7話 通りすがりの少女
日が沈みかけた頃、少年は家路につく。
甘かった。いくら強い武人を見つけたところで、無償で剣を教えてくれるはずがない。先程の女性の戦士は戦い方を教えて欲しければ道場にでも通えと言ったが、少ない小遣いしか持たない俺が入れてもらえるはずがない。
だからと言って父さんは戦士になる事を反対している。道場に入るのに必要な資金などくれる筈がない。
どうにかして道場に入れないものか、アルシュが困り果てて帰ろうとした時、黒髪の短髪の少女が慌ただしい様子で彼の前を通り過ぎ、一気に走り抜けていく。
「誰か、あいつは…!」
以前出会った事がある。身なりも変わらず、煤の入った裾の短い灰色のコット。薄くなっているが、手足のアザは残っている。
「あっちへ逃げたぞ」
「捕まえろ!」
そんな少女を後ろから3人の少年が追いかけ、路地裏へ入って行くのが見えた。
居ても立っても居られず、アルシュは彼らが入って行った路地裏へ入っていく。すると、少し開けた場所の壁際で少女が小さくなっており、影に囲まれて怯え、震えていた。
少年達のシャツには刺繍が施され、色鮮やか。汚れが一切見当たらない。
対して少女の服は特段汚れているというわけでもなかったが、質素なグレーのコットは少年たちの身だしなみとは大きな隔たりを感じさせた。
「へへっ!やっと追い詰めたぜ」
「手こずらせやがって」
「お願い、た...助けて...」
自分よりも身分が低ければいじめても親に咎められない。そう思い込む子供は少なくない。
それほどジルドラスという国は価値観や倫理観が大きく傾いている。
身分を重要視した彼らはもはや下流階級にいる者たちを同じ種族、人間だとは思っていないようだ。
アルシュの心の中の炎が今にも爆発しそうだった。怒りに身を任せ、少女を救い出すために3人に突進して行く。
「やめろぉっ!!」
「なんだこいつ!?うおっ!?」
突然現れ、体当たりを仕掛けてきた少年に小柄な少年が気付くも、突き飛ばされ、積み上げられた木材の上に体がのしかかり、ガラガラと崩れる。
動揺する小柄な少年はが汚れてしまった事への怒りを露わにした殴りかかる。だが、それに対してアルカスは頭を左に逸らして回避。それから相手の頬に拳をめり込ませる。
「グハっ!」
小柄な少年はそのまま再度地面に張り倒され、起きあがろうとする所で腹を蹴られて転がりながら痛みに苦しむ。
「こいつを抑えろ!」
「…!?」
その隙に大柄な少年と背丈の高い少年がアルシュの両脇を掴み、身動きが取れない。
迂闊だった。いくら喧嘩に自信があっても数で迫られれば対応しきれない。
「やめろ!離せ!」
「調子に乗りやがって」
必死に抵抗するが、両腕で捕まれた左右の腕は自由を失い、身動きが取れない。その間に小柄な少年は立ち上がり、拳を握りしめる。
「思いしれ!」
それからアルシュの腹を何度も殴る。殴り続ける。
腹部の痛みのあまり、朝に食べたパンとスープを吐き出しそうだった。
「ゴホッ、オウェッ!」
少女が痛めつけられるアルシュを見て居ても立っても居られない気持ちになるが、何もできない現状に口を紡いで歯を食い縛る。
「驚かせやがって!」
「一人じゃてんで弱いじゃねえか!」
勇気を振り絞って助けようとしてくれた少年の目元は腫れ、はっきりと青いアザが浮き出て、口角の痛々しい傷口からは血が赤い軌跡を作り、線となって流れ落ちた。
「おい、何つったってんだ!早く逃げろ!」
「!」
それでもアルシュは少女に向かって叫ぶ。
それはジャミルならそうするだろうと思っての言動だった。困っている人がいたら助ける。それこそが以前、父から教えられた本当の強さであり、アルシュもそれを信じていた。
