲う。

アルシュのいる真上へと放たれた強風は地に転がる小石をも天へと誘う。


「あぁあぁぁ!」


ありえない方角へと吹き荒れる嵐は衝撃波となって少年の体をズタズタに引き裂く。

突風に乗った無数の小石は凶器と化して、腕、腹部、肩、大腿に直撃する。

その激痛に耐えられず、アルシュは呻き声を上げながら、受け身を取れずに地面に叩きつけられる。


「ぐぅっ....!」

「ほう、俺の魔術をまともに受けても意識を保つ頑丈さは評価に値する」

「どこが、魔術だよ...バケモンがっ...!」


鎧に身を包む怪物はうつ伏せになりながらも息をする戦士を称賛する事で余裕を見せつける。

しかし、アルシュはすでに体の至る箇所に裂傷を受け、石床が血で染まる。


魔術と名付けられたそれは、単に圧倒的な力によって繰り出される暴力が延長線上で、災いに派生したに過ぎない。


力のコントロールがある程度できていたから良かったのだ。でなければ、今の攻撃で絶命していた。


良かったのだろうか。今ので終わっておけば、これから地獄を見ずに済んだのではないか。

自分への疑念が打ち付けられ、アルシュは刀を拾うのを躊躇ったが、


「勝て、るさ...!」


アルシュは戦意を取り戻すための呪文を口にした。ネルブガルドを倒さなければならない。友の死を侮辱するこの男を。だから、


「俺は、負けられねえんだ!!」


気分を奮い立たせた。


「ふん、その意気だ小僧。この俺をもっと...何...!?」


ネルブガルドはたじろいだ。アルシュの気迫に押された訳ではない。ズタズタだったはずのアルシュの体が治癒していく。


「バカな...治癒魔術だと!?いつの間に...!」

「何ビビってんだデカブツ...!」


動揺した刹那、アルシュの刀はネルブガルドの首筋にある鎧の繋ぎ目を狙っていたが、


「....っ!チッ!」

「クソッ届かねえ!」


瞬時に矛による防御を形成され、金属の甲高い音が鳴り響く。


「図に乗るなぁ!」

「くっ...!」


それからネルブガルドが横に矛を振る事でアルシュを薙ぎ払う。

先程の技ほどの力はなかったものの風圧が発生し、アルシュは距離を取らされ、大股で地に着く足を滑らせた。


「馬鹿力にも程が...え...」


直後、ネルブガルドの影がアルシュを捕らえていた。

巨大な鉄柱にも似たその凶刃はアルシュに振り下ろされ、一枚の石畳を砕く。アルシュは地面を蹴って回避する。

が、風圧が発生する事により、距離を離され反撃ができない。

それを追うかのようにネルブガルドの矛はアルシュに接近し、狙いを定める。


「風断刃!」


至近距離で、ネルブガルドは矛を翳しながらそう唱える。

跳躍したところで避けきれないないと踏んだアルシュは咄嗟に刀に光を集中させ、防御を取った。


「耐えろおおおお!!」


それは防ぎきれないと分かった上での防御体制だったが、死ななければいい。生きていればいいのだ。生きて戻ることができれば


が、凄まじい爆風にも似た衝撃を纏う巨大な刃がアルシュを枯葉のように弾き飛ばし、嵐となって正面の壁面に叩きつけると、瓦礫と化し粉塵を捲揚げる。


その場にいた。観客たちは頭部から血を流し、項垂れる少年に声も出せず、命惜しさに闘技場から逃げて行く。


「どうした。逃げてもいいんだぞ?無論、どこへ逃げようとも地の果てまで追い続けるがな」


