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76話 残虐劇場


「暗い...ここは...痛っ」


壁に背中を預けていたアルシュは薄らと目を開けた。マシールに殴られた頬が未だに痛む事で、記憶を脳裏に繋ぎ止めていた。

口内の切り傷が消えており、折れた歯は新たな歯が生え切っている。自分の体質にはたまに驚かされる事があるが、今はそれどころではない。


「俺は一体...」


どれだけ意識を失っていたのだろう。今が朝なのか、夜なのかも分からない。

ただ蒸し暑く、額から一滴、二滴と汗が緩やかに脹脛の上で弾けて、ひんやりとした冷たさが肌を伝う。

暗闇が広がっていて何も見えず、鉄の錆びたような匂いが鼻を突く。壁がアルシュの両肩に触れられるほど窮屈だ。今いるのは部屋というよりも小さな箱の中と言った方が正しいのかもしれない。

周囲の手足を動かそうとすると重く冷たい感触と共にジャラジャラと、鈍い金属音が響く。



一体これからどうなるのだろうか。あの時のマシールの目には殺意が満ちていた。スピカが止めてくれなければ死んでいたかもしれない。


「いや待て、もしかしたら、俺ってこのまま死ぬのか?」


ふとアルシュは未知なる展望の中に最悪のシナリオを思い浮かべ、焦燥する。


「ふざけるな。死んでたまるか。俺にはまだやる事が...!」


ヨルムの首元に刃を突きつけ、父の無念を晴らすまでは生き延びると誓ったのだ。

しかし、このザマはなんなのだろうか。あのマシールには復讐を果たすどころか手も足も出せずに嬲られ、暗い場所に閉じ込められ、ろくに身動きすらできない始末。

結局事態は何も進展していない。むしろ後退する一方だ。




祈りはしなかった。少年にとって神とは忌避するべき対象だった。

アルシュは瞑目し、ただ願い想像した。この暗い部屋から出られることを、そしてマシールが自分の手によって斬られる瞬間を。


「出ろ。時間だ」


アルシュの視界を遮る鉄板の向こう側からくぐもった男の声が聞こえる。それから眼前の暗闇の中央に縦一直線の割れ目が入り、光が指し込んだ。厚みのある鉄の扉がゆっくりと開くと、黒いボロマントに身を包むマシールの姿が見えた。


「体の傷は治ったか。相変わらずタフなやつだ」

「いったい何を.....!!」

「ここは懲罰房だ。問題を起こした奴隷が入るために作られた部屋だ。まぁ、死ぬまで出さないって手もあるが」


アルシュは顔を歪め、マシールの姿を見るや否や、すぐさま襲いかかりそうだった。

忘れられるわけがない。この黒衣を纏った男はアルシュの居場所を惨状へと変えたのだ。その憎しみが消えるはずもない。鎖に繋がれていると知っていながらも、少年はマシールの首元に手を伸ばそうとした。

しかし、鎖が張る前に、身体中に微かに残った痛みと、忌まわしき記憶が蘇り、体を硬直させる。


それはつい昨日の記憶だ。マシールの圧倒的な暴力になす術がなかった事にアルシュは戦慄し、凍りついたままその勢いは殺された。


「良かったな。今回はお前の罪にはならないらしい。だから短時間の監禁、これでチャラにしてやる。だが、もし暴れたり、逃げ出そうとしてみろ。その時は監禁だけじゃ済まないからな」


マシールはギラついた目でアルシュに忠告した。この男には勝てない。アルシュの脳裏でその言葉が何度も鳴り響き、悪寒が体全体を支配する。


「今に見ていろ...!お前なんかに...!」


負けてたまるか。アルシュはそう言い聞かせてなんとか腕を動かそうと試みる。

ここでこの男に屈すれば負けだ。そうなれば自分の望みも叶わなくなると直感した。


「ふん、どの道分かることだ」


マシールがアルシュの中断された言葉の切れ端を理解し、冷ややかに含み笑いをした。

それから目配せをすると、傍にいた衛兵がアルシュの四肢から自由を奪っていた鎖の錠を外す。

自由を得た時に気付く。手の指先が小刻みに震えていた。アルシュは拳をゆっくりと握りしめて、抑える。それからゆらめく黒衣の背中を睨め付けた。


監禁から解放されたアルシュは懲罰房から出た後、槍先を向ける衛兵によって練兵場の庭へ連れて行かれた。

その空気はいつもより一層暗く、重く感じた。そこには、訓練の日ではないにも関わらず、奴隷戦士たちが集められ、厳粛な面持ちで1人の鎧と槍で装備を固める衛兵の姿にその目に映す。

