67話 溢れゆく命の滴
生き残った友と団員が見守る中、エリンはマシールに向けて、地面を蹴り上げる。
血風荒ぶなか、マシールは落ち着いた様子で、刀身を下に下ろし、敵の攻めに備える
エリンは静かな激情を剣に乗せて、刺突を仕掛ける。刃先を突き立て、風のような速度でマシールに突進する事で、マシールの胴を穿うとした。
「どうした?それで速度を上げたつもりか?」
「くっ...!まだまだ!」
しかし、マシールは体を横に逸らす事でエリンの突きを躱す。
そして体を捻り、体を回転させながら遠心力を利用して、彼女が背後を過ぎていく前に、その首元に一刀を叩き込もうとするが、エリンの速度が僅かに勝る事で、空を切った。
「よく避けたな」
「ハァッ、ハァッ...!」
エリンの呼吸が乱れる。危なかった。今の刺突の勢いを少しでも弱めていたら、首が飛んでいた。
エリンの首元からは小さな切り口が見えて、血の滴が流れた。
「エリン...!?」
マリカはエリンの首元から流れるそれが目に入り、抑えきれない不安が込み上げる。手元の青白い光はバチッと音を立てて、今にもマシールに放ちたかったが、エリンは手を出すなと言ったのだ。
エリンは呼吸を整え、冷静に状況を見極めて、翡翠の眼差しをマシールに向ける。
そして剣の柄に力を込めて、剣の魔力の光を鎧のように纏う。
「近接では俺に勝てないと踏んでの防御か?」
「あなたは私が、倒す!」
再び、エリンは地を駆け抜け、マシールの胴体に向けて剣を振る。粉塵が立ち込め、二人の姿が見えなくなった。
しかし、その奥から刃を切り結ぶ音だけが耳元をつく。十、二、三十合と、戦いが苛烈となっている事は彼女を見守る者たちにも理解ができた。
エリンは間合いを詰めて、必死にマシールに反撃させないように剣を叩き込み、そして隙を伺う。
マシールはアルシュと同じで魔力を使わない。つまり、魔力による力で押せいずれは防御が崩れる。エリンはそう思考するが。マシールの守りも硬く、一向に
不意にマシールは跳躍し、エリンから距離を取ろうとした。反撃が来る。エリンはその隙を狙って彼が着地するよりも速く、刃先を構えて放つ。
『風旋回!!』
刀身に渦巻いていた魔力の渦が膨張し、地面を抉りながら、着地するマシールの元へ突き進む。
「エリン!勝ったわ!」
思わず、その光景を見たマリカは勝利を口にする。その場にいる誰もがそう思った。
「惜しかったな」
マシールは冷め切った表情でそう溢すと、空を蹴った。それを見たエリンは大きく目を見開き、瞬時に構えたが、その時すでに彼女の真横を黒い影が過っていた。
「くっ....!」
エリンの細い前腕が剣と共に飛んだ。彼女は自身の欠損箇所に手を当て、溢れ出る血の赤で染めながらマシールに背中を向けて膝をついた。
「エリン...とか言ったか?よくあの状況下で魔力が張れたな。だがもうその体ではお前も動けまい」
「後悔...は...ない....!!」
魔力を体に纏った事で、幸いにも命を繋いではいたが、もはや動くことはままならず、戦えるだけの残存魔力も残っていない。すぐ目の前にはマシールがいる。
マシールには躊躇いはない。
彼は太刀を天に突きつけるように伸ばし、そしてエリンの背後から、振り下ろそうとする事で、これまで葬ってきた者たちと同様の死を差し伸べる。
が、腕に力を入れる前に、飛来する青い稲妻に気付きエリンから距離を取る事で直撃を避けた。
「おい!マリカ!」
「あああああああ!!」
マリカは怒狂う。唯一、母親のような優しさを向けてくれた大切な存在。生きる理由。そんな彼女を傷つけられた事で心の中の鎖が弾け飛び、ただひたすらに、敵を殺すことだけを思考する。
「許さない...!許さない...!許さない...!許さない...!絶対に、殺してやる!!」
「怖いなぁ。そう怒るなよ」
彼女の剣と掌に纏った雷の柱は、これまでにない怒りによって轟き、殺意を募らせるだけで、マシールを焼き殺さんとする。
地面が砕きながら襲い来る雷の柱をマシールは体を跳躍させながら躱して行く。
「マリカ!落ち着け!それじゃあ魔力が保たないぞ!」
アルシュは魔力を急速に消費していくマリカに忠告するが、復讐の権化と化した彼女の耳には届かない。
