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70話 命の代償

アルシュは一瞬、腹部に硬く冷たい鋼の感触を感じ取っていた事から、体が斬られたという事実が理解ができた。

しかし、その結果に至るまでの過程に何が起こったのかが分からない。

マシールは刀身を横に振り、アルシュはそれを防いだ。にも関わらず、胴体はあり得ない角度から十字に切り裂かれたのだ。

アルシュは全力を尽くした。命を賭け、奇跡に縋る事で、マシールとの絶対的な差を埋める事ができたと思っていた。

だが届かなかった。切り札を隠し持っていたのはアルシュだけではなかったのだ。


「く...そっ!」


斬られた痛みと共に悔しさが込み上げる。体が蹌踉めき、膝を突く。

そして、自分の身に何が起こったのか、理解ができないままうつ伏せに倒れた。


「アルシュ...!」


エリンは悲壮を浮かべ、掠れた声を鳴らす。しかし、うつ伏せになって動かないアルシュの耳には届かず、マシールの足音によってかき消される。


「やれやれ、刀が折れてしまった。こんな事なら鈍じゃ無く真打を持ってくるべきだった。まぁ、残りの掃除なら拳だけでも出来なくはないが」


マシールは片手の指を歪に動かし、パキ、ポキと不気味に音を鳴らす事で残りの獲物を威嚇した。


「そ...んな...」


マリカは涙を浮かべて震えていた。キルガだけでなく、エリン以外で初めて心を開いたアルシュまでも逝ってしまう。

しかし、もはやどうする事もできない。

ここにいる誰もが憔悴し切っており、少ない残存魔力によって死にかけている者もいる。


「あぁ...ああぁ...ああぁあ!」


マリカは光の失った青い瞳をマシールに向けて声を出した。

それは彼女にとっては抵抗のつもりだった。無駄だと分かっているが、アルシュであれば最後まで諦めないはずだ。


「チッ...!何やってんだよ...!」


マシールは踵を返して地面伏せるアルシュに背中を向ける。そしてうつ伏せになるマリカの方へ血糊のついた刃をひきずり、赤い軌跡を描きながら向かう。


ビヨルンは必死に願う。ダメだ、絶対にダメだ。それだけは勘弁してほしい。

立ちあがろうとしたが、胸が痛み、動悸が激しくなる。地につけた手で土をなぞりながら、もう片方の手を伸ばしたが、マシールの冷徹な面は見向きもしない。


「おい...!」


ふと、背後から聞こえた少年からの響きによって、マシールの歩みは止まる。


「ほう、まだ生きていたか」

「テメエ...もしマリカにそれ以上...マリカに手を出したら、許さねえ...ぞ...!」


振り向くと、地面に這いつくばりながらも、アルシュは顔を上げて、その眼光をマシールに突きつけている。


「くっくっく、面白い奴だ。腹部を貫かれ、魔剣を受けてもなお、俺に楯突くとは。いいぞ、気に入った」


アルシュはマシールに笑みを向けられるが、それが殺気や不気味さのない穏やかな表情だった唖然とする。

彼が何を思っての感情なのかが分からない。

挑発とも思えるその素振りは、薪となって、アルシュの憎悪をより一層強く燃え上がらせる。


「エリン、お前に提案がある。お前からしても悪い話ではないだろう」


マシールはエリンに向きを変えて、他の生存者にも聞こえるようにハッキリとした口調で交渉を始める。

エリンは怪訝な表情でなんとか意識を保ちながら

マシールに疑念をぶつける。


「何よ...私達を...殺しに来たくせに....!」

「ああ、元々はそのつもりだった。だが、考えが変わった。これから俺の言う条件を満たすのなら俺はこれ以上ここで人は殺さん」


エリンは翡翠の瞳を大きく変えた。ビヨルンやマリカにもマシールの声が聞こえた事で、絶望を宿した眼に光が宿った。


「それ、本、当?」

「信じないだろうが俺は嘘はつかん」


とはいえ、交渉を持ちかけてくるのは村で殺戮の限りを尽くした怪物。気を許したくはない。敗北を認めたくはない。

今ここでその提案に乗れば、これまでのキルガや団員達の死が、犬死になってしまうような気がした。


しかし、縋るしかなかった。もうこれ以上、誰かの死に嘆きたくはない。エリンは断腸の思いでマシールの話に耳を傾ける事にした。


「分かった....話して」

「いいだろう、条件はたった一つだ。この俺にアルシュを差し出せ。それだけでお前たちはこれ以上犠牲を出さなくて済む」

「な...!?」


朧げに意識のあったアルシュは耳を疑った。マシールは自分を交渉材料に使うと言ったのだ。

彼の考えている事が益々分からない。

しかし、マシールに連れて行かれるくらいなら死んだ方がマシだった。

なぜならこの男はジルドラスと繋がっている可能性があるからだ。

もうあの国には戻りたくはない。アルシュは断固とした意思を示そうと声を張り上げようとしたが、すでに意識は限界を超えており、その体は力を失い、僅かに残っていた意識は泥の中に埋もれていった。