その背後には一本の木製の柱が地面に突き刺さっており、先端には一枚の黒い風呂敷がかかっている。


「アルシュ!無事だったのか!」


少年の姿に最初に気付き、声をかけたのはサイードだった。

彼は驚きにつつも頬が緩んでおり、アルシュの無事に安堵しているようだ。


「良かったな!というより、お前怪我は大丈夫なのか?普通に歩いてきたが、昨日なんて立つのがやっとだったじゃないか!それに顔のアザはどうしたんだ?そんなに早く治るものなのか?」

「なんだよ、顔を近付けんな!あの程度の傷くらいすぐに治るだろ!」

「いやいや、そんなはずはない。普通あれくらいの傷を負ったらすぐには治らないはずだと思うが...」


サイードは不思議そうな表情でにアルシュの体に顔を近付けて傷の具合を確認し、疑問符を浮かべている。


「やめろって言ってんだろ!」


これが女性であればまだしも、白髪頭の高齢男性に顔を近付けられて喜ぶような趣味はアルシュにはない。



スピカはサイードに観察されるアルシュの姿に気付き、一度はその姿を目に止めるも、顔を背けて体を捩らせている。しかし、アルシュはそんな姿に気付く前にある違和感に気付く。図体だけでなく、この練兵場の奴隷の中で最も幅を利かせていた男の姿が見えない。


「あれ?ロメオは、あいつはどこにいるんだ?」

「アルシュ...それは」


サイードはその質問に目を見開き、アルシュの元から距離を離す。

そこにはロメオの姿がなかった。グレンや傷ついた取り巻きたちの姿こそ確認はできたが、辺りを見渡しても肝心のあの男は影すらも見せない。


「よく聞け!」


サイードは答えようとかと躊躇うが、群がりの前に立つ衛兵が必要以上に大声を上げる事で思いとどまった。


「貴様らを集めたのは他でもない。昨日の夕食時に一人の戦士を傷つけようとする不届者が現れた。全く度し難い事だ。養われる身でありながら、他の利用価値のある戦士を傷つける事はタウフィク様から所有物を奪う事に他ならない!そこで、貴様らにはこれから練兵場の風紀を乱す者の末路を教えてやる事にした」


衛兵が話し終えると、奴隷たちの間でざわめいた。おそらくロメオの事だろうが、庭や牢獄、広場にもその姿はない。


「一体...何がおこるんだ...?」

「連帯責任か?」

「そんなまさか...なんで俺たちが...」

「それより...あの柱だよ」


衛兵はそう言って木の棒の先端に掛かっていた黒い布を剥ぎ取ると共に、皆の疑問をも払い除ける。その内容に誰もが目を疑い、戦慄する。


「ま、マジかよ...!?こんな事ってあるのかよ...!」

「そんな...ロメオが....!」


スピカに不貞を働いた者の主犯であったロメオが四肢と胴体を失い、残された頭部が梟木の台の上に置かれていた。

顔色は血の気を失い青白く、この世の全てを呪うかのような表情。濁った視線がアルシュに向けられた。断面は鮮やかな切り口である事から、誰がロメオを粛清したかはおおよその検討がつく。


「なんて事だ...まさかあいつが...」


今までロメオによって虐げられて来たはずのサイードは、その変わり果てた姿に愕然し、膝をついた。


「え?...だって、昨日まで....嘘でしょ?」


少女は目の前の現実を飲み込む事ができない。口元に手を当て、目元からは自然と涙が流れ落ちた。真に恐れるべきなのはロメオでもなければ決闘で戦う戦士でもない。ここで奴隷たちを管理する衛兵やマシールなのだと思い知らされた。