ネルブガルドは兜の中で笑みを浮かべながら歩みを入れる動かない少年に向けてゆっくりと、金具の音鳴らしながら歩みを進める。


「アルシュ!何やってるのよ!負けてんじゃないわよ!」


心配そうな顔を浮かべながらも、少女は懸命に叫び続ける。喉が枯れ果て、声が出なくなろうとも聞こえているかどうかも分からないまま、アルシュに声を届けようと叫ぶ。


が、耳鳴りがひどく、その声は届かない。体包んでいた光は消え、今は動く事ができない。やはりネルブガルドは規格外だ。

どれだけ攻撃が届かないどころかその隙すら与えず、尚且つ常に災害級の一撃で命の駆け引きを持ちかけて来る。


「ふん、貴様には友がいるのか。だとすれば尚の事惨めだ。袂を分かち、約束を交わすほど今の状況はさぞ苦しかろう」


少年への憐憫を言葉に乗せながら、金属音が近付いて来る。

ネルブガルドは足を進めながら持ち手を変え、アルシュの眼前に迫る。


「何故なら貴様は今、友の前で惨たらしく死ぬのだ!」



「竜爪!!」



ネルブガルドガルドが掲げた矛の先端を突きつけようとした刹那、アルシュは仰向けに項垂れた上体を瞬時に起こし、隠し持った輝く刀の先端を突き出す。

使うつもりなどなかった。それはアルシュにとっての最終手段であり諸刃の剣。

この一撃で倒せなければ敗北が決定するため 、使う事を避けていたが、ただガムシャラに攻撃を仕掛けてもまるで通用しないネルブガルドにはこの奥の手を使うしかなかった。


「陽動!」


ネルブガルドは瞬時に矛を構え、防御姿勢を取った。


「ぐ、がああああぁぁっ!?」


が、アルシュの刃から放たれたその圧縮された力は矛の柄を打ち砕き、魔力障壁を打ち破り、黄金の鎧を粉砕する事で、その脅威は直接ネルブガルドの肉体に直撃。リングの対角線上の壁にまで押しると、壁が崩れた事により土煙が舞った。



「はぁっ!はぁっ!」


アルシュは呼吸が荒く、苦しく、膝をついたまま動く事ができない。

だが、修行の成果だろうか。流石に今の技をもう一度使うのは無理だが、まだ体力は残されていた事に驚く。

気分は悪くない。心は先程の幾分よりかは軽かった。

即席で思いついた作戦は成功した。それに手応えもあった。武器や鎧に魔力障壁。奴の装備、武器を全て破壊した上に、肉体に直接命中したのだ。

流石の奴でも、あれほどの攻撃をモロに受ければ無事では、


「まさか、この俺が、此処まで追い詰められるとはな」

「....‼︎」


舞い上がる土煙の中から地鳴りと共に巨大な影が姿を表す。倒したと思っていた。勝ったと思っていた。

だが、喜びかけた少年を再び恐怖の淵へ叩き落とそうとするかのように、煤の入った黄金の残骸を脱ぎ捨てた灰色の巨人は姿を現す。


「ネルブガルド...!」

「今のは良かったぞ、小僧。我が鎧を破壊した貴様の攻撃は賞賛に値する」


ガルド族は口角を上げて、顔の筋肉を引き攣らせるように笑って見せた。

アルシュは愕然とする。一瞬、その怪物をネルブガルドと判断する事に躊躇った。

黄金の鎧とは対となる灰色の肌を纏う膨れ上がった筋骨。白い髪に赤い瞳。

これまで見てきたどの種族とも異なる姿に、アルシュはたじろぐ。


「案ずるな。鎧があった故に致命に至らなかったのではない。あれは所詮、我が力を封じる為の道具に過ぎん。このガルドの肉体こそが、真の鎧。故に誇れ。貴様は我が鎧に傷をつけたのだ!」



