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81話 血に濡れた天使

スピカがフレッドとの戦いを終えて一週間もの間、珍しく闘技場での死人の数が少なくなっていた。


ヴォルロフのいた頃と比べると、観客からの活気は少なくなっていた。それでも、やはり血を観るためにこの闘技場を訪れる客はいる。


「ごめん」


その日も一人、アルシュは罪人に剣を振り下ろし、その命を終わらせると、返り血が鼻筋に付着した。闘技場での処刑は観客たちの娯楽であり、その死を悲しむ者がいない。

だったら、せめて苦しみのないように終わらせてやろうと、謝罪を口にし、一刀によってその首を刎ねた。


もう何人の罪人をこの手で終わらせて来たのだろう。いつから躊躇いが無くなったのだろう。

いくらここから出るためとはいえ、頭部を失った体を見て何も思わなくない自分に気付き、唖然とする。


アルシュは死体を残して観客達の不快な声を聞きながら奴隷服の裾で顔を拭きながらその場を後にする。


「アルシュ、お疲れ。いつも大変だな」


サイードは待機部屋にアルシュが戻って床で胡座をかいているのを見つけると、小さな足でかけよって少年の顔を見上げながら労いの言葉をかける。


「まぁな、でも大丈夫だ、最初と比べると慣れてきた...」

「無理に意地を張ってるんじゃないか?」

「別に、ただ慣れてきている事が何だか変な感じでな。もう人を何人も処刑しているっていうのに...何も感じなくなってきているんだ」


人を殺める自体は辛くない。そう思える自分が怖かった。ここから出るためなどと口実を作っておいて、結局はあれほど拒絶していたヴォルロフのような冷酷な戦士になりつつあるのが、日を見るより明らかだった。


「もう俺、人じゃないのかもな」


生きるため。それだけがアルシュがあの場に立つ事を受け入れられる理由だった。しかし、人を殺め、命を繋ぐ。やっている事自体は魔物と何も変わらない。


「何言ってるんだ。お前は人だよ」


しかし、サイードはそんな落ち込みかけたアルシュの思考を否定する。


「だって、ワシやスピカを助けてくれたじゃないか。それはお前に思いやりというものがあるからで、アルシュが人であるという証拠なんだよ」

「思いやり?」


思いやり、その聞き慣れない言葉に、アルシュは首を傾げながら聞き返す。


「そうだ。誰かの気持ちに寄り添い手を差し伸べる、お前はそれができるんだ」

「手を差し伸べるか。何だか、父さんみたいな事を言うな」

「アルシュの父親?なんだ、それは興味があるな。聞かせてくれ」


手を差し伸べる、それは幼少の頃に、父から聞かされた言葉。

父の存在を口にすると、サイードは興味ありげに耳を傾ける。

そんな老人に求められ、アルシュは薄い笑みを浮かべて父の事を話した。誰にでも優しくて強く、魔術の扱いが上手い、かつて、アルシュが最も尊敬していた者の事。そして、その最期を。


