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77話 正義の限界

「た、助けて…ください.....!」


アルシュが舞台に立った時、その琥珀色の瞳に映るのはプーティアという国の闇だった。

この国が腐っていることなど、自分の置かれる現状や、奴隷をいたぶる国民たちの姿を見れば明らかだったが、そんなアルシュの理解をも超えた圧倒的な地獄がそこにはあった。


「ちょ、なんでだよ。だって、あり得ないだろ?ここは闘技場だぜ?」


きっと冗談だろう。笑えないが、何かの余興なのかとさえ思った。

しかし、観客たちはざわめき、戦いの始まりを待ち侘びているようだ。


「助けて、ください…!」


アルシュは逡巡し、その目を疑った。なぜなら目の前にいるのは、痩せこけた体の黒髪の少年だ。背はアルシュの半分にも満たず、年齢は5歳程と言ったところか。頬骨が張っており、死んだような目には涙を浮かべている。

装備は片手に短剣を掴んでいるのみ。持ち方などから戦いに不慣れなのが分かる。

袖のない灰色のボロ切れ一枚を纏い、温暖な気候であるにも関わらず、その体は吹雪に晒されているかのように震えていた。


「そいつを殺せえええ!!」

「そのクソガキを絶対に生かして返すな!!」


観客たちの熱気は天を衝こうとしていた。その興奮のあまり、少年に卵を投げつけ、顔に着弾。頬を伝う涙が卵白と混ざって殻と共に地に弾け、顔を拭っている。


アルシュは周囲の狂気に目と耳を疑った。この少年は何をしたのだろうか。

頬は紫色に変色し、腫れ上がっている。口内が切れ、口元は血でグシャグシャに汚れている。

もし罪を犯したのだとしたら、その時につけられた傷なのだろう。

だからと言って相手はアルシュより二回りも小さい少年だ。何があったかは知らないが、この現状を目の当たりにしてもアルシュは受け入れられない。

不意にヨルム王の顔が脳裏に浮かんだ。アルシュは自分の境遇と照らし合わせ、剣を握る手の力が緩む。


「うそ…だろ?ちょっと、待ってくれよ!」

「始め!」


葛藤する中、銅鑼の音が鳴り響く事で試合、否、黒髪の少年の処刑は幕を開ける。

歓声、少年への罵倒はより一層強くなって舞台に降り注ぐ。

しかし、あの少年の死んだような眼差しを見ると、罪悪感に囚われ、体が石のように動かない。


「何やってるんだ!」

「早くその盗人を殺せ!!」


「盗み...?...だと?」


観客の一人がアルシュに目をギョロリと向け、相手の少年の罪状を口にする。

益々意味が分からなくなる。物を盗む。そんな事で、たったそれだけの事でこの少年はこれから見せ物にされて死ななければいけないと言うのか。


「ふざ...けるな...!」


少年の痩せこけた体を見ればなんとなく察しがつく。腹を空かしていたのだろう。生きるためにやった事なのだろう。誰にも助けてくれなかったのだろう。やっぱり、このプーティアという国はどこまでも腐っている。

なんとしてでも、あの子を助けてやりたい。助けなければならない。それがアルシュにとっての強さなのだから。


「この役立たずめ!」

「腑抜け!お前がやらないなら俺がやるぞ!」


観客からの雑言はやがてアルシュにも投げられる。しかし、知った事ではない。アルシュは直剣を持つ右手を緩めた。この戦いに意味はない。あの少年は、殺さない。


『殺せ』

「っ...!」


剣を手放そうとした時、アルシュは突然の頭痛によって片手で頭を抑えた。戦意を捨てようとした少年の脳裏を忌まわしき音が支配する。

それは脳裏に焼き付けられた爪痕。振り向き、闘技場のバルコニーを見上げると、死神は瞳から深淵を覗かせてアルシュに殺意を向けていた。


『殺せ、殺せ、殺せ、殺せ』


マシールの魔力が何度もアルシュの脳裏に語りかけてくるようだ。分かっている、もし拒否でもすれば、あの死神は躊躇いなくこの首を刎ねるだろう。死にたくはない。アルシュにはやらなければいけない事がある。

それでもこの少年を...



