80話 復讐こそが生きがい
アルシュの経緯を知りたい。その思いでスピカは戦闘衣装に身を包み、リング上に姿を現す。
「スピカ〜!頑張れ〜!」
「負けるんじゃねえぞ!お前まで死んだらつまらねえ!」
「スピカだ!臆病者のスピカだ!」
「ヴォルロフみたいに負けるんじゃねえぞ金蔓!
「いつもトドメを刺さずに逃げやがって!おい!少しはこっちを向いたらどうなんだ!!」
観客たちの中にはスピカを応援する声もあったが、野次の方が圧倒的に上回っている。
そんな観客たちに目もくれずにスピカは目の前の敵を注視する。
髪型は茶色。襟足とサイドを刈り上げ、頭頂部からは髪を伸ばし、三つ編みにしている。
体格はがっしりとしているが、スピカとそれほど身長は変わらないため、小柄といった方が正しいのか。
銅には胸当てと腰当てを装着する事で胴体の防御を高めているが、肩を出して、手首にはレザーアームのみを着用。ブレアの下に革のブーツを履いている。
男は片手斧を握る力を強めて、顔を歪め、怒りをともした青い炎のような視線を少女に向けていた。
「久しぶりね。フレッド」
「ああ、そうだな。久しぶりだスピカ」
フレッドと呼ばれるその男は、スピカと面識があるようだった。髭に覆われた口角を持ち上げて笑って見せたが、眉間に寄せられた皺は歪みに歪み、戻らない。
「俺はこの日をどれだけ待ち望んできたか分かりぁ?あの時、生き恥をかかされただけでなく、お前のせいで俺は全てを失ったんだ。あれ以来、お前を殺すことだけを考えて生きてきた」
「私のせいにしないで。全部はアンタが弱いのが悪いんじゃない」
「なんだと...!?」
責任を突きつけられた少女は悪びれもせずにフレッドに言い返すと、彼は顔を怒りに歪めたまま魔力で風を生み出す。
それはスピカの体に吹きかけるが動じる様子はなく、ただ赤いマントが靡くだけだった。
「どうやら、今になってもお前は自分の罪の重さが分からないようだな...!いいさ、だったら関係ない!俺は俺の復讐を果たす!」
「勝手にしなさい。でも悪いけど、私もここで負けるわけにはいかないの。手加減はしない!」
二人は構えると、風が止んだ。観客たちも戦いの始まりを待ち侘びるかのように静寂を漂わせる。
どちらが勝ってもおかしくない。誰もがそう思う中、銅鑼が鳴りスピカにとっての思いがけない、因縁の戦いが幕を開けた。
先制を仕掛けたのはフレッドだった。小柄な体で風を切ってスピカに飛び掛かり、斧を横に振る。
スピカは盾を前に翳して防御耐性を取る。そして衝撃が来た瞬間っに盾を傾けながら受け流そうと思考した。
が、素早く力強い攻撃を受け流す事ができずに、その衝撃がスピカの体に伝わる。
その反動で体のバランスを崩しそうだったため、後ろに退避する。
「重い.....!」
盾があったからこそ今の斧をなんとか防ぐ事ができたスピカだったが、ヨームは猛攻はこれで終わらない。後ろに逃げたスピカを追うようにして、斧を振り翳しながら前進する。
「....っ!?」
「そこよ!」
そして再び盾に向けて斧を振り下ろす。スピカは魔力による肉体強化で耐え、次の一撃が振り下ろされる際に、回避し剣を下から振り上げた。
「ちっ...!」
フレッドは瞬時に横に逸れる事でうまく回避したが、スピカが盾に魔力を込めて打撃として放つ。
フレッドは斧で防御を取ったが、スピカとの距離を突き放される。
スピカが縦に刃を放った事でフレッドの頬からは薄らと血の滴が垂れていく。それを舌で掬い取ってから、フレッドは不敵な笑みを浮かべる。
スピカの息が上がっていた。戦士とは言え、ヨームの攻撃は体の小さな少女が受け止めるにはあまりにも重い。今までの敵であれば上手く受け流す事ができていたが、フレッドは素早いためそれを許さない。
