60話 遅すぎた救援
その後、アルシュは治療班の団員に負傷した左足に治療魔術と包帯による処置を施して貰ったが、まだ一人で歩けるようになるまでには時間がかかりそうだ。
マリカはアルシュ腕を自分の肩に回して、もう片方の手を腰に回して寮まで戻る。
「ごめんな、まさかお前の肩借りる日が来るなんて思っても見なかった」
「何言ってるのよ。あなたは私にとって兄弟弟子なんだから...これくらい当然よ」
マリカは恥じらい、アルシュの目を見る事ができない。ただアルシュの体から伝わってくる熱から、必死な奮闘ぶりが伝わって来る。
「エリンも言ってたけど、お前って背、伸びたんだな」
「なんで今更なのよ。気付くのが遅いわよ」
「なんでだろうな。いつも一緒にいるからか?俺にもよく分かんねえ」
「何よそれ」
アルシュは自分の背が伸びた事と比例して、マリカの背も伸びていた事をエリンから聞いていたが、あまりピンと来なかった。
しかし、こうして肩を預かっていると彼女の成長が分かった。
「ねえ、アルシュ」
「なんだ?」
マリカは急に声のトーンを落とした事でアルシュは頭の中で疑問符を浮かべて返事をする。
「あなたって、エリンの前では見栄を張ってたけど、戦って死ぬのが怖くないの?」
「どうしたんだ?急に改まって聞く事なのかそれ?」
「だってあなたっていつも敵に真っ先に突っ込んで行くんだもの。今回だって私には死に急いでいるように見えて仕方がないのよ」
マリカに抱えられて寮へ戻り、団員たちが怪我人の治療を行う。歓喜は冷める事がなかった。
「そりゃ、死ぬのは怖いさ。でも、なんでだろうな...いつも自分が前に出ないと、誰かを失いそうで怖いんだよ」
「ちょっと待って。つまり、あなたって自分が危険だって分かっているのに私たちの命の心配をしてるって言うの?」
マリカは隠している表情に怪訝を浮かべた。
この戦争で生き抜く、と言う目標が二の次になっていることに気づいたが、自身の負い目に気付き、口を噤む。
「何よそれ...何なのよ...それ...‼︎」
マリカは立ち止まり、そして苛立ちが込み上げて歯噛みする。アルシュは自分のいい部が彼女の尊厳を傷付けた事に気付いていない。
「なんで私たちにために命を捨てようとしてるの?余計なお世話よ!エレハイネ砦の時にあれだけ私に大口叩いておいて、自分がそれを守らないなんて、ふざけないでよ!あなたがいなくなった世界に残された私たちの身にもなってよ...!」
マリカは苛立ちと不安の感情をアルシュの耳元で吐き散らし、歯噛みする。
その体は震えており、隠された顔からは雫が落ちて地面にポタリと弾けるのが見えた。
「ごめん...」
アルシュは怒りに震えるマリカの耳元で小さく呟いた。しかし、戦い方を改めるつもりなどない。
エレハイネ砦の時に友を誰一人として失わない。窮地に陥っていたら必ず救うと心に決めたのだ。
その後、マリカの協力もあって寮に戻ることが出来、何とか自分の部屋に着いた。
「ありがとう、助かったよ」
「....」
アルシュはマリカに礼を言うが、マリカは返事をせずに横になるアルシュの傍に佇んでいる。
「マリカ?」
「....させて」
マリカはそっと呟いたが、あまりに微かな音でうまく聞き取れず、アルシュが首を傾げたため、もう少し声を大きくする。
「もう少し、ここにいさせて...」
「何でだ?まさか、俺を心配しているのか?大丈夫だよ。この程度の怪我...」
アルシュが話す傍らで、彼の右手を色白の両手が包み込んだ。
頬をらしていた。マリカもアルシュの身を案じていたが安堵によって緊張が解れると共に、感情が目元から溢れ出していた。
魔物が倒され団員達がが喜ぶ中、アルシュの姿がどこにも見えなかった事がどれだけ彼女の恐怖を掻き立てた事だろう。
「分かったよ」
アルシュは頬を緩ませてマリカの願いを受け入れたが、それでもマリカはアルシュの手を掴み、離す事はなかった。
アルシュはマリカに支えられて寮へ戻り、団員たちが怪我人の治療を行う。歓喜は冷める事がなかった。
仲間を失えど、村人たちの命を一滴たりとも取り零す事なく、死守した事に誇りと充足感に浸る。
そんな中、集会広場へ向かってきた団員の一人がエリンを見つけると、慌てた様子で群がりをかき分けて声をかける。
「そんなに慌てて一体どうしたの?」
「将軍が、エリオス将軍が救援を引き連れてやってきたぞ!」
団員たちはどよめき、エリンは目を白黒させる。
ニルバが暴れ出したという情報はフェリクスが伝令を送る事で将軍に伝えていた。
にも関わらず、救援が来なかった事に対して、フェリクスには不満が残る。
「今更来たって遅ぇんだよ!」
「仕方ないわ。敵が敵だったもの。彼も相応の準備をしていたはずよ」
フェリクスはエリンに宥められて「チッ!」と舌打ちしてから心を落ち着かせる。