『殺せ!』



助けたかった。しかし、もはやアルシュはマシールに逆らえるだけの意思は残されていない。

ただ怖かった。ロメオのようになる事が。じっくりとなぶり殺しにされる事が。気付けば、手の震えを抑えるように直剣の柄を強く握りしめ、その足はゆっくりと青髪の少年に向けて歩みを進めていた。



「お願い...殺さ、ないで」



その過程で青髪の少年は何度も助けを求める。それはこの子がまだ助かる事を信じている証拠に他ならない。今ならまだ間に合う。

が、恐怖に突き動かされる者の耳には届かなかった。アルシュは丁度剣を振った時に少年の体に当たる位置に立って見下す。



「強さ...ってなんなんだ...!」



アルシュは力いっぱいに、血が出る程柄を握りしめ、震える青髪の少年を見つめながら疑問を口にする。父はかつて、人を救う事が本当の強さなのだと教えてくれた。

しかし、今ではそれが生死の垣根となっている現状に、アルシュは頭を抱える。



「なあ、教えてくれよ...!俺は一体...どうしたら...!」

「う、うわああああ!!」



アルシュが葛藤する中、好機と見た青髪の少年は死に物狂いで地面を蹴った。生きるため、明日を掴むため、脆弱な体の機能を最大限に活用して、手元の短剣をアルシュに向けることで、この瞬間に全てを賭けた。

その刹那、アルシュはその少年の全ての言動を許した。仕方のない事だ。何せここは闘技場だ。相手を屠らなければいずれは自分がやられるのだ。

生き延びたいと願ったはずだ。腹一杯に飯が食いたいと願ったはずだ。そのためには今ここで、敵を仕留めなければならない。



「うぐっ....!」



そして青髪の少年の腹部に直剣が深々と突き刺さり、背中を突き抜ける事で、動きを止めた。

自分の言動にアルシュは虫唾が走るようだった。

ただ咄嗟だった。生きたいのはアルシュも同じだ。ここで死ぬわけにはいかないのだ。


それでも尚、胸糞悪さがアルシュの心を蝕み続ける。自分が自分ではなくなるような気持ちだった。命を賭して守ってくれた父の尊厳を踏み躙ったかのような罪悪感に居た堪れなくなる。



「よ、よくも...母さんを....!」

「ち、違うんだ...。そんな...俺は、俺はそんなつもりじゃ...!」



少年は口元から鮮血と共に何か恨み言を吐いた後、その瞳から光を失い、俯いたまま動かなくなった。

帰るべき場所があったのだろうか。何か残して来たものがあったのだろうか。

しかし、アルシュはその全てを否定した。その返り血に濡れた手は震えている。思わず手を離すと、突き刺さった剣と共に、その亡骸は床に崩れ落ち、鈍い音が鳴った。


「ハッハー!いいざまだ!」

「穀潰しがこの世から消えてスッキリしたぜ!」

「今日はぐっすり眠れるわ!」


悪魔の喜ぶ声が闘技場に響き渡る。周囲の全てが敵に感じた。もしマシールがいなければ観客に襲い掛かり、虐殺の限りを尽くしてもおかしくは無かっただろう。



「あぁあぁあぁあぁあぁ!!」



代わりにアルシュは両眼をひん剥いて顔を苦悶にひしゃげ、俯いて呻き声を挙げる。血のついた両手で頭を掻きむしり、茶色い髪が赤黒い染みで汚れて行く。

しかしどれだけ声を上げた所でその苦しみが癒えることはない。

殺しなら戦場で何度もやって来たはずだ。だが、今回のそれはこれまでのどれとも違う。耐え難い罪の意識によって押しつぶされそうになる。

超えてはならない一線を超えたような気がした。もうもう戻る事ができない、届く筈のない軌跡を求めて、陽の光に向けて手を伸ばした。





          ◆





少年の処刑。それはアルシュを奈落の底へと突き落とすのに十分だった。

怯える少年、狂気に満ちた観客の声、そしてマシールから向けられる殺意の眼差しはアルシュを苦しめ続ける。


その手を罪人の血で染めて以降、アルシュは闘技場で多くの罪人と呼ばれる者たちを屠って来た。


誰にも聞かなかったが、なんとなく理解できて来た。どうやらここに集う奴隷たちは誘拐によって連れて来られる者だけはないらしい。

罪を犯して戦わされる者も多くいる。しかし、人を殺し、罪の意識のかけらのないような悪党よりも、やむ負えず盗みをやって連れて来られた老人や子供が圧倒的に多かった。


そんな罪人を処刑して行くたびに、剣を血で染める度に自分が自分では無くなって行くのを感じた。一つ一つの命を終わらせる度に、悲しみに暮れ、どうしようもない罪悪感に苦しんだが、10人を手にかける時、初めて罪人を手にかけた時のような惨痛が薄れている事に気付いた。


「ま、待ってくれ!命だけは...!」



それに気付いたその日、アルシュは虚な目で膝をつく老いた男性を見下ろし、直剣を振り下ろした。


罪状は観客の狂言によって知った。住む場所を失い、空き地に身を潜めていた所を捕らえられ、ここに連れて来られたらしい。つまり結局のところ、この国の落ち度が招いた結果である。