その重く、素早い一撃はたとえ防げたとしても、スピカの体力と魔力を徐々に削り取っていく。
「見ろよ!フレッドの頬!血が出てるぜ!勝負は見えてきたんじゃないか?」
「無理もない、相手はスピカだ!フレッドもなかなかやるが、それでもスピカが上みたいだな!」
「ふざけんじゃねえ!フレッド!お前に賭けてるんだ!」
観客たちの目にはスピカが優勢に見えているようだった。彼らはその勝利を疑わずに声援とヤジを飛ばす。
「いいぞスピカ!やってしまえ!勝利はもうすぐだ!」
待機部屋では珍しく小人族のサイードがスピカに向けて応援の声を送っていたが、無論その声が届く事はない。それでもサイードの顔は彼女の勝利を信じて明るく猛っていた。
「やれやれ、あの爺さん張り切りすぎだっての」
赤い髪の短髪の青年グレンはサイードの必死な姿にため息を漏らす。まだ勝負は終わっていないと言うのに、あの老人は何を言っているのか。
勝利など、まだハッキリともしていないと言うのに。
「ああ言ってるがアルシュ、お前にはどう見える?」
「グレン...お前いつから俺になれなれしく話しかけるようになったんだ?俺はあの時の事を忘れたわけじゃないんだぞ?」
「そう言うなよ。俺だって、あれから改心したんだぜ?それに険悪な空気はごめんだ。仲良くしようぜ?兄弟」
グレンは歯を見せて爽やかな笑みを見せたが、少年の目にはその優しいマスクがどうにも信用ができない。
ロメオの一件以来、この男はアルシュに接近するどころか妙におとなしく、誰とも話さずに日々を過ごしていた。
だが、アルシュはため息をついて鉄格子向こうに向き直り、決闘に視線を戻す。
「それで?サイードのおっさんはスピカが勝てると踏んでるみたいだが、どうなんだ?その表情からすると違うんだろ?」
アルシュは不安そうな顔をしていた。その表情から分かる。この少年は決してスピカの勝利を確信していない。
「有利なのは敵の方だ。スピカの息の切れ方が尋常じゃない。多分、さっき魔力をかなり消費したんだ。これじゃあ、いつまでも保たない」
「へぇ、なるほど。さすがだな」
グレンはアルシュを値踏みするかのように見つめると、ニヤけた表情で試合に向き直る。
「勝てるといいな。スピカ」
「お前の口から言うとなんだか気味が悪いよ」
「ハハッ、そうか?」
アルシュはこのグレンという男に違和感を感じた。何かを企み、他者を陥れる事を快感とするようなその笑みに怖気すら感じた。
だが、今はそれどころではない。スピカが負ける可能性を思考し、アルシュはただ、決闘の様子を見守るのであった。
「ハァッ、ハァッ!」
アルシュの言う通り、スピカはすでに息を漏らしている。先程の攻防で魔力を大きく削がれた。このままでは魔力が消耗するか、あの斧で叩き切られるのも時間の問題だ。
「どうした?息が上がってるぞ?決闘は始まったばかりだって言うのに、これじゃあもう終わりそうだな」
「気のせいよ。それよりアンタこそ、その顔の傷は何?あれから鍛錬したみたいだけど、私みたいな女の子に顔を傷つけられるってどんな気分?」
「口数だけは減らねえな...!今目の前にいる敵を女子供だなんて思わねえよ。バケモンだお前は。俺から家族を奪ってなおのうのうと生きているお前はなぁっ!」
「....っ!」
スピカの挑発によって、余裕のあったフレッドの笑みが消える。
フレッドは怒り任せに地面を蹴って、凄まじい剣幕でスピカに向けて斧を振った。
「あの時!お前が俺を勝たせてくれていれば!」
「うっ...!」
速度は先程よりも一回り早く、力強い。スピカは魔力で防御を取ったが、その反動で鈍い金属音と共に弾き飛ばされ、地面を転がりうつ伏せになる。
