64話 死神の影
エリオス団長はアルシュと話した後、アルバ村への状況を確認するためにクモレイア村を後にする。エリオス将軍は元いた三百人の兵士のうち、百人の兵士をクモレイア村に配置し、二百人の兵を連れて草原を馬で進む。
「あの竜族の少年。俺の魔力に物怖じするどころか睨み返してくるとは、それにあの瞳の奥から感じた、あれは一体...」
エリオス将軍はアルシュから、これまで戦って来た竜族にはにはない「何か」を感じていた。
その得体の知れない物が脅威となるのかカヤールの行末に光を灯すのかは分からないが、どの道放っては置けないと考えた。
「おい、ミューズ。あのアルシュという少年を見張っておけ。最悪、あの少年がカヤールを滅ぼす可能性もなくはない」
エリオス将軍は小重装に身を包む小柄な女性兵士に忠告を交えた命令を下す。
「竜族の、少年がですか?」
「ああ。まだアルシュは歳はも行かない。仲間のために体を張れるやつだ。だがあの少年は瞳の奥に何か途轍もないモノを秘めておった。成長すれば考えも変わるかもしれん」
「わ、分かりました...!肝に銘じておきます!
ミューズと呼ばれる女性兵士はエリオス将軍の突拍子もない忠告に疑念を抱きながらも受け入れた。
突然、兵士たちの馬が突然落ち着きなく、騎手のいう事を聞かなくなり、右往左往に体の向きを変える。
「な、なんだ!?」
「落ち着け!」
兵の一人が馬の手綱を引きながら、単眼鏡を覗くと、北西から黒いマントを羽織った男が向かってくるのが見える。
「将軍!約一キロメートル北西から、何者かがこちらにむ向かって...っ!?」
兵士が報告しようとした瞬間、風を切る音が聞こえたかと思えば、単眼鏡が黒マントが投げた物体によって破壊され、激しく破片が飛び散り、馬から転落する。
「おい、大丈夫か!?」
同僚の兵士が馬から降りて、仰向けに倒れて動かない仲間の元へ駆けつけると、兵士はすでに絶命していた。
片目のあった場所には、深々とナイフが突き刺さり、目元からは血が溢れだしていた。
「ナイフってありえないだろ!?ここからどれだけ距離があると思ってるんだ!?」
「俺、分かるよ。とんでもない魔力、あいつはバケモノだ!」
「みんな、落ち着いて!敵は確かに強いけど、私たちは一人じゃない!」
ミューズは必死に兵士達を落ち着かせようとしたが、いつにもなく、彼らは自身の恐怖を抑えられず、慌てふためく様子が見られる。
「確かに、みんなでかかれば...」
「でも、本当に倒せるの?あいつ、すごく強いのよ!?」
「み、みんな...!」
黒マントの謎の男がこちらへゆっくりと向かってくる。ミューズ自身も不安で心を掻き乱され、今にもこの場から逃げたいという衝動に駆られる。
「取り乱すな!!」
兵士たちが混乱する中、エリオス将軍の一喝によって、その場に声は静まり返り、落ち着きを取り戻して行く。
とはいえ、眼前にいる敵がただ者ではない事は禍々しく、黒ずんだ魔力を見れば一目瞭然だ。
エリオス将軍は、こちらへ向かってくるあの男が精鋭師団の団員を殺害し、クモレイア村に魔物を送り込んだ男の仲間なのだと確信する。
「皆、あれはクモレイア村に向かっているはずだ。絶対に通すな。それと分かっているかと思うが、相手は怪物だ。気を引き締めてかかれ!」
敵は一人だが、エリオス将軍は彼を1人の人間としてではなく、一体の巨大な怪物として、警戒する。
「戦闘陣形を組め!」
そして陣形を二百人の名の兵士に戦闘陣形をとらせると、兵士達は馬になりながら一列に並び、黒マントの男の方に向く。
「ユピテル様...どうかご加護を...!」
「畜生、死にたくない...!帰りたい...!」
勇ましい姿ではあるが、兵士たちは怯え、勝利を信じ切れる者などいなかった。
神に祈る者、死を恐れる者、己のこれまでの道を後悔するもの。
誰もがこの場にいる事を悔やみ、生還を願った。
黒マントの男は歩みを止める。すると、風がやんみ、一層兵士たちを不気味に震えさせる。しかし、逃げ出す者などいなかった。
彼らにも尊厳がある。戦士としての道を歩んできた以上、この場を去る事以上の屈辱はないと、自身の気持ちを固める。
「かかれ!!」
「うおおおおおおお!!」
エリオスは号令をかけると、己を奮い立たさるかの如く雄叫びをあげて、兵士たちは一斉に敵に立ち向かう。
「逃げなかったか。まぁいい、準備運動にしてはちょうど良いかもな」
黒マントの男はそう呟くと、マントの中に隠し持つ脇差に手を添える。
彼は表情を変えずに、その場に佇む事で、彼らがここへ辿り着くのを待っているようだ。
彼らに、敵が強いという認識はあった。到底歯が立たないと思っていた。
しかし、数でかかれば勝てる。彼らは先程のミューズの言葉を信じ、黒マントの男に剣を振り下ろそうとした瞬間、跳躍した黒マントの刃によって、首が飛んだ。
エリオスのは大きく目を見開き、息を呑んだ。このような事態はこれまでには無く、その動揺を隠す事ができない。
黒マントの男は涼しい顔で二百人の兵士の命を刈り取って行く。
「ミューズ!急いでこの事をクモレイア村に伝えろ!」
エリオスがそう命令した時、彼女からは返答がなかった。横を向くと、ミューズの姿は馬の蔵にはなく、地面で彼女は仰向けに倒れ、額には短剣が突き刺さっていた。
「ミューズ...!」
エリオス将軍は彼女の死を嘆きながらも、これ以上の被害を出すまいと、自らも剣を抜く。
「俺と戦え!!」
「いいだろう。精々楽しませてくれ」
仲間が倒れて行く中、エリオス将軍は黒マントの脅威に向かって馬を進める。
そして、血風吹き荒れる戦場と化した平原に、戦士達の交えた刃の金属音が響き渡るのであった。