やがて、集会広場に数百の連なる兵士が現れる。その兵士の一人一人が魔力石の埋め込まれた武具を装着し、強大な魔物との戦いに備えていた。
団員たちは彼らに鎧や兜に比べて自分たちの用いる装備が見窄らしく感じ、気負けする。
フェリクスは救援部隊が到着すると、青筋を浮かべ、戦闘で偉そうに魔馬の蔵で手綱を引くカリオスの方へ向かっていく。
「フェリクスか!魔物は討伐したのか!?」
「将軍!ニルバなら先程討伐しました。俺があなたに伝令を送ったのは夕刻です!一体なぜここまで遅くなったんですか!?」
フェリクスが恐れることなく、エリオス将軍に怒りをぶつける。
ここにいた誰もが剣を手に取って命を賭けたにも関わらず、戦いの最中、エリオス将軍の救援は来なかった。
彼は日が沈み切らない時間にクモレイア村を出ているため、伝令を送れば間に合うはずなのだ。
また、エリオス将軍は巨大な力を持っているにも関わらず、団員たちを見殺しにした事に我慢がならない。
「フェリクス!責める相手が違うわ!」
「すまないが、エリンは黙っててくれ...!」
どんな罰が与えられても知った事か。フェリクスの怒りの松明はエリオス将軍に向けられる。
「すまなかった。何せ、敵は未知数だ。仮に、俺一人がすぐに救援に駆けつけたところで対処は難しいと考えたのだ...」
「くっ...!」
フェリクスにもエリオス将軍の言い分が分からない訳ではない。今回の一件では例の青年が絡んでいる事は事実。
であれば持ちうる力を使って立ち向かうのは当然だ。
「エリオス将軍、この度は救援に駆けいただき感謝しております」
今回は徒労に終わったが、懸命に救助に乗り出してくれたエリオス将軍に対し、エリンは恭しく一礼する。
「良い。今回俺はお前たちに何も力を貸してやる事ができなかった。フェリクスの言い分はもっともだ。それに、お前達は見事魔物を討伐させたのだ。感謝はを言うのは俺の方だ」
カリオス将軍は頭こそ下げなかったが、エリンとフェリクスに向けて感謝の言葉を捧げる。
「いえ、私たちだけの戦果だけではありません。ミカイルにとってはニルバは友人でしたが、それでも私たちの勝利に貢献してくれました」
この戦いでは皆の協力があったからこそ勝つことができたのだ。
ミカイルは友を手にかける事に躊躇い、恐怖する他なかったが、最後には戦うことを選び、断腸の思いで友の最期を看取った。
「ふむ、ニルバは残念だったな。あの男の国を思う心は誰にも負けてはいなかった。怪物に変えられるような事がなければ、必ずやアルバ村の再建に多大な貢献をしたことだろう。実に惜しい」
エリンは俯いた。ニルバに良い印象がなかったが、それでもあの男は共に戦う仲間だったのだ。
三人が俯き、かつての戦友の死を悼む。
そしてエリオス将軍が話題を切り替える。
「ところで先程、門を巡回していた団員たちが『アルシュ』という名の戦士を讃えていた。なんでも、巨大な魔物の尻尾を掴んで離さなかったとか...新しく入った者なのだろうが。一度会いたい」
エリンは大きく目を見開き、俯いていたフェリクスは背中に驚嘆が突き刺さる。
アルシュの活躍はすでに将軍の耳にも入っていた。
喜ばしい事などだが、あの少年に至っては注目を浴びる事は避けるべきだ。
「あ、あいつは今どうしても会う事ができないんです!」
「なぜだ?」
「あいつは今、激しい戦いの後なので疲れています。それに極度の人見知りで...」
アルシュは竜族で本来であれば敵国の種族だ。アルシュを敵視する者は少なくはない。中には恨みを持つ者もいる。
そんな中で将軍と言う立場に置かれた彼は何を思うのだろうか。
フェリクスは最悪の事態を避けるために、必死になってエリオス将軍をアルシュに合わせまいと口を動かす。
「そう言葉を並べずとも良い。アルシュは竜族なのだろう?それも聞いた」
「い⁉︎」
「ガッハッハ、何を驚く事があるのだ。案ずるな。俺はどのような種族であれ、仲間のために戦った者の命は取らん」
「あ、ありがとうございます...」
フェリクスとエリンはエリオスの寛大さに感謝と共に、安堵の息を漏らす。
「まぁしかし、この戦いで疲弊しているのも事実だろう。アルシュには明日会うとしよう。その前に話し合いもしなくてはいかんからな」
「い、今からですか...?」
「当然だ、お前たちの報告が正しければ、次にいつ仲間がニルバの二の舞になるか分からん。早急に対処せねば」
フェリクスは息を呑んだ。疲れているのはアルシュだけではないと言うのに、やっぱりこのカリオス将軍という男は団員たちの苦労を考えていない。
「分かりました。ザッケス、ニルバの無念を晴らすため、そして団員達があの術の犠牲にならないために、ぜひご助力をお願いします」
エリンは躊躇わず、真剣な眼差しで頭を下げた。これ以上あの男の思い通りにはさせないと決心した。
フェリクスはそんな彼女の言動に目を見張り、腹痛を堪えながらもエリオスとの話し合いに身を投じた。