ネルブガルドは腹部を撫で回し、塗りたくると血の赤色が灰色に溶け込んでいく。頑強な腹部には握り拳ほどの裂傷が見られたが、すでに血は止まっているようだ。


「痩せ我慢も、いい加減にしろよ。本当は痛いくせに」

「フフッ、無論痛みならある。久々に味わった生の実感がな」


ネルブガルドはそう言いながらリングの中央に立つ。

アルシュも何とか立ち上がる。意識はあったし、力もまだ残されている。だが、それでも竜爪によって体力の大半が削り取られる中、その足取りは重い。


「余興は終わりだ。武器を失った今こそが血湧き、肉踊る、戦いだ!」

「冗談よせよ。脳筋ヤロー...!」


それに対してネルブガルドは負傷しているにも関わらず、顔を歓喜に歪め、高揚している。

余裕の差は歴然だった。それでもアルシュは背中を向けなかった。

サイードの仇を取るんだ。此処から出るって決めたんだ。


「来い!」


ネルブガルドの誘いに応じるように、戦いへ臨む歩みは徐々に足早になり、それはやがて速度を増して、駆け足となって風を切る。


「うおああああ!!」


勝敗などではない。奴を斃さなければならない。殺さなければならない。

アルシュは刀を片手に、敵の首を狩ろうと疾走し、ネルブガルドの肩に向けて斜めに振り下ろす。


「硬え....!」


が、灰色の皮膚に傷ひとつ入れるどころか、アルシュの手がジンと刺激される。刀の刀身が根本の位置から折れる。


「効かん!」

「...っ!」


それからネルブガルドはアルシュの頭部を鷲掴みにし、その剛腕によって地面に叩きつける。少年の体の面積程の範囲の石畳が陥没し、伝播するかのように闘技台がひび割れ、瓦礫が飛沫する。



辛うじて纏っていた光の鎧によって命拾いしたアルシュではあるが、もはやその輝きに先程の眩さはなく、いつ消失しても不思議ではない。

体の所々には裂傷が見られているが、体の治癒速度が弱まっているためか、治りが遅い。


ネルブガルドはそんなアルシュを掴んで離さず頭がミシミシという音と共に今にも潰れそうだ。


が、高揚する灰色の戦士はそれで終わらせるはずもなく、頭部から手を離す。

それからそのまま大股を開き、丸太のような怪腕を掲げると、底から掬うように拳を振り付け、勢いを纏うそれは地面に崩れようとしているアルシュの顎に叩きつけられる。


「ぬん!」

「....!」


怒涛の豪打により、アルシュは空高く、陽光に手が届きそうなほどに高く、打ち上げられる。

アルシュを嘲笑うかのように砂漠の中心に聳える国。奴隷の墓場、プーティア。

空に停滞したほんの一瞬、その黄茶の全土がアルシュの双眸に映り、大きく見開いた。あの地形の至る所で奴隷たちが虐げられ、命を落としているのだと脳裏に浮かべる。

が、負の感情を抱く暇などない。


「堕ちろ!」

「あぁぁあぁぁ!!」


すでにネルブガルドは跳躍し、アルシュの背後を捉え、その胴体に手を伸ばし、奈落の底へと振り落とす。

怪力と重力に寄ってもたらされた、暴力的な速度は風をも弾き、アルシュはその身を流星の如く、勢いよく闘技場のリング中心に叩きつける。


「ハァッ!ハァ!」


粉塵が立ち込める中、横たわるアルシュはただ必死に体を動かそうと踠く。

弱まっているが、まだ光は消えていない。それに治癒によって所々に折れた骨や内臓だって治り、ある程度動けるようにはなっていくのを感じている。

これほどの猛攻を受けて動けるのはもはや奇跡というべきだろう。

だが、それでもまだ体は動かない。特に足の治りが遅いので立ち上がる事ができない。

だが今はその治りを呑気に待っている場合ではない。

なぜなら、天から灰色の脅威が拳を掲げて迫ってくる。


「まずい...!このままじゃ!」


あの剛腕をまともに受ければ、骨が折れる程度では済まない。


「クソッ!動け動け、動けやがれってんだあああ!!」


アルシュは感覚の戻らない足を無視して、動く方の片足で思いっきり、大地を踏みつけて宙を駆ける最中、拳による衝撃によって大地が畝る。

砕け割れた闘技台が更に破壊され、原型が変わって行く。風圧によって土埃が巨大な柱となって打ち上げられる。


激震が走る。衝撃波の発生によって闘技場自体壁ががひび割れ、大きく揺れた。

審判は銅鑼を鳴らすこともなく、命惜しさに踵を返して誰よりも一目散にその場から足早に立ち去った。

リングと客席に隔たりを作っていた結界は硝子のように割れ、霧散していく。

もはや悠長に賭けなど行っている場合ではないと、観客達が狂乱し、逃げ惑うが、待機所の奴隷たちは逃げる術すら持たない。


「アルシュ...!」


今にも崩れそうな屋内で、スピカは自分の命よりも、両手を合わせてアルシュの無事、勝利を祈る。が、目の前に映るのは地獄絵図。あまりにも凄惨な現状に目を向ける事ができない。心細さに、体が小刻みに震えている。