だが、このままでは彼が死んでしまうと思った少女は胡乱ない表情を浮かべ、焦燥感に駆られその場から離れる事など出来なかった。
そんな少女に目をやる余裕もなくアルシュは痛ぶられる。
「負けて、たまるか...!」
無謀だった。流石に3対1では部が悪すぎる。まるで歯が立たず、何もできずに嬲られ続けるしかない。
痛みに対する恐怖はあったが、強くなるのであればこれくらいは乗り越えなければいけないと思い、立ち向かったがこの結果である。
「おいお前ら!何やってるんだ!」
偶然通りかかった衛兵の一人が異変に気付き、逃げて行く3人の少年を追走する。
「やべえ!衛兵だ!とっととズラかるぞ!」
「コラ!待たんか!」
そうして少年達と衛兵の姿は路地の奥へと消えて行った。ボロボロになったアルシュは倒れ込み、意識を失った。
目が覚めるとそこは路地裏で、少女が彼の腹部に手を当てている。その手は翡翠色の薄らとした光を放ち、温かさを感じると同時に腹部にあったアザが引いて行く。
気付けば顔の腫れも無くなっており、信じられない光景に目を見張った。
「痛みが、消えていく…?」
少女は治療魔術が使えるため、怪我等を治癒することが出来た。
黒髪の少女は目を開けたアルシュを見て安堵する。
「よかった...さっきは助けてくれてありがとう、本当に助かったよ」
何が起こったのか理解できない中、アルシュは感謝の言葉を伝えると共に、不思議な少女に問いかける。
「こっちこそありがとう。でも...君は...一体なんなんだ?」
「わ、私はルルアって言うんだけど...」
何か聞いてはいけない事でもあったのか、ルルアはモゾモゾとしながらその名を小さく呟いた。
「そうか、お、俺はアルシュ」
アルシュはそれ以上話したがらない彼女に無理をさせないために自身の名前を名乗ると、ルルアは明るく優しげな笑みを作った。
そして彼女の愛らしい表情に顔を赤くして目を逸らすアルシュであった。
しかし彼女に聞きたい事はいくつかあった
「お前、前にもクスルゼインにいたよな?一体こんなところに一人で何やってるんだ?」
「買い物だよ。私、一応屋敷の使用人として働いている身だから。だから、もう行かなきゃ」
そう言ってルルアは立ち上がり、「ありがとう」と言い残して屋敷に戻ろうとする。
「お前、ここに来るたびに怖い思いしてたんだな。なんなら、またここに来る時一緒についててやろうか?今日は酷いザマだったけど、俺強くなるからさ」
その後ろ姿を見て、アルシュの発した言葉が彼女の内身に抱える靄に触れる。誰にも相談する事もできなかった彼女の悩みに。
「いいの?私と一緒にいたらまた襲われるかもしれないんだよ?」
ルルアは逡巡し、アルシュの方を振り返る。
アルシュは頭を掻き、赤い頬を誤魔化すように目線を逸らす。
「な、何回も言わせんなよ!だから、そのために俺がついててやるって言ってんだよ!」
不思議だとルルアは思った。他の子はみんな身分だとか言って私をいじめたのに、アルシュは私の事を知っても、歩み寄ろうとしてくれる。こんな気持ちいつぶりだろう。嬉しさが表情にほんのりと現れ、期待を込めてルルアがそっと呟く。
「本当に、いいの?」
「ああ、約束だ」
こうしてルルアはクスルゼインに来るたびにアルシュと出会うようになり、彼女は初めての友達ができた事に喜びを隠せず目が潤んだ。
しかしアルシュはルルアを友達とは認めていない。彼女が不憫に思ったから助けてあげようと思っただ毛なのだと。こんな約束を交わしたのもここに来るついでだと、心の中で囁くのであった。