にも関わらず、この老人はアルシュの手によって理不尽にもその生涯に幕を閉じる事になる。



『いいぞ!!よくやった!!』


「うるせえ...!」


老人の死に悲しむ者はいない。この国を憎む者もいない。その耳障りな笑いは、煩わしい虫が潰れて清正した、といった具合だ。

アルシュは血の滴る直剣を握りしめて、観客たちのいい加減な物言いに、唇を血が出るほど噛み締めた。

殺したい筈などない。助けたかった。大丈夫だと、声をかけてやりたかった。

しかし、マシールは常にその脳髄に語りかける。


『殺せ』

『殺せ』

『できなければ殺す』


アルシュとて、死ぬわけにはいかない。ここを出なければいけないのだ。

もはや弱きものを否定する彼にとって、もはや父の残した「強さ」と言う概念は邪魔でしかない。

その軋轢によって、アルシュの心は磨耗し、荒んで行った。



「いつかは...ああなるのか」



その夜、アルシュは牢の中で自分にとって最悪のシナリオが思い浮かべる。

アルシュが罪人を殺める事を躊躇う一方で、それを楽しんでいる者もいる。獣族のヴォルロフは敵の戦士を追い詰め、時間をかけて嬲り殺しにする手口を好んで使っている。

あの怪物は全く心が痛まないのだろう。獣族の優れた聴覚持っているにも関わらず、あの耳には相手の命乞いなど届かないのだろう。


「いや...だ...!」


ヴォルロフに強い嫌悪感を抱くも、行き着く未来の展望ははっきりと見えた。

アルシュは自分が殺す事を快楽とするようになるのが恐ろしくて仕方がなく、体を震わせながら眠りにつく。

そして夢には、最初に殺めた少年の姿が毎日ように現れる。

あの日はいつもよりもヤケに暑い日だった。雲ひとつなく燦々と日差しが身を焼き、石畳はガルスターの鉤爪の餌食となった戦士たちの血で汚れていた。

5メートル程先にいる少年はアルシュを恨めしそうに睨めつけている。


「すまない...!悪かった。だからもう、許してくれ!」

「....」


アルシュは少年が現れるや否や、必死に懺悔する。夢であろうと幻であろうと構わない。ただ、許して貰えるなら、抱える気持ちが少しは救われると思った。しかし、


『痛いよ....痛いよ....なんで?ただ、幸せになりたかっただけなのに...』

「し、仕方が無かったんだ!本当はお前を..!」

『許さない...よくも、よくも...!!」

「違うって言ってんだろ!...なんでいつも出て来るんだ!殺したいわけないだろ、助けたかったさ!いい加減に...」


少年は懺悔を受け入れなかった。それは想像に難くはない。自分を戦場に送り出したヨルムが頭を垂れたところで、アルシュがそれを許す筈などないのだから。

アルシュは少しでも少年に信じて欲しくて、直剣を放り投げた。

しかしその直後、場面は絵本のページを捲るように切り替わる。

気付けば、捨てたはずの剣が自分の手元に戻り、少年の胴を貫いていた。その手には返り血が付着していた事に青ざめる。


『よくも...母さんを..!』

「ああああああああ!!」


悪夢から目覚めた後、アルシュは涙を浮かべて頭を藁に埋める。手にかけて来た者たちに謝罪をする。許してくれ。許してくれ。許してくれ。許してくれ。しかし、沈黙が漂い、世界そのものがアルシュを拒絶しているかのような感覚さえ覚えた。





「アルシュ...大丈夫か...?どう言うわけかここ最近、お前は罪人の処刑にばかり駆り出されているが...」


悪夢の後、広間にて隣から見上げるサイードの目からはアルシュの顔がやつれているように見えた。眠れていないのか、目元のクマがくっきりと残り、頬骨が突き出ているように見える。


「ああ、大丈夫だ。放っておいてくれ」

「そうは見えないな。お前の気持ちはよく分かる。私も以前...」

「だから、うるさいって...ただ逃げ惑うだけのジジイに...剣の持ち方も知らねえガキや老人の殺しを強要される俺の何が分かるんだ!!?」


アルシュは机を叩きつけ、スープが溢れて皿の上のパンが浮く。強い音が広間に鳴り響く。


「す...すまない。ワシはただ...」


サイードは激情するアルシュにかけるべき言葉を失い、ただ沈黙する他なかった。


「いや、俺の方がどうかしている...すまない。でも今は放っておいてくれ」


周囲の静寂によって、アルシュは感情を抑えられていない事に気付き、謝罪する。

そして自己都合で関係のないサイードを傷つけてしまった事に頭を抱えた。



「一体どうした?今の音はなんだ!?」



広間の中を看守が入って来た途端、背筋が冷たくなった。次にロメオの一件と同じような騒動を起こしたとき、マシールは容赦なくアルシュの息の根を止める。その準備ができているかのように、その背後には複数の援護が待機していた。


