57話 決別の覚悟
立ち上がる者達を見てエリンは、覚悟を決める。もう絶対に失敗はしない。
そう心に決めて、彼女は冷静に思考して、その場にいる団員全員に声を張り上げて指示を出す。
「みんな聞いて!魔術または弓矢を得意とする人は集会広場へ行って待機!近接武器が得意な人は時間を稼いで魔物を広場に誘導!そして魔術を構えて一斉に掃射よ!」
それは単純な作戦内容ではあったが、被害を最小限に抑えつつ、対象の敵を効率よく倒せる手段だと考えた上でのエリンの判断だった。
その指示が団員達の耳に入り、ざわめき出す。
「今の聞こえただろ?俺たちで時間を稼ぐ!」
「おい、エリン団長の指示通りだ!俺たちは周回広場でニンバを迎え撃つぞ!」
「こっちよ!エリンの言う通りにしなさい!」
エリンの指示に従い、マリカは遠距離武器を得意とする団員たちに呼びかけ、魔術師や弓使い達は一斉に集会広場へと向かって行く。
「みんなの為にも、もう失敗は許されない!」
自分を信じてくれている団員達の姿を目の当たりにして、エリンは剣の柄に力が入り、翡翠の双眸をニルバに向ける。
「へっ!やっとやる気になったじゃねえか、エリン!」
「じゃあ、俺たちも彼女の意地を見習うとしますか」
ビヨルンはエリンが怖けずに、団長としての意地を見せた事に歯に噛んでみせる。
キルガは微笑みながら鉤爪を構える。
「エリン、それでいいのか?時間稼ぎは悪くないと思うけど、どのみち死ぬぞ」
エリンの決意めいた表情が揺らぐ。
「おいアルシュ!てめえ、エリンがやっとやる気出たってのに水差すんじゃねえよ!」
「だってそうだろ?ビヨルンやキルガみたいな精鋭はなんとか役割を果たせるだろうが、全員がそう言うわけじゃないだろ?」
「アルシュ、それはもう割り切るしかないよ。多分だけど、ここでどんな最良の判断を下したところで犠牲は避けられない!悲しい事だけど...ここはそう言う場所なんだ」
キルガは説得を試みる。戦場では犠牲は避けられない。アルバ村がそうであったように、勝利の背景には多くの犠牲が付き物だ。
「最良の手ならあるだろ。俺一人が残って時間を稼ぐ」
「なんだと?お前、さっき自分で何言ってたか覚えてるか!?」
誰もが思いつくはずもなかったアルシュの無謀で自分勝手な提案にビヨルンは憤る。
「大丈夫だ、今の俺は強い。絶対に死なねえ..!」
アルシュには自信があった。どう言うわけか今の自分には常軌を逸したような膂力があり、今のニンバとも渡り合える気がした。
もう誰かに守られるような存在じゃないと、アルシュは証明したかった。
「ダメよ」
しかし、エリンがその提案を飲むはずがなかった。これまで戦う度に真っ先に敵陣へ突っ込んで行く事に懸念はあったが、流石に今度と言う今度はエリンも黙って見過ごす事はできない。
「これまで黙っていたけど、今回は本当に死ぬわ」
「死なねえって言ってんだろ」
「それをどうやって証明するの?確かに君はこれまでに何度も夜明けの団の窮地を救って来たけど、だからと言って一人で戦わせるわけには行かない。前に言ったでしょ?君を守るって」
エレハイネ砦にて、確かにアルシュはエリンと約束をしていた。
「あーもう、分かったよ!」
アルシュは面倒になり後頭部の髪をかき乱す。ビヨルンとキルガは説得されたアルシュに笑みを浮かべる。
「な、何がおかしいんだよ!」
「別に?バカがイキろうとして失敗してんのが面白かっただけだよ」
「まぁ、アルシュの説得が済んだんだからそれでいいじゃないか。これで思う存分戦える...!」
エリンは胸を空かせて刃を横に伸ばして風を纏う。