「主人が俺の家族に傭兵を送り込む事なんてなかったんだァ!」
「....っ!」
頭の鈍痛が響く中、スピカはなんとかその体を仰向けてにして体を起こした時、すでにフレッドがスピカを叩き潰そうと斧を掲げている。
先程の一撃によって剣を手放してしまい、手元には盾しか残されていなかった。
スピカはフレッドの方向に向けて盾を両手でかざし
て、魔力を纏った。
しかし、フレッドの斧も薄緑の光を放っている。
それを両手でスピカの盾に向けて放った。
フレッドの振った斧によって雷のような轟音を響かせ、周囲の石畳にまで衝撃が伝わり、亀裂が入る。
スピカは痛切を浮かべながら盾をひたすら翳す事でフレッドの一撃に耐えるが、石が粉々になる程の威力によって、いつその体が肉片となってもおかしくはない。
剣を手放したからか、徐々に体から力が抜けていく。膝をつき、今にも押し潰されそうだ。
スピカは類稀なる魔力があるからこそ防ぎきれているが、保って数秒だろう。
体を強化しているといえ、魔力は更にに削られていき、肉体が悲鳴を上げているのが分かった。
フレッドは顔を憎悪に歪めて目に涙を浮かべていた。彼は思い出していた。以前の戦いで敗北した屈辱と、全てを奪われた悲しみを。
負の感情によって、フレッドの斧には力が込められ、盾に亀裂が入る。
「一体...どうすれば...!?」
スピカは焦燥する。このままでは盾が破壊されて死ぬ。何か打開策はないか。
手放した片手剣はスピカの方から見て右側に転がっていた。手を伸してもギリギリ届かない位置だが、そもそも両手を防御に集中している以上、伸ばせる手も伸ばせない。
だからと言ってこの重圧を受け流せる程の力はスピカにはない。
ではもうこのままフレッドに殺されるしかないのか。助かる道はないのか。
『アムド...』
否、一つだけあった。それは絶対に使わないと決めていた、スピカにとっての禁じ手。
だが、死ぬわけには行かない。ここを出て自由を手にするまでは。
「....っ!?」
ふいにスピカの足元から飛んで来た小石が勢いよく射出される。
攻撃に全ての神経を注ぐフレッドは避ける事ができず顔に直撃すると、一瞬だけ体がぐら付いた。すると、スピカにのしかかる重圧は軽くなり、その隙にスピカは右に跳んで、前転しながら片手剣を拾う。
「てめえ、それは...魔術だと!?なんでだ?ここに集められる戦士は基本魔術を得意としないはずだ!」
「これくらい誰でもできるでしょ。ってか、こんな手使わせないでよ。おかげで昔の事を思い出して気分が最悪じゃない」
スピカが使ったそれは岩魔術だった。孤児院にいた頃にひっそりと遊びで覚えたそれは、小石を動かす程度の効果しか持たない。
『スピカ、まだまだお仕置きが足りないようだね。こっちへ来な!』
「...っ!」
しかし、窮地を脱するためにスピカはやむ負えず使ったが、脳裏には思い出したくもない。管理人の老婆の顔と声思い浮かび、嗚咽しそうになったが、なんとか堪える。
「さて、と。さっさとケリをつけるわよ。体力がないのはアンタも同じでしょ?」
「何を言って...!?」
フレッドは自分の心臓の痛みに気づき、手で押さえた。動悸が治らず、汗が滝のように流れている。
今の攻撃で全力だったのか、スピカの息の根を止める事だけを考え、自分の魔力を過剰に行使していた。
「く...そっ!」
消耗したフレッドに先程の動きはなく、斧を地面について立ち尽くしている。
「どうやら、さっきのでだいぶ魔力を消費したみたいね。それじゃもう戦えそうにないわね」
スピカはそれを好機と見て片手剣をそっと構えた。盾は最早使い物にならず、息は切らしていたものの、まだ動く力は残っている。