「そ、それは...」


サイードはアルシュを庇おうと口を挟もうとしたが、一部始終を見ていた周囲の者たちが黙っているはずなど無い。

「あのガキが騒いでいる」、その一言があれば次に梟木の上に首を乗せられるのはアルシュにってしまう。



「なんでもありません。そこの寝ぼけたアルシュが額をテーブルに打ちつけた音です」



しかし、桃色の髪の少女が躊躇するサイードよりも先に弁明をはじめた。それは以前からアルシュを見下し、素知らぬふりをしていたスピカだった。



「ちっ、食事くらい静かにやれ!このクズどもが!」



呆れた衛兵は広間を後にすることでサイードはため息をついた。


「スピカ...お前、一体どう言う事だ?アルシュを嫌ってたんじゃ...」

「私はただ、前の借りを返したかっただけ...。アルシュ、って言うんだっけ?何か言ったらどうなの?これでもアンタのために動いてあげたのよ」

「すまない...」

「なんか腑に落ちないわね。そこはもう少し噛みついてくれた方が張り合いがあったんだけど、まるで相手にならなさそうね。あの時の威勢は何処へ行ったのやら」

「よさんかスピカ!」

「...」


消化不良のスピカはアルシュの腑抜けた返事にため息混じりの嫌味をこぼすが、まるで手応えがない様子に苛立ちを覚えた。



「なんなのもう、知らない!」



それは少しでもアルシュを元気付けさせようとする彼女なりの励ましだったが、返答がない上にサイードに静止された事に腹を立てて放り投げるように、食事に戻る。



「一体、どうしたら...」



アルシュの喉には食事など通らなかった。今日も罪人とはいえ、戦いも知らない人々の命を奪わなければいけない事に、頭を掻きむしる。

少しも目標に向けて前になど進めてはいない。むしろ遠ざかっている事はアルシュにも理解ができていた。


日が上り掛かろうとした頃、闘技場の待機場にて他の奴隷戦士のヒソヒソ話の中、アルシュの気持ちは沈んでいた。

壁にもたれかかったまま俯く事も瞼を閉じる事もせず、他の奴隷戦士同様に鉄格子の向こうで戦いが始まろうとしている二人の戦士に目を向けていた。


戦いが見たい訳ではない。幸せになれたかもしれない多くの命を奪ったことによって戦いで流れる血を見るのもウンザリしてきているところだった。

しかし、もし視界を暗くすれば、自分が手にかけた罪人の少年の顔が浮かび上がる事を恐れていた。どちらの選択肢を選んでもアルシュの心に安寧は訪れない。

幸いであった事といえば、その日ヴォルロフが現れない事だった。



「あの...アルシュ...?」



自分を呼ぶ耳障りな声が聞こえた。獣族で桃色の少女のスピカがアルシュの元へ近寄って来た。

これまでは自分から声をかけてくる事などなかったのに、一体どういう風の吹き回しなのか。それに先程は強気だったのに対し、今はどこか余所余所しい。アルシュは首を傾げ疑問符を浮かべたが、どの道誰かと話したい気分ではない。



「なんだよ。また嫌味でもいい来たのか?失せろ。俺は今一人になりたいんだ」

「いや、違うんだ。さっきは、その...」



冷ややかな態度のアルシュにスピカは返答を躊躇って目を背ける。意地を張っていただけに、少女はその言葉を言うことに抵抗を感じた。しかし、アルシュはあの時、ロメオから全力で救ってくれたのだ。