「いいか、貴様らは商品だ!刃を交え、血を流す事で客は喜び金を落とす。それを拒否するのであれば生きる資格はない!これは見せしめだ!故に、もし練兵所内で他の商品に傷でもつければ、そこに置かれている豚に餌のような末路を迎える事になる。ゆめゆめ忘れるな!」


衛兵はこれまでに無い方法で、奴隷たちに自分の立場を分からせようとした。

奴隷の内の何人かは体内から込み上げる内容物を吐き出すまいと堪える。

グレンやロメオの仲間たちには、突然のロメオの死に悲しみや憎悪を浮かべる事はなかった。

代わりに強い恐怖と絶望がその胸に打ち付けられて青ざめる。

スピカやサイードも同じだった。皆がタウフィクの玩具であり、束縛されている。そして、逃げようとすれば不要とみなされ処分される。

ここにいる戦士全員がその現実を突きつけられ、表情には痛切を浮かべていた。


「やれやれ、危ない危ない...やっぱり関わらなかったのは正解だったな...」


騒動を何食わぬ顔で見ていたグレンも、変わり果てたその姿には動揺を隠しきれない。

苦笑しながらも、脳裏には自分の頭部が切り落とされるのを想像しながら冷や汗を流して、そっと首元を撫で付ける。


「で、出るん...だ...!」


アルシュはここから出たいと強く願うが、マシールへの恐怖はより大きくなり、体が鉛のように重くなる。

あの梟木に乗せられていたのが自分の首であったかもしれない。そう思うと、手の震えは一層激しくなり、足が笑い出す。


抗えばマシールに殺される、そんな固定観念がアルシュの思考を縛る。

それでも、目標を諦めまいと、喉の奥に詰まらせる意志を何とか喉の奥から絞り出す事で自分自身を奮い立たせようとした。

しかし、マシールという男から感じた怖気はすでに心の半分を蝕み、ここから出るという決意には、徐々に揺らぎが生じ始めていた。


その後、戦士達は鎖で繋がれ、衛兵達に囲まれながら闘技場へ向かう。


「くそっ...死にたくない...!」

「なんで俺がこんな目に...」


奴隷たちは脳裏にロメオの頭部が焼きついて離れないようだ。その表情からは生気すら奪われ、神に祈る者すらいなかった。

その最中、アルシュも同様に震えは止まらなかった。アルシュは昨日に自身の目標を見つけ出してから、死ぬ事が怖くなっていた。

それに、あのマシールという死神はいつでもこの首を刈り取れる。



あらゆる手段を使って抗った所でマシールとの実力差は歴然。死への道標ははっきりと示されており、手招きして誘っているかのようだ。


「俺は...抜け出せるのか...?ここから...!」


アルシュが闘技場の壮大な壁を見つめながら疑問を浮かべる。

逃げようとした所でマシールに殺されるのはよく分かった。そしていずれは、毒殺か、決闘によって命を落とす運命であるのが自分の置かれた状況である事も理解した。

いずれはどうにかしてこの地獄から抜け出そうと考えていた。出られると思っていた。

しかし、その壁はあまりにも高く聳え、アルシュがどれだけ手を伸ばしたところで届くはずもない。


そして闘技場の中へ入り、階段を降りて、入りくんだ細い通路を通ると、その奥には戦士専用の待機部屋がある。鉄格子の向こうからは観客たちの喧騒が聞こえている。


「いやだ...!死にたくねえ...!」


1人の奴隷が頭を抱え、パニックになりかけている。恐怖を刻みつけられ、死を恐れるのはアルシュだけではない。ここにいる誰もがそうだ。

例え人を貶めるような悪人でも、他人に思いやりを持てる善人でも、生きてここを出たいはずなのだ。

そんな希望が遠のいているからこそ、誰もが暗闇の中で悶え苦しんでいる。

それに、奴隷達の表情が暗い理由はマシールだけではない。鉄格子の向こう側で叫ぶ獣族の戦士の存在もその要因の一つだった。


「俺が、最強だああああ!!」


聞こえるその咆哮によって、観客達は喝采を挙げ、舞台上の戦士を讃える。


「ヴォルロフー!!」

「素敵よ〜!」

「頼んだぞ!!絶対に勝てよ!!」


アルシュは観客たちの歓声に誘われるように鉄格子を眺めると、ちょうど今から二人の戦士が戦いを始めようとしている所だった。