勝てる、そう確信してスピカは動くことのできないフレッドに歩きながら接近する。
「これで...終わりだと?」
負けるわけには行かなかった。フレッドがスピカに向けて前進し、その距離を詰める。
「クソッ!」
そして斧を振る。しかしかつての勢いは既になく、うまく当たらない。縦に振っても、横にふっても、スピカはうまく躱す。
「グオッ!」
斧が大振りになった隙を狙い、スピカが柄をヨームの腹部にめり込ませ、足を振り上げ、顔に蹴りを喰らわせると、フレッドは地面に体を預けて痛みに苦しむ。
「降参しなさい。もうアンタに勝ち目はない」
「俺の、負け、だと...?ふざけるな....ふざけるな!ふざけるな!!俺は、お前にだけは、負けるわけには行かないんだ!!」
疲弊するフレッドは残った力を振り絞って怒号を上げる。それは今のフレッドにとって唯一の抵抗だった。そんな必死な姿を前にしても、スピカは動じる事なく、敵を降伏させるために歩み寄る。
「俺は、約束、したんだ!絶対にお前を倒すって...!だから、だから!やられる訳には、行かないんだぁっ!!」
ヨームがそう言い放つと、スピカは目の前の光景に逡巡した。何が起こっているのか理解ができない。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
確かにフレッドの魔力は弱まっていたはずだ。力を使い果たし、消耗したあの男は立っている事でやっただった筈なのだ。
それなのに、
「何よ、その魔力...」
スピカの目にはヨームの体から魔力が炎の迸り、大気すらも燃やそうとしているように見えた。
「あいつも、あれを使うのか...!?」
アルシュは待機部屋から鉄格子の向こうを眺めて唖然とした。窮地に立たされていたフレッドが魔力を爆発させるように放出している。
それは、これまでアルシュが死地を乗り越える度に行使していた未知の力と同じものなのだろうか。だとしたらスピカが危うい。ましてや今は消耗している。
いくらスピカが強いと言っても、あの力を解放されればひとたまりも無いと、スピカを心配そうに見つめる。
フレッドは魔力を一気に解放させると、火だるまのように光で自分の姿を隠し、足を止めたスピカに向けて飛び掛かる。
一瞬だった。それはスピカの肉眼を持ってしても追えず、瞬きほどの間に、フレッドはすでに至近距離にまでせまり、その斧は少女の体を切り裂こうと振り下ろされようとしていた。
スピカもその斧に対応ができず、反射的に防御をとったが、間に合わない。別にこの男の強さ、執念を侮っていた訳ではない。それでも、その想像を僅かに上回る現状に、スピカは死を覚悟して瞑目する。
「.....っ!」
が、斧はスピカの体に触れる事はなかった。目を閉じるスピカがいつまで経っても自分の体に斧が当たらない事に疑念を感じ、ゆっくりと瞼を開けると、視界に入ったその情報に一気に大きく目を見開いた。
「い、一体これは...!」
フレッドはスピカの至近距離にまで接近し、斧を翳していたが、そのまま動かない。
スピカはその状況をすぐには理解できなかったが、魔力に意識を置く事で、理解した。
魔力はすでに感じられず、立ったまま絶命していた。おそらく生命維持に必要な魔力を使い切った事が死因だろう。
「ありえない。そんな、だってそんな死に方...!」
スピカはフレッドが何を考えていたのか分からない。ここでは誰もが生きるために戦うとばかり思っていたが、フレッドはただ復讐のためだけに戦っていたのだ。
家族を奪われた憎しみを晴らす事が生き甲斐だったのだろうか。そのためなら、これ以上生き恥えを晒すくらいなら、命を捨てても良いと思ったのだろうか。