「なるほど、アルシュが優しいわけだ。困った者には手を差し伸べる事が強さ、か。お前はしっかりとその強さを受け継いだわけだ」

「いや、俺はまだまだあの人みたいに強くはないよ」


アルシュはサイードの褒め言葉を照れくさそうに首を振って否定した。謙遜している訳ではない。生きる事に精一杯な自分に、父親のような強さがあるとは思えなかった。

このプーティアだけではない。アルシュはこれまでに多くの者達を切り捨て、その命を奪ってきた。今の状況を父さんが見たらどう思うだろう。となど、考えたくもない。

しかしサイードは「そんな事は無い」と口にして頬を緩める。


「それにお前の父親は立派だ。ワシが息子に良く言っていたことといえば、危ない真似はするなってくらいだ。まぁ、言うことは聞かなかったがな」


自分の息子を思い浮かべると、少し寂しげに見えたが、アルシュの強さの根源に納得して、腕を組みながら頷いた。


「それにしても、竜族で、魔術か...」


ふと、サイードは何かを試行するように、顎に手を添えて天井を眺めて数秒の間、考える素振りを取るとアルシュに向き直る。


「アルシュ、お前の父親の名前はなんて言うんだ?」

「ジャミル、だけど」


薄く微笑んでいたサイードの表情に疑念が浮かぶ。

アルシュは思考の読めない老人の様子に疑う様子もなく答えると、その目は大きく見開かれる。


「ジャ、ジャミル、だと?」

「ああ、そうだ...」


何かまずい事を言ったのだろうか。サイードは驚愕し、開いた口が塞がらない。もしかして、父さんに何か恨みでもあるのだろうかと、アルシュは表情に困惑した色を見せるが、


「プッ、ハッハッハッハッハッハ!」

「な、何がおかしいんだよ...」


途端にサイードはこれまでにないほどの哄笑を見せたのでアルシュは戸惑う。

ますます意味が分からない。この老人の笑いのツボが父さんにあるのを見ると、面識があるのだろうか。


「いやいや悪いな。まさかこんな所でジャミルの息子に会う事になるなんて思っても見なかったから」

「父さんを知っているのか?」

「ああ、少しだけな。今から20年程前、ワシは武器商人として、大陸北西部のネーデルラントって村からセルヴァリア王国って国に武器を持ち込もうとしたんだ。その時に砂漠で魔物に襲われ、偶然通りがかった魔術師に助けて貰ってな。その時に聞いた名前がジャミルだ」

「人違いじゃないのか?」

「そんな事はないさ、あの恩人の顔を忘れた事はない。竜族だったし、今のお前の顔に瓜二つだ。それに、得意な魔術の属性は岩だろう?」

「そ、そうだ...!」

「ハハッ!ほらな、やっぱりお前はジャミルの息子だ!」


サイードは嬉しそうに小さな手を賑やかに、上下に振りながら昔の事を思い出していた。

アルシュはサイードの話す内容が真実であると確信して驚きを隠せなかった。


「でも、なんで旅なんて...」


しかし、すぐに疑問が脳裏をよぎる。父さんはなぜ旅などしていたのだろうか。

20年前であればアルシュはまだ生まれていないからその当時の父の姿など分かるはずもない。


「ああ、ワシもそれは不思議でな。あの時はまだ戦争がなかったにしろ、それでもジルドラスは各国との関係が最悪で孤立状態だったんだ。竜族というだけで入国を拒否される事などザラにあったとも聞く」

「じゃあ、一体何をしに...」

「それは言わなかったな。ワシは助けてくれた礼に酒場へ連れて行ったんだが、その時に聞いたら『ちょっと野暮用で』と言ったっきりだ」

「何だよ。結局分からず仕舞いかよ」


サイードに聞いては見たが、何も分からないと言う返答で締めくくられた事に幻滅して床に寝寝そべる。疑問が疑問のままで終わる事に心にモヤが充満し、それを吐き出そうとするように、アルシュは深くため息を吐いた。


「だがそうか、ジャミルは逝ったか。いつかまた会えたらもう一度礼を言おうと思っていただけに、残念だ...」


サイードは先程まではしゃいではいたものの、脳裏の情報を整理してジャミルの訃報と向き合うと、肩を落とし俯いた。

その落ち込む姿に、アルシュの表情も沈む。が、まさか父の死を悲しんでくれる者が自分以外にもいるとは思っていなかっただけに嬉しくもあった。


「まぁそれでも、息子に会えて良かったよ。ジャミルの代わりに、礼を言わせてくれ」

「そんなっ、別に俺はあんたに何もしてないぞ?」

「何を言うんだ、お前にも随分助けられたんだ。改めて礼くらい言わせろ」


アルシュの制止を押し切り、立ち上がって壁際で寝転ぶアルシュに向かう。


「本当にありがとう」


それから感謝の言葉を伝える。その言葉声は大きく、ハッキリとアルシュに届く。


「な、何だか慣れないな。こういうの」


何だかむず痒いアルシュは頬を染めてサイードから目を背ける。サイードは歯を見せてニィッと口角を上げて


「直に慣れるさ」


と、満面の笑みで呟いた。


「アンタたち、さっきから何を笑ってんのよ」


笑い合う二人が釈然とせず、スピカが歩み寄って来る。


「別に何でもないよ」

「いや、何かあるでしょ。言いなさいよ」

「だから何でもないって」


アルシュは揶揄うように、答えようとはしない。それに青筋を浮かべたスピカが怒りを露わにした時だった。


「ウオオオオオオオ!!」


その戦士は闘技台上に現れた。その雄叫びはプーティア全土に響渡りそうなほどの轟音となって暴風と共に響わたる。

その理性の欠片も感じられない狂声とは裏腹に、黄金の鎧で全身を隠したその闘技場の一階の壁をも悠に超えるその巨体は、陽の光に照らされる事で輝き、神々しさすら感じさせる。