一人は見た所種族はアスラ族だろうか。痩せこけ、黒い衣類の上に胸当てを着用した中年男性だ。

左手には盾を、右手には剣を構えていたが、手足は震え、涙を流している。その表情は、自分の死を悟っているかのようだ。


対してもう一人は獣族の戦士だ。バサついた黒髪の頭頂部には先端の尖った耳を生やし、細身ではありながらも肉付きがよく、相手の倍はあると見られる長身で敵を見下している。

黒い洋袴以外の衣類や防具は着ておらず、筋骨隆々の肉体を見せびらかしているかのようだった。


両手には鉤爪を装備しており、刃の側面の輝きを見て、ギラついた目を細め、口角を不気味にあげて、歪に尖った歯をちらつかせている。


「なぁおっさん、ヴォルロフって一体何者だ?...あんなやつ、前までいなかった筈だが...」

「ああ、あの獣族のヴォルロフはタウフィク以外の主催者の一人であるヨゼフに雇われている獣族の戦士だ...。スピカと同じ英雄の称号を持っていてな。たまに来るんだ...」


気になったアルシュは偶然隣にいたサイードに聞いた。サイードはそれに答えてくれたが、口調は徐々に辿々しくなって行き、明らかに答えたくなさそうだ。

英雄と言うからには相当の実力者だとは思うが、

おそらく、あのガルスターによくない印象があるのだろう。

気にはなったが、アルシュは「そうか」と答え、それ以上サイードに問う事はせず、ただその疑問を胸に、アルシュは鉄格子の向こうを眺めた。


その獣族に対してアルシュは興味があった。というのも、過去に気の許せる数少ない獣族の友人がいたからだ。

もうこの世にはいないが、キルガはいいやつだった。だから獣族には少なくともあまり悪い印象がない。

スピカだって、最初は陰湿なやつだと思っていたが、マシールの暴挙を止めてくれていた事は分かっていた。

この事から、アルシュは獣族には温厚な者が多いのだと、心の中で勝手に決めつけていた。


そして、闘技場の2階の観客席が設けられていない、開けた場所に立つ小太りの小さな帽子を被った審判の男が銅鑼を叩き、その音が闘技場全体に木霊する。


その瞬間、アルシュの中で獣族に対する好感は打ち砕かれ、思考の変化に気持ちが追い付かず、驚愕する。

試合が始まった刹那、ヴォルロフはアスラ族の男の片腕を捥いでいた。


「があああああ!!」

「どこ見てんだ?トロすぎるあまり思わず腕を貰っちまったぜ!」


「いいぞ!!もう片方の腕もやれ!!」

「足だ!次は足を切れ!!」


ガルスターは相手の腕をゴミでも捨てるかのように後ろに放り投げる。


「よ、よくも...。俺の、腕を...!」



銅鑼の音が止んだ時には、石畳に溶け込む流血に戸惑う戦士の悲鳴が鳴り響くと同時に、観客達の熱気は高まり、極才色の声は鳴り止まない。

ガルスターの表情に曇りはなく、その顔はまるで無邪気な子どものように明るい笑顔だ。


「なんだ...あいつは....?」


その表情が見えたときから、アルシュの胸中がざわめき、歯を軋ませる。


「く...そ...!」

「ほう、まだ立つのか。普通ならここは泣き出して逃げる筈なんだが...」


無力と知りながらも諦めようとはしない戦士にヴォルロフは肩をすくめる。

アスラ族の戦士は切断面を魔力で圧迫し、止血をすると立ち上がる。

それから残った腕で剣を構えて、地面を蹴ったが、その直後に片手剣が柄を握る腕ごと宙を舞った。


「あああああ!!」


「おい、またあいつの腕が飛んだぞ!」

「ははははは!!さあどうするんだ?腕がなくなったぞ!そんな状態で戦えるのか!?」


アスラ族の戦士は痛みに耐え切れずに転げ回る。

その悲鳴は再び闘技場を包み、観客達は物珍しそうに注視しながら笑っている。


その一方で、タウフィクの奴隷たちのいる待機部屋では、覚悟を決める者よりも、心を恐怖で支配され、言葉すら発しなくなった者の方が多い。


その中で、アルシュはヴォルロフの戦い方を見て愕然としていた。

あのヴォルロフという男は相手の覚悟や尊厳を踏み躙り、その命を弄んでいる。極力相手をすぐには死なせず、戦う意志を失い、逃げ惑う姿を笑いながら追い詰めて行く。ゆっくりと、新しく買い与えられた愛玩動物を虐めるかのように。