「あれがガルド族か、一度やり合ってみたいもんだ」

「マシール!何をバカな事を言っている!?もはや観戦している場合ではない!私を助けろ!」


闘技場が揺れ動き、瓦解の兆しを見せる中、マシールはガルド族の力の真髄を見せつけられ、血が疼いていた。

が、助けを求めるタウフィクの声によって我を取り戻し、「分かっている」と返してタウフィクの細身の体を抱えたまま、特別席からその姿を消した。



ネルブガルドがその拳を大地に叩きつけたことで発生した衝撃波により、アルシュは吹き飛ばされ、誰もいなくなった観客席の石段にその身に叩きつける。


「ク、ソ...」


生きるにしても、死ぬにしても、これで終わればどれだけ楽だったか。

だが終わるはずがない。戦いは続いている。だから今から更なる暴力が襲いくる事は明白だ。

だが、ネルブガルドを倒すための手段はもはや残されていない。

辛うじて手にしている刀は折れており、奥の手だった竜爪さえも奴には通じなかった。


今の焦燥するアルシュに奴を倒す方法など思いつかない。考える余裕すらな今まま上体を起こすと、肉眼で捉えた目の前の景色に、脳裏が真っ白になる。


「...っ!」


土煙の中から、少年の体を捻り潰そうと大岩が凄まじい速度で飛来する。アルシュは咄嗟に崩れかかった石段を蹴り付ける事で回避すると、石段と共に砕け割れ、騒がしい音と共に石飛礫が飛散する。