「自信がない人は下がって!無理強いはしない!自分の命が最優先よ!」
エリンはなるべく被害が出ないようにする為に残った団員達に呼びかけると、数名の者たちが引いたものの、殆どの団員が後ろに下がらずに武器を構える。
「舐めんなよ。俺たちは夜明けの団だ。そう簡単に退けねえよ」
「そうだぜ団長!俺はどんな状況でもあんたのために戦うって誓ったんだ!」
「みんな...」」
エリンは団員達の声を聞き感情が目に潤んだが脱ぐって翡翠の瞳をニンバに向けた。
「ヴゥワアアアアアア!!」
ニルバは悲鳴をあげ、ミカイルは遠くで戦士達の背中から目を背けて、唇を噛み締めていた。
「情けない...!皆が心を一つにして戦っていると言うのに...それでも俺は....‼︎」
それでも彼の体は前に出ようとはしない。かつての親友を手にかける事など、到底できなかった。
エリンが立ち直り、誰もが恐怖を乗り越えて一致団結に乗り出したが、やはり現実は無情だった。
先程まで機動性を見せなかったニルバは六本の巨大な人のような足を駆動させる。
「突進してくるぞ!!」
ビヨルンが汗を垂らしながら声を張り上げる。
ニンバの顔面があんぐりと大きな口を開けて地を削りながら戦士達を喰らおうと襲いかかる。
「避けろおおおお!!」
アルシュも飲み込まれまいとニルバを避けるが、直後にしなる尾の先端ががアルシュに襲いかかる。いくら巨大な尾の力に耐えられると言っても、流石に刺突を受け入れる事は難しいと考えてなんとか地面を蹴って回避した。
「た、助けてくれええ!」
それから尾に注意を向けながらニルバの口を見ると、逃げ遅れた団員がニルバに口の中で咀嚼され、バキ、ゴキと骨肉を噛み砕き音が耳の中に不快感と恐怖を宿す。その口元からは赤い血が垂れている。
「よ、よくもやりやがったな!」
「許さねえ!」
団員達は戦慄するがそれでも同胞の仇を打つために、無謀にも立ち向かう。
しかし、ニルバはアルシュの真横に突き刺さっていた針を持ち上げて、彼らの体をその信念ごと切り裂いて行く。
「や、やめてくれ!助けてくれ!」
腰を抜かした団員に針の先端が向けられ、放たれる。しかし、エリンがその尾に向けて風圧を放つことで、弾かれ、その反動釣られてニルバの巨体がよろめいた。
「その尻尾、邪魔なんだよ!!」
アルシュは立ち上がり、ニルバが怯んだ隙に地に着いた尾に向けて全力で地を蹴りあげる。
そして刀を構えたところで尾は持ち上がる。
「ちっ!逃してたまるか!」
アルシュは跳躍し、持ち上げられた尾を切りつけようとしたが、尾がしなり、叩きつけそのまま門の一部が砕け散る程の衝撃と共に押しつけた。
「アルシュ!」
「まずい、もしかしたら今ので...!」
団員の誰もが彼の身を案じた。いくらアルシュでも今の一撃を受ければ無事では済まないだろうと。
しかし、エリンは疑問に感じていた。ニルバが門に背を向けたまま、その場を離れようとはしない。
と言うよりも、離れられないように見える。そして土煙がなくなり、彼女はニンバの尾の異変に気付き、その目を疑った。
一人の少年が全力でニルバの巨大な尾にしがみつき、引っ張っている。エリンはアルシュの怪力に言葉を失う。
「お前、馬鹿力にも程があんだろ!!」
「さすがに...限界がある...!早くしてくれ!」
アルシュは常人離れした剛力によって尻尾にしがみつくように抱え、全身を使って引いている。
ビヨルンも彼の思わぬ力に目を見張るも、風船の空気が抜けて行くように、徐々に体の力が抜けて行くのを感じている。
ビヨルンは微笑したあと、斧を構えて巨大なニルバに向けて駆けつける。