「う、あああああ!」


両肘から下を失った戦士の脳裏にはもはや戦う事など考えてはいなかった。ヴォルロフに背を向けて、懸命に走り、その軌跡を赤く染める。


「た、助けてくれ!...俺の負けだ!!」


目に涙を浮かべ、そして命を拾うべく審判に向けて大声を出し、自分の敗北を認める。


「おい!審判!!聞いてんのか!?」


しかし、審判は一向に銅鑼を鳴らそうとするどころか、戦士に見向きもしない。


「嘘だろ?降参すれば助かるんじゃないのか...」


それが不正なのはアルシュにも分かった。この闘技場でのルールは、審判に伝えれば降参ができる。そして銅鑼の音がもう一度鳴れば、試合は終了となる筈なのだ。おそらく主催者の意向なのだろうか。審判は銅鑼を鳴らす事なく、試合は続く。もはやそれは試合ではなく、処刑と言っても過言ではない。


「おいおいなんだよ。もう終わろうって言うのか?寂しいじゃねえか。最高に盛り上がって来たのに」


その背後から、獰猛な獣の影が忍び寄る。


「た、助けてくれ!!死にたくないんだ!!」


両腕の無い戦士はヴォルロフに向き直り、膝をついて頭を下げると、両腕がないためバランスを失い、顔が石床に勢いよく激突する。


「そうか、両腕を失ってもまだ生きたいのか」

「ああ、俺には妻と娘がいる...!だから、こんな所で死ぬわけにはいかないんだ...!」


血と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、アスラ族の戦士は命乞いをする。ヴォルロフはその声を聞くと、殺意に満ち、引き締まった表情を穏やかにした。


「そうか、それじゃあ仕方ない。お前は生き残ってこれから家族に会わなきゃいけないからな。いいだろう。命は助けてやる」


ヴォルロフは願いを受け入れた。両腕を失った戦士は命を拾った事を安堵し、頭を上げた。


「あ、ありが...っ!!」


そして感謝を伝えようとした時、鉤爪がその背中を撫で切りにし、赤黒くドロリとした血液が周囲に飛び散り、それ以上言葉を発する事なく、アスラ族の戦士は顔を伏せて動かなくなる。


「すまん、嘘だ...」


その亡骸を見て、ヴォルロフは嗜虐的な笑みを浮かべる。舞台上での惨劇を見た観客たちは闘技場を歓喜の声で包む。


「許せねえ...!」

「抑えろアルシュ...!辛いのは私も同じだ。あんな試合、認められるわけ...」

「抑えられるわけないだろ!人の命をなんだと思ってるんだ!!」

「....」

「あいつだって、戦士だったんだ。人間だったんだ。夢を、見ていた筈なんだ...」


観客たちが戦士の亡骸を見て、喜ぶ中、アルシュはヴォルロフを睨め付けて、激しく揺れ動く感情を抑え切れそうにない。

サイードは激昂に打ち震える少年に返す言葉を失い沈黙する。

アルシュは、衛兵によって亡骸がゴミのように引きずられていく様から目を背けても感情の昂りが治らない。


命乞いをする者をじっくりと苦しめ、見せ物にしたあの獣族の男が許せない。

だから今すぐにでもあの頭部に刃を叩きつけてやりたかったが、タウフィクや衛兵はアルシュの自由を許さないため、歯噛みするしかできない事が憎らしかった。

それに観客達も気に入らない。奴らは人がゆっくりと殺されていく様に笑みを溢し、ガルスターを英雄と呼ぶ始末。あの惨殺の何が面白いのかは全く分からないが、少なくとも、奴らが人の姿をした悪魔である事は容易に理解できた。