その手に掴まれた巨軀の頭一つ分は長く、先端に伸びる巨大な刃は天に突きつけられている。


「なんだあいつ...凄え鎧だ...!」

「美しい、まるで神の使いのようだ...!」


観客たちはその荘厳な姿に見惚れていた。この赤い血と土埃の舞う闘技場は、黄金に輝く鎧の美しさを際立てる。


「なんだよアイツ。あんなのに勝てる奴なんているのかよ...!」

「ありゃ殺されるぜ...」


待機場の戦士たちはこれから戦わされる戦士に動揺し、今日戦わされる者の運命を悟る。

観客たちはあれを神の使いと呼ぶものもいるが、戦士たちにとってはあれが悪魔にしか見えない。

そして恐怖してひたすら祈る。次の相手が自分ではないよに、と。


「うぅっ...!」

「スピカ?大丈夫か?」


先ほど、アルシュに怒声を浴びせようとしたスピカがふいに膝を突いて頭を抱えている。それは眼前の戦士がやって来てからの事だった。


「う、うん...大丈夫。ただ、あいつが来た途端、頭が痛く...!いったい、何者なの?」


魔力を感じられないアルシュにも、黄金の戦士が強い事はすぐに分かる。

背中に感じた寒気、全身にチクっと刺すような痛み。この感覚は以前にも何度か経験した事がある。それは生物として戦ってはいけないという生命本能から出された信号だ。


「へっ、あいつ相当の化け物だぜ。アイツと戦わされるのだけはごめんだ」


鉄格子に駆け寄って来たグレンは恐怖を通り越して笑みをこぼす。元々戦う事すら避けて来たこの男に勝てる道理などない。


「聞け!戦士、民衆!」


不意に、黄金鎧の戦士は怯える相手の前で声を大きく張り上げると、これまで喧騒が耐えなかった観客たちは静まり返り、闘技場に集っていた主催者たちも、真剣な眼差しで各々のバルコニーから声の持ち主を見つめる。


「俺の名はネルブガルド!!オーク族の上位種族である!!」


ネルブガルドと名乗るその男が声を張り上げると、観客たち、奴隷たちはどよめいた。


「う、嘘だろ?ガルド族だって?」

「そんなすごい戦士がなんでここに...!」


観客達からは「ガルド族」という単語が響き、アルシュの耳に入る。


「ガルド族、なんだそれ...?」


アルシュはその種族の名前に首を傾げた。オーク族がエルダーマッド大陸のどこかにいる事なら分かっていたが、どう言うわけか戦場にはいなかった。そしてガルド族に至っては聞いた事もない。


「お、お前...知らないのか?」


横を見ると先ほどまで笑みのあったグレンの表情はこわばっており、汗が流れている事に怪訝な表情を浮かべる。


「ガルド族を知らないなんて、ジルドラスってどこまで能天気なのよ」


スピカは立ち上がり、頭を抱えながらアルシュの疑問に呆れた顔でため息混じりの言葉を漏らす。

皆、よほどガルド族と呼ばれる種族が恐ろしいようだ。


「ガルド族...戦闘に適したオーク族の中でもより戦闘に特化した上位種族。奴らは皆名前の最後には必ず『ガルド』と付く。個体数は少ないが、竜族が衰退した今、その武力はエルダーマッド大陸でも随一らしい。あいつはそれが自分の種族だって言ったんだ」


グレンは何も知らじ、キョトンとするアルシュに説明をする。


「そんなに、すごいのか...?」

「すごいってもんじゃないさ。俺もガルド族と名乗るやつを見たのは初めてだが、その気になれば奴らだけで一つの国を滅ぼせるらしい。幸い、奴らにその気はないみたいだがな...」


