6話 師匠探し
走っては歩き、を繰り返してようやく着いたその街は以前と変わらず、今日も活気で満ち溢れている。
「あれから2年くらい経つけど...相変わらず、すごい人だなぁ...」
門を通った先にある大通りには、多くの露店が立ち並び、商人たちが香辛料や野菜、果物、魔道具をめぐり、大勢の客との交渉が行われている。
大通りを抜けた先にある中央広場では、弦楽器の音色に合わせて美しいドレスを身に纏った女性が舞いを披露する。それを見ながら男達は近くの飲み場で酒を交わし、荒々しく笑う。
村はお祭り騒ぎで、賑やかな声は絶えることを知らないようだ。そんな中、村の中央通りを駆け抜ける少年達が目に入る。アルシュは心に秘めていた川での記憶がふと浮かんだ。
しかし、今は友達などどうでも良い。それよりも今は戦いを教えてくれる存在が必要だ。父のように強くなりたい、その一心で村中を探す。
が、探せど探せどマシールどころか、戦士すら見当たらない。辺りを見渡せば、商人とその客が過半数を占めている。
「マシールじゃなくても、一人くらいはいると思ったんだけどなぁ」
詰め所にでも行けば衛兵の一人に稽古でもしてもらえるだろうか。否、彼らだって一人の少年に構っていられる程、暇ではないだろう。
「また出直すか」
アルシュがため息を吐いて諦めて帰ろうとする中、麻袋を抱えた一人の少女が目に映る。年齢は自分と同じか若干歳下にも見えなくはない。
短髪の黒髪に褐色の肌。灰色のリネンの服には煤が入っている。見るからに裕福そうには見えない。下流階級だろうか。
それ以上に気になったのが手足にアザが見られた事だ。一体何があったのだろう。
彼女も何かしら苦しんでいるに違いない。アルシュは貧しい身なりの少女に対し、一度は気に留めるが、それ以上気にする事もなく家路についた。
「おいアルシュ、今日は畑仕事をサボってどこ行ってたんだ?」
ジャミルの畑仕事を手伝うのを忘れていた。しかし、ジャミルにはどう言おうか、強くなりたいから師匠を探してましたなんて理由が通用するとは到底思えない。
「と、友だち探しだよ」
「そうか...。なら仕方ないな」
咄嗟についた嘘は、ジャミルにすんなりと受け入れてもらえたようだ。
本当はアルシュに畑仕事を手伝って欲しかったジャミルだが、以前息子の前でカッコつけた手前もあって、彼の行動を否定できない。
「明日も行ってこい。畑仕事は俺一人でもできる」
「え?いいの?」
「俺には野菜を育てる仕事があるように、お前にもお前の仕事があるだろうからな。だが、遅くなるなよ?暗くなる前に帰ってこい。約束だ」
「ありがとう!」
こうして、アルシュは自由に動ける時間が大幅に増やす事に成功した。しかし、今日の調子を考えると本当に見つかるだろうか。昼間には無かった不安が、アルシュの中に汚れとなって落ちない。
アルシュはベッドでクスルゼインで見かけた1人の少女のことを思い出し、眠れなかった。一体彼女が何をしたと言うのだろう。手足の青いアザ、泥のついた服、沈んだ表情が脳裏に焼きついて離れない。
戦いを教えてくれる人物が都合よく見つからなかった事も不満だったが、それ以上にあの時、沈んでいる彼女を見かけて声をかける事さえ出来なかった自分に対するやるせなさが、一層心を曇らせ、なかなか寝付くことが出来なかった。
それからはクスルゼインに行くことが日課になっていた。アルシュはこの些か大きな街に夢中だった。
いつか戦いを知る人物が現れるかもしれないと思い、村の周囲や広場等を歩き回り、疲れたら家に帰る。それを毎日続けた。
しかし、誰に声をかけていいかも分からない。やはりこの村にいるのは飲んだくれや走り回る子ども達、役人や商人が大多数だ。
もはやこの村に求めても意味はないと思いながら家に帰ろうとしたアルシュは、ある騒動を目の当たりにする。
「なんだとテメェ!!もういっぺん言ってみろ!!」
「あぁ何度でも言ってやるよ!!お前は女にも逃げられたロクデナシだってな!?」
酒場の方で何やら大人2人が罵声を上げ、殴り合いを始めたようだ。
1人の方が背丈が高く、ガタイが良いように思えるが、もう1人の方は背丈は相手に劣るものの肉付きは優っているようだ。彼らは肘を曲げて体をかがめ、間合いを慎重に詰めながら適切に拳による攻撃を仕掛けては、相手から繰り出される拳を腕で受けている。
「おい、喧嘩が始まったぞ!」
「いいぞ!やっちまえ!」
二人の周りに群衆が集まり、先程まで盛り上がっていた踊り子の周辺では閑古鳥が鳴く。
誰も彼らを止めようとはしない。むしろ囃し立てている。人々にとって普段見られることのないシンプルな殴り合いは、格好の見せ物だった。
アルシュも群衆に混じって2人の喧嘩を夢中になって眺めていた。互いの心理を読み、うまく攻撃を交わしながら反撃に出る姿は見応えがあった。背の高い男が肉付きの良い男に膝蹴りを喰らわせた時、人々の歓声はより一層高まりを見せた。
「散れ!これは見せ物ではない!」
鎧に身を包む、四人の衛兵たち現れ民衆に向けて声をあげて二人の喧嘩を止めようとする。