「どうだ?これが俺の岩魔術だ!」

「どこがだよ...!結局全部力技だろうが!」


ネルブガルドが魔術と称するそれは、ただ大岩を怪力でもたげて投げ飛ばす力技に他ならない。

とはいえ、あれを一撃でも受けるのはマズイ。


アルシュは呆れながらも客席を全力で駆け抜け、次々に襲いくる脅威の投擲から逃走する。

その軌跡は轟音と共に破壊されるが、振り返る暇などない。一歩でも立ち止まれば、終わりだ。

アルシュは潰されまいと、必死に足を動かした。



「捕まえたぞ!すばしっこい虫が!」


岩が飛んでくる。そんな油断の最中、前に現れる灰色の巨躯が赤い眼光で俯瞰する。


「くっそおおお!」


武器を失い、気迫に押されるアルシュは恐怖に背中を押されるように、咄嗟に蹴りを放つ。

が、ネルブガルドに細い枝を拾ったかのように、足を掴まれ、大きく目を見開いた。


「クソッ!離せ!」

「嫌なら、さっきのように逃げてみろ!」

「....っ」


言ってネルブガルドは少年の体を振り上げ、叩きつける。

肋の数本が折れた。痛みに耐えきれず、アルシュは声にならない呻き声をあげる。


「あぁあぁぁぁ...!」

「どうした!諦めたか?ハハハハ、ハッ!!」


再度、足を引きあげられ、体は地に激突する。

2度目の衝撃に、アルシュは声をあげなかった。

体の感覚を失い、痛みすら感じない。


「フン、声すら上げんか。もう、良いわ!」


ネルブガルドはアルシュのズタボロの体を引きずり、瓦礫の散乱するリングを駆け抜け、助走をつけたまま少年を乱雑に投げ飛ばし、その身で壁を砕いた。

萎れた草木のように、アルシュは崩れた壁に体を預ける。

意識は朦朧として行くのを感じる。立つ事すらままならない。なぜか折れた剣だけは必死に握られているのは諦めまいとする無意識の抵抗だろうか。


「やっぱり...ダメか...」


だがそれでも、戦意は吹き消されていた。

もはや光は消え掛かっており、折れた肋が治らない。勝利の道などなど幻に過ぎない。


「つまらんな。この俺に傷をつけたとはいえ、やはり小僧である事には変わらんか」


ネルブガルドは拳を握りしめ、こちらへ向かってきている。

が、逃げても無駄。戦っても無駄。残された道は、


「何やってるのよ!立ってよ!」


視界が遠のき、茫洋とする空白を彷徨う中、スピカの声が耳をつく。

アルシュが項垂れる隣の鉄格子でスピカは叫ぶ。姿は見えずとも、アルシュがそこにいるのは分かっていた。


「スピ...カ...?いる、のか?」

「ここにいるわよ!ここでずっとあんたが戦う所を見てたわよ!なのにもう諦めるの?一緒にここから出るって、約束したじゃない!」


アルシュにはスピカの姿が見えなかったが、涙声だった。本気で勝利を願ってくれていた。

そう思うと、なんだか胸が締め付けられるようだ。


「そうか...俺は...!」


こんな惨めな姿になっても、まだ望みは残っているんだ。生きたい。死にたくない、諦めたくはない。そんな気持ち、感情が渦巻き、アルシュは涙を流す。


「勝つ、んだ...!」


それからアルシュは無理やり体を起こし、残りわずかな力を振り絞ってなんとか立ち上がる。それから目を凝らすと、ネルブガルドが近づいてくるのが見えた。


「ふん、何度立ち上がったところで貴様が勝利する事など万が一もないわ」


ネルブガルドは不敵な笑みを浮かべ、余裕を吐き捨てる。

が、まだほんの僅かではあるが、望みは残っている。先程アルシュが蹴り放った時、ネルブガルドは自分の竜爪によってできた傷口を庇うかのように足を掴むことで奴は防御を取ったのだ。

それに奴は痛みがあると言った。つまり、硬いのは表面の皮膚だけだ。


「友の元へ行く前に、何か言う事はあるか?」


ネルブガルドは俯き、立ち尽くし抵抗の見せないアルシュの前に立ち、問いかける。


「勝て、る...!」

「そうか、では砕け散れ!」


それからネルブガルドはアルシュの灰色の剛腕を振り上げ、大股を開く。

それからアルシュの全てを打ち砕かんとする無慈悲なる暴力。

それが放たれる直前でアルシュはかろうじて可動する右腕から折れた刃の断面を繰り出した。


「...!?」


最後の力を振り絞って放った刃の僅かに残った刀の残骸。それは、ネルブガルドの腹部に突きつけられる。


「惨めだな、それが貴様の最後とは....何!?」


折れた刀の先端。肉体の前で砕け散るはずだったそれは眩い輝きを放ち、ネルブガルドに付けつけられる。

アルシュに残された全ての力。それは残された僅かな光を収束させた事による輝き。


「貴様...狙いはこれか!!」


傷口の中に吸い込まれ、流れていく。それは熱となって内側からネルブガルドの体の中で光熱を放つと共に、破壊されて行く。


「ぶっ飛べえええええ!!」

「ぐ、おおおおおお!!」


その光は膨張し、ネルブガルドの体内を突き抜けると、風穴が陥没したリングがその変わり果てた姿を覗かせる。


「バ、カな...!俺、が...貴様如き、小僧に...!」


歪む灰色の表情は驚愕と苦悶が入り混じり、恨めしそうに赤い眼光にアルシュはの姿を映す。


「申し訳、ありま、せ...」


何者かに対するネルブガルドの謝罪が途切れると、その体は地響きを立てて崩れる。


「くっ...!」


ネルブガルドの倒れた姿を見たアルシュは噛み締める。


「やった...!やったよ、おっさん...!勝ったんだ...討ったんだ...!アンタの、仇を...!」


涙が頬を伝い、アルシュは目元を拭う。それが試合の終了の合図となった。共の仇を打てた喜びに打ちひしがれると共に、後悔が募る。

もっと早くこの力を使えていればサイードは死なずに済んだのに。

感情と感情のぶつかり合いが葛藤となり、滂沱に拍車をかける。


だが、それでも前に進まなければいけない。ここから出るためにも、今は悲しんでなどいられない。

決死の覚悟で挑んだ戦いに生き延びたのだ。まずはその事に喜ぼう。

ここから出るために、今は笑おう。そう思い、アルシュは踵を返そうとするが、動かない。


「そう、だった...」


無理もあるまい、これまでにない程の、生き延びた事すら奇跡と言えるような死闘だった。

むしろ、力の全てを使い果たし、限界を超越したにも関わらず立っていられるのが不思議なくらいだ。

ふらつくアルシュは瓦礫の散らばる石畳に崩れる。


「ははは、動かないや...」


どうやら無茶をしすぎたみたいだ。このまま一体どうなるのだろうか。もしかしたらこのまま二度と動けなんじゃないか。


しかし、脱力した今、恐怖や不安すら抱かず、意まぶたの重みに逆らう事のできないまま、アルシュは深い眠りにつくのだった。



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