国をも滅ぼせる最強の種族と言われれば納得だ。先程から寒気と刺すような体の痛みが治らない。


「お前、やけに詳しいな」


アルシュはやけに詳しいグレンに疑念を覚える。


「別に、こんなのは常識だと思うが」

「そうよ、逆になんでアルシュはそんな事も知らないの?いくつかの本を読めば絶対に出てくる名前でしょ?本、読んだことないの?」


二人からの叱責に遭い、アルシュは肩を落とす。本なら読んだ事はあるが1冊だけで、それは子供の頃に読んだ神話に関する内容のものだったが、ガルド族などという種族の名前は載っていなかった。


「悪かったな、何も知らなくて」


アルシュはスピカの物知り顔に少しだけ苛立ったが、鉄格子の向こうから張り上げられた声によって首を向き直す。


「聞け!俺は強き戦士を求め、敢えて奴隷に成り下がった!俺が求めるのは良き戦い、良き死に様だ!!故に戦士共、死力を尽くして来い!!であるならば、俺も全力を持ってして至上の死をくれてやる!!」


ネルブガルドは戦いを求めてここへやって来たようだ。そのためなら命をも差し出すと言っているのだ。スピカと戦ったヨームの理屈であればまだ理解できるが、ネルブガルドの気持ちがアルシュには分からなかった。

戦う事の何が楽しいというのか、幼少の頃は戦士になって戦いたいと思っていたが、兵士として戦場に出てからはその考えは大きく変わった。

アルシュがこれまで戦って来たのは、自分の信念を貫くためであり、ヴォルロフのように血を流す事や自らを危険に晒す事自体を楽しんだ事など一度たりともない。

クモレイア村でエリンやマリカから剣の使い方を教えてもらったのも生きるために必要な事だったし、できれば無駄な戦いはしたくはないのだ。


「あいつは、ヴォルロフと一緒だ」


再び奴隷達が恐怖に陥れられる。アルシュはネルブガルドの言葉を聞いて直感した。

奴を倒さなければまた誰もが震えながら死を待つことになる。止めなければいけない。


「どうしよう。俺、明日生きてるかな...!」

「もしかしたら今日、俺の番なんじゃ...!そんなの嫌だ...!」


既に皆が恐怖に縛られている。あのヴォルロフが猛威を振るっていた時のように、迫り来る恐怖が戦士達を苦しめているようだ。

そんな中、恐怖など感じさせず、ただ鉄格子の向こうを眺めながらポツリと立ちすくむ小人族が一人、その表情には哀愁を漂わせ、己の展望を予見しているうようだった。





           ◆






「ネルブガルド!最高だ!」

「素敵よ!結婚して!」


ネルブガルドが話し終えると、黄色い歓声が沸く。その中に野次は見当たらず、それは観客の誰もが求めた戦士の姿だった。


「うぅっ...くそっ....!」

「全力で来るんだ。俺は手加減などしない」


獣族の中年の戦士は剣を構えてはいるが、ネルブガルドの圧倒的な威圧感によって足が笑い、カタカタと震えている。

手加減はしない。その言葉が、恐ろしくて仕方がない。まるで勝負にならないだろうと、諦めながらも、その生に執着する思いがこれまでにない恐怖を呼ぶことで目、鼻、口から体液がこぼれおちる。その雫が地に弾けた時、銅鑼はなる。


「う、うわあぁぁぁ!!」


中年の戦士はネルブガルドに向かってひたすら走った。ただ見えない勝利に手を伸ばして、見えない筈の明日を脳裏に浮かべながら風邪を切る。

そして思考は止まった。

ネルブガルドの突き出した矛が3メートル先の男の頭部を粉砕した事で処刑は銅鑼が鳴った直後に終わった。

その速すぎる決着に、観客は言葉を失った。審判も状況に戸惑うが、すぐに状況を把握し、銅鑼を鳴らすと、瞬く間に熱い声援がネルブガルドの元へ届く。

しかし、ネルブガルドはその場を去ろうとはせず、頭部を失った屍に歩み寄る。


「一体...どうするつもりだ?」


アルシュは怪訝な表情でネルブガルドの奇行を注視する。戦いは終わった筈なのに、その場から去ろうとしないのも、珍しい。


そしてネルブガルドはその胴体に刃を突き刺し始める。血が吹き出し、黄金の鎧に付着する。


「冥府で光を導き出さん事を」


そう言うと、その自分の体よりも二回りも小さいその屍の突き刺さった鉄柱のような矛の先を持ち上げて、矛先を天に掲げると、血が溢れ落ち、ネルブガルドの黄金の鎧を赤黒く染めた。