エリンはマシールの提案を聞いて心が揺れる。アルシュは夜明けの団にとって掛け替えのない存在で、剣術の師であるエリンも彼を家族だと思っていた。


「ダメよ...!エリン...!アルシュを...行かせないで...!」


エリンが葛藤する中、必死に捻り出されたマリカの制止する声が彼女の耳に伝わり、思考をよぎる。

マリカにとってもアルシュは仲間という立ち位置に留まらず、親友以上と呼べるほどの数少ない関係となったのだ。


ビヨルンは沈黙を貫いていた。アルシュは生意気だったが、悩みを打ち明けた時、いやいやながらも耳を傾けてくれるいいやつだ。

しかし、今この状況下でマシールの提案を拒否すれば全員が死ぬ。

にも関わらず、マリカは無理矢理にでも声を上げて判断に苦しむエリンを引き止めようと必死だった。


エリンは欠損した前腕の断面を抑えながら困惑を浮かべて、数十秒ほど程俯き、そして顔を上げてからマシールに問う。


「アルシュを連れて行ってどうするの?」

「戦場に生きるお前たちには関係のない事だ。まぁ、生きるか死ぬかで言えばコイツ次第になるがな」

「そう...」


エリンは冷静に思考した。マシールの口ぶりから、アルシュは戦場を出る。それに、生きられる可能性も残っている。

彼女はアルシュと、クモレイア村、夜明けの団のことを思い、最善と思われる答えを出す。


「分かったわ...アルシュをお願い...」

「そ、そんな....!なんでよエリン!!アルシュは私たちの仲間じゃない!!」


涙を流すマリカの怒号がエリンの耳に強く残った。

恨まれるだろう、嫌われるだろう。

しかし、自身の選択が間違いだとは思わない。マリカのそう心に言い聞かせて唇を噛んだ。


「賢明な決断だ。これで犠牲を増やさずに済みそうだな。さすがは団長だ、お前の仲間思いには心打たれるよ」


マシールは頬を緩めて深い息と共に皮肉を吐き捨てた。

友や仲間を持たない彼は知らない。エリンがどれほど身を切る思いでその判断に至ったのかを。

マリカはいい加減な口ぶりのマシールに眉間を歪めるが、もはや残存魔力は生命機能を維持する程度しか残されていない。

エリンは悔しさと、この受け入れ難い非情な現実に涙を流した。

マシールは気を失ったアルシュの元へと向かい、うつ伏せになった体を自分の腰の位置に抱えた。


「俺は...諦めねえ...いつか、お前を...!」


枯れ果てた声がマシールの耳を掠めた。振り返ると、胸に手を当てたビヨルンが膝をついている。

その茶色い瞳は死んでおらず、その刺すような眼光からは、猛獣のような猛々しさすら感じられる。


「ああ、その炎を絶やすなよ?待っているぞ」


マシールは向き直り、黒いマントの靡く背中を向け、空いている手を小さく上げて別れを告げる。

それから広場を離れ、門に向かって血溜まりのできた静かな通りに消えて行き、やがて見えなくなった。


「エリン...!?どうしたの...?しっかりして...!」


マリカが気付くと、エリンは横たわっていた。

魔力で抑えられていた血が地表を濡らす。

声をかけるが返答はない。顔は青ざめ、今にも命の灯火が消えそうだった。


「ねえ誰か、助けて....このままじゃ、エリンが...!」


焦燥するマリカは辺りを見渡すと、家屋の中から村人達がゾロゾロと出てくるのが見えた。


「な...なんて事だ...!すぐに治療班を呼べ!一刻も早く団長達を助けるんだ!


村が不穏に騒がしくなる中、ビヨルンは体を屈めながらキルガの亡骸へ向かう。親友の体からはすでに冷め切っており、空いた目をそっと閉じた後、もう一度、声を押し殺し、震えながら感情の雫を溢した。


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