「おい、次はお前の番だ!」

「マジかよっ...!」







衛兵はグレンを差し、ヴォルロフはリングから離れない。つまり、選ばれたものがヴォルロフと戦わなければいけない。


「ウォリバー!次はお前の番だ!」

「え?そ、そんな!」


待機部屋に奴隷を呼ぶ声がした。名前を聞いたのはこれで初めてだったが、ウォリバーと呼ばれるその男は昨日ロメオと共謀を計り、スピカの脇を掴んでいた大柄の男だった。


「嫌だ!死にたくない!!」


ウォリバーからは昨日の笑みが消え、首をキョロキョロと動かして救いを求めようとしたが、周囲の奴隷たちは手を差し伸べるどころか、その醜態から目を背ける。


「グ、グレン!なぁグレン!俺たち、仲間だろ?今まで一緒に乗り越えて来たじゃないか!なぁ、助けてくれ!」

「すまないな...こうなったら助けられそうにもない。冥府で光を見出さん事を」

「そんな、俺を見捨てるのか!?仲間だと思っていたのに、ふざけるな!お前の出場を無効にしてやった事もあっただろ!」

「頼む、もう俺に話しかけないでくれ」


ロメオの死に様を目の当たりにしたのだ。今この男にウォリバーを救う勇気などない。

グレンのあまりの冷ややかさに唖然としながら

ウォリバーは奈落の底にでも堕ちていくかのように顔を歪める。

ガルスターと戦えば間違いなく死ぬ。そう考えた妖精族の男は生に執着しようと衛兵から距離を離す事で必死に死から逃れようとする。


「嫌だ...!嫌だあああああああ!!」


しかし、後から入ってきた二人の衛兵が加わり、ウォルバーは取り押さえられ、引き摺るようにして、無理やりに死地へと運び込まれる。

己の運命を悟ったウォリバーの顔は強張り、苦痛に歪んでいた。


そして、舞台に立たされたウォリバーはヴォルロフと戦う。ー人並みの力しか持たないウォリバーがサイードに行った罵倒混じり指摘をそのまま真似するように、舞台を逃げ惑うが、獣は獲物に向けてゆっくりと歩み寄る。

そして英雄と呼ばれる怪物に敵うはずもなく、先程同様に痛ぶられる。そして、観客の狂ったような笑いの中、辺りを血で染めながら死んでいった。

アルシュはロメオに協力するウォリバーが嫌いだったが、それをヴォルロフの凶行が上回る。


「アルシュ、お前の気持ちは分かる...ワシだってあいつをどうにかしたい気持ちだってある。だが、耐えるんだ...!いずれ、お前も奴と戦える日が来る...!そのために今は刃を研ぐんだ!」

「刃を研ぐ?それじゃあ、あと何回あれを見なけりゃいけないんだ?」


そのどこかで聞いた言葉の羅列はアルシュの心を曇らせる。しかし、あのような死があっていいはずがない。だからガルスターは早く倒さなければならないのだ。

それに、やつを生かしておけばいずれはサイードだってあの鉤爪の餌食となって、じっくりと苦しみながら死んでいく事になる。


「あいつには、もう誰も殺させたくないんだ...!」


恐怖がなかった訳ではない。ガルスターが強い事など、魔力を感じる事ができないアルシュにも明白だった。決して容易に勝てる相手ではない。

しかし、それでもあの怪物を倒し、残虐なショーに幕を下ろさなければならない。そして観客達に一泡吹かせてやる。

それがアルシュの使命であり、今できる最大限の正義なのだ。


「アルシュ!」


そしてその日、アルシュは舞台に上がる事になる。闘技場では最大2回の連闘が可能である。

つまりヴォルロフと戦う事はできないが、まずは今日を生き抜こうと心に決めて、アルシュは待機部屋を出る。

そして防具と直剣一本を貰い、アルシュは闘技台へ上がる。


「そんな...なんでだよ...!!」


そして、アルシュは敵の姿に目を疑う。そして知る事になる。

この闘技場の闇の深さを、そしてそれでもなお熱を緩めない観客達の邪悪さを。

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