「何やってんだあれ...!?何がしたいんだ?」

「あれは、儀式だ..!オーク族の!」


奴隷の中の誰かが儀式と口にする。どうやらオーク族は戦いで勝利した暁には死体を天に掲げる事で魂が昇天すると信じているらしい。

それは死者を尊重する行為であるが、見ていてあまり気分の良いものではない。死体を持ち上げて血を浴びる事が崇高な行為だとはアルシュには思えない。


「神の、使いだ...!」

「そうだ、天使だ!」


観客の一人がその残虐な行いに心を打たれて、神の使いなどと呼に始めると、それは瞬く間に観客中に広まり、皆がネルブガルドを天使だと言って称えた。


新たな脅威、ネルブガルドを早く倒さなければならない。そのためにもアルシュは魔力とは異なる力のコントロールを急がねばならなかった。


「今のままじゃ、ダメだ!」


毎晩、アルシュは牢屋の中で未知の力のコントロールのための独自の修行を行っていた。

本当であれば稽古の時間が良かったが、あの場で気を失うのは面白くない。

最悪痛めつけられるだけでは済まないだろう。だからこの修行だけは気を失ってもリスクの少ない夜の時間をぶ他なかった。



しかし、修行は中々容易ではない。力を引き出す事自体はできたが、問題はそこからだ。

力の加減、維持が難しい。弱すぎればすぐに消失し、だからと言って少し力めればすぐに体力を失う羽目になる。



それでも進展はあった。微弱な光を体に纏い、維持するまでには成長した。だが、それっきり、アルシュの修行に新たな展開はない。

これではいつここから出られるか分からないし、昨日現れたネルブガルドといつ戦わされるか、どれだけの者が犠牲となるか分からない。

魔力を測定する事ができないアルシュでも、奴の実力なら分かった。

今のままでは勝てない。それが昨日の闘技場でアルシュが出した結論だ。


アルシュは広間での食事の時間の際にスープを眺めながら熟考する。一体どうやったら、リスクを最小限に収めながらより大きな力を引き出せるのだろうか、と。


「アルシュ...」


その最中に、ふと隣のサイードは少年を見上げながらその名を呼んだ。


「ああ、サイードか」


熟考するあまり、アルシュは後からやってきたサイードの存在に声を掛けられるまで気付かなかった。


「どうしたんだ?」


見下ろすと、サイードの顔はどこか寂しげで、これまでのような明るさはなかった。


「実は、お前に頼みたい事があるんだ」

「頼み?」


いつもと比べると小さい声でサイードはアルシュに何か頼みを聞き入れてもらおうと話を続ける。


「多分、ワシはネルブガルドに殺される」

「....」


サイードがなぜ落ち込んでいるのか分かった。周囲の奴隷戦士同様にネルブガルドに気押されたのだ。


「大丈夫だよ。その前に俺がやっつけてやるから」

「いや、分かるんだ。明日、ワシは死ぬだろう」

「そ、そんな事、明日にならないと分からないだろ?」

「アルシュ、お前がロメオの一件で痛めつけられて気を失った時に、マシールから聞いたんだ『タウフィクは近い内にお前を強い戦士と戦わせる』ってな。ワシはてっきりヴォルロフに殺されるとばかり思っていた」