謝る事も出来ずしてなにが強い戦士だとスピカ考えて、硬い口元をこじ開ける。


「その、あの時は...ごめん」

「何がだ」

「何がって...前に私のせいで捕まってた事があったでしょ?」

「ああ...あの時か」

「なんだかよく分からないけど、アンタが今そんな風に落ち込んでるのって...私のせいなんじゃないかって...だから....」


見て見ぬ振りをしていたが、アルシュがロメオの一件以来から散々な目に遭っているのは分かっていた。

マシールからの仕打ちから始まり、捕らえられて来た貧民達の処刑を繰り返している。

後者に至ってはヴォルロフのような快楽殺人者ならともかく、優しい一面を持つアルシュであれば心が崩壊してもおかしくはない。

放っておけなくなったスピカはアルシュに救いの言葉をかけようとする。


「せえよ」

「?」

「うるせえって言ってんだよ...珍しく声をかけて来たと思ったら自身の保身のためかよ。潔く謝れば満足か?」


しかし、アルシュはスピカが僅かに見せた優しさを踏み躙る。


「別にっ...!私はアンタのために...!」

「慰めの言葉の言葉なんていらねえんだよ!俺はお前にそんな言葉をかけて欲しくて助けたんじゃない!自分が自分であるためだ!」


アルシュが憤りを見せたのは、別にスピカが元々嫌いだからではない。

今抱える苦しみをスピカはさも分かっているふうに軽々と口にした事が許せなかった。


「そうじゃなかったら、誰がお前みたいな奴を助けるんだよ...!あっち行けよ。俺はこれからを考えるのに忙しいんだ...」


ただ、どこかへ行って欲しい。その一心でスピカを突き放そうとする。


「いや、行かない。だって、どうせこのまま放っておいたら、アンタは死ぬから」

「ああ、死ぬかもな...だったら、放っておけばいいだろ。バルザンの時みたいに」


アルシュには理解ができない。一度助けたとはいえ、何故あそこまで冷たい態度をとっていたスピカがここまでしつこく突っかかって来るのだろうか。


「傷ついてまで、誰かの事を考えようとする奴だなんて、あの時は知らなかった。アンタがそこまで自分の事も考えられない奴だったなんて。確かにアンタの言う通りかもしれない。そうよ、私がこうしているのは結局自分のため。私はアンタに救われた。だからすぐに死なれたら困るのよ!」


「じゃあ、一体お前に何ができるんだよ!?マシールを倒せるのか?あの客席にふんぞり帰る悪魔どもの笑いを止められるのか!?言ってみろよ!!」


スピカはたじろぐ。そのどれも叶えられそうにはない。しかし、


「私は、一緒にいる事ができる!アンタが生きている限り!」

「な、何を言って...!」

「わ、私だって同じ。マシールなんて大嫌いだし、ここから出たいと思ってる。だから一緒に笑って一緒に泣くことくらいはできる。だから死なないで欲しい。ここから出るために一緒に戦うの!」


いつも一人で周囲に冷ややかな態度を見せていた少女の意外な一面に大きく目を見開いた。

その口調はどことなく辿々しい部分もあったが、偽りを言っていないのは、その決意に満ちた表情を見れば分る。

苦しんでいるのは自分とサイードだけではなかった。スピカもここから出る事を夢見て戦って来たのだ。


「ず、狡いぞスピカ!ワシだってアルシュの味方だ!」

「サイード?今更出て来といて何なの?結局はアルシュになんにも声を掛けられていないじゃない」

「声くらいはかけたぞ!ダメだったが...それでもワシはアルシュの味方だ!」

「本当に?アンタの事随分と煙たがってたみたいだけど」

「それはお前も同じだろ!」


二人の会話を見て黙っていられなくなったサイードが割って入ると、少女と老人が揉め出した。


「うるせえ、お前らを仲間だなんて思った覚えはない」

「アンタがどう思っているのかは関係ない。私はアンタの仲間よ。私が決めたの」

「ワシに話もなく、勝手に決めつけといてなぁにが仲間だ?」


アルシュは青筋を浮かべて、二人に冷たい言葉をかけるも、喧騒はやまない。

それは久しく聞いた賑やかな調べではあったが、懐かしさ以上に鬱陶しくなり、二人に背中を向けて場所を変える。


「あ、どこ行くの!?」

「お前らがいないところだよ!」


アルシュは口角を自然と持ち上げていた。裏切られるかもしれない。見捨てられるかもしれない。それでも仲間と久しく言われた事が少しだけ温かかった。残り僅かの心の余白が広くなった気がした。

嘘偽りでも良い。いつかは敵となる事になろうとも、生きろと言ってくれる者がいるならば死ぬわけには行かない。

たとえそれが誰かの存在を否定する事になろうとも、屍を乗り越えなければならない。


「ごめん父さん...俺、やっぱり生きるよ」


アルシュはそっと呟き、そして、今できる事を考えた。それはヴォルロフの打倒。あの血に飢えた獣がいる限り、誰もが怯える事になる。

アルシュはそんな恐怖に終止符を打つためヴォルロフと戦う事を決意する。


しかし、これからもタウフィクはアルシュをも罪人の処刑を命じ、ヴォルロフと戦わせてはくれないだろう。

もはやこのまま待っていても無駄に苦しむ者が増えるだけだと悟ったアルシュは行動を起こす事になる。


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