「何よ、それ...!ふざけないでよ。それじゃあ、全部、私のせいじゃないの...!」
スピカは歯を軋ませる。あの時、自分が死んでいればフレッドは今頃違った道を歩んでいたのだろうか。家族に会えていたのだろうか。
スピカはフレッドの幸せを全て踏み躙り、人格をも狂わせてしまったにも関わらず、のうのうと前向きに、自由を手に入れられる日を夢見ていた自分に虫唾が走った。
やがて、フレッドの死に誰もが騒然とする中、銅鑼が鳴り、決闘は終了する。
「へっ!フレッドもこれで終わりか...最後までイマイチな奴だったな」
「ラッキーだったなスピカ!敵が勝手に自滅してくれて!」
相変わらず観客たちは奴隷たちの過酷さなど知ろうともせず、死者にすら侮蔑を飛ばす。
「うるさい!!」
スピカは大声で観客達に向けて怒鳴り声をあげたが、それでも喧騒は止まない。以前変わらず勝者に賞賛とヤジを飛ばし、それは少女が退場するまで治る事は無かった。
待機部屋に戻ってきた少女は俯き、その表情は暗く、その薄緑の瞳には前を見据えるような煌めきはなく、濁っていた。
「大丈夫か?」
勝利したにも関わらず、嬉しそうでも誇らしげでもない様子に首を傾げ、アルシュは今にも暗闇の中のスピカに声をかけた。
「だ、大丈夫よ」
「そうか。じゃあな」
しかし、その声は小さく、今にも掠れそうだった。明らかに大丈夫そうには見えない。事情を聞いたところで話したくはないだろうと思い、アルシュは背中を向ける。
「ちょっと待ってよ」
その背中に向けてスピカが声をかけたので、アルシュは立ち止まり、意外そうに後ろを振り返った。
「聞かないの?」
「は?」
「だ、だから、こう言う時は、私に何があったのか聞くでしょ普通」
「だって、嫌だろ?一人になりたそうだったし、別に無理しなくていいよ」
「い、いいから聞きなさい」
スピカはどこか余所余所しい態度で手を掴んで引いたので仕方なく、アルシュは「分かったよ」と言いながら壁によしかかるのを確認すると、スピカはその隣に座った。
「さっきの敵は、フレッドって言うの。前にも戦った事があんたんだけど、それ以降ずっと私を強く憎んでいた」
「何でだ?」
「前にもフレッドと戦った事があったんだけど、主人から命令されていたらしいの。私を殺さなければ家族を殺すって...でも、私は生きるために勝つ事を選んだ。それ以来、フレッドは私を恨むようになったの」
「復讐か...」
「そう、そしてフレッドは今日、私を恨みながら、私を殺すことだけに全てを捧げて死んだ。私には分からない。復讐なんかが戦う理由になるのかって...」
フレッドはスピカを強く憎み、殺したいと思っていた。そしてただそれだけの為に、これまでを生きてきた。そして、憎悪に飲まれ死んでいった。
そんな死に方に何の意味があったのか、過去に囚われ、憎しみに囚われながら生きて何の幸せがあるのか。スピカには理解ができない。
「俺は分かるよ、フレッドの気持ち。あいつにとっては多分、その家族が全てだったんだ。守りたいと思ったんだ。だからそれを全て奪われ事が悔しくてたまらなかったんだ」
アルシュはフレッドの気持ちを理解するのに苦労はしなかった。
もしフレッドがその家族を愛していたのならば、それを奪われた時に、どれほど絶望しただろう。
その分、何としてでも仇を討ちたいと思うのは当然の事だ。
かつて一人の少年が、いつか必ず王を殺すと誓ったように。
「じゃあ、私が死んだ方が良かったの?嫌よ!私は死にたくなかった。生きたかった」
「そうだな。お前は何も悪くない。誰も悪くないまま、戦いでは人が死んでいくんだ」
スピカは顔をひしゃげて目には涙が潤む。少女の言葉も決して否定する事はできない。それはここにいる誰もが抱く願望だ。
