68話 運命に抗う者
腹部を貫かれてもアルシュの燻りは消えず、刀を掴むが体を起こす事ができず、ただマシールを睨みつける事しかできない。
「まさか、二回もガッカリさせられるとはな。だが、これで終わりだ」
アルシュの中で今の光景が予知夢と重なる。それは、決められていた、抗えないシナリオ。
途端にアルシュの怒りの炎は冷めて行く。そしてガチガチと歯を鳴らし、体を震えせる。
未来は変えられると信じていた。恐れずに立ち向かえば勝てると、望みを掴んだ気になっていた。
だが、掌の希望は泡沫でしかなく、そこは恐怖と絶望の坩堝だった。
「殺されて...たまるか...!」
アルシュは顔を歪め、橙色の瞳をマシールに刺すように向けて、喉から声を絞り出す。
命乞いなどではない。目的も果たせずに死ぬ事を拒み続けるその思いが声となって現れた。
「仕方ねえだろ?お前が首を突っ込んだんだ。命くらい差し出してもらわないと、割に合わねえだろ」
マシールは刀を掴んだ。アルシュの手を踏みつけたまま足を捻ると手元から刀が離れた。
「があああ...!」
ヒビが入るような異様な感覚と共に、手に痛烈な痛みが走る。
彼は目の輝きを失わず、運命に抗おうとする意志は潰えてはいない。
しかし、すでに彼はアルシュの間近にいる。マシール刀の柄を持ち替えて、刃を足元にいる少年に向けている。
「じゃあな、小僧」
マシールは刀身をアルシュに向けて下ろそうとしたが、不意な襲撃によって防御を取らざる負えず、柄の持ち手を変えずに肘の方向へ伸びる刀身で左に向ける。
「アルシュ、死ぬな!」
マシールの静かな殺意は黒い獣の耳を生やしたキルガに向けられ、二人はアルシュから離れる。
「やめろ...!キルガ...!殺されちまうぞ!」
「そう...よ。...私に魔力を差し出しといて、カッコつけてんじゃないわよ...!」
「そうよ。お願いだから...やめて...!」
ビヨルンとマリカ、エリンは必死にキルガを踏みとどまらせようとする。
「何言ってんだよ、そう言うみんなはボロボロじゃないか。動けるのは唯一サポートに徹していた俺だけ。だったらやるしかないでしょ?第一、本当は俺、エレハイネ砦で死んでたし。だったら少しくらい、カッコつけたっていいだろう?」
「キルガ...やめてくれ...!」
アルシュはキルガに手を差して声を掛けたが、背中を向け、片手に持った二本の両刃物の短剣を構える。
「アルシュ...あの時、俺たちを助けようとしてくれて、ありがとう」
「キルガ...!」
その言葉だけを残して、キルガは獣族特有の俊足によって、アルシュの前から姿を消した。
「獣族とは...初めてやり合うが、面白い芸当だな」
マシールは無表情を浮かべたまま、感心の声を漏らした。空に振り上げた箇所から耳をつく激しい金属音と火花が飛び散り、八方から来るキルガからの素早い攻撃を片手に持った刀で軽々と防いで行く。
そして、マシールに徐々にキルガの体には切り傷が刻まれて行く。頬、手、足が浅く裂けて命の雫が溢れ落ちて行くが、マシールは汗一つ流れる様子がない。
「当たれえええ!!」
キルガは更に速度を早めた。体が壊れそうな程の魔力を行使し、電光石火の如くマシールに乱撃を仕掛けた。
すると、一瞬だがマシールの額から汗が溢れるのが見えた。
勝てる。ヤツは消耗していると、キルガの中で希望が芽生えた。
「終わりだ」
瞬間、その胴体にマシールの放った一閃が刻まれ、血の紅を散らすと共に、瞳からは光を失い、地に崩れ落ちたまま動かなくなった。
「キルガァアァアァアァアァア!!」
ビヨルンの痛切な叫びがクモレイア村に鳴り響いた。親友を救えなかった。悔恨の入り混じる激昂によって俯き、大粒の涙と共に地面に握り拳を叩きつける。
「なんで、なんでよ...!」
エリンは表情に悲壮を浮かべる。共に笑い、酒を飲み、笑い合ったその青年は今では敵の凶刃によって生き絶えた。
彼女は受け入れ難い現状に苦しみ、声を押し殺して泣いた。
「どいつもこいつもうるせえなぁ...喚くなよ。どうせ、あっちで再開できるんだからよ」
マシールは刀についた血糊をふり払い、肩に乗せてビヨルンの元へ歩みを入れる。
親友の仇を叩き割ってやりたかったが、負傷により体は衰弱し、もはや斧を掴む力も残されていなかった。
誰もマシールを止められる者はいない。アルシュが悲壮に暮れていると、マリカがマシールの背部を狙い、雷を放つが防がれる。
「なんだ?お前が先に行きたいのか?」
マリカは立ち上がっている。キルガの死に涙しながらも、青い瞳の輝きは一層強さを増していた。
「....さない。私は絶対にあなたを許さない...!」
「何本か骨を折ってやったつもりだったんだが、どうやらまだ心の方は折れていないようだな」
「マリカ...お願い...やめて...!」
エリンは涙しながらマリカに手を差し伸べるが、彼女の覚悟は決まっていた。
ただ友人達が殺されて行く様を見る事などできない。
マシールはマリカの方へ向き直る。彼女はキルガから貰った魔力を身に纏い、剣身から雷と風を纏って地面を蹴ったが現実は無常だった。
マリカの一振りを躱され、空いた拳で顔を殴りつけられ、うつ伏せに倒れる。
「どうした、許さないんだろ?立ち上がってみろ!」
意識が飛びそうだったが、よろめきながらも彼女はなんとか立ち上がる。
「う、うああああ!」
フラつき、マリカは剣を振り続ける。力のない一振りがマシールに当たるはずもなく。その後もマリカは殴られ、蹴られ、地面には血反吐が飛び散る。
「マ...リ...カ...!」
血の海と化したクモレイア村の中で、アルシュは地獄を見た。傍ではキルガが事切れ、マリカが嬲られ続けている。
強くなった気でいたが、自分さえも守れず、うつ伏せになって友人が死んでいく様をただ眺めることしかできないこの現状に無力感と恥じらいを感じた。
何が守るだ、何が助けるだ。結局は何もできずに歯を噛み締めることしかできない自分に失念した。
しかし、これ以上見たくはない。自分を認めてくれたマリカの死ぬところなど。
「このままじゃ...結局俺は...弱いままだ...!」
静かに激情するアルシュの胸中に燃えるような光が宿る。
抗いたい、強くなりたい。そしてこの悪夢を変えたい。
「あいつに勝ちたい...!」
やがて、胸の炎のようなオレンジの光はアルシュを包み込み、その弱り切った体が持ち上げられ、起こされる。
「小僧...なんだその光は...?」
「ア...ルシュ...?」
マシールによってボロ雑巾のようになるまで痛めつけられたマリカは光を纏うアルシュに首を傾げる。
「なんだ?...この力は...」
アルシュにも自分の体になにが起こっているのか皆目検討がつかない。魔力が使えなかったにも関わらず、身体中からそれに似た力が湧き上がってくるようだった。
それに加えてイシュアンやザッケスと戦った時のように体は軽く、視界が澄んでいる。
アルシュにはその力が何なのかは分からなかったが、今ならマシールに届きうるという自信があった。