「くッ!何をするか貴様ッ!」
「今いいところなんだ邪魔すんじゃねえ!」
殴り合いを見て心を湧き立たせた人々が衛兵たちを殴りつける。
乱闘は二人の間だけでは治ろうとしなかった。血の気の沸いた民衆も殴り合いを始める。
もはや二人を止めるどころの話ではなくなった。乱闘は治る事を知らない。
「クソッ!一体どうするんだ!?」
「もはや俺たちではどうにもならんぞ!」
兜を取られた衛兵が困惑を浮かべる。
乱闘を始めた時間が経つにつれ、互いの顔はアザや腫れ物ができ、服は汗で濡れ、息を切らしている。
「いい加減に...くたばりやがれっ...!」
「お前、こそっ....!」
それでも彼らは殴り合うのを止めようとはしなかった。2人が渾身の力を振り絞って殴りかかろうとした時、
アルシュの背後から突風が吹き荒れるのを感じる。
後ろを振り向くが特に異変はなく、顔の向きを戻すと、殴り合っていた2人の間に紺色のマントを来た黒髪の細身の女性が立っていた。
彼女は両者よりも小柄でありながら、軽々と拳を受け止めた。
「白昼堂々と良い大人が恥を知れ」
「なんだお前は...!」
「女はひっこん、ぐぇっ!?」
1人には拳で、もう1人には腰に掛かっていた剣の柄で溝を突き、2人はその場に横たわり、蹲る。
「野次馬共!これは見せ物じゃない!とっとと散れ!決闘がしたいというのであれば私が相手になろう!もちろん命の保証は無しだ!」
「ちっ衛兵隊長に喧嘩だって...?冗談じゃねえ..!」
そして人々にこの場を離れるように声を張り上げると、群衆はがっかりした様子で去って行き、衛兵隊長と呼ばれる彼女に部下の衛兵四人が駆け寄る。
「隊長!お疲れ様です...ブッ!!」
彼女の平手が四人の頬を直撃し、うっすらと紫に染め上げる。
「何をやっている貴様ら!衛兵の務めは街の治安を取り仕切る事だろう!あの程度乱闘も止められないでどうする!?」
「も、申し訳ありません!!」
「お前らは居残り訓練だ!」
「はっ!!」
アルシュはその場に立ち尽くしていた。
その女性には、マシールと言う男と似たようなものを感じる。戦い慣れた様子、強者としての余裕、戦士としての貫禄。
見るからに怖そうな人で本来であれば怖気付いて逃げる所だが、強くなるためにどんな試練も乗り越えて見せる。と決意し、少年は声をかける。
「あ...あの...!」
「あぁ!?なんだ小僧、今私は忙しいんだ」
思わずその機嫌の悪そうな女性に声をかけると、橙色の眼光が好奇心を持つその少年をギロリと見つめる。
「うっ!」
まるで猛獣にでも狙われたかのような圧力がアルシュを襲う。しかし、それでもめげずに話を続けた。
「さっきのは凄かった...!あんたが強いって言うのは十分に分かった。俺もあんたのようになりたい...!どんなに辛い訓練でも耐える。だから...弟子にしてくれ!」
「この私に弟子だと?フフっ冗談だろ?小僧、お前もあの二人の喧嘩に血の気が湧いたか?生憎だがお前のような小僧に教えられる事などない、断る。「お前はまだ幼いし時間もある。兵士の他にもまだまだ選択肢はある。別の道を探せ」
彼女は嘲笑しながらマントを揺らめかせ、後ろを振り向く。
それはジャミルの言っていた言葉と同じだ。納得が行かない。
「ちょっと待ってくれ!なんで最初から決めるんだよ!」
諦めきれなかったアルシュは声を張り上げると、女性の戦士は足を止める。
「では、なぜ強くなりたい?」
「俺はもう嫌なんだ、ヴァイシャの奴らからいじめられて、馬鹿にされて、だから強くなってどいつもこいつも見返してやりたい...!だから俺はここで引き下がるわけにはいかないんだ!!」
父に憧れ、馬鹿にしてくるヴァイシャの連中を見返したかったからだと答えると、呆れた表情でアルカスに冷ややかな言葉を投げかけた。
「誰かを見返したいからだと?見返した後はどうする?お前は戦にでも行くつもりか?」
アルシュは返答ができない。マシールとの出会いを思い出し、突如として戦慄が身体中を巡る。
今は戦争中だ。力を持った竜族たちは徴兵令によって戦場に駆り出される。父だっていつ声が掛かるか分からない。
以前のような惨劇が至る所で行われていると思うと考えただけでも悍ましい。一度はマシールに憧れを抱いたが、改めて彼の置かれた立場を考えると身が縮まるようだった。
「私はこの国を守るために命を捧げている。だがお前には覚悟が足りていない。お前のような生半可な覚悟で戦に挑み、死んで行った者は数多い。戦には常に死が付きまとう。その事をほんの少しでも考えるんだな」
説得力のある彼女の言葉に反論できないアルシュは歯を食いしばる事しかできない。
「それでも強くなりたいと言うのなら、この村に道場がある。親にせがんで銭を出してもらえ。私は知らん」
女性は少し苛立ちを見せながら少年の元を去って行った。口振りからすると、恐らく彼女は戦争を経験していた。
そして無謀にも敵に立ち向かい、倒れて行った者を知っているその語りは少年の心に深々と突き刺さった。
アルシュはそれ以上女性に声をかける事はできず、ただその後ろ姿を呆然と眺めていた。