戦わずに済めば誰も剣など振るいはしなかったし、誰も死ぬ事はなかった。
だが、それが生きる道であるのならば、受け入れるしかない。
ここも戦場と同じだ。戦いとは理想の衝突である。血を流す事でどちらか一方が夢に近付く。
アルシュはそれを何度も見てきた。
そして、理想のために見捨てられ、プーティアへ連れられて来たのだ。
「そういえば、俺がここに来るまでの経緯を聞きたいんだったな」
「うん...」
アルシュはスピカとの約束を思い出し、これまでの経緯を話した。
父を殺され、戦場に送られ、戦いながらそこでようやく心を許せる友と出会えたと思えば、マシールに連れ去られて今度は奴隷と来た。
「何よそれ、あんたの人生めちゃくちゃね」
「ああ。俺が今ここでこんな惨めな思いをしているのも、全てはヨルムのせいだ。あいつがいなければ父さんは死ななかったし、今でも一緒に暮らしていたと思う。俺はヨルムが許せない...仇は討つ。だから俺は絶対に生きてここを出る」
スピカはアルシュの歩んできた人生のあまりの酷さに一周回って笑いさえ生まれていたが、「仇」と言う言葉を聞いた途端、その笑みは吹き消された蝋燭の火のようにすぐに消えた。
「『仇』?アンタ...そんなもののために生きようとしてるの?」
スピカは信じられない様子でアルシュの決意めいた横顔を見る。
「ああ、そのおかげで俺は今まで生き延びてきたんだ。最近は辛い事がありすぎて忘れかけてたけど、スピカやサイードのおかげで思い出す事ができたよ」
「じゃあ、私はアンタの復讐の手助けをしていたって事?」
「悪いが、そうなるな...」
スピカは唖然とした。今彼女は憎悪に囚われて死んで行ったヨームを思い心を痛めていたが、アルシュはそれでも尚、復讐を夢見ていると言った上に、スピカがその復讐に協力したとまで言う始末。そのあまりの皮肉に呆れ果て、スピカは言葉を失う。
「はぁ、少しはいいやつだと思ってたのに、やっぱりアンタの事嫌い」
スピカは仰向けになって足を組み替え、ため息を吐く。
「別に、お前に好かれたって得になる事なんてないだろ」
「はいはい分かったわ。じゃあ今度は私の番。今度は私の夢を聞いてちょうだい」
「さっき聞いたよ。ここから出る事だろ?」
「違うわよ。私の夢はその先にあるの!」
スピカはアルシュが話を遮ろうとしても無理やり話を続ける。
なぜならそれは今決めた事で、アルシュにどうしても聞かせたかったからだ。
「貴方に教えてあげるの。復讐なんかに囚われずに、自由である事の楽しさを。この世界の広さを」
「楽しい...か」
スピカは天井に向けて、自信満々に言い放った。知って欲しかった。復讐のない世界がどれだけ色鮮やかで美しいのかを。生きる事の幸せを。
ヨームのようになってほしくない。そんな思いでアルシュに夢を伝えた。
「そんなもん、考えた事もなかったよ」
それがスピカの夢に対するアルシュの感想だった。しかし、復讐に囚われるアルシュの願望にそのどれもが存在しない。考えた事などなかった。復讐が取り除かれた人生を。世界の広さなどどうでも良かった。ただ、ヨルムを討ち倒せればそれで満足だった。
「でも、叶うといいな」
ただ、見てみたくなった。復讐のない世界を。幸せと言うものがどんなものなのかを。
だからスピカにそう呟いた。
「叶うわよ」
スピカは起き上がり、アルシュに笑顔を向け、まるでそれが事実であるかのように宣言した。
その淡い色の瞳には煌めきが戻っていた。彼女はアルシュの幸せを想像し、その未来が訪れる事を信じて立ち直った。
そんな姿を見ていると、自然とアルシュの頬も緩む。そして、アルシュもスピカが夢を叶えるのを想像するのであった。