「でも、ヴォルロフは俺が倒したじゃねえかっ...」


哀愁を浮かべた表情を見て、アルシュの動悸が早まり焦燥する。

サイードの抱いていたそれは、不安でも無ければ恐怖でもない。真実と向き合った事で感じた絶望だった。


「ああ、お前がヴォルロフを倒してくれたおかげでワシは今まで生きる事ができたんだ。だがネルブガルドを見て悟ったよ。奴こそがワシにとっての最期だとな」

「だ、大丈夫だって言ってんだろ!アンタは死なねえ!その前に俺がネルブガルドを倒すんだ!」


今の状況ではネルブガルドには敵わないと悩んでいたばかりのアルシュだったが、友のために何がなんでも奴の息の根を止めなければいけないと、心に決める。


「もういい。前から言ってるだろ、無理はするなって」

「無理じゃねえ!やるしかねえんだ!アンタに死なれたら困るんだ!だって、約束、しただろ...!」


アルシュは顔を困惑に歪める。以前、サイードはここから出たら故郷の酒場に連れて行ってくれると言ってくれた。

それなのに、


「ああ、済まんな。だがどうやら無理らしい」


と、苦笑いでアルシュに謝った。


「アルシュ、そこでお前に頼みがあるんだが、もしここから出られたら、プーティアから遥か北西にネーデルラントって村がある。そこがワシの故郷なんだが、妻と息子の墓石がある」


それは以前話してくれた、サイードがこの世で最も愛した者たちの眠る場所。

サイードはタウフィクに捕まって以来、その墓地を訪れる事ができていない。


「悪いが、代わりに花を手向けてやってくれんか」

「そう言うのは、おっさんが自分で行けよ...!人使いが荒すぎなんだよ...!」


アルシュはサイードの頼みを聞き入れようとはしない。もし引き受ければ、親友の死を肯定する事になってしまう。サイードには生きて約束を果たして欲しのだ。


「やれやれ、それができんからお前に頼んでいると言うのに。ワシはあっちで家族と再会するから構わんよ」

「ふざけんな。そんなの俺がさせねえ!」


何を言ってもアルシュはサイードの頼みを受け入れようとはしない。

サイードは息を漏らして苦笑する。


「まぁ、いいさ。お前はいいヤツだ。だから、いずれ頼みを聞き入れてくれると信じる事にするよ」

「うるせえ!絶対に行くか!」


サイードはいつまでも拒み続けるアルシュに、それ以上頼み込もうとは思わなかった。

最期にこの少年の猛る姿を見られて良かった。この子なら、いつかこの地獄から這い出る事ができるだろう。

アルシュは急いで食事を終えると、衛兵に連れられ、牢屋に戻って行く。

そんな背中を見て、サイードは何処か寂しげでありながらも満足そうな表情で笑っていた。


牢屋の中に戻ったアルシュは胡座で瞑目し、必死に力を引き出す事に集中する。


今日、未知の力のコントロールが成功するかもしれない。そして、またあの時みたいに頼み込めば、ネルブガルドと戦わせて貰えるかもしれない。

そしたらサイードは助かるんだ。


アルシュは思考の中を都合の良い展望で塗り固める。しかし、瞼を開ければ非常な現実が待っている。


「なんでだよ、なんでこれ以上大きくできねえんだよ!」


微弱な力を纏う事には成功したが、これでは毛の生えた程度の実力しか発揮できない。

これではネルブガルドの足元にも及ばない。


「出てこいってんだよ!」


僅かな光に全く動きが感じられない事に、次第にアルシュの心の焦燥に苛立ちが付け足されて膨張して行く。

早く、強くならなければ。そんな思いがアルシュの感情を昂らせ、爆発させる。


「や、やった!」


すると、アルシュの体からは眩いほどの光が放たれ、その輝きは牢屋の外側にまで行き届いた。


「誰だ!」


見回りをしていた衛兵が怒声を上げて、近付いて来るのが見えた。

だが、もう何も怖くはない。未知の力のコントロールは成功したのだ。

これでサイードを助ける事ができる。そして、ここから抜け出す事が、





「なんだ?眠ってるだけか」




衛兵がアルシュの牢屋を除くと、見えたのは横たわる少年だった。

必死なあまり力みすぎている事に気付かず、体力を大量に消費したアルシュは倒れ込み、動く事ができなかった。


気を失うわけには行かない。サイードを、助けないといけないんだ。

アルシュは必死に手足を動かそうとするが、辛うじて動いた指先と口を必死に動かして


「ク、ソ...」


と言う言葉を残すと、その意識は闇の中に消えて行った。

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