マシールが雷を避けた瞬間、マリカは剣に纏っていた魔力の質を変換し、魔力で風圧を作り出し、弾き飛ばす。
足をつけ、地面に太刀を突き刺さす事によって飛ばされる体の勢いを殺すことによってマシールは地を滑る。
そんな中、ふと顔を上げ、その黒い瞳を大きく開けた。
日が沈みかかった空は少女の放つ雷光によって青白く染まり、その剣は今にもマシールに降り注がんと轟音を上げる。
「死っねええええええ!!」
アルシュが瞬きをする間、空中に跳躍していたマリカは、重力による勢いを利用して、怯んだマシールの元へ突進し、剣を振り下す。
それは、エリンを傷つけたマシールへの憤怒に必死の一振りは、確実にマシールの胴体を両断すると思われた。
「ガッ...!?」
アルシュの肉眼では捉えられなかった。瞬きを終えた彼が目にした時、マリカの放つ光は消え、口元からは血がこぼれ落ちていた。
骨が砕かれたのか、腹部にはマシールの左の拳が深々と食い込んでいる。
「さすがは妖精族、大した魔力量、そして剣技。もしこのまま生きていれば、いつかは俺を殺せたかもなぁ!」
マシールはそのままマリカを家屋の壁に向けて勢いよく投げ飛ばす。
しかし、激突する前にキルガが俊敏な動きで先回りし、彼女の体を受け止める。
「おい、しっかりしろ!」
マシールは「チッ」と舌打ちをしながら標的をキルガに変えた時、背後からアルシュが迫っている事に気付く。
「おおおおおお!!」
背中を狙ったアルシュの渾身の一振りと、後ろを振り向くと同時に放たれたマシールの片手から放たれた刃が合わり、退ける。
「小僧、まだ足掻くのか...。死んだふりでもしていれば違っていたかもしれんと言うのに」
「当然だ!こんな状況で、逃げることなんてできるかよ!」
アルシュは怒っていた。マシールにではない。何もできずに立ち竦んでいた自分が憎らしくて仕方がない。
その憎しみ刀の柄に込める。
もう、敵が命の恩人かどうかなど、どうでもいい。敵うかどうかなどどうでもいい。
殺さなければならない。八つ裂きにしなければならない。そうでなければ、胸から伝わるこの業火を鎮めることなどできない。
「勝てるかどうかじゃねえ、俺はここでお前をぶっ殺す...!!」
「哀れな小僧だ。かつて命を拾わせたものに首を差し出す事になるなんてな。なら、いいだろう。今度はお前を、救わない」
アルシュは全力で風を切り、かつて憧れだったその男に刃先を向ける。
「おおおおお!!」
そしてアルシュは刀を振ったが、やはりマシールの体に届く事はない。縦、横、斜めと振っても、防がれ、躱され、いなされる。
しかし、マシールは反撃に出ることはなく、アルシュの様子を伺っているようだ。
「くっそ、タレえええ!」
弄ばれてると感じ、苛立ちの込み上げるアルシュは感情を込めてマシールの首元に向けて
マシールがのけ反ることで空を切り、片膝ががアルシュの顎に直撃すし、夕空を向いて怯むが、なんとか堪える。
「....っ!」
口元から赤い雫が垂れる。口内を切ったためか、血生臭い味が口腔を漂う。そして、鼻腔から突き抜けて行く頃にはマシールが刀を振り下したため、刀身の側面で受ける。
「うぐ...!」
「さっきと言い、今といい、随分とタフなんだな」
しかし、力に自信のあったアルシュでさえ、マシールの力に徐々に押されつつある。
アルシュはマシールの片目に目掛けて口元にあった少量の血を飛ばす。
マシールは首を横に曲げることで避けたが、刀に加える力が弱まり、アルシュは押し返す事でマシールの足元がフラついた。
「今だ」
アルシュは蹌踉めく胴体に向けって刀を振ろうとしたが、揺動だった。
マシールは怯んだと思わせて片足を上げて刀を振りかぶったアルシュの腹部を刃が貫いた。
「うぅっ....!」
マシールは剣を振り抜き、蹴り付けられた。
刺突によって胴体に風穴を開けられたアルシュは、横たわりながら腹部の激痛と焼けるような熱に悶える。口元からは吐瀉物と血が混ざり合ったかのような内容物が流れ出て、腹部の内臓がグチャグチになったかのような不快感が襲う。
「どうした?立ち上がって威勢を見せたはいいが、やっぱりこんなもんか?」
アルシュの意識はなんとか保たれていた。しかし、アルシュにとっての憧れだったその男は死神となって獲物を掲げながらゆっくりと足を進める。