正直、アルシュが妬ましい。強い信念があり、マリカからの信用もあって、実力もある。
だが、絶対に負けない。アルシュに負けない為にも、更に強くなって見せる。
ビヨルンはそう誓って、巨大な尻尾に魔力の炎を纏わせた斧を振り下ろした。
黒き汚泥にも似た血飛沫が舞い夜の闇に溶ける。ビヨルンによって振り下ろされた斧がニルバの尾の先端部を断ち、地を鳴らしながら崩れ落ちる。
「こっちにくるぞ!」
本体は引かれる尾を失った為に、勢いのままバランスを崩してエリンやキルガのいる方につんのめり、頭から地を滑る。
「あいつら、やりやがったぞ!今だ!畳み掛けろ!」
「ダメよ!あいつは尻尾を失っただけ、まだ動ける!それに言ったでしょ?私たちの役目は時間稼ぎだって」
エリンは冷静に状況を判断し、安易な追撃を許さない。団員達は不満に感じたが、次の瞬間に彼女の判断が正しかったと考えを改める。
「ヴゥワアアアアアア!!」
ニルバは悲鳴と共に六本の爛れた足を持ち上げたかと思うと、千切れた尾から黒い血の雨を降らせながらそれを凶器として振るう。
エリンが止めなければと思うと、彼らの血気は凍りついた。
「あいつ、尻尾を無くしてもまだやる気なのかよ」
「当然よ。今のニルバは知性を失ってるから人を襲う事しか考えなくなるわ」
「じゃあ、一体どうするんだよ。本当にこんなやつを倒せるのか!?」
団員達は身構えてはいるが、体を震わせている。が針を失ってもこの魔物を退けるための、勝利への糸口が見えず、戦意を失いかけるものも出てくる。
しかし、ニルバは踵を返して門の壁の前で膝をつく二人の兵士に凝視し、その六本の足を駆動させて、突進する。
「あいつ、アルシュとビヨルンを襲う気だ!」
「このままじゃ危ない...!」
ニルバは自分の尾を切り落とした二人に怒りを宿し、先程の鈍重な動きからは考えられないほどの走力で、口を開けたまま襲い掛かる。エリンはニルバの後を追うも、彼が二人の元へ辿りつく方が早いのは明らかだった。
二人は左右に避けることで回避を免れ、ニルバの頭部が門の壁を打ち砕き、大穴を開ける。
その衝撃で瓦礫が飛び散り、アルシュの左足に直撃する。
「.....っ!」
「アルシュ!」
膝からは赤い血が流れ、脛を伝って地表に垂れる。
それでもアルシュは剣を握ったが、立つことができない。
「石頭が...そんなんだからトゲのある事しか言えないんだよ!」
「お前頭もイカれてんのかよ。こんな状況で冗談言ってる場合じゃねえだろ!」
眼前では巨大な怪物が今にもその身を喰らわんとしている。にも関わらず、負傷したアルシュがニルバへの愚痴を口にすることにビヨルンは呆れ返る。
「こんな現状だからこそ、愚痴くらい言わせろよ。ただでさえ、さっきので体に力が入らなくなっ来てるって言うのに...!」
左足だけではない。アルシュは常軌を逸した膂力を発揮した事で、知らぬ間にその体は疲弊していた。
「ちっ、とんだ見栄っ張りだぜ」
ビヨルンは弱っていくアルシュを目にした事で冷や汗が頬を伝う。彼は目を背けたくなるほどの最悪の現状に、息を飲んだ。
アルシュはもはや意識を保つ事で精一杯。その場所へ、エリンに続く他の団員たちは近づく事を躊躇い、ニルバの眼前にビヨルンが一人斧を構えている。
しかし、敵はたった一人でどうにかできるような生優しさなど持ち合わせてはいない。
「ニルバ!やめるんだ!!」
突如、その声が聞こえたのは団員達の背後からだった。
ニルバはその大声に振り向き、かつての友に殺意を向ける。
先程まで戦う事に躊躇っていたその男は己の弱さに打ち勝ち、脇に差さっている剣を引き抜き、エリンよりも前に立つ。




